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『人狼、フレンチ・コネクションに咽ぶ。』

“お一人様篇”シーズン1#5


とある街、とあるBAR。

とある、戯れの問答。


登場人物

■シイナ

店員。話を聞きはする女。

■ホズミ

男性客。寂しさと心中せんとする男。



−黎和3年9月某日−

シイナ:

或る、心象のうた。


ホズミ:

わが(せい)のセンチメンタル、

あまたある手をかなしむ、

手はつねに頭上におどり、

また胸にひかりさびしみしが、

しだいに夏おとろえ、

かえれば燕はや巣を立ち、

おお麦はつめたくひやさる。

ああ、都をわすれ、

われすでに胡弓(こきゅう)を弾かず、

手ははがねとなり、

いんさんとして土地(つち)を掘る、

いじらしき感傷の手は土地(つち)を堀る。


―タイトルコール。

シイナ:

『人狼、フレンチ・コネクションに(むせ)ぶ。』


―【間】


ホズミ:

やあ……。相変わらずかい。


―某月某日、某時刻。

―とあるバーの店内。カウンターには女性店員。ドアベルが朽ちた教会の鐘の如く虚ろに鳴り、男性客が入店する。


シイナ:

ああ……。お久しぶり。

へえ。思ってもみなかった。


ホズミ:

来客というのは大抵、思ってもみないものじゃないのかい。


シイナ:

案外そうでもないんだけど。不思議と毎回、不意を突かれちゃうな。


―男性客は微笑むが、席へと着こうとする素振りを見せない。


ホズミ:

まあ僕も……、そのような頃合いを見計らっている節は、あるのだけど。


シイナ:

今の所、成功してますよ。「常連」にならないギリギリの塩梅(あんばい)で。


ホズミ:

嬉しい限りだ。何処(どこ)でだって、時偶(ときたま)、忘れた頃に見る顔でありたいからね。


シイナ:

あは。正直共感しちゃけど……、

保険かけてるくさいよね、ソレって。

……さて。


ホズミ:

うん。


シイナ:

こちらのお席へ、どうぞ?


―店員はカウンターの1席を示し、促す。男性客はこけた頬を緩め、笑う。


ホズミ:

ありがとう。


―ゆるりと歩を進め、着席。息を吐く。


ホズミ:

ふう……。

ああ、ようやく息をつけた。今日は何かと歩き通し、立ちっぱなしだったから。


シイナ:

へえ、おつかれさま。

……促されてから座る、か。なんだか、吸血鬼の話を思い出すなァ。


ホズミ:

吸血鬼?


シイナ:

家人に招かれなければ、屋内へ立ち入る事が出来ない、ってやつ。


ホズミ:

ああ、『ドラキュラ』のね。


シイナ:

そこだけ聞くと典型的な日本人の特徴、って感じだけどネ。


ホズミ:

元来、ルーマニアやスラヴ地域の伝承の吸血鬼には、そのような特徴は無かったそうだが。


シイナ:

ドラキュラで定着したらしいね。

ベラ・ルゴシのせいだ、きっと。あんまりにもカッコ良かったから。


ホズミ:

映画のヒットは大きかったろうが。好きなのかい。


シイナ:

古い俳優の中では。落ち目になっても、怪奇映画のスター足らんとしたところとか。


ホズミ:

ふむ。


シイナ:

ルゴシは元々、舞台の人で……。映画化の前から、ルゴシのドラキュラは当たり役だった。

演出の関係で、初めから若い見た目だったらしいけど。


ホズミ:

ブラム・ストーカーの描いた伯爵は最初、恐ろしく醜い老人だからね。


シイナ:

が、途中で若返る。


ホズミ:

銀幕に上げるには頭から、少々陰気とはいえ鼻筋の通った偉丈夫の方が、受けが良かったんだろうな。


シイナ:

ていうか普通にハンサムだよ。

あと……、モルヒネ中毒を公表した最初の俳優だったり。晩年はエド・ウッドとマブダチになったりしてグズグズなのも面白い。


ホズミ:

昔の欧米の俳優は、多かれ少なかれ……、


シイナ:

日本も大概、だけどね。

ドラキュラはまだマシな方だから、ちょっと話はズレるけど。媒体が変わる時に設定ごと変わったり、見栄えの良い俳優が演じるの、今も昔もあるよね。


ホズミ:

あるね。


シイナ:

舞台は特に。「エレファント・マン」とか。


ホズミ:

奇形の当事者を探して来て舞台に上げる訳には行かないからな。かつてはそういう事もあったそうだが。


シイナ:

ま、あれは、演技と演出でカバーはされてたけども、


ホズミ:

配慮、という名のクレーム予防により題名が変えられる事もある。「ノートルダムの鐘」が有名かな。


シイナ:

その辺は枚挙に(いとま)が無いね。「王子と乞食」は「王子と少年」になったし。どっちも少年だろ、って。


ホズミ:

フ、フ。


シイナ:

「せむし男」は、今だとゼッタイ駄目だなァ。


ホズミ:

ガジモドの容貌に関しては、今のところ据え置きのようだがね。


シイナ:

ディズニーがまあ、ある程度そのままやったからね。


ホズミ:

無論、例外も多くあれど。

全体の傾向としては……、

社会のかくあるべしという理想からはみ出した存在が、それでも物語の花形を飾る為には。

よほどの意義や理由付けが、求められる訳だ。


シイナ:

今は割と、そうでもなくなって来てる感じだけど、昔のはそうだね。

そうであるからこそ、強く人を惹きつけたりもした、と。


ホズミ:

ピカレスク小説然り、題材としてもポピュラーだね。

しかし、だ。


シイナ:

ん?


ホズミ:

ニヒルな悪漢に憧れるくらいなら罪が無くて良いけれど。

容貌に優れない者や、つまらない犯罪に手を染めざるを得ない、下層生活者達は別に……、

内に秘めたる健気さや純真、被虐者が故の狡猾さを見世物にする事で、一般人に感動や痛快さを供給するために存在しているのではないからね。

ただそのように生まれ、今日(こんにち)まで死なずして、ただそこに生きているだけだ。


シイナ:

「マジカル何たら」ってヤツだね。フィクションでマイノリティ……、まあ黒人や、同性愛者や障害者を扱う時。

やけに理知的だったり、心優しかったりするやつ。


ホズミ:

腫れ物に触るように、ね。

そして、では十人並みに、特に賢くもなく、優しくもない少数者達は一体、どこへ行けば良いのか。


シイナ:

「罪人」が映画に出たきゃ、せめて賢いか、情に厚くアリヤガレ、と。


ホズミ:

フ、フ。「罪人」か。

しかし、それが冗談では済まない時代もあった訳だ。一部に於いては、一歩先へ進もうという機運もあるようだが……、


シイナ:

そこそこ、まだまだ、って感じじゃない?

結構何も考えずにやっちゃってるの見るけどね、未だに。


ホズミ:

当たり前のようにね。


シイナ:

そして、それを無批判・無抵抗に、幼少から享受してきた「普通の」人々に取っては……、


ホズミ:

即ち、世界の普通と同義である、という訳だな。


シイナ:

あは。社会派ァ。


ホズミ:

フ、フ。


シイナ:

半歩ズレるけどさ。日本の映画とか見てると……、

ある低度のカオの役者しか出て来ないよね。三枚目ポジションでも、よく見たら整ってるっていうか。


ホズミ:

その傾向は一時薄れて、近頃また、強まっているように思うね。

余りにも、無邪気に、人を容姿の優劣で格付けする事に躊躇(ためら)いが無い。


シイナ:

ま、美人が持て囃されるのが悪いとは思わないけど。全部をすっ飛ばして焦がれる美しさってのはあると思うから。


ホズミ:

しかし、Aを嗜好する事と、非Aを排斥する事は違う筈だ。


シイナ:

本来はね。けど一緒くたになってるヤツは、幾らでも。


ホズミ:

いや、まったく。


シイナ:

ドラマとか見てても思うんだよなァー。

「このお話の世界には、ソコソコ以上の顔面の人間しか住んでナイのかな」、って。


ホズミ:

どうかな。偶々(たまたま)都合よく、画角に入っていないだけかもしれない。映す価値の無い物として。


シイナ:

あは。ま、芸能のそーいう、潜在的なルッキズムに対して物申すのも今更なんだけど。

半端に片脚突っ込んでた身としては、大きな事も言えないし。


ホズミ:

演劇部出身だと聞いたね、確か。

(店員の身姿を検め)まあ……、役に(はぐ)れるような事は、無さそうに見えるね。

君が舞台に上がる影で、何人かは泣いただろうな。


シイナ:

そこは、まあ宿命だからね。

役は実力で勝ち取るもので、そして見栄えや見た目も、ある程度は実力の内だっていう……。

……っていうのがマサにルッキズムだって言われたら、グウの()も出ないんだけど。


ホズミ:

そうだね。

が、恩恵に(あずか)る身だからと言って、無批判であらねばならない訳では無い。


シイナ:

勇気要るなァそれ。

それに女子校だったから。私みたいなノッポは需要があっただけ。


ホズミ:

その、需要という話でいくならば。

学生の部活動はまあ、また違うのかもしれないが、現在、世にある多くの創作というのは第一にまず、商業物だからね。

買い手が求めるからには、創り手もまた制約を受けざるを得ない。


シイナ:

美形しか見たくナイのはお客サマの方だ、と。あっは。

で、そういう視点で行くとさ……、

男はまだ良いよなァ。フィクションの中でも、「見てくれより中身」がまだ、許されてて。

女はさて、建前はあれど、今になっても本当に、許されているのかな。


ホズミ:

対案も知見も無い僕としては、黙るとしよう。


シイナ:

ふっふ。

例えば……、私たちが今喋っているこのやり取りが、現実ではなく、誰かによって作られ、演じられているフィクションの1幕であったとしたなら。


ホズミ:ほう?


シイナ:

観客の前に並んで、演じられている私たちの姿や、声は。

やっぱりソコソコ、美しく見栄え良く、整えられているのかな、どうかな。


ホズミ:

妙な思考実験だが……。

少なくとも、醜くはないんじゃないか。

僕みたいなのを、演じたがる人間が居るのかはどうかまでは、知らないがね。

君なんかはまあ……、実際、かなり美しい部類だしね。


シイナ:

ん……、さー、ねェ。

いつもそーゆー、面と向かった褒め言葉に、上手く答えられた試しが無いんだよな。


―ふ、と店員の眼が浮き。


シイナ:

何からこうなったんだ?


ホズミ:

吸血鬼。


シイナ:

あー。促されてから座るってのが、ぽいって話か。


ホズミ:

フフ。正直大いに、そういったイメージ作りを狙ってもいるんだがね。

ただ、僕が店を訪れ、店が僕を受け入れたという合意を、明確にしておきたくて。


シイナ:

心置きなく飲む為に?


ホズミ:

僕が僕という責任から一時(いっとき)(ほど)かれる為の儀式と言っても良い。


シイナ:

あっは、飲み屋の模範的活用方ー。

……さて、さて。

結構、喋っちゃいましたけども、


ホズミ:

グダグダと悪いね。いい加減に何か、


シイナ:(揺れぬ瞳で)

お酒は飲めるのかな。

「まだ」。


―静寂。


ホズミ:

…………ああ。


シイナ:

前来た時よりも、一段とスリムになられたようにお見受けしますが。


ホズミ:

そうかな。自分ではあまり、気にならないんだが。


シイナ:

医者に止められてるとかじゃ無いなら、


ホズミ:

(遮り)無粋な医者には(つて)が無くてね。


シイナ:…………。


―再び、静寂。


ホズミ:

……フ。

済まない、冗談だ。

まったく、青い顔に枯れ枝のような腕指(うでゆび)をぶら下げていると、洒落の1つも言えないな。


シイナ:

本当はどっちでも良いんだけどね。

今にも死にそうな重病人だって、飲みたければ飲めば良い。


ホズミ:

同意見だが。

実際本当に、そこまで酷くも無いんだ。気を遣わせて申し訳無いね。


シイナ:

いえ、いえ。致死性の毒物を扱ってる自覚ぐらいは、あるだけで。


ホズミ:

フ、フ。

では……、今日はそうだな。

『フレンチ・コネクション』を。アマレットがあればで良い。


シイナ:

ああ……、かしこまり。

リキュールはね、店のが切れてても、内緒で隠し持ってるヤツが居るから……。


―薄笑んで言い、店員は作業にかかる。


ホズミ:

今日は、決めて来たんだ。昨夜(ゆうべ)知り合いの店で、映画がかかっていたものでね。


シイナ:(酒瓶を揃えつつ)

へえ、「フレンチ・コネクション」? 渋っ。

実は観た事、無いんだけど。


ホズミ:

あれも古いからね。「ドラキュラ」程ではないけれど。


―店員は棚から、切子模様のロックグラスを取り出す。


シイナ:

麻薬取引モノなのは知ってる。


ホズミ:

実話を元にした、ね。起伏には欠けるが、ひとまずリンカーン・コンチネンタルには乗ってみたくなったな。


―ロックグラスに大ぶりの氷塊を放り込み、酒類を注ぐ。香り華やぎ、氷がパキリと鳴く。


シイナ:

主演は……、


ホズミ:

ジーン・ハックマン。


シイナ:ていうと、

シイナ:ああ、「許されざる者」に出てた人か。


―バースプーンで大まかに撹拌し、完成。古びたブリキ製のコースターを客前に出す。


シイナ:

簡単、簡単、っと。

(サーブしつつ)お待たせ致しましー。『フレンチ・コネクション』でェす。


ホズミ:

うん。ありがとう。


―男性客は静かにグラスを傾け、深いブラウンの液体を舌に広げる。


ホズミ:

やはり、香りの良いカクテルだな。作品のイメージかと言われると、ちょっとよくわからないが。


シイナ:

映画系のカクテルってそんなのばっかりだけどね。


ホズミ:

確かに。

(もう一口、含み)

……なかなかのキックだな。


―常連客はふう、と息をつき、スツールがギイと鳴る。店員の目端が僅か上がり。


シイナ:

知ってると思うけど、弱くもないから。具合は見ときなよ。


ホズミ:

ああ……、どうも。

これでも心得ているから、大丈夫。


シイナ:

そう。

……でも、ホントにだいぶ昔の作品だよね。確か50年近く前の。


ホズミ:

71年公開だから、そうだね。ちょうど半世紀前の映画だ。


シイナ:

その店のマスターが、古い洋画好きとか?


ホズミ:

いや……、

ここの通りの、端っこの所の店なんだが、


シイナ:

あ……、何だ「couch(カウチ)」か。

オーナーの人、偶に来るよ。


ホズミ:

へえ?

彼が。意外でも無いが。


シイナ:

店同士の付き合いって感じでも無く。

……最近あった事とか、思った事を、同調も求めず早口で喋って、すぐ帰ってく。

あんまり楽しそうでも無いけど、割りかしよく来る、あ、いらっしゃるね。


ホズミ:

彼は根っからの仕事人間だからね。ストレス発散すら、リフレッシュと言うより機械的作業なんだろう。

コンセプトを立てて、儲け話の算段をしている時が1番の悦びで、癒しだと言って憚らない。


シイナ:

そーね、本当そういう感じの人。感情って老廃物を排泄しに来てるみたいな。


ホズミ:

フ、フ。なるほど。


シイナ:

嫌な感じでもないんだけどね。

あ、なので「猫町」一同、よろしくお伝えくださァーい。


ホズミ:

……次に会うのはいつになるかな。


―極僅か、薫り高い琥珀を含む。


ホズミ:

彼ほど、拘らない人間も珍しいんだ。


シイナ:

こだわらない?


ホズミ:

何につけ、大抵少しは、個人的な好みというのが顔を出すものだが。あの「couch(カウチ)」にしたって、本人は映画になんて興味も関心も無いからね。


シイナ:

へえ……、そうなんだ?


ホズミ:

ただ、照明を絞った店内にアンティークのカウチソファを点々と並べて、テーブルの島ごとに好きな映画を見られるように仕立てておけば、ある一定の層には需要があると彼は踏んだ。


シイナ:

ま、余興にもナンパにも使い勝手良さそうだしね。


ホズミ:

昨夜の様子では、奏効(そうこう)しているようだね。


シイナ:

そりゃァもー、人気店サマだから。

クラブの居抜きを再利用するにはイカすアイディア。

ウチみたいな零細(れいさい)飲み屋じゃ、並べるのもオコガマシイや。あは。


ホズミ:

立ち上げの際、内観に関して少しだけ、入れ知恵をしたが……、思い付いたのは彼だ。

牙を剥いた獣か、おもちゃを買ってもらった子供のように笑っていたな。


―男性客はまた一口、静かにグラスを傾ける。含むのは微量。


ホズミ:

昨日は忙しそうだったから、挨拶もそこそこに映画だけ観て帰ったけどね。「ジャッカルの日」を観られるようにしてほしいと、リクエストノートに残して。


シイナ:

元々仕事の繋がり?


ホズミ:

引退前のね。お互い駆け出しの頃に、何軒か組んで仕事をした。


シイナ:

引退、ね。

余りにも早すぎる、というか、業界では失踪扱いじゃないの。


ホズミ:

何の発表もせずに看板を降ろしたからな。一時、ほんの少しだけ、騒がしかったようだが。


シイナ:

もう、建築とかデザインの仕事はしない感じ?


ホズミ:

うん……。

まあ、そうだね。


―また微量、意を決した風に、含む。カラリと氷塊の擦れる音。


ホズミ:(短く息を吐き、整えてから)

……内装やポスター程度なら良いのかもしれないが、建築が絡むとな。

わかりやすくあの仕事は、完成形が見られるまでに時間がかかるからね。形になる頃には死んでいましたでは、責任の取りようが無い。


シイナ:

なるほど。確かに……、

それは、そうだな。


ホズミ:

僕は結局のところ、自分の生み出すデザインや造形そのものよりも、それが観衆にどう受容されるかの方に興味があったようだね。

宣告当初は特にそのつもりも無かったんだが、モチベーションを保つ事が出来ず、やむ無く廃業した。


シイナ:

へえ、最初は辞める気無かったんだ。


ホズミ:

(もっと)も……、それほど整理がついていた訳でも、ないんだが。


シイナ:

ま、後から思うに、と。ふんふん。


ホズミ:

我ながら少し意外だったよ。学生時代からデザイン一本でやって来たから。


シイナ:

廃業しちゃった事?


ホズミ:

残り少ない命と知ればこそ、固執したり、柄にもなく発奮するかと思っていたが、


シイナ:

そうでもなかったんだ。


ホズミ:

自分で思っていたよりかは……、僕も人並みに、未来というものを妄信していたらしいね。

特に、浅はかとも思わないが。


シイナ:

世間一般で言えば、まだ若いのに、って感じだもんね。


ホズミ:

贅沢にも、ね。


シイナ:

そっかァ……。

……「人は皆、生まれた時から死に向かって歩み続けているのだから」、とかってよく聞くけど。


ホズミ:

ああ。


シイナ:

アレって何も言ってないのと同じだよなァ。


ホズミ:

フ。老境で聞けば、また違うのかもしれないが。

老いというものを味わう間もなく、死を先取るだろうと宣告されてしまうと、さて、どんな顔をしたものかな。


シイナ:

今の、旅暮らしを始めたのも、そういう心境の問題?


ホズミ:

そう、だね……、


―一口含み、味わう。微か、眉根が寄る。


ホズミ:(小声で)

今夜は効くな……。

(向き直り)

ああ……、済まない、忘れていた。何か、飲んでもらって構わないよ。


シイナ:

本当? じゃ……、遠慮なく。


―店員は先程の酒類から一本掴み取り、背高いグラスにアバウトに注ぐ。


シイナ:

最近、ハマッてる飲み方なんだけど……、


―手早く氷を入れ、足元の冷蔵庫からピッチャーを取り出す。中身は、黄金色の液体。


シイナ:(注ぎつつ)

手頃なスピリッツを、ジャスミンティーで割りまして、と。

何でもそこそこ飲みやすい。


ホズミ:

ブランデーなら、華やかな飲み口になりそうだな。


―サラリとステアし、完成。


シイナ:(グラスを差し出しつつ)

頂きまーす。乾杯。


ホズミ:

うん。乾杯。


―グラス同士触れ合い、高く澄んだ音。


シイナ:(一口含み)

あ。んー、なるほど……。

イケそうだな、ブランデージャスミン割り。


ホズミ:

次回にでも頂こうかな。

幸運にも次があれば、だが。


シイナ:

あっは。そう思えば貴重な乾杯かもね。これっきりになるかもしれないし。


ホズミ:

フ、フ。そう、思わせる事が……、

今の僕の、食い扶持(ぶち)というような事でもあるからね。


シイナ:

ま、もっとも、どんなお客サマだって、今日が最後の夜だと思って接客しろ、って、師匠には習ったんだけどさ。


ホズミ:

師匠。


シイナ:

バーテンのね。入ったばっかりの頃、居た人で。

私と、もう1人のスタッフは手解きを受けた。


ホズミ:

僕がミツユくんを訪ねて、初めて来た時には、


シイナ:

もう居なかったね。オーナーの古い知り合いで、店の立ち上げメンバーだったんだけど。

ま……、ちょっと色々、ネ。


ホズミ:

事情なんて何処にでも誰にでもあるものだ。

ミツユくんは元気かな。


シイナ:

相変わらず、だと思いますよ。

最近は講演とかがチョコチョコ増えてて……、飛び回ってるけど。飛びにくい脚で。


ホズミ:

フ、フ。

今回も、都合を付けて会う約束をしても良かったんだが……、


シイナ:

あ、してないんだ?


ホズミ:

お互い、忙しそうだったのでね。今日も二、三、知り合いを訪ねたから。


シイナ:

引退前の。


ホズミ:必然、そういう事になるな。旧交を温めておく事で、次、またこの界隈に巡って来た時の宿として機能する。


シイナ:

あっは、ソコだけ聞くと最低野郎だなァ。


ホズミ:

(えにし)、即ち人脈(コネクション)こそが、宿と飯の種なんだ。僕のような暮らしの者に取っては。


シイナ:

誰でもそうじゃないの?


ホズミ:

そうでもない。土地と親族眷属(しんぞくけんぞく)に由来して生きているのであれば、他人との人脈はさほど重視しなくても良い。

「家」という物が、(おおよ)そ全てを担保するからね。


シイナ:

あァ、帰るお郷のあるヤツには、って話か。そこは実際、ま、そーだね。

(おぞ)ましい窮屈さと、セットだとしても。


ホズミ:

感性の問題だね。植えられた土地では咲かない花もある、等と言えば耳障りは良いが……、


シイナ:

ヤになってブッチした奴の逃げ口上としちゃァ上等だな。


ホズミ:

……フ。耳が痛いね、人並みに。


シイナ:

自分の事ね、念の為。

田舎だろうが都会だろうが郊外だろうが、禄に咲きもしないまま流れ続ける半端モノも居るって話。


ホズミ:

君が、そうだと。


シイナ:

カッコよく言えば。

……単に飽きっぽいだけだけどね、実際は。


ホズミ:

飽きほど恐ろしいものは無い。現役時代は常にそれとの戦いだった。


シイナ:

気付いちゃった嫌な部分を、見て見ぬ振りするのが面倒臭くなるんだな。自分が居なくなった方が楽だから。


ホズミ:

……僕も、同じとは言えないが、似たような。


シイナ:

ま、転々としてマスね。オカゲサマで。


ホズミ:

理由はどうあれ。

斯様(かよう)に……、生まれた村から流れ出てしまった人狼には。

最早、自らの差し出す「機能」だけが、ただ一つの路銀(ろぎん)となる訳だな。


シイナ:

じんろう? きのう?


ホズミ:

「ヴェアヴォルフ」。

フランス語では、

「ルー・ガルー」。


シイナ:あ、「人狼」か。狼男。


ホズミ:

無論、寓意(アレゴリー)的表現だがね。

実際、ヨーロッパでは魔女狩りの時代、教会の権威に反し、共同体を追放された者を示す符丁(ふちょう)として広く使われた。

田畑を荒らし、善き民の象徴である羊を食い荒らす狼を、当時の人々は悪魔の遣いのように捉えていたんだね。


シイナ:

意外と可愛いんだけどね。


ホズミ:

見た目は犬と変わらないからね。

しかし、原始的で非衛生的な生活を営む当時の地方生活者に取っては、恐怖の象徴であった事は間違いない。


シイナ:

病気とかも運ぶし、か。


ホズミ:

そう。そして同様に……、

盗みや殺しを働いた者、異文化と共に疫病を媒介する異郷異邦(いきょういほう)の者。

ばかりか、年老い、傷を負い、身寄りを失った者。ルールを守れず、共同体の規範にフィットしない者。彼ら種々(しゅじゅ)の「嫌われ者」たちはいつしか「狼」のレッテルを貼られ、人から、人で無いモノへと格下げされた。

当時に於いてこれは常識であり、れっきとした「刑罰」だったのだ。


シイナ:

枠に嵌まれない「罪人(ざいにん)」共を、「人」って規範の外に押し出した訳だ。


ホズミ:

その通り。

やがて、彼ら追放者は森で流浪者(るろうしゃ)となり、時として群れ、木陰に潜み、追い剥ぎや強盗として村々を襲った。


シイナ:

そーなるわなァ、そりゃ。

人倫(じんりん)を剥がれたヒトの行いなんて()して知るべし。教会は自ら、知能ある狼の群れを生み出してしまいました、とさ。


ホズミ:

今日(こんにち)生きる我々の感覚で歴史を非難しても詮無き事だが。

とはいえ、当時のヨーロッパのナンセンスを象徴するエピソードとして、気に入っている。


シイナ:

イイご趣味ですコト。

……あのさァ、

「アンリ・ルネ・ルノルマンの流浪者(るろうしゃ)の群れ」って言ってみてくれない?


ホズミ:

なぜ。


シイナ:

良いから。3回ね。


ホズミ:

早口言葉か……。

「アンリ・ルネ・ルノルマンの流浪者の群れ」、

「アンリ・ルネ・ルノルマンの流浪者の群れ」、

「アンリ・ルネ・ルノルマンの流浪者の群れ」。


シイナ:

おー、一発。スゴ。


ホズミ:

やらせないでもらいたいな。


シイナ:

じゃ次は、「書写山(しょしゃざん)社僧正(しゃそうじょう)上方僧(じょうほうぞう)書写山(しょしゃざん)、今日の奏者(そうじゃ)書写(しょしゃ)じゃぞ書写(しょしゃ)じゃぞ社僧正(しゃそうじょう)」って、


ホズミ:

御免被(ごめんこうむ)る。


シイナ:

イケるって。得意そうだし。


ホズミ:

人前で早口言葉を失敗するなんて、絶対にやりたくないね。僕のイメージに反する。


シイナ:

もうすぐ死ぬんだしイイじゃない。今生(こんじょう)の恥はかき捨てってね。


ホズミ:

時をおかず死ぬからこそ、だよ。

残された僅かな時間は、なるだけ格好を付けると決めているんでね。


シイナ:

へえ。逆に?


ホズミ:

自らが自らに貼ったレッテルをこそ大切にしたい。その他に、拘る物の無かった人生だから。


シイナ:

人から貼られたレッテルじゃなく、って事?


ホズミ:

そう……、そうだ。

(語気に従って目の色が変わり)

人間の本質だなんて、そもそもが下らない観念だと思わないか。


シイナ:

ああ……。

一皮剥いたら肉と骨、死ねば腐って土となり、ってか。


ホズミ:

「メメント・モリ」然り、「九相図(くそうず)」の啓示然り。昔の人間は賢かった。

「心」という機能の内側や、その真贋(しんがん)など、本人にすら測れる筈は無い。脳や心臓や(はらわた)を裂いた所で、そこに精神の本体は存在しない。

どこまで皮を剥ごうと、「外身」が重なり続けているだけだ。


シイナ:

玉ねぎの身と皮を区別出来ないのと似てるな。

皮剥きを覚えた猿に玉ねぎを渡すと、延々剥いてるらしいよ。


ホズミ:

同じだね。「本当の自分」云々と繰り言を重ねる人間は、有りもしない「玉ねぎの身」を求めて皮を剥がし続ける猿と同じという訳だ。

涙しか待ってはいない。


シイナ:

我ながら含蓄(がんちく)のある事を言ったモンなァ。


ホズミ:

要するに。

自らが自らを、他者に対してどのように見せようと企図(きと)するかが重要という事だ。


シイナ:

如何(いか)にしてアクトし、パフォームするか、と。


ホズミ:

話が早くて助かるね。


シイナ:

あは。それ程でもあるかな。一応イイ学校(トコ)、受かってるんで。


ホズミ:

そう、「Performance(パフォーマンス)」という言葉は本来、もっと多義的であって……、


シイナ:

日本語ではあんまり印象良くないけどネ。嘘泣きとか、ぶりっ子とか。


ホズミ:

日本人的に解釈すると、それが1番分かりやすかったんだろうが。

しかし、心すら見透かす「神」の実在を内面化する文化圏に於いては、「どうあるか」と「どう見せたいか」は元来、同義である筈だ。


シイナ:

なるほど。神を信じる者に取っては、人生は(しゅ)という唯一人の観客に向けて演ずる劇に他ならないから、か。例え、独りの時であっても。


ホズミ:

その通り。

造形芸術の世界にも、同じ命題が存在するが。いつ如何なる時でも、「神」という第三者の眼が意識される。


シイナ:

西洋の演技論が日本人に馴染み切らない理由がそれだって、昔の恩師が言ってたけど。今、(ようや)く解った。


ホズミ:

原義の「Performance(パフォーマンス)」が包括する意味は、まず第1に「演技」、「表現」、「見せかけ」。

そして、「機能」。


シイナ:

ここで「機能」か。


ホズミ:

そう。そのものが保有し、求められた結果を出す為に、発揮し得る能力の事だ。


シイナ:

つまり、少なくとも意味の領域では、


ホズミ:

そのものの見え方、見せ方と、そのものが持っている機能は不可分なんだ。

「意図」と「機能」の有機的融合。畢竟(ひっきょう)優れたデザインの条件とはそれであり、そこにこそ「本質」が宿ると僕は信奉する。工業デザインに於いてはそれこそ基本のキだ。


シイナ:

「機能美」って言葉があるしね。


ホズミ:

そう。そうなのだ!

美しさとは、「見せ切った」ものにしか宿らない。

中身がどうの、本心がどうの、下らない戯言(ざれごと)だ。美しい椀に心など無いが、それそのものの見てくれが、既に機能と意義を内包している。本質とは即ちそれに他ならない!

……人の、生き様に置き換えたって、理屈は通る筈だ。


―男性客は荒く息をしている。


シイナ:

……なァるほど。

死ぬまでの自分の人生を、デザインし切りたい訳だ、要は。


ホズミ:

……僕の意図と能動に依ってのみ、だ。


シイナ:

ふーん……。

カッコ付けの建前も、死ぬまで貫けば美に至る、か。

嫌いなスタイルでは無いけどね。


ホズミ:

…………そう、考えるに至ったのも所詮、こうなってからの事だがね。


―男性客は細り切った指を曲げ、落ち窪んだ目を細め、グラスを握るが、手を付けず。

―店員は香る液体を一口含み、喉を潤す。


シイナ:

……でもさァ。

今言ったのは、心に信仰持つ人の話だったけど。


ホズミ:

ああ……、そこだね。


シイナ:

神の眼を常に意識するからこそ、内心と外面に筋が通る訳だ。

(ひるがえ)って、不信心なる我々や、神に背いた狼たちは、どうなるのかな、その辺。


ホズミ:

……簡単だ。

本質と機能が分離し、或いは初めから接続されず、漂泊(ひょうはく)を始める。


シイナ:

……漂泊、か。


ホズミ:

最前言ったように、この国に於いては、西洋の「神」が担う役割を「家」が代替していると言って良い。無論、単に家庭という意味ではなく、


シイナ:

土地と血縁に根ざし(まつ)わり、個々人を規定・証明する概念としての「イエ」だね。


ホズミ:

そう。従って……、

如何様(いかよう)な理由にせよ、「家」を離れるという事は、心の「神」を捨てるのと同じという事だ。


シイナ:

……親不孝は神をも殺す、と。

あっはは。


ホズミ:

己はどこから来て、どこへ行くのか。

()(かた)()(すえ)を導く「起源(トーテム)」に背いてしまった心は形を保てず、ケダモノへと零落(れいらく)し。

家を追われ、村を(はぐ)れ、(しるべ)無き森を流浪する他無い。


シイナ:

アイデンティティを失って、不安定になるって事ね。

本当は初めから、「ニンゲン」って猿の1種のケダモノが1匹、そこに居るだけなのに。


ホズミ:

心底そう考えられる人間は少ない。大いなる外部性によって、己を「何者かである」と規定されたいのが人間という動物だ。

それが「神」であれ、「国」や「家」であれ、「祖霊(それい)」であれ「精霊」であれ。

それらと繋がっているという実感を内面化出来さえすれば、おおよそ、何であっても良い。


シイナ:

現代に於いては、それは「社会人」とか、「大卒」とか、「少なくとも無職では無い自分」だったりするのかな。


ホズミ:

アイデンティティという意味ではね。

都市では特に、そうだろう。内面化し得るものがそれぐらいしか残っていない。

或いは……、

「ムラ」を失い、「イエ」と「ヒト」との繋がりを断たれた現代の都市生活者というモノは、最早巨大な、ケダモノの群れなのかもしれないが。


シイナ:

私としては、そっちの方がしっくり来るけどね。

「神は死んだ」じゃ無いけども。


ホズミ:

ニーチェは気が早すぎた。

神亡き後、人が人のまま生きる事は無理だった。

精々が、僕のように……、

本質を持たず、僅かに残った惨めな骨と肉を餌にして這いずり回る、憐れなケダモノが関の山だ。


シイナ:

今の旅暮らしの事を言ってる感じ?


ホズミ:

そう……、だね。

卑下をしているのでも、無いけれど。


―グラスを持つ手が震えるが、ついぞ、口には含まず。


シイナ:

それも、死ぬまでのデザイン画には織り込み済みってコトなのかな。


ホズミ:

如何(いか)にも。

これが実に、そうなんだ。

元々……、親と反りが合わずに郷里を飛び出した時点で、僕の漂泊は決定付けられていたと言って良い。


シイナ:

あ……、上京して来たんだ。


ホズミ:

公表していないがね。こちらの大学で学びたかったから、というのは半分で、実際……、


シイナ:

親元を離れたかった、と。


ホズミ:

うん……。相違ないよ。


シイナ:

私もさァ、田舎の実家を出られるってだけで女子校に飛び付いたクチだから。

ま、わかるよ。


ホズミ:

ご実家には、帰っているかい。


シイナ:

あっは、ぜぇーんぜん。会いたきゃ向こうから来いって。

こちとら絶縁したって一向に構わないし。


ホズミ:

フ……。さばけた事だ。

僕の場合……、望むまでも無く、縁は切れたがね。

友人・知人の助けでデザインと造形を学び、恩師の(つて)で食い扶持にも困らず。思えば、苦労知らずの半生だな。


シイナ:

在学中から話題だったんでしょ、期待の新星って。

何だっけ、「僕に取ってのデザインとは、弦楽器を引く事に似ています」、だっけ。


ホズミ:

雑誌の、インタビューのアレか……。

懐かしいが、今聞くと自分の魅せ方がまだまだだな。言葉選びがベタに過ぎる。


シイナ:

若干イタいよね。

あゴメン、そういうのイタいって思っちゃう感性なんだけど、


ホズミ:

僕も本当はそうだが、ね。

……当時は、今のように痩せこけてはいなかったし。無駄な長身も相まって、雑誌等で何かとこう、仕立て上げ易かったんだろう。


シイナ:

結局そーいうのがイチバン好きだからネ。殆どソコにしか興味が無いとも言えるし。


ホズミ:

当時から……、自分の評価以外に関心が薄かった。

心底創りたいモノなど無かったし、その存在を信じていなかった。ヒトが見たがるモノ、欲しているだろうモノを嗅ぎ当て、それに形を与えさえすれば良かった。そうして、通俗に徹すれば徹するほど……、

僕は独創的かつ革新的な造形者として評価されるようになっていった。


シイナ:

逆、だった訳だ、色々と。ある意味理想的っぽいけど。


ホズミ:

結局のところ、人々は本当に新しい物や、本当に訳のわからない物を見たいだなんて思っていないからね。

ましてや、我々を選び、値を付けるのは売る側の人間だ。


シイナ:

一般のお客サマに合わせてホドホドに新しく、わかりやすくワカリニクイのが良いって事ね。


ホズミ:

商業デザインなのだから当たり前だがね。需要に則して、適切なパフォーマンスを発揮しさえすれば良い。


シイナ:

葛藤は?


ホズミ:

……、

無いね。

当時も今も疑問を持ってはいない。


シイナ:

ふうん……。


―男性客は意を決し、一口、グラスを傾ける。


ホズミ:(ゴクリ、と飲み下し)

……、ふぅ。


シイナ:

無理、なくね。

ウチのオーナーと出会ったのは?


ホズミ:

……卒業してから、もっと経ってからだ。10年も前じゃない。

当時の僕は、各種の文化人が集まるサロンの様な所に、幾つか出入りをしていて……、


シイナ:

うっわ、イケ好かなァ。


ホズミ:

今から思えば、大概、調子に乗っていたものだ。

そこでの縁で……、彼女が出演するショーの、舞台美術を任される事になった。それ以来の付き合いになる。


シイナ:

無造作ヘアの、信じられないナルシストだったって言ってましたよ。


ホズミ:

フ、フ。

歯に衣着せないのは相変わらずだな。当時から散々、言い回されたものだ。


シイナ:

変なモノ好きも、相変わらずなのかな。

ちなみにこの、悪趣味極まる蛍光色のハニワくんが、オーナー直々のセレクト、直近の新入りでゴザイマス。


―店員はカウンター上、奇妙に身をねじったパステルカラーのハニワにデコピンをかます。


ホズミ:

……腐ってもデザイン畑の人間として、こういったものへのコメントは差し控えるけれど。

さて……、当時は、妙な形のピアスやイヤリングを、よく付けていたな。


シイナ:

例えばドンナの?


ホズミ:

ナマハゲの面とか。

逆立ちしたキリンとか。

二股に分かれたコケシなんてのもあった。


シイナ:

あっはは! ブレないなー、流っ石。


ホズミ:

思えば……、その辺りが僕としては1番、自らの機能を遺憾なく発揮出来ていた時期だったね。


シイナ:

うん、うん。


ホズミ:

人は僕の出す結果を求め、僕は技術と理論でもって、(たが)わぬ結果を産出した。既に、初めから、そこに僕の内面や本質など、介在する余地は無かったが。

何ら、問題は無かった。


シイナ:

自己疎外は現代人の宿病、とは言いマスが。


ホズミ:

何せ実害が無いからね。

金銭を媒介に、互いの「機能」を貪り合う事に疑問を持つ人間は少ない。

漂泊するケダモノの群れであっても、差し出せる肉が残っている内は、それに気付く事もない。


シイナ:

現代を生きる者みな人狼なり、か。


ホズミ:

人らしく生きる者も居るだろう。

だが少なくとも僕のような人種は、そう言って差し支えない。

信仰も思想信条も持たぬが故、評価と、要求に対して差し出す結果によってしか、己を其処(そこ)へ繋ぎ留めておくことが出来ない。


シイナ:

……内に燃える動機や情熱がある訳じゃなく、求められた場所で出来る事をこなして、時が来れば去っていく、と。


ホズミ:

そうだ。

それをケダモノと呼ばずして、なんとしようか?


シイナ:

…………、


―店員は口の端を微か歪め。


シイナ:

……何だろなァ。

「寂しい人」、

とか?


ホズミ:

…………。

フ、フ。

違いない……。


―暫しの、会話の凪。


シイナ:

同情も要らないかな。望むところでも、あるようだし。


ホズミ:

まさしく、そうだ。引く手数多で、人に揉まれながら感じる孤独ほど心地良いモノは無い。都市生活の醍醐味と言っても良かった。


シイナ:

ヒヒ。ぶっちゃけるなァこの人。流石、死期を悟ってるだけあるや。


ホズミ:

だが……、それも、長くは続かなかったがね。


シイナ:

ああ……、1番の絶頂期で、


ホズミ:

宣告を受けた、事になるね。

こればかりは、人を恨んでも己を呪っても意味の無い事だと、すぐに得心出来たが。

何せ、「機能」の方がね。


シイナ:

モチベが湧かなくなっちゃったっていう。


ホズミ:

先の事を考えてしまった。宣告前は意識すらしていなかったが、言ってしまえば……、


シイナ:

どうせ死ぬのに、人から褒められてどうするんだ、って?


ホズミ:

……それが、きっと、端的だろうね。

作品が褒められるのは判っている。そのように作ってあるからだ。

しかしその賞賛の現場に、自分が居るかどうかもわからないとなると……、気持ちの持って行きようが無くてね。


シイナ:

自分が死んでも作品は遺るからって奮起して、寧ろ多作になるとかのイメージだけどね、ベタなトコだと。


ホズミ:

芸術家の自認があれば或いは。

しかし生憎……、そのような「本質」を、持ち合わせては居なかった。


シイナ:

ま……、人によりけりでしょーネ、そこは。


ホズミ:

()くして。

気鋭のデザイナー、造形美術家という「機能」をロストした僕という1個人は。

手前勝手に居た堪れなくなり、旅という漂泊の中に、せめてもの安寧を求めた訳だ。


シイナ:

定住せずに、あっちこっち。


ホズミ:

この「旅」というのもね。聞こえが良いから言っているだけで。

実際は知り合いの家を転々としているに過ぎない。出来るだけ遠く、距離とスパンを空けるようにプランを組んでいるから、旅暮らしのように見えているが。


シイナ:

自分で自分に貼ったレッテル?


ホズミ:

ああ……、そう、だね。


シイナ:

「列島中を旅しながら静かに死と向き合う元デザイナー」、か。結構コテコテだな。


ホズミ:

西日本には知り合いが少ないから滅多に行かないし、実際は殆ど関東近縁だしね。どうしても都合がつかない時はビジネスホテル等も利用するし。


シイナ:

うわァ、聞きたくなかったなァそれ。


ホズミ:

流離(さすら)っているイメージが大切だからね。

要するに、引退前と変わらないんだ。

自分を、余命幾ばくも無い「死と旅する画家」としてブランディングし、その僕を家に泊めたというステータスを提供する。

つまりそれが、今の僕が差し出せるなけなしの「機能」という訳だが……。

これに飛び付く人間も、それなりに居る。


シイナ:

あー……。はい、はい。

判ってきたぞ……。


―店員はほくそ笑む。


ホズミ:

以前から界隈に於いては、「本物のセンスある人間にしか心を開かない」というキャラクターで通して来たから……、


シイナ:

という、死の間際にある人を家に泊めたって事実は、即ちそのヒト自身の、チガイのワカるホンモノっぷりを証明するトロフィーになる、と。


ホズミ:

そういう事だ。

食事等の際に、酒を傾けながら僕の半生や死生観についてちょっと一席ぶってあげると、皆一様に目を輝かせる。

勿論表面では、神妙な顔や、気遣わしげな顔を(つくろ)ってはいるがね。


シイナ:

あっは、目に浮かぶや。シビれるぐらい俗な品性だなァ。


ホズミ:

いや、全く以て。

そして他ならぬ僕も、同じ穴の(むじな)であるからして……、

同族を嗅ぎ当てるのは容易だ。


シイナ:

そーいうの好きな人を、ってことね。

(ニヤつき)

……泊めたって、後から他人(ひと)に言いたいもんなァー、何でもない事みたいなカオして。ヒヒ。


ホズミ:

我ながら……、その辺りの嗅覚は、腐っていなかったようだね。

なかなかどうして、引退前とは違った客層にも刺さっている。宿泊先の順番組みに苦労する時もある程だ。


シイナ:

ま、死ぬとわかってから妙にチヤホヤされたりってのは偶に聞くけどさァ。

え、ていうか「画家」?? 絵ェ描いてるの?


ホズミ:

ああ、ミツユくんには「いらない」と言われてしまったから、知らないか……。

初めて泊めてくれた所や、久々に行った先には、滞在中に絵を1枚仕上げて贈呈しているんだが、


シイナ:

あっははっ。初回特典じゃん! ウチのチャージ無料と一緒ォ。


ホズミ:

僕が狙っているような人種には、これがまた受けるんだ。


シイナ:

死んでから値が付きそうだよネ。実際そういう打算もあったりとか、


ホズミ:

ことと次第によっては、ね。死後の事には興味が無いから、好きにして貰って構わないが。


シイナ:

水彩?


ホズミ:

油彩だね。その方が「らしい」から。

大学の授業で齧ったぐらいなんだが、大層ありがたがってくれる。


シイナ:

あ、いっそ押絵(おしえ)は??

「押絵と旅する画家」。どうコレ。


ホズミ:

1枚仕上げるのに時間がかかり過ぎるし、パロディになってしまうからね。

企画としては、却下かな。


シイナ:

あは、ボツ頂きましたァ。

何を描くわけ? 家主の肖像画?


ホズミ:

「土」だね。


シイナ:

……つちィ?


ホズミ:

そう。

その家の庭でも、近所の土手でも良いんだが。当人に思い入れのある場所の地面を、素手なりスコップなりで少量掘り返して貰って。

その掘り返された土を描く。


シイナ:

はァー……、


ホズミ:

人物や風景だと素人なのがバレるから、丁度良くてね。


シイナ:(ニヤつき)

とことん「ぽさ」に拘るなァ。

本人に掘らせるってのもニクいネ。


ホズミ:

そう……。土なんて適当に描いたってどれも同じだが。

わざわざ場所を選んで、手ずから掘った当人の眼には、世界でたった1枚の、特別な土の絵に映るようだね。


シイナ:

アレだ、路上とかで。「貴方を見て詩を書きます」って、誰にでも当てはまるような適当なポエムもどき書くヤツ。アレに似てる。


ホズミ:

コンセプトとマーケティングは正直、その辺りのやり方を参考にさせて貰っているね。

これもなかなか技術が要るんだと、やり初めてから思った。


シイナ:

接客業だからね、占いとかと一緒で。丸め込むトークがメインだから。


ホズミ:

フ。まさしく。


シイナ:

正直な話さ、


ホズミ:

ああ、


シイナ:

軽蔑して見下してる? そのヒトたちの事。


―沈黙による静寂。


ホズミ:

……、……。


シイナ:(表情を変えず)

自分の俗物根性も自覚出来ないぐらい、ピュアで、善良で、その癖ちょっとはセンシティブでありたいその人達の事をさ。


ホズミ:

フ……、フ。

…………、

どうなんだろうね。


―グラスを荒く掴み、眉を顰めつつ一口、飲み下す。ガラリ、と氷が呻く。


ホズミ:

……う。く。


シイナ:

……平気?

さっきからちょっと、


ホズミ:

心配ご無用。

……、そうだね、

尊敬していると言えば、少なくとも嘘にはなるな。


シイナ:

へェ。


―スツールがギィと、断末魔の如く軋る。


ホズミ:

ただ繰り返すが……、今の僕も同類だからね。

いや、今日した話の流れで行けば、初めから。

魂無き、ケダモノ共の人間ごっこに過ぎなかったのだ。


シイナ:

言葉遊び、イメージ遊びは良いけども。


ホズミ:

僕のやって来た仕事など、今も昔も、所詮はそれさ。

内面に本質持つ、真の表現者達には、関係の無い話……。


シイナ:

残り少ない命なのはポーズでも何でも無い訳で。

人生の最期に(まじ)わる人々が、尊敬出来ない人種ばっかりでイイのかな。


ホズミ:

……、…………。


―伏した帽子の庇の影、男性客の眼の色は、覗えず。


シイナ:

ま、勿論、言い方悪いけど「まともな」人達とも、また別口で交流あるんだろうけどさ。


ホズミ:

……まともな人間は、死にかけのケダモノになど、興味を持たない。


―唐突に、男性客は立ち上がる。スツールがギシリと喚く。


シイナ:

おっ。びっくりした。

……どうした?


ホズミ:(青い顔が一層青ざめ)

……手洗いを借りる。


―枯れた体を引き摺り、男性客は足早にトイレへと歩を進める。


シイナ:

大丈夫? イケる?


―答えは返らず、バタリとドアは閉まり、ガチャリと施錠音。カウンターには、店員1人。


シイナ:(トイレの方向に神経を配りつつ)

……勘弁しろよ……。


―刹那、手洗いのドアの向こうから異音。


ホズミ:(喀血し)

ぅぐっ、ガハっ!!

ごっ……、ゥ、……っ、ゲハっ!


―ビチャビチャと、血の跳ねる音。


シイナ:(眼光尖み)

ちょっと!! 大丈夫じゃない音した!!


―矢のように駆け寄り、ドアに手をかける。


ホズミ:

う、く、げほっ、げほっ……、


シイナ:(ドアとドンドンと叩き)

ホズミさんっ!! 開けられる!? ここ開けて!!


ホズミ:

……、……、


―咳き込む音が消える。


シイナ:

ホズミさんっ!! 意識は!? あるなら返事をっ!

床を叩いて!! ホズミさん!!


―尚もドアを叩くも、反応は返らず。


シイナ:(細く短く、息を吐き)

…………っ。

さあ困った。

落ち着け、自分。段取りを整理しろ。

まず救急車を呼ぶとして。次にミツユさんに連絡。

救急車の到着を待つ間に、鍵を壊して状態を確認。その為には硬くて長い物。

よし、


―不意に、ガチャリとドアが開く。酒と血に混ざった、(やまい)の臭い。


ホズミ:(這うようにドアを出て)

……それには、及ばない。


シイナ:

ホズミさん! 意識が、


ホズミ:

そんなに、大したものでも無い。

昨日今日と、少し、歩き疲れていたから……。


―ふらふらとした足取りで、血塗れの男性客は席へと戻ろうとする。息は荒く、身体は震えている。


シイナ:

いやいやいや。どー見たって尋常な量の吐血じゃ無いって。

すぐに救急車呼ぶから、そこのソファに、


ホズミ:(遮り)

構わないでくれ。


シイナ:

……っ、


ホズミ:

自分の体の事は心得ている、もう平気さ。

……酒を残してしまって申し訳無いね。お幾らかな。


シイナ:

いいから、喋らず。安静に。

病院近いから、すぐに、


ホズミ:

良いんだ。

もう帰る。会計を……、


―焦点の揺れる眼が見開かれ、


ホズミ:

……っ!

うぅっ、げ、はァっ!!


―盛大に吐血。崩折れ、スツールの足元に血が広がる。


シイナ:

……っ! 言わんこっちゃない!

(客の背に手を当て)ホズミさんっ!


ホズミ:(細かい血飛沫を上げ、咳き込む)

ごほっ、ごほっ……っ。


シイナ:

……っ。


―店員は立ち上がり、脱兎の如くスマートフォンを掴む。


シイナ:

すぐに救急車を、


ホズミ:

…………っ、


―顔を歪め、睨み付け、


ホズミ:

構うなと言ってるだろう!!!!


―瞬間、静寂。


シイナ:

……。


ホズミ:

……冗談じゃない……。

明日も……、人と、会う約束があるんだ。


シイナ:

…………。


―息も絶え絶え、スツールに縋り立ち上がる。


ホズミ:

ごほっ……。

……僕の、人生だ。帰ると言ったら帰る。


―足元の血溜まりを見やり、


ホズミ:

……手洗いと、床を汚して済まない。

清掃代含め、後日、振り込む。ミツユくんには、宜しく伝えてくれ。


シイナ:

……帰れないだろ。どー見ても。


―冷たい視線と、虚ろな眼光が絡む。


ホズミ:

君も……、

こんなケダモノになりたくなければ、体は大事にする事だ。

……では。


―滅ぶ間際の吸血鬼の如く、男性客は出入り口へと歩を進めんとする。

―店員は、片目の瞼を震わせ。


シイナ:(独り言)

バカか。キレたし。


―ドアノブに手をかけんとする男性客に猛然と歩み寄り、首根っこを鷲掴む。


ホズミ:(虚を突かれ)

なっ……、


シイナ:

イイ歳してさァ……っ、


―強引に壁沿いのソファまで引き運び、


シイナ:

コドモみたいな事言ってんじゃねェぞっ!!


―投げ放るように座らせる。


ホズミ:

ううっ!

……はぁっ、な、に、を……っ!


シイナ:

決まってる。救急車が来るまで、そこで大人しくしててもらう。


ホズミ:

……、話の、判らない子だな。僕の引いた図面に、そのような場面は無い……。


シイナ:(冷えた眼で)

イイってもう、そーいうのは。


ホズミ:

僕の死に、他人の企図が混ざる事など許されないと言っているんだ!!

勝手をするならば、何をしてでも……、


シイナ:(腹部に力込め、耳を劈く咆哮)

減らず口を閉じろ!!!!


―静寂。


ホズミ:

……っ、


シイナ:

大人しく相槌打ってりゃピィピィと、腹式もなってない声でまあ……。

血ィ吐いてそのソファまで駄目にしたら承知しないぞ。


ホズミ:

…………。


―店員は男性客を睨め付ける。


シイナ:

感傷も自虐も意地(プライド)も知らないし。死ぬまでの時間をどうしようが、旅の途中で野垂れ死のうがどうなろうが、知ったこっちゃナイけども。

飲んだ帰りに死なれでもしたら、迷惑被るのはウチなんだよ。旧縁あるミツユくんの店がさァ。


―銀の如く冷淡な眼差しが、震える人狼を射抜いている。


シイナ:

そんな簡単な事も判らないのか。


ホズミ:

…………、


―男性客は店員を睨み返す。


ホズミ:(掠れた声で)

……客に、向かって、


シイナ:

何だその眼は? あんたは客で、私はマスターだぞ。店の中で起こる事は、私の裁量に従ってもらう。

あんたはこれから救急車で病院へ行って、然るべき処置を受ける。嗅ぎ付けた週刊誌は何か書くかもだけど、ソコは知らんし。


ホズミ:

……、……、


シイナ:

後は好きにすれば良い。

旅でも身投げでも土の落書きでも、ご自由に。


ホズミ:

…………。


シイナ:

今から救急に掛けるから。静かにしてろよ。


―男性客は眼を細め、作らぬ声を出す。


ホズミ:

……化けて、出てやる……。


シイナ:(店の黒電話を操りながら)

お待ちしてまァす。チャージ500円、ドリンクは600円からとなっておりまァす。


ホズミ:

…………。


―吹き出し、次第、笑いへと。


ホズミ:

くっ、はは、ははは……っ、

はぁっはっはっはっはっはっ……、


シイナ:(コールしつつ)

ウルサいって。

あ、救急ですか、あのですねェ、当方、閂橋(かんぬきばし)東通りの「猫町」という店舗なんですが、はい、今さっき店内でですね……、


―救急車を呼ぶ電話の声と、男性客の哄笑が被さり、次第にフェードアウト。

―暗転。


―シイナにスポット。


シイナ:

【本日のカクテルレシピ】

『フレンチ・コネクション』。

■ブランデーVSOP 45ml

■アマレットリキュール 15ml

以上をロックグラスにてビルド。軽くステアして、サーブ。

……結構キツいから、体調とは、ご相談。


―【終】

―【空白】

―【空白】

―【空白】


―【ボーナス・トラック】

―三十数分後、店外。

―男性客は救急車両に載せられ、近隣の「陽光大学付属病院」へと搬送済み。

―駆け付けたオーナーはやや外れた場所で、何処かへ電話連絡中。店員の女性は、店先のスタンド灰皿にて、漸くの一服。


シイナ:(フ、と煙を吐き)

やれやれ……。


―宵闇を游ぐように、忍び寄る、女。


ラビ:

……あぁー。

煙草、吸ってるぅ。


シイナ:(虚を突かれ)

うおッ、

……、

びっくりしたァ。


ラビ:

隙だらけ。

……オツカレぇ。


シイナ:

野次馬、ですか。


―近隣、とある店舗の主の女は、夜気に融けるかのような佇まい。


ラビ:

店も回ってるしねぇ。

新人クンもすっかり慣れ腐って。


シイナ:

ソレはソレは……。

お騒がせ、してます。


ラビ:

救急車近くかなぁって聞いてたら、ホントにここらで音止まるし。

見たら高架下。

今日確か、シイナくんの日だなぁ、って。


―湿った薄笑みを滲ます、女。店員は溜息をつき。


シイナ:

ま……、ご覧の通り。


ラビ:

ゴシューショーさまぁ。

……急性?


シイナ:

にしちゃ、派手だったなァ。

……喀血(かっけつ)。そりゃァもー、盛大に。


ラビ:(眼を細め)

へぇ……、

ふぅん。


シイナ:(冗談めかし)

見ます? ちょっとナカナカ、お目にかかれないアリサマですけど、


ラビ:(遮り)

今日来てたのってさぁ、


シイナ:

っ、はい、


ラビ:

ホズミくん?


シイナ:

……、……、


ラビ:

当たり、かな。


シイナ:

…………。

お知り合い、か、そりゃ。

そちらのオーナーと、


ラビ:

古いから。

昨日……、ね、「couch(カウチ)」で会ったの。


シイナ:

ああ……。

仰ってました、行ったって。


ラビ:

2年ぶりぐらいかなぁ。

……あぁー、コレはもうダメだなぁ、棺桶に片足、突っ込んでるなぁ、って。

思わず酔いも醒めちゃった。


シイナ:

……同感、でしたね。


―店員は煙草を揉み消す。


ラビ:

私は飲み直したけど。

飲んだのぉ? 今日、ホズミくんは。


シイナ:

……1杯だけ。

そんなに弱くもないヤツを。


ラビ:

出したんだ。


シイナ:

ご注文、だったので。

…………正直、甘かったです。見極め。


ラビ:

お酒に関しちゃプロでも。

病気に関しちゃ素人だもんねぇ。

ま……、ちゃんと、プロのトコ行ったんだもんね?


シイナ:

まァ……、ね。

総合病院近いのは……、こういう時ありがたい、と。


ラビ:

救急車の音は鬱陶しいけど、ね。

……疲れた?


シイナ:

ん、まあ……、

そこそこ、慌てたんで、ね。


ラビ:

オバケに遭ったみたいなカオしてる。


シイナ:

……、


―店員は僅か、思案。


シイナ:

……そりゃ、お安いホラーのスプラッタ程度には。

ショッキングでしたけどね。


ラビ:

業者入れるレベル?


シイナ:

じゃないと無理、だなァ。

自分らじゃ、ちょっと。


ラビ:

あははぁ、大変だぁ。

…………。

ふぅん……。


―女の眼は、虚無的に浮き。


ラビ:

死にたかったのかなぁ。


シイナ:

…………、

さあ、


ラビ:

そんな話した?


シイナ:

…………、

いえ……。

特には。


ラビ:

「アイツのやってるのは気の長い自殺だ」、って。

「もうじき死ぬヤツは死んでるのと同じだ」、って。

オウミは言うけど。


シイナ:

……、どう、かな。

わかりませんね、正直。


ラビ:

ね。

私も、どうでもいい。


シイナ:

…………。


―秋口の夜の生温い風が吹き抜け。

―オーナーが、通話しつつも、旧知である女へと手を振る。

―女は笑顔で応じた後、ふと、豊かな髪を掻き上げ、


ラビ:

シイナくんさぁ、


シイナ:

はい?


ラビ:

オツカレのトコ悪いけど。

1杯、飲んでってイイ?


シイナ:

……、


―暫し、沈黙。

―何処かから、おそらくは犬のものであろう、遠吠え。


シイナ:

……。

店内、血の海となってオリマスが。


ラビ:

あははぁ。

絵になると思うんだなぁ……、

私。


―女の、無為なる艶が滲み。

―店員の脳裡、イメージが像を結ぶ。


シイナ:

……ええ。

いかにも、まるで……、


―血染めのスツールにて、琥珀のグラスを傾ける、美女。


シイナ:

古い映画のポスター、みたいにね。


―暗転。


―【終】

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