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ギンガリ  作者: 秀一
京都
14/17

第十四話 「不機嫌な護衛対象」

東京駅、東海道新幹線ホーム。

発車時刻を十分後に控え、雑踏とアナウンスが絶え間なく行き交う中、デルタ-7の三人は、目立たないように、しかし、最高レベルの警戒を保ちながら、その人物の到着を待っていた。


シロは、柱の影に溶け込むように立ち、群衆の中の不審な動きを、全てその黒い瞳に焼き付けていた。

サキは、腕を組み、壁に寄りかかっている。その顔には、「なんで私がこんなことを」という不満が、隠しきれないほどに滲み出ていた。

カイは、そんな二人の間で、必死に明るい雰囲気を作ろうと試みていたが、その努力は、見事に空回りしていた。


やがて、人波をかき分けるように、一人の男が、彼らの前に姿を現した。

上等そうなスーツを着こなしているが、首筋や手首には、痛々しい包帯が巻かれている。そして、僅かに足を引きずっている。分析部のシキだった。その手には、強化されたジュラルミン製の、重々しいアタッシュケースが握られている。


彼は、三人の顔を、まるで汚物でも見るかのような、隠す気もない侮蔑の視線で見渡した。そして、開口一番、こう言った。

「……遅い。三分も待たせたな。私の時間は、君たち戦闘員のそれとは違って、貴重なんだが?」


その言葉が、これから始まる、長く、そして、非常に気疲れする旅の、始まりの合図だった。


京都行きの新幹線。保安上の理由から、彼らにはグリーン車の、最も隅にある区画が割り当てられていた。

席に着くなり、シキの、ささやかで、しかし、最高に神経を逆撫でする“復讐”が始まった。


「おい、そこの“猟犬”」

シキは、窓の外を眺めていたシロに、顎をしゃくった。

「喉が渇いた。コーヒーを買ってこい。ブラックで、砂糖は無しだ。それから、温度は正確に摂氏八十五度。それ以外は、飲めたものじゃないんでね」


「……っ!」

サキのこめかみに、青筋が浮かぶ。だが、シロは、表情一つ変えずに、静かに立ち上がった。

「……了解」

(摂氏八十五度。車内販売のポットの温度、カップの材質による温度低下率、席までの移動時間……計算すれば、不可能ではない)

シロは、任務の一環として、その理不尽な要求を、完璧に遂行すべく、歩き出した。


次に、シキは、サキの方を向いた。

「おい、“ゴリラ女”」

「……あんだと、こら」

サキの口から、ドスの利いた声が漏れる。


「そのアタッシュケース。国家機密レベルの情報が入っている。床や、上の棚に置くなど、論外だ。君が、京都に着くまで、ずっと、その膝の上で抱えておけ。いいな?傷一つ、つけてみろ。ただじゃおかんぞ」

それは、警護対象の、そして、任務の根幹に関わる、正当な“命令”だった。サキは、怒りで肩を震わせながらも、そのアタッシュケースを、まるで爆弾でも扱うかのように、そっと、自分の膝の上に乗せた。ケースの角が、太腿に食い込んで、地味に痛い。


そして最後に、シキは、カイに、にたり、と笑いかけた。

「さて、と。“お調子者”君」

「は、はい!なんでしょうか、シキさん!」

カイは、必死に笑顔を貼り付けている。


「先日の、君たちの“熱烈な歓迎”のおかげでな。どうにも、肩が凝って仕方がない。少し、揉んでくれたまえ」

「ええっ!?」

「なんだ、不満か?」

「い、いえ!滅相もございません!喜んで!」


カイは、これが、彼との溝を埋めるチャンスかもしれない、と、必死に自分に言い聞かせ、シキの背後に立つと、その肩を、恐る恐る、揉み始めた。


「……ん、そこじゃない。もう少し下だ。……違う、そこは、先日君の仲間が蹴りを入れてきた脇腹だ。また骨を折る気か?」

「も、申し訳ありません!」


車窓の外を、景色が、猛烈な速さで流れていく。

だが、車内の時間は、まるで、膠着したかのように、遅々として進まなかった。


サキは、膝の上のアタッシュケースを、何度、窓から投げ捨ててやろうか、と考えていた。

シロは、完璧な温度のコーヒーを届けた後、シキという人間の、行動パターンと、その精神構造の脆弱性を、分析していた。

そしてカイは、いつ、この二人が、警護対象を殺害してしまわないか、冷や冷やしながら、笑顔で肩を揉み続けていた。


そんな、地獄のような時間が、一時間ほど過ぎた頃だった。

カイは、意を決して、シキに話しかけた。


「……あの、シキさん。一つ、聞いてもいいですか?」

「なんだ」

「……どうして、本当に、俺たちを選んだんですか?やっぱり、あの時の、仕返し、ですかね?」


カイのその問いに、シキは、しばらく、何も答えなかった。

彼は、ただ、窓の外を流れる、見知らぬ町の風景を、ぼんやりと眺めていた。

やがて、彼は、静かに、口を開いた。その声には、いつものような、刺々しさはなかった。


「……仕返し?馬鹿を言うな。これは、遊びじゃないんだ」


彼の横顔は、カイたちが、今まで見たことのない、分析官としての、冷徹で、知的な色を帯びていた。


「このデータを狙っているかもしれない連中は……ただの狼人じゃない。奴らを、その背後で操っている、“組織”だ。奴らは、爪や牙で襲いかかってきたりはしない。もっと、静かに、巧妙に、こちらの懐に入り込んでくる。毒を塗った針のように、な」


シキは、カイの方を、ちらり、と見た。

「ただ、強いだけの護衛なら、Aランクの連中でも連れてくればいい。だが、俺は、そういう“常識的な強さ”を、信用していない」


「俺が必要だったのは……予測不能な、規格外の連中だ。絶体絶命の場面で、平然と、怪物の股間をナイフで刺すような、発想を持つ男。自分のプライドよりも、仲間の指示を信じて、引き金を引ける男。そして……常識外れの、ありえない兵器を、作り上げてしまう男」

彼は、シロ、サキ、そしてカイの、アルファとの戦いでの行動を、全て、正確に評価していたのだ。


「……俺は、君たちを、信頼して選んだわけじゃない」

シキは、そう言って、ふ、と自嘲するように笑った。


君たちが揃いも揃って、頭のネジが何本かぶっ飛んでる“本物の狂人”だと思ったから、選んだんだ。

そして、これから俺たちが対峙するかもしれない敵の前では、教科書通りの優等生より、君たちみたいな“狂人”の方が、よっぽど信頼できる武器になる。


それは、最大限の侮辱であり、そして、彼なりの、最大限の賛辞だった。

シロ、カイ、サキの三人は、その言葉の意味を、すぐには、理解できなかった。

ただ、目の前の、この、嫌味で、陰湿で、ひねくれた男が、自分たちのことを、誰よりも、正確に、見抜いているのだということだけは、分かった。


やがて、新幹線が、速度を落とし始める。

『――まもなく、京都に到着します』

アナウンスが、旅の終わりを告げた。


シキは、ふん、と鼻を鳴らし、再び、いつもの嫌味な男の仮面を被り直した。

「……まあ、コーヒーの温度が、二度ほど、ぬるかったがな。今回は、見逃してやろう」


新幹線のドアが、プシュー、という音を立てて開く。

古都、京都の、湿った空気が、車内に流れ込んできた。

彼らの、奇妙で、不機嫌な旅の、第一幕は、終わった。

そして、本当の任務は、ここから、始まるのだ。

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