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次の日目が覚めたのは朝の八時。窓から差し込む太陽の光によって視界は明るくなっていた。数日間隣りにあったはずの温もりがないことが違和感で少し身じろぎをする。寝て落ち着いた脳内で今日の予定を考える。特出してやりたいことはない、だがこのままではいけないきがした。なにか行動を起こして、昨日までのことを記憶に焼き付けなければならないと。そうするとやることは自ずと絞られてくる。昨日ほどの取り乱す感覚はなく、驚きよりも悲しみや寂しさのほうが心の大半を占めている頭で決めたのは、再び昨日まで訪れたところへの再訪だった。ベッドを出て何か食べようと考えたが、食欲はなく水しか喉を通らなかった。食欲がないというよりかは、物が喉を通れなかったという表現のほうが適切だろう。数日栄養を摂らないほどで死ぬくらい弱い作りはしていないはずだと体について少し考え、着替えを済まし部屋を出る。どうにも海には足が向かず、最初はレモネードの店へと向かうことにした。途中にあったトンネルも持てる勇気を全て振り絞って壁伝いに目をつぶって歩いた。一人で見た抜けた景色はまるでモノクロだった。記憶を辿って店を探す。思ったよりも遠く、着く頃には少し足が疲れてしまった。
黄色だったのかと、ふと看板を見上げて思う。二人でいたときは映らなかった物が、はっきりと主張を強めてこちらを向く。
「すみません、少し話聞いても大丈夫ですか?」
レモネードを一つ注文して作ってもらっている間、ワゴンのいる彼に話しかけた。
「久しぶりだね。奏太くん。見ないうちに随分大人になったかな。」
「え、久しぶり?」
ここは初めて訪れた店だった。それに、彼女に教えてもらうまで存在すら知らなかった。
「そうだよ。俺のこと忘れちゃった?ほら、仲良くしてたじゃん。…の兄だよ。」
名前の部分が水が耳に溜まったように聞こえない。慌てておかしなところがないようにと、言葉をまとめる。今、深く聞かれても答えられない。
「ごめんなさい。久しぶりすぎてあんまり思い出せないみたいです。」
「そんなに他人みたいにしなくていいのに。そうだよな、あれから三年だもんね。奏太くんがここを出てからは六年か。記憶の中も更新されてくもんね。」
三年、六年。確かにこの街を出たのは六年前。そこから上京し都内の会社へと就職した。だが、そこから三年後何があったのだろう。
「あの、三年前って何があったんですか?俺、思い出せなくて。」
「えっと…。ほんとに?」
心配するように彼は首を傾けた。話し方からして随分自分と仲が良好だったのだろう。ならば、自分の知らない何かを教えてくれるはずだ。そう期待して聞いてみたが反応に手応えはなかった。
「はい、本当です。」
「だとしたら、俺からは話せないかな。」
「そうですか。お時間ありがとうございました。」
心のもやもやは消える気配すらなく、その頭角を現し始めた。黒く詳細があやふやだったそれは輝きを放っていた。礼を告げたあと、映画館へと向かう。
「あの子。って誰だ。」
歩きながらふと、ちゃんと聞いてくればよかったなと思ったが、次にも訪れる場所があるしと息を吐き歩き出す。映画館のカウンターでは見慣れた顔があった。
「あ、おばさん。お久しぶりです。」
自分の声に気づいた相手が、目を見開き振り向く。詰めるように寄ってきて、その勢いに一歩下がる。
「奏太くん、なの?本当に?」
「はい、そうですけど。」
駆け寄り掴まれた腕が痛い。寄せてきた圧に負けてさらに一歩下がる。
「どうして、急に?何かあった?」
「えっと、あの。」
立て続けに起こる問題提起に頭が追いつかず、話を整理しようとおばさんを落ち着かす。
「大丈夫ですから、落ち着いてください。」
「大丈夫なはずないでしょう。急にこっちへ来て、どうしたの?言ってごらん。」
確かにそれもそうだ。何か理由をたてないとならない。さすがに仕事で病んで逃げてきたとは言えないし。
「久しぶりに休暇が取れたんです。だから、ちょっと。」
「あ、あら、そうなの。そうだったの。」
ありきたりな答えだったが、うまく返せたようだ。納得しているようには見えなかったが、それでいいと思ったのだろう。
「はい、そうなんです。それで、実は聞きたいことがあって。」
先日彼女と来た話をし、その後再び訪れてないかと聞いてみる。しかし、それを聞いたおばさんは息を呑み、周りに居た他の近所の人たちを呼び集め何かを話し合うと、言いづらそうにこちらを振り向いた。
「そうねえ、来たわね。昔はよく。」
含みを持ったその言い方が気になったが、あれだけ話してこの答えなのだったら深く聞くことはできない。
「そう、ですか。」
納得できるようなものではない答えが返ってきたが、何も情報がないのならばもうこの場所に用はない。
「それでは、失礼します。」
軽くお辞儀をして映画館を後にする。後ろから、何か声をかけようと手をのばされていることなど、奏太は気づかなかった。
次に訪れた動物園は、中に入らず入り口まで行き立ち止まった。
「入れないな。」
今日の動物園の受付係は訪れたときと人が変わっていて、話を聞くことはできなかった。中に入ればよかったのかもしれないが、足に力が入らず歩みを進められなかった。仕方ないと諦め、水族館へと向かう。電車で揺られる途中で雨が降り始め、そう言えば傘持ってきてなかったなとバッグを上から触り思った。日中で明るいはずの外はいつの間にか暗くなり、電車内は電気を付けていないと薄暗いようだった。
水族館は休館だった。しかも、定休日とかではなく急に決まった休みである。
「あ、ないのか。」
結構聞こえる声で言ったが周りに誰も居なくて、おかしいと思っているのは自分だけだった。雨はそこから二時間止まず、雨宿りするところの心当たりもなかったため、ただ歩きながら、濡れながら、イルミネーションを目指した。頬を伝う水が、首を流れ心臓へ注がれる。その水路は枝分かれをし、全身へと染み渡るように水を行き渡らせて行った。雨は強くなる一方で、すでに洋服は街灯で輝くほどだった。だが、雨天中止のその場所は闇に包まれ曇った空によって霞んでいた。
「俺のこと嫌いかよ。」
開いた口に水は我先にと入ってくる。飲み込まれた水を異物と捉えた胃は吐き出そうと必死だ。吐き出そうとする生理現象を抑えきれず、口からは異臭のする液体が押し出される。それは水といくら混ざろうと自我を保ち続けた。う、は。言葉にならないそんな音が口から出る。早くなる呼吸と薄くなる脳内の酸素。限界を迎えるのが早かったのは酸素のようで、意識を失ってしまったようだった。はっと目を覚ました時、見える景色は最後の景色から45度ずれて上むいていた。
この場所に訪れる人は自分以外いなかったようで。所持品は何も失われていなかった。遠くに立つ時計を見る限り、二時間ほど意識が飛んだようであった。
「 」
「帰るか。」
最後は花火会場に向かおうと思っていた。しかし、冷えた頭を暖めようと働く中で冷静に判断は下せないと僅かな理性が正当な行動を提示してきた。このままでは電車にも乗れない、というかそもそも体が起こせない。どうせ誰も来ないのならば、もう少し現状を維持してもいいかと思い起こした頭を再び地面に付けた。ふとスマホを思い出す。あ、壊れたな。なんて今更なことを思ってみる。大した人間の連絡先もない、親には壊れたと事情を話せば穏便にしてくれるはずだ。腕の力、足の力、肺の力、お腹の力、首の力、その全てを手放す。
雨が止むまでは、何も考えたくなかった。柄にもないが、全てを流してほしいと心から命をかけて願った。
雨が止んだのは、そこから30分後で嘘のようにきれいな夕焼けが顔を出していた。
「雲の先は晴れ。な。あいつがいつも言ってた。」
赤とも橙とも言えるその色はまるで彼女の振り返った笑顔のようだった。彼女が振り返るとまるで儚い太陽の光を放つようで、こちらが照らされていた。
「 」
意地悪だったな、と心の中で続けて立ち上がる。雨が止んだところで服が瞬時に乾くわけもなく、上着を脱ぎ絞る。軽く肩から羽織り、近くのベンチへ座る。見上げた空には先程気づかなかった月が共存していた。
彼女はもしかしたらあの月にいるのかもしれない。
ここでいくら待ったところで彼女は来ないし、服も乾かない。そう思い、立ち上がり再び空を見る。見ても何も変わらないと分かっていても。
結局花火大会の開催された公園へは行くだけ行った。雨上がりの公園はぬかるんでいて中までは入らなかった。入り口を流れる泥水が排水溝へ落ちていくのを少しばかり見届け、ホテルへと帰路に着く。どちらにしろ、徒歩で帰るには時間がかかるため中まで入ることはなかったが。
ホテルに着くと、雨に降られたと事情を話しタオルを借りる。拭きながら部屋へ戻ると、そこには見慣れた靴が。慌てて中まで入り部屋を見渡す。しかし、そこに人影はなかった。振り返り入り口を見るとそこにあったはずの靴もなかった。
「ここまでか。」
自分の行動に苦笑が溢れる。あざ笑うように出た息を置いて、濡れた服とともにシャワーへ向かう。冷えた体にシャワーはよく染み通り、脱がずに入った服は再び重さを増した。このまま温かいものに包まれて意識を失い、起きたら全て夢でした。なんてことにでもなってしまえばいいのに。目をつむり、顔をシャワーヘッドに向けながら考える。
そこから数分動かなかったが、さすがにそのままともいかないため服を脱ぎ洗面台へ置いた。シャワーから上がってきた後、窓から海を見た。始まりの日、暗い夜の中訪れたあの海は半分に切られた太陽によって業火に揺れていた。
自然と足は海へと向かった。あの日とは違い、空と海の境界線ははっきりしている。足に触れる砂を感じて靴を履いてきていないことに気がついた。冷たい砂はどこか優しく、慰めるように包み込んできた。
「なぁ。帰ろうよ。」
波の音に流されたその言葉はきっと彼女のいるところまで届く。海は届けてくれる。ふっと膝の力が抜けてしまい崩れ落ちる。咄嗟に手をついたが、受け止めきれずそのまま倒れる。砂の上に寝転がるなど周囲からすれば狂気の沙汰だろう。ましてやこんな冬に裸足である。加えて上着も着ていない。触れる砂の状態からして、さっきまでの雨はこっちの地方では降っていなかったようだ。だから、倒れても濡れないし冷たくない。そっと目を閉じた。波の音、風の音。潮の匂い、遠くの雨の匂い。体を包む砂、それを遮る洋服。五感の全てを埋め尽くす、不可抗力の影響たち。




