二人の子供
フローライト百十七話
「離婚するって何よ、それ」と咲良が言う。
久しぶりに美園は実家に来ていた。本当は奏空に相談したかったが、生憎仕事で地方に言っていた。
「何って、離婚は離婚だよ」
「どうしてよ?」
「朔が別れたいって言うのよ」
「どうして?」
「絵のモデルを頼まれたんだけど、絶対ダメだって、その人と必要でも喋るのもダメだっていうから、つい私も切れちゃったの。そしたら朔が別れるって」
「そのモデル頼んできた人は男ってこと?」
「そうだよ。黎花さんのギャラリーの人。黎花さんの会社とその人の親の会社が絡んでて黎花さんが困ってたから・・・そのことを言ってもそんな必要ない。いつからそんな八方美人になった?って言うんだよ」
「まあ、朔君にしてみれば、男のモデルなんて嫌だろうね」
「その人だけじゃないよ。テレビに晴翔さんが出ただけでも機嫌が悪くなる」
「そうなんだ。晴翔さんか・・・懐かしいな、最近みんなで集まることもないからね」
「そうなんだよ。大昔のことなのに、高校の時の話まで持ち出してくるし」
「んー・・・朔君にしてみれば、いまだリアルタイムなんだろうね」
「そうだとしても、もう疲れたよ」
美園はそう言って咲良が出してくれたコーヒーを飲んだ。
「あんたは別れてもいいの?」と咲良が美園の前に座って来る。
「いくないけど、仕方ないよね」
「私にはあんたが朔君のことを面倒になってるように見えるけど?」
「・・・面倒っていうか・・・私が朔をイラつかせてる気がするよ」
「ねえ、誰よりも朔君のことを一番に考えてあげて。それこそ朔君の言った通り、他の人のことはどうでもいいでしょ?」
「それやってたらどんどん朔がエスカレートしてくよ。そうしたら私、家から一歩も出られなくなる」
そう言ったら咲良が黙った。そうなる可能性だって否定できないことを咲良だってわかってるはずだ。
「今、あんたがここに来てること朔君知ってる?」
「知ってるよ。言ってきたから。返事はなかったけど」
「何か心配だな・・・」
「朔がまた死のうとするかもってこと?」
「そうだよ」
「多分、大丈夫だよ。こないだ飛び降りそうになった時、私も一緒に飛び降りるって言って本気でバルコニーの手すりに足をかけたら、朔が止めてきたから・・・何となくだけど、しばらくはそういうことしない気がする」
そう言ったら咲良がひどく顔色を変えた。
「ちょっと!それどういうこと?!」
咲良の顔を見て美園はしまったと思った。うっかり普通に言ってしまった。
「あ、結果的に大丈夫だったんだから・・・」
「当り前だよ!」
咲良が本気で怒っている。そして「あー・・・朔君には悪いけど、別れた方がいいかもね」と急に咲良が考えを変える。
それから散々説教をされたので、こういうことは咲良みたいな何もわかってない俗な人には、言うべきではないと後悔した。
自宅に戻ると玄関には朔の靴があったので少しホッとする。そのままアトリエのドアの前に立つと、中から音楽が聞こえてきた。ドアをそっと開けて見るといると思っていた朔がいなかったので、美園はリビングに行った。
リビングにも朔がいない。バルコニーの窓が開いていたので美園の胸がドクッと鳴った。
(まさかだよね?)と恐る恐る美園は窓からバルコニーをのぞいた。バルコニーの手すりにもたれて朔が立っていた。
美園はホッとしてバルコニーに出た。夕方の空には夕焼けが広がっていた。美園が近づくと朔が気がついてこっちを見た。
「何て言ってた?」と朔に聞かれる。
「何が?」
「相談しに行ったんでしょ?奏空さんに」
「奏空はいなかったよ」
「じゃあ、咲良さんは何て言ってた?」
朔はずっと空を見ながら言う。
「・・・朔の気持ち考えてあげなって」
美園はそう言った。ここから飛び降りそうになった話をして、咲良が「別れていい」と言ったことは黙っていた。
「ふうん・・・」
朔は関心なさそうにずっと空を見つめている。美園も空を見上げた。オレンジ色の空が綺麗だった。
「・・・美園を閉じ込めるなんて無理だったんだよね・・・」とポツリと朔が言う。
「・・・・・・」
「お母さんだって、俺のこと捨てていったんだし・・・ましてや美園は俺の親でもなければ何でもない・・・他人なんだから・・・俺に縛られる必要なんてない・・・」
(朔・・・)
美園は朔の横顔を見つめた。
「・・・もういいよ・・・美園ももう疲れたでしょ?俺の面倒ばかりみて・・・芸能界でも何でも復帰して一人で自由にやりなよ」
急に美園はあの高校の時に、突然朔の行方がわからなくなったことを思い出した。
── 美園にはやらなきゃいけないことがある・・・。
頭の中に奏空の声が響いた。やらなきゃいけないことってなんだろう?奏空は教えてくれない。でもそれは間違いなく朔とのことなんだ。それだけは何故かわかった。
黙っていると、朔が美園の顔を見て少し微笑んだ。
「もう俺のこと心配しないで忘れてよ・・・それでいい」と朔は言うと、部屋の窓の方に歩いて行く。
「朔!」と美園は呼び止めた。朔は美園を無視して窓から部屋に入ろうとしていた。
「朔!待って!私、朔の子供が欲しい」
(え?)と美園は自分の言葉に驚いた。何をバカなことを・・・。そう思っていたら朔の方がもっと驚いた顔でこっちを見ていた。美園は自分自身でもパニックになる。
(何がどうしてそうなったの?)
朔が美園のところまで戻って来る。
「・・・嘘でしょ?」
朔が言う。
「・・・嘘じゃないよ」
「どうして急に?」
「あー・・・えーと・・・」
(どうしてだろう?私も聞きたい・・・)
「無理しないでよ。ほんとに俺のことならいい・・・」
朔がまた部屋の方に戻って行く。
「ほんとだって朔!ほんとに朔の子供が欲しいの!」
(ちょっと!何?)とまた頭の中と言葉が真逆だ。今度は朔は足を止めずに部屋の中に入って行く。それを美園は慌てて追いかけ、部屋の中に入り朔の腕をつかんだ。
「いいって、美園」と朔が言う。
「ほんとなの!ちゃんと考えたんだよ。もちろんどうしても朔が離婚したいなら仕方がないけど、朔が前に子供欲しいって言ってた時、私絶対やだってそう思ってて・・・結果的に朔が譲歩してくれたでしょ?でも、あれから少し時間が経って・・・私も年齢的に子供を作るなら今ぐらいしかないなって・・・」
朔が驚いた顔をして美園を見ているのが見えた。そうだよねと美園は思う。自分自身でも何でそんなことを言っているのかわからないのだから・・・。
「・・・ほんとに?」
「うん・・・あ、でも、朔が別れたいなら・・・」
そう言いかけたら「そんなわけない・・・」と朔が美園を抱きしめてきた。
(やらなきゃいけないことって・・・まさかこれじゃないよね?)と心の中で美園は自問した。
「ほんとに、ほんとにいいの?」と朔が言う。
「うん・・・」
朔に抱きしめられながら答える。思えば最初に朔が子供を欲しいと言って、自分が嫌だと言ったところから今回のことはずっと続いていた気がする。
「ほんとは俺・・・美園に俺の子供産んで欲しかった・・・」
朔の言葉に美園は「うん・・・」とまた答えた。どうやら朔の中でも、その思いは消えたのではなくずっとくすぶり続けていたことを知る。
「色々・・・ごめん・・・」と朔が抱きしめていた美園の身体を離す。
「いいよ、私も意地はっちゃったし・・・」
「うん、いい・・・」と朔が口づけてきた。
けれど美園の心の中はパニックだった。子供など望んでたわけじゃなかったし、今回は離婚になっても仕方がないくらいに思っていたのに・・・。
朔とのカルマって何なのだろう・・・。
わからないけれど、ただこのまま進むしかないことだけははっきりと感じていた。