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帰りは彼女と自分の片手ずつに買い物袋が、その反対ではお互いに手を繋いでいた。小さい頃から二人で手をつなぐことが多く、この歳になってやってもなんの不思議も感じなかった。お互いに学生時代を過ごし少しは思春期などによる変化を受けると思っていたが、手をつなぐことに対する抵抗感は生まれなかった。そんなことを思いながら繋がれた手を見ていた。
「そう言えばさ、まだ返事もらってなかったんだけど。」
ホテルまでの道中、トンネルを抜けたところで彼女が口を開く。
「何が。」
「告白。僕、結構勇気出した気がするけど。」
左にいる彼女は自分と同じ方を向いて落ちていく夕日を見ていて表情を伺うことは不可能だった。でもほんのりと赤く色づいたように見える耳たぶが感情を表してしまっている。
自分にとって彼女は、都会へ出る前、つまりこの地にいた頃誰よりも一緒にいた仲である。何度か、恋愛の対象として見ることはあったが、近すぎるが故に本当のところが分からず、一歩を踏み出すことが出来ていなかった。さらに、少し特殊なこの街でただ一人の頼れる相手としても絶対的な信頼を置いていた。その気持ちが友情を超え、愛情へ移り変わっているのか考えたこともある。
でも、数年間の空白を数日で埋められるのはきっとこの先も彼女しかありえないだろう。駅で会った時、無意識に入っていた力がふっと抜けた。上がっていた肩も下がり、食いしばってしまっていた歯もゆっくりと離れた。
こうなれば答えは一つ。
「いいよ。」
自分がこちらを向いていないと思っていたのか勢いよく振り返った彼女は真っ赤に顔を染めた。
「なんでこっち向いてんの!?びっくりするじゃん。」
「知らねえよ。お前こそ勢いよく振り向くなよ。」
だって、と口ごもる彼女を見て不覚にも守りたいと思ってしまった自分がいた。見た目や言葉の節々に女の子ではない雰囲気を感じるが、自分から見た彼女はやはり昔のままだった。いくら容姿や言葉を変えようともその人がその人であることまでは変えられない。
歩行が止まり、下を向いてしまった彼女の手を離す。はっと息を吸いその手の行く先を目線で追ってくる。顔が自分の方へ向いた瞬間優しく頬を片手で包み、唇に触れた。目を開けている自分とは対照的に固く閉じた彼女はいじらしく愛らしい。そっと顔を離すと視線は泳ぎ落ち着きがない。
「お前初めてかよ。」
悪いかよと言わんばかりの顔でこちらを見つめてくる。どうやら言葉にならないらしい。はくはくと動く唇さえも愛おしい。
「帰るぞ。俺のために作ってくれるんだろ。」
大きく二回頷き、差し出す自分の手を勢いよく握った。
そこからホテルに着くまでの会話はなかった。自分の勢いでの行動だったと少し反省が生まれてしまったのと、外側を向く彼女の表情がいまいち読み取れなかったからである。
もしかしたら急ぎすぎたのかもしれないなどとさらなる反省を生みかねない考えがでてきたため、深く考えるのを一度やめた。その間に部屋には着き、食材を冷蔵庫へしまう。入り口に彼女は立ち止まってしまい、まだ気が抜けているようだ。彼女の持っていた袋の分までしまい終わり、ソファーに腰を下ろす。話を始めたのは廊下からとてとてと音が出そうに歩いてくる彼女だった。
「初めてだよ。だって僕彼氏いたことないし。」
それをさっきの答えと理解するには少し時間がかかった。でも、唇を尖らせながら恥ずかしそうに話す姿を見るとあの夕日に染まる彼女がフラッシュバックする。
「え、でも別れたって。」
「嘘だよ。そもそも付き合ってないし、一方的に付きまとわれてただけ。それを見たおばさんたちが勝手に騒いだの。というか、付き合ったからと言って誰でもキス…するわけでもないし。」
途中から早口になった。おばさんたちに関しては、やりかねない性格の人たちだ。情報を鵜呑みにした自分にも負い目はある。ということは自分がこの街を離れる前から彼女は好いてくれていたということになる。
「お前、俺のこと好きすぎだろ。」
顔の筋肉の緩みなど気にもとめず立ち上がり腕を引く。抱きしめたその体は少し自分より小さく、でも触れる要所要所に時の流れを感じた。
「大好きだよ。ばーか。」
馬鹿はないだろ、と少し下にある頭に向かって言う。垂れていた腕は自分の背中に向かい、しっかりと包まれる感触があった。
「俺もだ。」
こんなにも一緒に居て苦のない人がいるだろうか。互いが互いを思いやり、好意を寄せることがこれほど快感であるとは知らなかった。この感覚に名前をつけるならばそれは幸せだろう。
抱きしめる腕を先に離したのは彼女だった。名残惜しそうに、でもどこか恥ずかしそうに離れる。俯きながら、ごはん作る、と言いその場を後にした。残された俺は腕に残る暖かさを噛み締めた。
材料を切り、鍋を回す姿を夕日越しに見る。いつまでも子供のように見えたその姿は一人の人間として少しずつ確実にときを重ねているように見えた。それはお互い様かもしれないが、記憶の中の彼女と今目の前にいる人が時の流れを明確に示している。
奏太は彼女が料理を作ってくれている間にお風呂を沸かし先に入った。ご飯の前にお風呂に入るのが幼い頃からの習慣である。彼女も出来上がった頃に交代で入った。
「お風呂出たよー。ご飯よそっておいてほしい。」
バスルームから聞こえた声に返事をし米を盛る。隣のコンロで湯気を踊らす豚汁からはとても懐かしい匂いがした。盛り終えた頃、不意に後ろから抱きしめられた。
「おいしそうでしょ?」
「ああ、そうだな。楽しみだ。」
ホテルの小さな机に二人分の夜ご飯が並ぶ。
いただきますと手を合わせた二人は同時に豚汁をすすった。何か特別なものが入っているわけでも、高級な食材を使っているわけでもないこの料理が一生忘れられない味のように感じられる。
「おいしい。お前料理できたんだな。」
これまで見てきた彼女は真面目で不器用といった面が多かった。もしかしたら自分の知らない他の輝きを持つ面がまだあるのかもしれない。
「料理くらいできます。僕だって御飯作るときあったんだから。」
そうか食べてみたかったな、と心のなかで言ったはずが口にしていた。音にしてから恥ずかしがるのが一番ダサくて恥ずかしい。またもや会話がなくなってしまった。視線を上げることもできず、視界いっぱいに食事を映す。黙々と食べるとお米と豚汁だけではすぐに底が見えた。
「また作ってくれよ。楽しみにするから。」
食べ終わった食器を洗おうと立ち上がり言い逃げるように水道へ向かった。こんな一日で心も頭も彼女のことでいっぱいになってしまった。何かから逃げるようにやってきた地元だが、案外リフレッシュにはいいのかもしれない。そんなことを考えていると横に気配を感じた。食べ終わった食器を彼女が持ってきて水道に置いた。洗っている俺を真っ直ぐに見つめ口を開く。
「分かった。また作るね。何食べたいか考えておいて。」
一つ一つの言葉を大切に並べる彼女に少しの違和感を感じたが、それ以上に次があることに心の浮つきを覚えた。そんな自分がまた恥ずかしくなり、おう、と小さく返事をしただけになってしまった。
駅で会ったときとはテンションの差が大きく落ち着きを持っている彼女は、真新しく瞳に写りこの彼女を知っているのが自分だけなのだと思うとどこかくすぐったい気もしている。
小さい頃から知っているため、どのような人柄なのか熟知している自負はある。家での姿、友達といるときの姿、学校での姿、一人のときの姿。そんな中、俺との二人の姿が新しく更新され続けている。他では見ることのない姿に安心を覚える。
洗い終わり、視線を向けた先のテレビを見ていたはずの彼女は疲れているのか眠りに落ちていた。手の水気を拭き取りながら近づき、短く切られた髪の毛に指を通す。十センチほどの距離で終わってしまうその動作を何度も繰り返す。耳まで降りてきた手を今度は頬を伝わせ包み込む。反対側にも手を添え、丁寧に壊れないように唇を寄せる。ほんのりと暖かさを持つ皮膚は魅惑的で何度も求めてしまいそうになる。そっと手を離し、自身も寝る準備を始める。電気を消し、ソファーの彼女をベッドまで運ぶ。2つの体に布団をかけ、明日やるはずことが終わってしまいまた予定を建て直さないとだなと少し明日が楽しみになっている心の弾みを感じ目を閉じた。時計が明日を告げるにはまだ三分の一以上も残っていた。
先に目を覚ましたのは彼女ではなく自分だった。まだ太陽が一端を見せ始めているだけの頃、意識が覚醒するとともに体も起き上がる。こんな時間に起きるのは久しぶりでいい思い出はない。隣で小さく眠る彼女が愛おしく見えて仕方がなく、腕の中に収めるように再び起こした体を寝かした。身じろぎを少ししたものの、再び一定の呼吸で落ち着いた。そんな彼女を抱きしめているうちに温かい体温が伝わってきたせいか眠りに誘われ瞳は閉じていった。