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はっと目を覚ましたのは。起きるのに適している時間で、隣の彼女も丁度目を覚ましたようだった。
「おはよう。朝ごはん食べようよ。」
寝起きの彼女はどこかふわふわしており、とりあえずご飯というのがらしかった。
「俺、なんか買ってくるよ。近くにコンビニあった気がするし。」
昨日食べたカップ麺を改めて考えると朝ごはんがカップ麺というのはいかがなものなのかという結論に至った。布団から出て、着替える。上着を着てしまえばどんな服装でも構わないなと思いが伝わったのか、その服ダサいと横槍を入れられる。だが、チャックを閉めた時諦めたのかため息が聞こえた。
「僕はメロンパンお願い。」
わかった、と返事をし財布をポケットにしまい部屋の鍵を持ち部屋を出る。先程まで見ていた夢はうっすらと残影しか見えず、悪い目覚めでなかった感覚しか残っていなかった。良い目覚めというのも良すぎると怖い。深く考えたところで結論が出るものでもないため、考えるのをやめコンビニへ入る。彼女に頼まれたメロンパンと自分が食べる焼きそばパンを片手に持ち、反対の手には紅茶のペットボトルを持つ。コーヒーが飲めない彼女のためだ。すべてをかごに入れ自分用のコーヒーも追加で入れる。レジへ向かう途中、目にとまるお菓子があった。スノーボールクッキー。真っ白の丸いクッキーが視界に入った。特に深い理由はないが、あいつが喜びそう、という理由だけで手に取ってしまった。
レジでかごを渡し精算する。一つのビニール袋に収まった朝ごはんはしっかりと重みがあり、手ではっきり感じることができる。昨日の買い物もそうだったが、久しく手で荷物を持つことが無かった気がする。仕事に行くときは専らリュックで出勤していたため、手に何かを持つことは少なかったからだろうか。
ホテルに戻ると彼女は寝ていたベッドを整え、ソファーでテレビを見ていた。
「おかえり。朝ごはんありがとう。」
「ただいま。お前なんか素直すぎて怖い。」
少し生意気で、でも憎めない、それが彼女だと思っていた。でも、たった一日二日程度でこんなにも印象が変わってしまうとは。俺はきっとよほど彼女に会いたかったのかもしれない。
「ほら、紅茶も買ってきてやったぞ。」
机に置いてやり、やったーと言う姿は自分の見たかったものと一致し、思わず口角が上がる。
「いただきます。」
律儀に言ってから食べるところ、メロンパンの砂糖が口についているところ、そのすべてが愛おしく思える。
「俺、おかしくなったのかもな。」
正面にいる彼女に思わず口を開く。正面を向く動きで、砂糖が落ちる。
「なんでよ。いつも通りだけど。」
「いや、こんなにもお前のことが好きだ、って思う日が来るなんて。おかしくなったんだなって。」
一緒にいると安心する、気を使わなくていい、楽しく過ごせる。この全ての項目をクリアしている相手は、きっと彼女しかいない。それが頭のどこかで、確信を持って居座っている。焼きそばパンは半分がお腹に入っていた。
「僕のことが好きなことはおかしくないでしょ。というか好きなんだったら堂々としてよね。僕だってちゃんと好きなんだから。」
「そうだよな。俺が帰ってきた理由ってお前に会いたかったのかもな。」
柄にもなく思ったことを言葉にしてみる。言ってから恥ずかしくなるが、素直な気持ちも伝えなければ伝わらない。沢山の大人から言われてきたことだ。
「なら、会いに来てくれて嬉しいよ。僕は。」
はにかみながらも真っ直ぐにこちらを見て言ってくれる彼女は朝日で輝いていた。
「さて、今日はどうする。まだ朝早いしいろんなことできるぞ。」
「そうだな。」
何しよっかな、と頬に手を当てて考える彼女。自分としてはやりたいことは特にないため、一緒に居られればそれで満足だな、と思い彼女を見つめる。
「それじゃあ、水族館と動物園行こうよ。この前新しくできたんだって。ちょっと遠いけどどうかな?」
「行くか。別に気にすることもない。どこでも行ってやるよ。」
一日ホテルにいるんじゃないのかよ、と思ったが口には出さず彼女を見つめる。その表情などを見る限り、ただ忘れているだけのようだった。
目的地が決まれば向かうだけ。朝ごはんのゴミを袋に詰め捨てる。
部屋を出て、鍵を閉める。歩き出すとともに彼女の手を握る。しっかりと握り返されたその手は自分より一回りほど小さかった。
遠出のため電車を2つほど乗り継ぎ目的地にはついた。最初に向かったのは動物園で、平日ということもあり先日の映画館同様人が少なかった。
「長くてもお昼までだな。水族館も行くんだろ?」
「うん!分かった。」
入場して見える景色は幼心を思い出させ、隣りにいるのが彼女だと思うと随分と時の流れを感じる。鮮やかな緑だった記憶の中のベンチは、古びて茶色くなってしまっていた。
「僕、ライオン見たい。行こうよ。」
手を引かれてライオンの前に行く。先程まで引いていた手は連れ回されているとも言えるほど引かれていた。そこには気品と獰猛さを兼ね備えているはずの獣がいた。
「やっぱりかっこいいな。前に来たときよりもすっごい大きくなってるね。僕が最後に来たのはいつだったかな。」
「俺と来たのが最後ならお前が卒業する前だな。」
そっか、と言い、そう言えばと話題を変えられる。
「奏兄ちゃん好きな動物なんだっけ。」
「俺はトラだな。よく俺とお前でライオンとトラが並ぶ前で動かないっておばさんたち困らせたことあったよな。」
「そうだね。せっかくだし、トラも見に行こうよ。」
その動物園ではトラとライオンは離れていてどちらも一緒に見ることは叶わなかった。一般的には隣や近くにあることが多いこの二種は、どうやら引き離されていた。
「やっぱりトラもかっこいいな。ライオンとは違う威厳というか、なんだろうね。僕の言葉じゃ足りないや。」
「確かにな。お前だって勉強頑張ってるんだろ。もう少し生活に生かしていけよ。」
奏太は自身が学生だった頃を懐古する。やんちゃまでは行かないにしろ、それなりに遊んで楽しかった記憶が蘇る。
「なあ、お前学校って今行ってるのか?」
なんの事?と言い残し園内の屋台へ走って行ってしまった。何かが自分の頭をかき乱す。決して忘れてはいけないこと、覚えておかなければならないこと。今あそこにいる彼女はもう、
「奏兄ちゃん、僕これ飲みたい!買って!」
少し遠くから聞こえるその声によって思考は止まり、顔を上げる。そんな不確定なことを考えるよりも今そこにいる彼女のことを考えたい。それが上回った。
「分かった。待ってろ。」
屋台で二人分のホットココアを買う。さすがに冬の朝から外にいると体が堪える。俺も年をとったんだなと、身にしみて感じた。
「何か渋い顔してたけど、大丈夫?」
さっきの自分を見ていたのだろう。年下に気を使われるとは、不覚だった。
「いや、別に。お前が甘い物食べすぎて太りそうだなって思っただけだ。」
「気にしてるのに!もう、それは僕に言う言葉じゃないでしょ。デリカシーってもん知らないの?」
「気にしてるのか。なら慎むんだな。」
どんなこいつだろうと今更心は変わらないけどな。言葉にはしてやれないが、態度で示すことはできる。落とされては困るカップを片手で取り、ムキになってこちらを見ながら話す彼女の唇を奪う。急なことにまたもや頭が追いつかないのかフリーズする。その姿すらも可愛く思わず抱きしめる。抱きしめたことが少し恥ずかしくなり、気持ちが落ち着くまで顔が見えないように腕を離さなかった。
「あのさ、そのままで良いから聞いて。僕さ、今すっごい幸せ。奏兄ちゃんとこんなところに来たり、付き合ったり、キスしたり。ありえないって思ってたから、本当に嬉しい。だから、ってことでもないんだけど、奏兄ちゃんがいる一週間僕にくれないかな。」
少しゆっくりと言葉を話すその様子が珍しく思えた。こちらを伺いながら、恐る恐るのようにも見えた。
「良いに決まってるだろ。俺だって、特別な幼馴染のお前がこんなにも大切な人だと思ってるなんて気づきもしなかったんだ。でも、お前が勇気を出して俺に声をかけてくれたから自分の気持ちに気づけた。俺も幸せだよ。」
落ち着いてきた気持ちを確認し、体を離しお互いに見つめる。思わず笑みが溢れ二人で笑い合う。
「なんだろう、笑えてきちゃう。幸せすぎてかな。」
幸せすぎて笑えるにはいくつかの理由があると言う。幸せすぎるが故に喜び、しかし一方で膨大過ぎる幸せを恐怖と感じるが故のこともあるという。きっと俺たちが感じているのは前者だろう。嬉しいという感情が共存していることが何よりの証拠だった。カップを返しお互いに飲み切る。
「さて、お昼になるし水族館行こうか。僕お腹空いてきた。」
「昼飯何にする?近くに店とか無かった気がするが。」
そうだね、と言い少し二人で考える。
「それじゃあ、水族館についてから食べようよ。あそこならレストランとかあった気がするし。」
「それもそうだな。」
ん、と彼女から差し出された手を握り動物園をあとにする。途中でカップを捨て空いた手が大きく振られていてそれを見るだけで顔が緩むのを抑えられなかった。
揺られる電車の中、窓から差し込む光が彼女の瞳を美しく淡く、輝かせていた。