第十五話 「古都の罠」
ゴオォォ…と音を立て、純白の車体が滑り込む。
任務の舞台、古都・京都。その玄関口に、デルタ-7の三人と、不機嫌な保護対象が降り立った。近代的な駅の構造と、遠景に見える寺社の瓦屋根が、奇妙な不協和音を奏でている。
「……で、出迎えの人間は、どこにいるんだ?」
シキが、苛立たしげに周囲を見渡す。その目には、行き交う観光客の一人ひとりですら、潜在的な敵として映っていた。
「落ち着いてください。もう、こちらに向かっているはずです」
カイが宥めるように言うが、彼自身、その警戒を解いてはいなかった。
その、瞬間だった。
音もなく、まるで空間から滲み出るかのように、一人の男が、彼らの前に立っていた。
隙なく着こなされた黒のスーツ。一分の乱れもなく整えられた黒髪。そして、眼鏡の奥で、感情の一切を殺した、氷のような瞳。
「――月影機関、京都支部のカゲヤマと申します。お待ちしておりました、デルタ-7、及び、シキ分析官」
男――カゲヤマは、抑揚のない声で言った。
「……どうも。ご足労、感謝します」
カイが、チームを代表して応じる。
カゲヤマは、カイを一瞥し、次に、腕に包帯を巻いたサキを、そして最後に、手ぶらで立つシロを見た。サキは、その視線に、ほんの僅かな、しかし、確実な侮蔑の色が混じっているのを見逃さなかった。
「こちらへ。車両を用意してあります」
カゲヤマは、それだけ言うと、くるりと背を向けた。その歩き方には、一切の無駄な動きがなかった。
「……なんだ、あの野郎。最高に、気に食わねえな」
サキが、毒づく。
「京都支部の、エリートさん、ってとこかな」
カイは、やれやれと肩をすくめた。
黒塗りのセダンが、古都の街並みを滑るように走る。
車内は、重い沈黙に支配されていた。運転手も、助手席のカゲヤマも、一言も発しない。
シロは、窓の外を流れる景色から、目を離さなかった。寺社の瓦、古い町家、柳の木……その全てが、彼にとっては、未知の“地形”だった。
沈黙を破ったのは、カゲヤマだった。
「……シキ分析官の報告書は、拝見しました」
彼は、バックミラー越しに、後部座席の三人を値踏みするように見た。
「例の“アルファ”を仕留めたチームが、あなた方だと……。正直、信じ難い。報告書に記された戦術は、あまりにも、無謀で、非正規だ」
「……結果が、全てでしょ?」
サキが、挑戦的に言い返す。
「結果が全て、ですか。我々、京都支部は、手順と、規律を重んじる。あなた方のような“狂犬”を、野放しにはしておけない」
「てめえ、この……!」
サキが、思わず腰を浮かせかける。それを、カイが、手で制した。
その時、シキが、フン、と鼻で笑った。
「狂犬、ね。言い得て妙だ。だが、カゲヤマさんとやら……あんたのような優等生は、覚えておいた方がいい」
シキの目が、愉悦に細められる。
「――その狂犬たちは、あの、ハヤマ・センセイの、生徒だということをな」
シキの言葉に、カゲヤマの眉が、ぴくり、と痙攣した。
「……おい」
サキが、シキの顔の横で、低い声を出す。
「さっきから、犬、犬、って……いい加減、腹が立ってきたんだが」
「ん?何か言ったかね?聞こえなかったな」
シキが、わざとらしく耳に手を当てる。サキは、握りしめた拳が、ギリ、と音を立てるのを感じた。
(……こいつ、絶対、楽しんでやがる……!)
車は、市街地を抜け、嵐山へと向かう、静かな一本道へと入っていた。
道の両脇には、美しい竹林が、まるで壁のように、どこまでも続いている。観光客の姿も、まばらになってきた。
その静寂が、逆に、不気味だった。
キイイイイイイイイイイイイイイッッ!!
突如、甲高いブレーキ音と共に、車体が激しく揺れた。
運転手が、悲鳴のような声を上げる。
「どうした!?」
カゲヤマが叫ぶ。
「ぜ、前方に……!」
道の、真ん中。
一台の軽トラックが、横転していた。荷台から、大量の野菜が、路上に散らばっている。
その傍らには、農夫らしき老人が、頭から血を流して、倒れていた。
「……事故か?」
カイが、呟く。
「違う!」
シロが、叫んだ。
「――これは、罠だ!」
次の瞬間。
倒れていたはずの老人が、ギギギ…と、ありえない動きで、起き上がった。その動きは、およそ、人間のそれではない。
老人の目が、カッ、と赤く輝く。
そして、その口が、耳まで、裂けた。
「狼人……!?」
カゲヤマが、息を呑む。
だが、シロは、即座にそれを否定した。
「……カイ、気をつけろ!こいつは、狼人じゃない!……“何か”が、違う!」
ブチブチッ!
老人の身体から、肉が裂ける、嫌な音が響いた。
その背中を、突き破って、数本の、巨大で、黒光りする、昆虫の脚のような突起物が、生えてきた。
「な、なんだ、こいつは……!?」
ザッ、ザッ、ザッ……。
左右の竹林の中から、同じように、赤く輝く目をした“人間”たちが、次々と現れる。
農夫。サラリーマン。主婦。誰もが、ごく普通の一般市民の格好をしている。だが、その瞳からは、完全に光が失われていた。そして、その身体からは、異形で、醜悪な突起物が、歪に生えていた。
彼らは、まるで、糸で操られた人形のように、完璧に統率された動きで、ゆっくりと、車を、包囲していく。
「……“組織”の、歩兵か……!」
シキが、アタッシュケースを強く抱きしめながら、吐き捨てた。
包囲の輪が、じり、じりと、狭まっていく。
【???・監視室】
暗い部屋。
壁一面に並んだモニターの、一つが、竹林の中で、完全に包囲された、一台の黒いセダンを映し出している。
カシャ、というキーボードの音だけが響く。
闇の中に沈んだ人影が、その光景を、静かに見つめていた。
やがて、その人影が、ぽつりと、呟いた。
その声は、温度も、感情も、何も感じさせなかった。
「…………これが、あの裏切り者の息子か」