第三話 「最低最悪の出会いと地獄の始まり」
任務を終えた翌日。月影機関の本部にある殺風景なブリーフィング室に、シロとカイは呼び出されていた。重苦しい空気の中、いかにもお役人といった風情の男が機械的な声で説明を続ける。
「昨夜の任務、二体の目標の無力化は評価する。だが、未確認の個体の存在は諜報部のミスであり、同時に君たちの対応能力の未熟さも露呈した」
カイは唇を噛む。言いたいことは山ほどあるが、階級がそれを許さない。シロはただ無表情に、男の言葉を聞き流していた。頭の中では、昨夜の奇襲を受けた瞬間の動きを何度もリピート再生し、反省点を洗い出している。
「……よって、チームの再編成を決定した。君たちの現指導教官であるタナカは分析部へ異動。本日付で、新たな指導教官と、新たなチームメンバーを一人、君たちのチームに配属する」
その言葉と同時に、部屋のドアがスッとスライドした。
現れたのは、黒髪をポニーテールにした少女。寸分の隙もなく着こなした制服と、猛禽類のように鋭い瞳が印象的だ。彼女はシロとカイを値踏みするように一瞥し、短く言い放った。
「第七部隊から転属になったサキだ。足手まといにはならないようにする。」
「あ、ああ!よろしくな!オレはカイで、こっちが――」
カイが慌てて自己紹介をしようとした、その時だった。
「う~~ん、かったるいねぇ、朝っぱらからの会議ってのは!しかも、なんか暗くない?この部屋」
間の抜けた声が響いた。全員の視線が声の主へと向かう。ドアフレームにだらしなく寄りかかっていたのは、着崩した教官服に、飄々とした笑みを浮かべた長身の男。
「お、新入り君たち?いいねいいね、新鮮な顔ぶれだ。一人は根暗そうで、もう一人はうるさそう。最高の組み合わせじゃないか。どっちが先に泣き出すか、賭けてもいいぜ?」
男はそう言うと、隣にいた役人の肩を馴れ馴れしく抱き、スマホでツーショットの自撮りを始めた。カシャッ、という無機質なシャッター音が鳴り響く。
サキのこめかみに青筋が浮かぶ。「ハヤマ教官。ここはサーカスではありません」
「ん?ああ、そうだった。自己紹介がまだだったな」
男――ハヤマ・セイジは、役人を解放すると、パンパンと手を叩いた。
「はい、注目!俺が君たちの新しいボス、ハヤマ・セイジだ!好きなものはラーメンと可愛い女の子とお昼寝!嫌いなものは残業と堅苦しい話!以上!」
あまりにも破天荒な自己紹介に、カイはあんぐりと口を開けている。シロは、その男の底知れない瞳の奥に、何か得体の知れない“力”の揺らぎを感じ取り、無意識に刀の柄に触れていた。
ハヤマはそんな三人の反応を楽しむかのように、にんまりと笑う。
「さて、新生ハヤマトレインの記念すべき最初のレッスンを始めようか!」
彼は窓の外を指さした。訓練棟の屋上が見える。
「名付けて、『地獄の鬼ごっこ』だ!」
「……鬼ごっこ?」サキが怪訝な顔で聞き返す。
「そう!ルールは簡単。そこの根暗君と、そっちのツンツンちゃんが鬼。この俺に一発でも有効打を与えたら君たちの勝ち。制限時間は10分」
ハヤマは次にカイを指さした。
「で、そこの元気君は……そうだな、あそこの屋上のてっぺんで、校歌でも大声で歌っててくれ。チームの士気が上がるだろ?よーし、始め!」
「はぁああああ!?」
カイの絶叫も、サキの抗議も、シロの沈黙も無視して、ハヤマはひらりと窓から飛び降りた。ここは3階だ。だが彼は猫のように軽やかに着地し、中庭で「よーい、ドン!」と叫んだ。
残された三人は顔を見合わせる。
「……なんなんだ、あの人は……」
カイが呆然と呟く。
「……ふざけてる」
サキは忌々しげに吐き捨て、すぐに窓から飛び降りてハヤマを追う。
シロは一瞬だけ空を見上げ、屋上で立ち尽くすカイの姿を視界の端に捉えた後、静かに、しかし最速のルートを計算しながら、サキの後を追って跳んだ。
最低で、最悪の出会い。
そして、シロとカイ、そしてサキにとっての、本当の地獄が始まった瞬間だった。