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『氷の海のスカーレット・オハラ』

“お一人様篇”シーズン1♯1


とある街、とあるBAR。

とある、切実なる探求。


登場人物

■タニマチ

店員。見計らう男。

■キリ

常連客。鏡の如き女。



−黎和3年10月某日−

タニマチ:

或る、心象のうた。


キリ:

海豹(あざらし)のように、極光(きょっこう)の見える氷の上で、

ぼんやりと自分を忘れて座っていたい

そこに時劫(じごう)がすぎ去って行く

昼夜のない極光地方の、いつも暮れ方のような光線が、鈍く悲しげに幽滅するところ

ああ その遠い北極圈の氷の上で、ぼんやりと海豹(あざらし)のように座って居たい

永遠に、永遠に、自分を忘れて、思惟(しゆい)のほの暗い海に浮ぶ、一つの侘しい幻象(げんしょう)を眺めて居たいのです。


―タイトルコール。

タニマチ:

『氷の海のスカーレット・オハラ』


―【間】


キリ:

振られてしまったんだよね。


タニマチ:

……、はい?


―某月某日、某時刻。

―とあるバーの店内。カウンターには男性店員と、常連客の女性が1人。


キリ:

振られて、しまった、んだよね。


タニマチ:

文節で区切らなくても判りますケド。

座るなり何スか……。

えっと、それはキリさんが?


キリ:

その通り。ここで話は2日前に遡るんだけれども、


タニマチ:

遡る前にオーダーぐらい聞かしてもらいたいっス。


キリ:

今日は話を聞いて貰いに来たんだが……。


タニマチ:

飲んでもらいながらだったらナンボでも聞きますよ。BARなんだし。


キリ:

うーむ。酒ね……。


タニマチ:

別に、軽いのでもノンアルコールでも。

珈琲とかも淹れれマスし。


キリ:

いや……、考えようによっては、キチンとしたものの方が良いかもしれないな……。

失恋の話をBARで、となれば、確かに形式も大切だ。多少は、エタノールで大脳を麻痺せしめるのも(やぶさ)かでは無い。


タニマチ:

言い方よ……。

んじゃまあ、なんかポイやつを。


キリ:

うん。それらしい状況を調えてもらおうか。私も、憂いを帯びた表情で待っているから。

(やおら立ち上がろうとし)

入って来る所からやろうか? 「マスターっ! 聞いてっ!」というヤツを、


タニマチ:

イイんで、大人しく待っててください。

えー、と、そしたら……、


キリ:

余り度数の高い種類のものは遠慮したいな。酩酊をしたい訳では無いのでね。


タニマチ:(材料を選びながら)

オッケーっす。ちなみに、嫌いな味とかありますっけ?


キリ:

好き嫌いは無いよ。育ちが良いものでね。

ハハ。


―シェーカーに材料となる液体を注ぎ、軽くステア。手早く氷を入れ、シェーク。氷の跳ねる音が鋭く響く。


キリ:

うん。それらしい、それらしい。


―用意済みのカクテルグラスを客前に滑らせ、混ざり切ったアルコールを注ぐ。複雑な果実の香り。


タニマチ:

お待たせしました。

『スカーレット・オハラ』です。


キリ:

む……、

コレか。……。

……つまり、気を強く持て、と言いたいのかな?

男が去って行ったとしても、「明日は明日の風が吹く」、と。話も聞かない内から、君という奴は……、


タニマチ:

や、俺も作ってる最中にヤッたワと思ったんスけど。

他意はナイんでシャっと飲んでほしいっス。


キリ:

ふむ……、


―グラスを傾け、軽く含む。


キリ:

うん……。オーソドックスに美味だな。

ジョージアはタラのたくましい大地に遊ぶ、少女の頃のスカーレットが浮かぶようだ。


タニマチ:

まあ俺は昔BSで1回見たダケなんスけど。


キリ:

やはり原作が良いけどね、「風と共に去りぬ」は。人種差別に肯定的なのが玉に瑕だが。


タニマチ:

まあ、置いといて。

ベースに『サザン・カンフォート』ってリキュールを使ってて、歌手のあの、ジャニス・ジョップリンも愛飲したっていう、本場ではポピュラーな、


キリ:

その歌手は確か、悲恋と失望の内に、若くして薬物死したんじゃなかったか。

やはり、失意の女性に(きょう)するには不適切なカクテルだったんじゃないか?


タニマチ:

……博識オソレイルっス。


キリ:

一般教養だよ。


タニマチ:

ま、ウンチクと味は関係無いんで。飲んでる姿もソレっポイっスよ。


キリ:

君はどんどん私に対するあしらいが雑になっていくな。


タニマチ:

適切な距離感を模索するのも接客の内っスから。


キリ:

手の抜き所を覚える、とも言う。

……ソレぐらいの方が、丁度良かったのかも知れないが。


―店員はダスターでカウンター内の水滴を拭う。


タニマチ:

はい、んじゃァ、状況設定オッケーなんで。話聞きマスよ。

あ、出来たら順を追ってほしいっスけど。


キリ:

マスターがコレでは格好付かないな。

枕が長引いたが、さて、漸く本題……。


―琥珀の液で唇を濡らす。


キリ:

私に、恋人が居たのは知っているね?


タニマチ:

あのー、半年ぐらい前? に1回、一緒に来た?


キリ:

5ヶ月半ほど前の土曜日だな。同じ研究室の同期で……、彼は一浪しているから歳は1つ上だが、

そう、その彼だ。


タニマチ:

なんか、モノスゴイ緊張してラシタのは覚えてますケド。

その時が初デートとかじゃ無かったでしたっけ?


キリ:

そうだよ。あの時の震えっぷりと言ったら無かったな。ハハ。

私だって非常に緊張していたとはいえ……、


タニマチ:

全然そういうカンジには見えなかったっスけど。


キリ:

ん、そうか?


タニマチ:

キリさん表情1つ変えないし、お二人帰った後、「アレ絶対ミャク無しだべ」って皆で言ってたら、付き合う事になったって聞いてビックリしたんスから。


キリ:

陰口は関心しないが……、しかし、そうか、私は、緊張とトキメキを隠し切れない、初心(うぶ)な女には見えていなかったのか……。


タニマチ:

そんな自己演出を。


キリ:

実際、緊張していたし、トキメいてもいたんだ。憎からず思っていたし、モーションを掛けられている事にも気付いていたからね。


タニマチ:

じゃあ、告白は彼氏さんの方から?

や、元・彼氏か。


キリ:

一々訂正しなくて良いよ。まだ生傷なんだ。


タニマチ:

あ、スンマセン……。


キリ:

……そう、告白はあの後、彼の方から。

エスタブリッシュ号のライトアップを観に行ったんだ。


タニマチ:

あー、石神(いしがみ)公園の? またこう、ベタな……。

てか、結構離れましたね?


キリ:

彼はタクシーを呼ぼうとしたが、私は歩きたかったので、2人連れ立って。

「少し歩きませんか」というヤツだ。なかなか、形式に沿った、良い段取りだろう。


タニマチ:

形式でゆーなら、男性の方から言うヤツっスけどねソレ。

だし、ダイブ遠くないスか。メッチャ疲れますよ。


キリ:

平素研究で籠もりっ切りだから、運動も兼ねてと思ったんだが。そう言えば彼は堪えていたな。


タニマチ:

キリさんは?


キリ:

私は高等部までテニスをやっていたからそのぐらい平気だよ。

……そして公園に着き、いざ告白という段だ。

湖に照らし出される客船、というのは奇妙ながらも趣きがあって、中々に良いムードだった。

彼も、私も、上手くやったよ。


タニマチ:

キスとかしたんスか?


キリ:

いや、粘膜接触はその次の次だ。


タニマチ:

言い方……。

んじゃ、ホントに告白だけ? 手繋いだりとかも、


キリ:

2人切りなら、彼もキスくらいしたかったんだろうが……、

周りもカップルだらけだったんでね。展望デッキに上がって、手を重ね合っただけだ。


タニマチ:

ズイブンまた、奥手な。


キリ:

私は一向に構わなかったんだが、何分、彼には初めての事だったからな。


タニマチ:

あ……、初の?


キリ:

学部の男連中には珍しくも無いがね。

告白の前に、まずソレを告白されたよ。自分から言う所が面白いと思った。

(微かに眼を伏せ)

…………そう、彼は面白い人物だったんだ。


―常連客はグラスを傾ける。


タニマチ:

……ふむ。

でもその人、初カノがキリさんなら、正直テンション上がったでしょーね。


キリ:

ん、そのココロは?


タニマチ:

ナンダカンダ言って、美人じゃないスか。お洒落だし。


キリ:

ナンダカンダ、が気になるが……。

容姿に関しては基準値が判らないけれど、ファッションという風俗は気に入っているね。構築学的にアプローチ出来る所が。


タニマチ:

はあ。昔から?


キリ:

結局の所、デザイン上のルーツと幾つかのコード、そして流行のサイクルとの組み合わせに過ぎない。どれ程奇抜に映るトレンドも、ほぼ全てそれで説明が出来る。

その知見を以て、ファッション雑誌に跋扈(ばっこ)する難解な慣用句たちを独力で解読成し得た時、少女期の私は思った。

「いける」、と。


タニマチ:

暗号とか、考古学みたいに。


キリ:

近いよ。ヒエログリフのようなものだ。或いはエニグマ。


タニマチ:

ファッション誌から、古代の神秘だの、国家機密だの。


キリ:

所詮同じようなモノとも言える。

ま、閑話休題、


タニマチ:

お、誤用じゃナイ方の使い方。


キリ:

君と話していると脱線が多くて困る。

つまり……、まあそうだね。交際が始まって以降、明らかに彼は自信を増した様子だったよ。苦手だった恋愛を攻略した事で、自己肯定感が満たされたんだろう。

と、彼にそんな話をしたら……、


タニマチ:

あ、言ったんスか、本人に。


キリ:

バツが悪そうにしていた。が、つまり、肯定という事だろうね。


タニマチ:

……、まあ、ね……。

キリさん的には、ソコら辺が気になった、とか?


キリ:

いや……? 気にする類いの事なのか?


タニマチ:

や、一概にはですけど。アクセサリーみたいに扱われるのがイヤだった、とか。


キリ:

私と居る時の彼は、何ら変わらない様子だったよ。2度目のデートでも、キスはおろかハグさえ(なし)(つぶて)だった時は、まさかこのまま、と気を揉んだものだが、


タニマチ:

んじゃ、3回目は、


キリ:

私からイッた。


タニマチ:

おおーー……。


キリ:

多少形式からは外れるが、結果は同じだからね。

人の居ない場所でグイグイ行った。


タニマチ:

ちなみにドコで?


キリ:

軒留(のきどめ)駅のトンネル。


タニマチ:

めちゃめちゃラブホ街の横じゃないスかっ。

刺激ツヨくないスか。


キリ:

埒が明かないと思って……。私も興奮していたのは認めるが。

その後の顛末については、彼の名誉の為に割愛する。


タニマチ:

聞かないんでダイジョーブっス。


―常連客がグラスを一口傾ける。


キリ:

兎も角そのような次第で、それなりに順調な滑り出しではあったんだ。彼も益々調子を付けて、後輩相手に恋愛指南のような事をやっていた。


タニマチ:

……ちなみにソレに関しては。


キリ:

人間らしくて良いと思う。


タニマチ:

まあ……、そっスね。


キリ:

人間というのは順応すれば早いもので、ひと月、ふた月と経つ内にぎこちなさも抜けて、恋人同士の形式に則ってオールドスクールなデートを重ねた。

彼にも私にも、ソレが性に合っていた。

研究室では二人の仲を公言してはいなかったが、ソレもまた楽し、というヤツだ。


タニマチ:

イチバン楽しい時期、ってヤツっスね。


キリ:

世に言う「3ヶ月の壁」も、私たちは乗り越えたと思っていた。仲が深まるに連れて、必然衝突する機会もあったが、人と人とが向き合う以上、必要な行程だと捉えていた。


タニマチ:

ちなみに……、原因はどんな。


キリ:

大体は決まっていたが。

私が彼を馬鹿にしているだの、彼のプライドを尊重していないだの、些細な行き違いが原因の、ナンセンス極まる誤解だ。


タニマチ:

……ふーむ。

ちょっと、雲行きが……、


キリ:

しかしその度に、そんな訳はあるまい、と懇切丁寧(こんせつていねい)に説き伏せて、彼との合意を図ってはいたんだが。


タニマチ:

論破した、みたいな形になってたり。


キリ:

議論とも呼べないような、他愛もない(いさか)いだよ。その時点の彼がどう取っていたかは判らないが。


タニマチ:

ふんふん……、ソレが3ヶ月ちょい経ったぐらいで、だから2ヶ月前か。


キリ:

約、ね。

君の言い方を借りるなら……、雲行きが、本格的に怪しくなり出したのは、ちょうどその時期、私が、自分の纏めたレポートを切っ掛けに、教授の学会発表のチームメンバーに選ばれた辺りだ。


タニマチ:

ソレっていうのは、


キリ:

研究室の中に於いては、ちょっとした事件ではあった。彼も、おめでとう、と行ってくれたし、公私共に応援する、とも言ってくれた。

私自身は、特に狙っていたポストでも無かったのでフラットだったんだが……、我が事のように喜んでくれる気持ちが嬉しかった。


タニマチ:

んー。なるほど……。


キリ:

ただ、その時期を境に、彼の様子が変わり始めたのは確かだ。研究室でも落ち着きが無いし、デートに際しても乗り気では無くなった。何気ない会話の中で、言い合いに発展する回数が増えて行った。


タニマチ:

そのヒトは、優秀な人だったんスか。


キリ:

研究者として、という意味で?


タニマチ:

そっス。


キリ:

優秀だったよ。些か四角四面に過ぎるきらいはあるが、愚直に、ストレートに対象へとアプローチする感性を持っていた。

飛躍と脇道に逃げる癖のある私としては、お手本のような研究者だと尊敬もしていた。


タニマチ:

周囲の評価的にも、そういうカンジだった、と。


キリ:

そうだね、兎に角、基礎が確かな上に勤勉なので、教授からも便利に思われていた。本人は一番弟子を自負していたようだが。


タニマチ:

……、ナルホド。

何となく、こう……、


キリ:

「秀才止まりの彼が、奇抜な天才の私に嫉妬した結果、関係性に(ひず)みが生じた」、とでも言いたげだね。


タニマチ:

……チガウんスかね。そういう流れかなって。


キリ:

人情として、と言うなら、そういった事もあるだろう。

しかし……、私と彼は研究の徒であり、学問という極北の海を、尽きぬ思索と積み上げられた敗北だけを餌に生きて行くと誓った獣だ。


タニマチ:

ダイブ殺伐とした捉え方を……。


キリ:

そうでなくては、何処かで折れてしまうと考えているだけだ。他者からの評価含め、あらゆる結果に対して、真摯に向き合う事が出来なければ……、いずれ曇り、鈍り、ひび割れる。

研究眼とはまさしく、レンズのようなモノだ。


タニマチ:

言わんとするコトはわかりますよ。


キリ:

彼を尊敬し、一人物として愛情を持てばこそ……、

その弱さに、迎合する事は出来なかった。


タニマチ:

する必要は無いと思うスね、全然。


―常連客は液状の琥珀を一口含む。


キリ:

……しかしそうは言っても、彼も、そして私もまだ若い。

人間(ひと)としても、研究者(けもの)としてもだ。

何より恋人同士なのだから、そういった時こそ支え合い、助け合うべきだと思った。

脳が生み出す(ひず)んだ衝動などに囚われず、現状をあるがまま、現象として受け入れ、糧にすべきだ、と、

心からのアドバイスを送った。


タニマチ:

……。そしたら、


キリ:

罵倒された。


タニマチ:

…………。


キリ:(もとより微かだった表情が、能面のように凍り)

本当に……、それまで見た事の無い表情で私を睨み、聞いた事の無い声音で毒を吐いた。

堪り兼ねた、とでも言うような、私には、あまり、解らない心持ちだが。

しかしその瞬間、彼が、私に、明らかな憎悪の感情を向けている事は、確かに実感した。


タニマチ:

……なら、その時点で、誰が、どう言おうと、そのヒトが悪いわ。


キリ:

自分が、対応を誤ったという風には、今でも思っていない。

しかし、その時は、怒りでも、怯えでもなく、ただ、

ただ、悲しかった。


タニマチ:

……今、思い出したくナイ事、喋りたくナイ事喋ってますか?


キリ:

いや……。刃物の様な記憶だが、しかし向き合いたかった。

思索は自問出来るが、感情は人に話さねば反芻(はんすう)が難しい。


タニマチ:

……うん。そう、スね。

でも、ソレがその時期って事は、そっからまだしばらくは続いた、って事スよね。


キリ:

うむ……。彼はすぐに言葉を納め、謝罪し、その場では事無きを得た、形になった。

感情が錯綜して、心にも無い事を言ってしまった、と。


タニマチ:

んー……。はい。


キリ:

数日の間は、元のような関係に戻れた、かに思えた。

柔らかに語らい、久々にデートも出来た。


タニマチ:

ドコ行ったんですか?


キリ:(カウンターを指差し)

ここだよ。土曜だが、シイナ1人だったね。


タニマチ:

へぇー……。多分、俺休み貰った日だな。


キリ:

聞かなかったが、恐らくそうだろう。


タニマチ:

シイナさん全然そういうの言ってくれないからな……。

誰が来たとか、どんなだったとか。


キリ:(特段表情を変えず)

嫌われてるんじゃないか?


タニマチ:

えっ。


キリ:

冗談だ。ハハ。


タニマチ:

……若干シャレになんないから、あの人の場合……。


キリ:

何を考えているか判然としない時があるからなぁ、あいつは。


タニマチ:

……、まあ、流しますケド。

てか……、スタッフ俺以外ヤバいな、冷静に考えたら。


キリ:

2人共なかなかイイ性格だからね。客としては愉快・痛快だが。


タニマチ:

接客はね、そら、ちゃんとイケてますよ? ナンダカンダ2人の人気でもってんだから。


キリ:

トークもスパイスが効いているからな。君と違って。


タニマチ:

当方、甘口(アマクチ)でやらしてもらってマスんで。


キリ:

というより、無味では。


タニマチ:

致命的じゃんソレ……。


キリ:

ハハハ。

ともあれ………、その日はここで過ごして、まあ、夜もそれなりに。

私自身は楽しかったが、まあその、同性の他者の意見も聞きたいと思って、後日シイナにLINEを送ったら、


タニマチ:

ちょい待ち、キリさんシイナさんとLINE繋がってんスか??


キリ:

ああ……、最初に会った時に、


タニマチ:

……、俺、知らんわ。


キリ:

業務連絡等はどうしているんだ?


タニマチ:

メール来ます、短文の。


キリ:

カスミくんとは繋がってるようだけど。


タニマチ:

マジで……? てっきり教えない派とかかと……、

……、まあイイや。深く考えんとこ。

そんで、LINEで、シイナさんに聞いたんスね、意見を。大体想像付きますけど。


キリ:

けちょんけちょんだった。


タニマチ:

うん、うん。


キリ:

いつもの毒舌が炸裂していたよ。

会話の端々から、私への劣等感と、女の癖に、という見下しが(こぼ)れていた、とも。

早く別れた方が良い、と、はっきり書いてくれた。


タニマチ:

それ……、そんで、キリさんはどう、


キリ:

下らない、という部分には同意出来ないが、あとは概ね、一意見として参考にさせて貰うと、返した。


タニマチ:

なるほど。

……ぶっちゃけ、その時点では、キリさん的にはどうだったんスか。


キリ:

どう、とは?


タニマチ:

収まったとはいえ、キレられたワケでしょ、1回。

ワダカマリとか、モヤモヤとか。


キリ:

……。無かった、と言えば虚偽だが。

人を、激昂させてしまう事には慣れているんだ、こう見えて。


タニマチ:

「こう見えて」。おー、うん、はい。


キリ:

無論、こちらに悪意があった試しは無いのだが、


タニマチ:

わかりますよ。そんな気無いのに、相手が悪く取って、ていう……、


キリ:

大体はそのパターンだが……、

(たま)にあるのが、ジョークが伝わらない時だ。


タニマチ:

あー、まあ……。本気だと思われて、みたいな。


キリ:

私としては冗談や、面白おかしい話題の際は、「悪しからず」という意味で、サインを発しているつもりなのだが、


タニマチ:

サイン?


キリ:

発言後にまず自分でひと笑い入れている。


タニマチ:(少し考え)

……あ、あの無表情で「ハハ」っていうヤツか。

アレそーゆー意図があったんスね……。


キリ:

意図というか、湧いてくる笑いを表面に出しているんだ。

というか君、そこそこ長い付き合いなのに、気付いていなかったのか。職務怠慢だなぁ、向いていないんじゃないか? ハハ。


タニマチ:

今のもスか?


キリ:

例としてやってみた。文脈を鑑みれば瞭然(りょうぜん)だと思うんだが、何故か伝わらず、悪しく取られる事が多い。


タニマチ:

……。まあ……、

一個だけ言えるのは。


キリ:

うむ、一個と言わず。


タニマチ:

洒落かも、と思えるだけの余裕あるヒトが少ない、って感じスかね。

気にしてるコトとか、触れられたくないコトとか多いヒトは、偶々でもソコにカスったような洒落聞くと、悪口言われた、ってチョクで思っちゃう、みたいな。


キリ:

脊髄反射的に、というヤツか……。俗語的表現だが。

しかし、そうであるならば結局、当人の問題なんじゃないか。


タニマチ:

突き詰めれば全部そうスけどね。


キリ:

釈迦の悟りの領域だな。

しかし、まさに問題はそこなんだ。私に悪意を向けてくる人物というのは……、

後から分析するに、だが、


タニマチ:

ん、はい、


キリ:

私に、嫉妬や、羨望の念を抱いているであろう、と推測される場合が多かった。


タニマチ:

……、まあ、ソコはね……。


キリ:

容姿にせよ、成績にせよ、何にせよだ。

己と、私を含む他者とを比較する中で……、

この「比較」というのが曲者なんだが。

個々人の問題である劣等感を、他者との関係の中に投影してしまうんだな。

下らない思考的分断だが、何故か私の周囲には、それに(さいな)まれている人間が多かった。


タニマチ:

キリさんの周囲には、って言うか……。

あと、劣等感が個々人の問題、てのは違和感あるな。他人と比べないなら、ソモソモ劣等も優等もナイんだし。


キリ:

つまり、その心性こそが問題なのではないか。他者と比較した所で、己の何が変わる訳でも無いのだから。


タニマチ:

て、まあ、皆が思えりゃ世話ナイ訳ですケドも。


キリ:

思うも何も、事実だ。


タニマチ:

事実は皆、嫌いスからね。


キリ:

……、言うね。

しかし、どうもそうであるらしい。私に取っては、ちょっと途方も無い見地だが。


タニマチ:

逆に……、キリさんはそういう、劣等感とかコンプレックスとか、無かったんスか。


キリ:

私が?

……、環境に於いても、感覚に於いても、およそ無縁と言って良いだろうね。

誇り高く生きるべし、というのが、人としても、研究者としても、曽祖父より受け継がれてきた訓示なのだ。


タニマチ:

つまり、自分の誇りに裏切られるコト無く生きてきた、と。


キリ:

「誇りに裏切られる」、とは?


タニマチ:

自己評価と、他者評価が一致しなくなるタイミングって言うか……、


キリ:

いや、それで言うなら、いつもなんだ。

私など、まだ何事をも為してはいない、只の一大学院生に過ぎないのに……、才媛だの、研究室始まって以来の天才だの、文武両道だの令嬢博士だの、可愛いだの綺麗過ぎるだの、


タニマチ:

はい、はい……、そーゆーのとはまた違うんスわ。


キリ:

身の丈に合わない賛辞に、当惑する機会も多い。それもまた評価だと言うなら、向き合わなければならないが……、

内実が伴うよう、これは、まあ今後の課題だな。


タニマチ:

ソコはソコでイーんですケド。

(ふ、と息をつき)

……、大体判ったっス。

なんかもー……、そーゆー、やっかみとかで攻撃してくるタイプの人間とは、付き合い()ったらどうスか。


キリ:

私だって他人にならそう言うし……、実際、いま現在は環境的に、そういった煩わしさから開放されつつもあるんだが。


タニマチ:

ふんふん。


キリ:

しかし、だ。そういった、時として悪意や害意を向けてくる人間達……、この際もう、彼も入れてしまうが、


タニマチ:

まあ、はい。


キリ:

彼・彼女らが押し()べて、人間的にも悪辣で、劣等であるとは言えなかったりもする。


タニマチ:

そりゃそーでしょ。むしろ一般的な人間心理だと思いますよ。


キリ:

能力や評価で考えても、十分に優秀な人物である場合もあるんだ。彼も、それで言うならそうだった。


タニマチ:

モチベは人それぞれっスからね……。嫉妬や悪意をバネに頑張って、力を付けたヒトも居るでしょうし。


キリ:

そういった人種もいるらしいと、最近になって判った。

しかし、そうであるなら尚更、努力の結果は既に出ているのだから、胸を貼って……、


タニマチ:

他人からの評価じゃ満たされないんじゃないスか。そーいうヒトらは。


キリ:

む……、


タニマチ:

劣等感て、そんな簡単に払拭出来るようなモンでも無いし。


キリ:

では、他人を妬んだり、攻撃したりする事が、心を満たし劣等感を払拭する糸口になるというのか?


タニマチ:

論理がループしてるっス。根本的に捉え方が違うんスよ、そーゆーヒトらと、キリさんみたいなヒトは。


キリ:

……、釈然としないが、


タニマチ:

ナニがどーあれ、攻撃されてる側が、頑張ってワカろうとしなくてイイやつだと思いますケド。

シイナさんが言うトコの「下らない」品性に、無理して付き合ってやってるヒマは、


キリ:(静かに、しかし凛と)

ケイゴ。


タニマチ:

……っ。

イ、キナリ下の名前、


キリ:

しかし、私は解りたいんだ。


タニマチ:

……、わかりたい?


キリ:

いつだってそうだった。

彼も含め、今まで私と関わる中で、敵意や、憎悪を向けて来た幾人かの人々。

彼・彼女らの抱える問題が何で、何故あんな顔をして、何故あんな声を出し、何を感じ、何に苛まれ、何を思い、何を見て、私の前に立っていたのか。

憤るよりも、怯えるよりも先に、解りたかった。

そして、解らない事は悲しい。


タニマチ:

……そのヒトらは、きっと……、

1番見たくない自分の姿を、見てたんだと思いますよ。


キリ:

彼らとも、こんな風に語り合いたかった。出来れば、その時々に。


タニマチ:

当事者と喋っちゃダメなヤツっスよ、こーゆーのは。


キリ:

そう、であるらしいね。

(記憶の海に意識を沈め)

……中等部の時、とある事件があったんだ。


タニマチ:

事件。


キリ:

同じクラスに、非常に心易い、気のおけない間柄の女生徒が居た。

私としては、親友、と呼んで差し支えない存在だった。


タニマチ:

既に、イヤな予感しますケド……。


キリ:

2年の三学期だ。些細な出来事を機に、関係が(こじ)れた。彼とも似たケースだが、事ある毎に私に突っ掛かり、悪口を吹聴(ふいちょう)するようになった。


タニマチ:

ふむ……、


キリ:

そして、これも些細な切っ掛けで、言い合いになった際……、私は彼女に、指摘をした。


タニマチ:

……、何て、言ったんスか。


キリ:

「君は、私が嫌いなのでは無くて、むしろ私を羨み、私に、なりたがっているのじゃないか」。

「どうも、そのように見受けられるのだが、実際の所、どうなんだろうか」。

……そのように、言った。


タニマチ:(片眼を覆い)

……そしたら、どういう、


キリ:

カッターが出て来た。


タニマチ:

…………。


キリ:

殺してやる、と。

真っ直ぐ私に飛び掛かった。


タニマチ:

そ、れ…………、


キリ:

近くに居た体育教諭のお陰で、幸いにも怪我人は出なかったが。

……その時の、彼女の顔は。

私の短い人生を通じて、もっとも恐ろしく、もっとも(よど)み濁り……、そしてもっとも純化された、シンプルで、美しい表情だった。

その瞬間、彼女は獣だった。いや、人とは獣なのだと実感出来た。


タニマチ:

…………。

アノ顔を、見たんスね。キリさんは、中学のトキに。

(一瞬、黙考し)

……それ、最終どうなったんですか。


キリ:

彼女は居なくなった。何人かの目撃者と共に。


タニマチ:

いなくなった?


キリ:

報道はおろか、学院内の話題にさえ登る事なく、彼女の存在ごと、初めから無かったかのように。


タニマチ:

……、表沙汰にしない代わりに、口留めして転校さした、みたいな感じスかね。


キリ:

今にして思えば、そのような処理が為されただろう事は想像に(から)くないがね。そういう体質の学院なんだ。

だが、当時の私は……、もう彼女と会って、言葉を交わす事が出来ず、そして……、凶器を握った瞬間の、彼女の心情を聞く事が出来ないということが……、

悔しい、のでも無く。残念、という程、軽くは無く。

私の貧弱な語彙では、ついぞ表現出来ないでいるが……、

その心象は確かに、悲しさと相似形(そうじけい)だった。


タニマチ:

…………。


キリ:

結局、その不条理の空白を埋めること叶わぬまま……、私は進級し、やがて高等部へと進学した。

忘れろ、と(ちか)しい者は言う。だが私は未だに、彼女と会って、話をしたいと思っている。


タニマチ:

向こうは多分……、2度と会いたくナイでしょうけど、ね。


キリ:

……そう、なんだろうか。

そうだとすれば、それは、何故か。

彼女はどんな言葉で、それを語るだろうか。

どうしても考えてしまう。

答えを求めたくなってしまう。

私が、この、流氷の上で……、孤独だけを友に、生きて行くのか、否か。


タニマチ:

……流氷?


キリ:

人が私から離れて行く時、いつも思い出す風景がある。

幼い頃、祖父にくっついて行ったアイスランドの、流氷の上から見た光景だ。


タニマチ:

またデカいなスケールが。


キリ:

幾日も待たされた末、(ようや)(あらわ)れたオーロラに、観測スタッフも、祖父さえも気を取られて、気付かなかったのだ。

砕けた流氷の一部が、私を載せたまま、極寒の海へと漂い出すのを。


タニマチ:

おわァ……、ええ、


キリ:

子供の私は声も出さず、不思議な心持ちで、遠ざかって行く人々の背中と、遥か天に棚引く極光の帯を見ていた。

現象としてのオーロラの原理は、5歳ともなれば当然、知ってはいたが……、


タニマチ:

ツッコみませんから、続けてくださいね。


キリ:

肉眼で観ると、恐ろしいような、居た堪れないような、余りに途方も無い自然の美を見霽(みはる)かしながら……、

自分が岸から離れて行くのか、それとも、岸が自分から離れて行くのか、判然としないほど殺風景な氷原で独り、そのまま、永遠に時が過ぎていくのを幻想した。


タニマチ:

泣かずにボーッとしてるとかは子どもあるあるっスけど……、

それ結局は、


キリ:

勿論、程無くスタッフが気付き、無事救助されたよ。

「泣きもせずオーロラを観測し続けるなんて研究者として将来有望だ」、等とジョークも言われた。


タニマチ:

アイスランドジョークだ。


キリ:

いや、言った人物は祖父の友人でドイツ人だから、


タニマチ:

あ、そこはイイんで、続きドーゾ。


キリ:

……、現実の私は陸に戻り、成長し、人と人との間に暮らしを築いているが……、

精神の上での私は今でも、あの小さな流氷の上に独り佇んで、極北(きょくほく)に近い海のなだらかなところを、漂っているような気がする。


―一口、含む。吐く息は深く、静かである。


キリ:

そこは案外、住み心地は悪くないんだ。

魚や、餌になる動物が豊富で……、運が良ければ素晴らしいオーロラを見られたり、遠くの海を、変わった形の船が通ったりして面白い。

私はその上で日がな1日、考えたくなった事を考えたり、目に映るものの、目に映らない部分に付いて空想したりする。


タニマチ:

イイ、スね……、ナカナカ。


キリ:

そうして、機嫌良く過ごしていると……、時折、他の流氷や陸地から、知らない人が移ってくる。

私と、彼や彼女らは、「こんにちは」と美しい挨拶を交わす。

挨拶というものはいつだって美しい。

それから私が知らないものや、私が見えないものの話をしてくれる。私たちは、共に同じ風景の中に、異なる色を見出しながら、柔らかな時を過ごす。


タニマチ:

…………。


キリ:

しかし、いつしか別れがやってくる。私が気付かない内に、何かが、決定的に、すれ違ってしまって……、

彼らはどこかへと去って行く。

私が交わる事の出来ない人々の中へと戻り、私が聞こえない言葉で喋る。

そうして私はまた、流氷の上に独り佇んで、海と空と、思考とを友にして、安らかな孤独に微睡(まどろ)む。

……そんな風な、ありさまだ。


タニマチ:

……意外と、ワカんなくは無かったっス。


キリ:

取り残された、という心持ちはしない。

不思議と初めから、独りであったような気がするから。

しかし……、時たま、思う。

これから先も、同じなのだろうか、と。


タニマチ:

……あー。うん。


キリ:

研究者(けもの)としての私は、学問の大海(たいかい)を縦横に泳ぎ、調子良くやるだろう。

では、人間(ひと)としての私は。

北海(ほっかい)に浮ぶ、感情という閉じた孤島にポツンと独り、いずれ去っていくだろう人の訪れを待って、遠く人々の群れの背を眺めながら、漂って行くのだろうか。

スカーレット・オハラは生涯3度の恋をしたが、私はこれから先、何度人と出会い、そして何度の風が吹き、彼らは去って行くのだろうか。

時が経てば、かのジャニスのように、失意に狂う時が来るのだろうか。


タニマチ:

ワカンナイっスよ。

……スカーレットだってあの後、4人目、5人目……、もしか、十人とだって結婚したかもだし。


キリ:

時代設定を考えると、それは荒唐無稽というモノだろう。


タニマチ:

喩えね、タトエっ。

サンザン流氷だのケモノだの言っといて、ヒトの比喩は通じないんだから……。


キリ:(訝しげに)

何故急にそんな話を……?


タニマチ:

コッチのセリフだわっ!?


キリ:

私は簡単だっ。君の出したカクテルに脳神経を侵されて、センチメンタルになっているのだ。

ハ、ハ、ハ。


タニマチ:

確かににちょい赤いスけど……。相変わらず全然ワカラン……。


―常連客はグラスの残りをきゅ、と干す。


タニマチ:

お、イッた。


キリ:(トンとグラスを置き)

ふう……。

そう、まさしくソレだ。私が振られたのはな。


タニマチ:

あ、スンマセン、何が??


キリ:

2日前、彼が私に切り出した、別れの理由だよ。

「何を考えているのか判らない上に、人の気持ちが判らないから」、と。


タニマチ:

あ、ケッコー直球で……、


キリ:

要約すれば、だが。そのような意味の事を言っていた。

一緒に居ても、今現在楽しいのか、嬉しいのか、退屈なのか、不満なのか、どう感じているのかが、表面からは判らないと。


タニマチ:

ふんふん。


キリ:

その癖、彼の心の機微に関しては無頓着で、要求を汲み取れなかったり、雰囲気を壊したり、プライドを傷付けるような言動・行動を平気で取る、と。

自分は約半年間、常に振り回され続けて来たんだ、と、こう言うんだ。


タニマチ:

……。んー。

なるほど。


キリ:

私だって……、所謂(いわゆる)不満が無い訳では無かったが、建設的に話を進めたかったので、一方的には言わなかった。


タニマチ:

まあ……、アレすよね。

そのヒト、自分だって相手の心情読み取れてナイんだから、お互いサマっスよね。


キリ:

私も君と同意見だった。まだ1年にも満たない未熟な関係性であるし、誤解やデイスコミュニケーションの多くは、会話の様式やコードの違いに起因するものなのだから、日々(みつ)に、検討と擦り合せを重ねて行けば、対処可能な問題だと思わないか、と。

他分野の研究者と共同で何かを行う時などは、まずそこから始めるじゃないか、と、一生懸命、噛み砕いて、


タニマチ:

言った訳スね。

んで……、相手さんは、


キリ:

「一緒にするな」、と。

「もう疲れた」、と。


タニマチ:

…………。


キリ:

一緒にするな、の方は、恐らく……、学問と恋愛、そして私と自分、という、2重の意味でかかっているだろう事は、文脈から読み解けた。


タニマチ:

じゃ、「もう疲れた」、の方は。


キリ:

……心からの本音だろう。

確かに、その表情だけは、私にも判ったよ。


タニマチ:

…………。


キリ:

疲弊を生むのは諦念だと、これは持論だが……、

彼のそんな顔は見たくなかった。

私は彼が好きだったからな。


タニマチ:

…………。


キリ:

面白い奴で、愛おしい奴なんだ。

相互理解など幻想だと知ってはいるが、それでも、私は彼を解ろうとし、そして彼にも私を解ろうとしてほしかった。

それだけが、この流氷の孤島で、2人生きていく方法だと結論しているからだ。


タニマチ:

ソレ……、でもね……、

普通の、……弱いヤツには、デキナイっスよ。


キリ:

弱いからこそ、人は人を求めるのではないのか。


タニマチ:

…………。


―常連客はス、と眼を伏せ。


キリ:

しかし、もう、彼の事は良いんだ。

交際関係が解消されたからと言って、彼は彼だし、私は私だ。人間としての、そして研究者としてのリスペクトが失われる事は無い。


タニマチ:

………オトナ。


キリ:

子供でも解る理屈だ。

無論、多少、そこは人情として、引きずるだろうし、気まずくもなるだろうが……、


タニマチ:

悪い噂とか、フイて回らなかったらイイすね。


キリ:

余り懸念していない。彼は大人だからな。

何せ1年長く受験勉強をしているから。

ハハ。


タニマチ:

浪人ハハハ。


キリ:

……、もしや、

こういうのが駄目なんだろうか……。


タニマチ:

ソレって、和ます為にと思って言ってるんスか?

言いたくなっちゃうんスか?


キリ:

半々だな。正直面白いと思ってやっている。


タニマチ:

……まあ、長くなるんで、次また喋るっスわ。


キリ:

うん。明日は教授の学会発表だから、そろそろ帰って入眠しなければ。


タニマチ:

明日っ!?

言ってた学会発表って明日なんスか??


キリ:

そうだが……?


タニマチ:

イイんスか、前日に飲んでて。


キリ:

準備は全て終っているし、発表は午後からだから平気だ。

というか、君が飲めと言うから……、


タニマチ:

言ってナイし、ソモソモここBARなんで。

……まー、大物っつーか図太いっつーか……。


キリ:

研究者には必要な資質だ。ハハ。

……でもそうだな、念の為、水を1杯貰おうか。アルコール代謝によって消費された水分を補填しておこう。


タニマチ:

うーい。


キリ:

常温で頼む。


タニマチ:

あいあい。


―店員は棚からグラスを取り出す。


キリ:

……にしても、私はそれ程、鉄面皮の嫌な女だろうか……。


タニマチ:(水を注ぎながら)

って、言われたんスか?


キリ:

いや? だが、今回の事だけではなく、情報を総合すればそうなるんだ。

嬉しいのか嬉しく無いのか、何を考えているのか判らない、家柄と容姿を傘に着た、高慢で鼻持ちならない、鉄面皮の嫌な女。

悪役だろう完全に。ヒロインを虐める方だろう。


タニマチ:(水のグラスを出しつつ)

妙に人気出たりするパターンだったり。


キリ:

創作物ならね。しかし、現実はそうは行かない。

そういう印象を避ける為の、具体的な方策が必要なのだ。

闇雲な心掛け等は性に合わないし……。


―常連客は水を少量、口に含み。


タニマチ:

んー、……、自己否定的なモチベじゃ無くて、って事スかね。


キリ:

あらぬ誤解を避けたいだけだ。

より良く生きて行く為に。

それが男か女かも判らないが、まだ見ぬレッド・バトラーとな。


タニマチ:

それだと最後、風と共に去っちゃいますけどね。


キリ:

(のち)にまた、復縁したかもね。

何せ現実は物語と違って……、

終わりが無いのだから。


―ニヤリ、と微か、アルカイックに笑む。


タニマチ:

…………、(納得ゆえの短い息)

うん。

まあ、じゃあ……。

なんか例えば、その時思ってる事を、言葉にして出す、ってのはどースかね。


キリ:

言葉にして出す……? どちらかと言えば、私は多弁な方だと思うんだが、


タニマチ:

意外と、カナリね。ドッチかっていうと寡黙ぽいスから。


キリ:

そうなのか……? 印象、というモノだけはサッパリ()からないな。ファッションとも違うようだし。


タニマチ:

まー、ソコはこの際、


キリ:(言葉を継ぎ)

置いといて、あげるから。

言葉に出す、というのを、もう少し具体的に聞かせてほしいな。


タニマチ:

あのー、マジで単純に、短いフレーズで言ってみる、とか。

嬉しい時は「嬉しい」、楽しい時は「楽しい」。

不満がある時は端的に伝えて……、

要はトニカク、感情を口で言っちゃうと。

表情で自然に、とかは、この際思わずに。


キリ:

うーむ……。確かに誤解の余地は少なそうだが。

しかし、これは私の特性によるものだと思うんだが、自分の感情というモノが、リアルタイムではよく判らない。


タニマチ:

ほお、


キリ:

後から遡って考えれば、比較的整理出来るんだが。


タニマチ:

んんー……、

じゃ、例えばですけど、その日の最後、終わりがけとか別れ際に、まとめて言う、ってどうスか。


キリ:

ほう?


タニマチ:

今日はコレコレこういうのが出来て嬉しかった、とか、ホニャララがナンタラで楽しかった、とか。

相手の事好きなら、イチイチ好きって言ってもイイし。顔に出てなくても、言われてイヤな気はしないでしょ。


キリ:

ふむ……。1日の終わりに、レポートを出力する訳か……。

確かにそれなら、過去として整理が出来ている状態で、相手にリリースする形に出来るから……、ふむ、


タニマチ:

ま、そんな上手く行くかはワカンないスけど。


キリ:

いや……、方法論として、決して悪くは無いと思うよ。勿論、トライ&エラーあるのみだが。

これなら、私が得意とする脳の回路で処理出来そうだ。

……一緒にするな、と、また怒られてしまいそうだが。


タニマチ:

してやりゃイイんスよ。

そんなん、他人が決めるようなモンじゃナイんスから。


キリ:

……。

フ、フ。

そう、だな。フフ、ハ、ハ。


―常連客は水を一口飲み下す。


キリ:

水が美味い。酔いが覚めて、なんだか明日は明日の風が吹きそうな心持ちだ。


タニマチ:(伝票に金額を書き入れつつ)

明日は学会発表ですケドね。


キリ:

そこでだって、何が起こるか判らない。

私の立つこの流氷は、海を流離(さすら)う孤高の船のようなものだ。誰が乗って来ようが、屹然(きつぜん)と構えてお迎えしよう。

気丈なるスカーレットの如くね。但し、人種差別は以ての外だが。


タニマチ:

まー、何となく、いつもの調子に戻ったポクて良かったっス。

(切り離した伝票を出しつつ)

1400円なりまーす。


キリ:

む、わかった。


―鞄からサイフを取り出し、中を覗く。


キリ:

……、つかぬ事を訊くようだけれど、


タニマチ:

はい?


キリ:

100円玉9枚と、500円玉1枚で払っても良いだろうか。


タニマチ:

え、あ、あー、全然、いいスよ。小銭いっぱいなんスか?


キリ:

気が付くと溜まっているんだ。コンビニ等では気が引けるし……。


タニマチ:

はい、はい。


―ジャラジャラ、と精算。


タニマチ:

まいどありっス。

んじゃまあ、明日ガンバって。


キリ:

そんな大仰なものじゃないんだ、明日は。

教授もいつもの如く鷹揚(おうよう)だしね。気楽にやるさ。


タニマチ:

ん。電車あります?


キリ:

終電の一本前に乗る。

(腕時計を見つつ)

良い頃合いだ。では、行くよ。


―機能的かつシンプルなデザインの鞄を背負い、常連客は出入り口へと向かう。


タニマチ:

おつかれっしたー。気ィ付けて。


キリ:

うん。おやすみ。

(戸に手を掛けた所で、フと思い出し)

ああ……、早速忘れる所だった。


タニマチ:

どしました?


(ひず)みなき瞳で、店員の眼を真っ直ぐに見据え、表情は移ろわず。


キリ:

話を聞いてくれて嬉しかった。

君と話していると面白くて、つい脱線も多くなるが、それも含めて楽しい。

付き合いが長いのもあって、私の話を程よく受け止めてくれるのも気が楽だ。

君を、一人物として、好きだと思っている。

また話したくなったら来る。今日は、ありがとう。


―数瞬、店員は固まる。


キリ:

……これで、どうだろうか? まだ誤解を生むかな。


タニマチ

…………っ、

(取り繕うように)

い、

っやァーーーーーーっ、

ダイジョブ、なんじゃないスかねェーーーーっ。

うん、うんっ。


キリ:

そうか。流石私だ、飲み込みが早いな。ハハ。


タニマチ:(ぎこちなく)

ハハハハハハ、ハ。


キリ:

よし……、いけそうな気がする。

ではまた、そのうちに。

さようなら。


―スっと、足早に退店。

―ドアベルは冷涼なる海風の如く、名残惜しげに響いている。


タニマチ:

……りがとうございぁしたー…………。


―店内には呆け気味の店員、1人。


タニマチ:(大きく息を吐く)

ふうーーーーーっ…………。


―頬をピシャリと打ち。


タニマチ:

アレは、ベツの誤解生むって。


―暗転。


―タニマチにスポット。


タニマチ:

【本日のカクテルレシピ】

『スカーレット・オハラ』。

■サザン・カンフォート 30ml

■クランベリージュース 20ml

■ライムジュース 2tsp(ティースプーン)

■レモンジュース 2tsp

以上を強めにシェーク。ショートグラスにて、サーブ。


―【終】

―【空白】

―【空白】

―【空白】


―【ボーナス・トラック】

―翌日、店内。

―金髪の女性店員と、パーマの男性店員が会話をしつつ、ドアを潜る。

―開店前。


タニマチ:

だから……、俺だけLINE知らないのがイヤとかじゃなくてさァ、


カスミ:

嫌われてるんじゃないのぉ? ウクク、ク。


タニマチ:

お腹いっぱいだわそのシャレ……。

(荷物の袋をカウンター上に降ろしつつ)

うい、これ荷物、ココ置くでイイ?


カスミ:

んー。ありがと。

ごめん、おつかれ。

……コーラ、飲んでく?


タニマチ:

イイん? 足りる? 今日。


カスミ:

まだストック……、

(確認し)

ん、3本あるから。ボクも飲むし。


タニマチ:

今日の最初の客で全部出たりな。


カスミ:

クフ。糖尿一直線じゃん。


ーコーラ用のグラスを見繕いつつ、釣り銭入れの古い紅茶缶を確認。


カスミ:

え、小銭、(おお)


タニマチ:

あー……、


カスミ:

昨日?


タニマチ:

ん……、そー。

札、何枚かは金庫に、


カスミ:

誰来たの? 昨日。


タニマチ:

……セッタさん、仕事帰りに、寄ってくれたのと、

何か……、たまに、来るヒト。


カスミ:

……、

ふぅーーーーん。


―グラスに氷を汲み、黒褐色の泡立つ糖液を注ぐ。


タニマチ:

そーいう、さァ、なんか、お釣り、今日 (さつ)少ないっスー、とかそーいうのの連絡も、グループとかでさ、


カスミ:(遮り)

キョドってる?


タニマチ:

んっ、や。

……何で?


カスミ:

別に……。

ハイ、コーラ。


タニマチ:(受け取り)

おっ。うん。ごめん。


―ぐ、と、男性店員は飲み下す。

―くんくん、と鼻を利かせる女性店員。


カスミ:

良い匂い……。

誰だっけこの香水、知ってる気がする。


タニマチ:

……、


カスミ:

ちょっと、マリンぽい感じの。


タニマチ:

誰だろな……、

俺ちょい、鼻詰まってて、


カスミ:

訊いてませんケド。


タニマチ:

ん、うん。な。


―何とはなしの無言。静寂。


カスミ:

……今日は?


タニマチ:

ん……、あ、ちょっと、リンドウに、誘われて……。

Submarine(サブマリン)」、行くかも。


カスミ:

へぇ……、珍し。

わかった。


タニマチ:

うん、ナンか、相談ぽい感じの……。


ーぐい、ともう一口で飲み干す。カラン、と、氷が鳴く。


カスミ:

じゃ、おつかれ。荷物、助かった。


タニマチ:

ん……。頑張って。

また、


カスミ:(遮り)

あのさぁ。


タニマチ:

……、おう。


カスミ:

一応、だけど。

…………イイ、からね。

全然。

色々。


タニマチ:

……、

ナニそれ。


カスミ:

何でも。

一応……、ね。


タニマチ:

…………。

別に、そーいうんでは、ナイけど、


カスミ:

何がカナぁ?


タニマチ:

……、


カスミ:

あと別に、「こっち」も。

そーいうのでは、ナイ、デショ。


タニマチ:(一瞬、思案し)

……、そー、ね。


カスミ:

クフ、フ……、


―三日月じみた、笑み。


カスミ:

……お釣りの事とか、さ。


タニマチ:

ん、おー、


カスミ:

共有したいコト、あったら。

ボクにLINEしとけば、飛ばしといてアゲルよ。シイナさんに。


タニマチ:

…………。

や……、つーか、さ、


―何とも言えぬ顔。


タニマチ:

作ろうぜ、早く……。

「猫町」グループLINE。


―暗転。


―【終】

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