4話 観光案内3回目
カイルと別れた次の日。
今日も私はお父さんと一緒に納品の箱を届けに王宮を訪れた。
「モニカ。次はあの箱だ」
お父さんは王宮務めの料理人と帳簿の確認作業をしながら、私に指示を出す。
「はい」
今日も変わらず、ちょっと偉そうに見えて腹が立った。
何度も往復して馬車の納品の箱が半分くらいになった頃、裏口にあたる城門から仕立て屋の姉妹を乗せた馬車が入ってきた。
今日も荷馬車の横に止めた。馬車の窓を開け、顔を見せた姉妹は口元を扇子で隠して私に声をかけてきた。
「ごきげんよう」
「今日も素肌なのね」
姉が可哀想と思ってもない言葉を上から浴びせる。
姉妹は哀れみを含めた目で私を見下ろした。
「今日はどんなご予定なの?」
私は半眼で感情のない声音で聞いた。
「今日はお茶会に参加させていただくの」
「新しい茶葉が入ったそうなのよ」
楽しみね、と姉妹は顔を合わせて嬉しそうに笑った。
「そう。じゃあ私行くわ。仕事中だから」
私は姉妹を冷たくあしらった。
姉妹の優越感を満たしてあげた私は野菜が入った箱を抱え、背を向けて歩き出した。
王女さまは大変ね。こんな姉妹の相手をしなくてはならないのだから。
私はどんな顔か知らない王女さまに同情しながら調理場へ入り、箱を置いた。
調理場から出ると、仕立て屋の姉妹を乗せた馬車はいなかった。
いつもなら姉妹と会話した後には重い息がもれるのだが、今日はなかった。
きっとカイルと出会って、一緒に演劇を観て、非日常な経験をしたからだ。
「お父さん、運び終わったわ」
料理人と雑談で話が盛り上がっているお父さんに声をかける。
「じゃあ帰ろう」
お父さんと私は料理人に別れを告げて御者台に乗り、家に帰った。
◇◇◇◇◇◇
観光案内三回目。
今日も澄んだ青い空と白い雲が真夏日和であることを教えてくれる。
私は顔に白粉をつけ、ピンク色のワンピースを着て、四阿の中で切り取っただけの窓から座って景色を眺めながら、カイルが来るのを待っている。
始めは四阿の出入口で待っていたのだが、お昼の鐘が鳴ってもくる気配がない。暑さで汗がでて、白粉が崩れるのも嫌なので日陰を求め、こうして待っている。
今日で最後か。
まだカイルに会っていないのに、そう思うだけで残念な気持ちになる。
「悪い! 遅くなった!」
「大丈夫よ」
窓から私の姿を見つけたのだろう。カイルは急いで走ってきた。
「もっと早く来るつもりだったんだ……」
カイルは四阿の中に入り、石材の長椅子に座って呼吸を整える。
「もしかして、都合悪かった?」
「いや。ちょっと邪魔されて」
「ご両親?」
「いや……」
カイルは私から目を反らして、追求されたくない空気を出してきた。
「そうだ。先に渡しておく」
カイルは上着の内側から布に包んだ物を渡してきた。
「なに?」
「観光案内料だ」
「え⁉ ちょっと、わたくし、あんな大金持てないわ」
「でも約束だし」
「帰りでいいわ」
それまで持っていて、と私は布に包まれた硬貨をカイルに返す。
色褪せたお財布は今日も家に置いてきた。
気づくのが遅くなったが、カイルから受け取った硬貨をどう親に説明しよう。
たった三回で大銀貨三枚なんて絶対に驚かれる。
「ねえ。時間がもったいないわ。行きましょう」
「そうだな」
「今日のご希望は?」
「街中を歩こう。前回はあまり歩けなかったから。歩き疲れたらどこかで食事にしよう?」
「わかりましたわ」
私とカイルは来た道を戻るように、石畳の階段を下りた。
希望通り目的もなくぶらぶら歩いていたら、突然カイルが昼市に行きたいと言い始めたので、私は広場に連れて行った。
今は朝市ではなく、昼市だ。
なにが違うのかというと、朝市は食べ物の露店が多く、昼市は装飾品の露店が多くなる。
露店は朝市、昼市、夜市の各時間帯で貸し出されているので、固定のお店はない。
「なにかほしいものがあるかしら?」
「おかしいぞ」
「え?」
「なにかほしいものは見つかったかしら、だ」
「……失礼しました」
まずい、一人お嬢さまごっこの仮面がはがれてしまった。
「ティーネ。友人は誰なのか教えてくれないか?」
「え?」
「挨拶とかしたほうがいいかと思うんだ」
「なんの?」
「え? 友人として」
「友人なの?」
私たちってそういう関係だったかしら。
「……」
私がそう言うと、カイルは黙ってしまった。ちょっと傷ついた顔をしている。
でも、考えてみてほしい。私たちはまだ知り合って一月も経っていない。会って三回目だ。
頭に疑問符をつけても許されると思う。
私とカイルはお見合いをするように向き合って見つめ合った。
「正体を教えてくれたらいいわよ」
不憫を感じた私は、条件付きの提案をしてみた。
「だって、カイルって偽名でしょう?」
私が直球勝負で言うと、カイルはえっという顔になり、口が半開きになった。
「……いい。忘れてくれ」
落ち着きを取り戻したカイルは首を左右に振って白紙にした。
それからは私もカイルも黙って昼市の中を歩いた。
なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった後の、後味の悪さのような空気が流れている。
私はカイルとの間にある沈黙を持て余してしまい、意味もなく、くるくると白い傘を回す。
こういう空気はできる限り早く変えた方がいい。
どこか気分転換になりそうな場所はないかと考えていたら、当然カイルがぐいっと私の手を引っ張って路地に連れて行く。
「?」
「おれたちの後ろを歩いている男たちに後をつけられている」
「え?」
「誘拐犯かもしれない」
「え⁉」
「しっ」
カイルが大きく声を出さないで、と人差し指を立てた。
私は慌てて、手で口を塞いだ。
いつからなのだろう。全然気がつかなかった。
不安からか、私の心臓は動悸のように動いている。
「この辺りの路地、詳しい?」
「ええ」
「じゃあ、飲食店へ行くのはあいつらを撒いてからにしよう」
「わかったわ」
誘拐犯と聞いた瞬間、私の心にもう余裕はなくなった。
私はお父さんの言葉を思い出す。
知らない場所に連れて行かれて、帰って来られない。
あれはてっきり冗談だと思っていた。
そんな人生は嫌だ。
「騎士さまがいる詰所がいいわよね?」
「え? ここからじゃ距離があるだろう。とりあえず近場……公園に行かないか? あそこは大人たちが沢山いるから誰かに助けを求められると思う」
「ああ。そうね」
私はカイルの提案にうなずいて、白い傘を畳む。
路地の先を見つめ、頭の中で経路を組み立てる。
「こっちよ」
私は白い傘を落とさないように強く握って、誘導するように走り出す。
すると、おい逃げたぞ、と大人たちの声が背中越しに聞こえた。
カイルは時々後ろを振り向きながら、私の後ろを走る。
路地を右に曲がり、真っ直ぐ走って、今度は左に曲がる。
私とカイルは逃げる。逃げる。
子供の足ではいつか大人に追いつかれるだろう。そうなる前になんとか逃げ切りたい。
「ティーネ予定変更! 俺たちが出会ったあの場所に行ける⁉」
警戒しながら後ろを走っているカイルがまずいと言った。
「行けるわ!」
私は走りながら、頭の中で経路を修正する。
大通りに出て道を歩いている人混みを縫うように走って、石畳の階段を目指す。
「ティーネ、四阿へ!」
私が階段を上がりきる前に、後を追いかけるように階段を駆け上がるカイルが指示を出す。
「わかったわ!」
私は言われた通りに四阿へ走る。
するとカイルが追いついて私と並んで走る。私の手を掴んで四阿に入り、壁の真ん中を切り取っただけの窓から身を乗り出すようにして顔を出した。
「ねえ、危ないわよ!」
ひゅうううと風が吹いて、カイルの銀髪と私の赤い髪が大きく揺れる。
私も気になってしまい、顔を出して下を見た。赤い瓦で建てられた切妻屋根がある。高低差はたぶん家一軒分くらいはあると思う。
私はめまいをおこしそうになり、顔を出して見たことを後悔した。
「これくらいなら、まだ大丈夫」
そんな私の気も知らず、カイルは余裕の笑みを見せる。
その笑みになんだか頼もしさを感じた。
「ねえ、来るわよ!」
「いいんだ。ぎりぎりまで引きつける!」
私たちの後を追いかけて石畳の階段を上がってくる大人たちが数人。
大人たちが階段を上がりきったところで、カイルは私の膝裏に自分の腕を通して、お姫さまのように横に抱き上げた。
「きゃ!」
「傘、広げて」
カイルは言いながら、切り取っただけの窓枠に両足を乗せた。私の足が窓枠からはみ出て風に当てられている。
「え? な、なにするの?」
「ここから飛び降りるんだ。落下速度を遅くしたい」
私は自分の耳を疑った、今カイルはここから飛び降りる、と言った。
「早く!」
カイルに急かされて、私は慌てて傘を広げた。
「つかまって!」
言われるがまま、私はカイルの首に腕をまわしてぎゅっと抱きつく。
ここまできたらもう一蓮托生だ。私はカイルに身を任せた。
カイルは壁を切り取っただけの窓の縁を蹴って――飛び降りた。
二人の身体が宙に浮いている。
眼下は赤い瓦の屋根と石畳の街路。通りを歩いている人々は上を見て歩いたりしないから、子供が宙に浮いているなんて誰も気がつかない。
いつも踏みしめている地面がなくて、私の心は焦りと不安で一杯になる。
「きゃあ!」
私は悲鳴をあげる。
「ティーネ、口を閉じて!」
舌をかむから、とカイルが言う。
甲高く吹き荒れるような風音が耳の中に入り込んで、私の心の不安を煽る。
私は怖くてぎゅっと目をつぶっている。スカートがめくり上がって、膝下がさらされているだろうけれど、そんなことを気にかける余裕はない。
ただ、無事にカイルが着地してくれることだけを祈っていた。
「あっ! いた!」
「きゃ!」
真下の赤い瓦の切妻屋根に着地したが、カイルは屋根に足を滑らせてしまった。
カイルの重心が不安定になって、カイルは仰向けに倒れ、私はカイルを下敷きにするように倒れた。
傘は骨組みの一部が壊れた。どれほど役に立ったのかは素人の私にはわからない。
「大丈夫⁉」
「……大丈夫。飛び降りるのは得意なはずなんだけれどなぁ」
カイルはどこか悔しそうに言った。
私はそのカイルの表情を見て思った。貴族の息子ではなくて、大道芸人の人なのだろうか。
「あなた、よく飛び降りるわけ?」
「うん。授業を受けたくないから」
「授業?」
何かの習いごとだろうか。大道芸人ではなさそうだ。
「坊ちゃん!」
「?」
下から大声で誰かが叫んだ。
「坊ちゃん!」
もう一度同じ声の人が叫んだ。
カイルを見ると、ばつが悪そうな顔をしていた。
「坊ちゃん?」
「あー。おれのこと」
私とカイルは慎重に下を向いた。
赤い瓦の切妻屋根から街路を見下ろすと、騎士団員が十数人下に集まっている。その真ん中に立っている人がカイルを見て怒っている。
「うわ。やばい」
カイルは立っている面々を見て顔を引きつらせている。
「ねえ、ちょっと。あの人こっち睨んでるけど!」
私がどうするの、と聞くと謝るしかないとカイルは言った。
「時間切れだ。ティーネ、巻き込んでごめん」
「時間切れ?」
カイルは眉を下げて、寂しそうに笑った。