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あだ名呼びされると、オタクはチョロい。

 ラノベに出てくる女が、淀川恭二(よどがわきょうじ)は大嫌いだ。


 親身に主人公と接し、肯定し、恋をして。そんな青臭すぎる文章の羅列に辟易して、700円もする本を放り投げる。


 くだらない。そんな青春が、あるわけない。


 ラノベを読む人は、「その主人公に感情移入する」というが、淀川には到底できなかった。なぜなら、現実の自分はそんな都合のいい世界に生きていない。


 高校生になったら、人並みに恋をする事もなければ、ドキドキするイベントもない。高校2年生になった淀川が感じるのは、やたらと難しく感じるようになった勉強への嫌悪感と、到底理解し合えないであろうクラスメイトがいる教室に行く気怠さだけだ。

 今もラノベでも読んで、これから学校へ向かう現実への逃避を図ろうとしたが、現実逃避どころかあまりの気色悪さに現実の方がマシ、と思ってしまったくらいだ。

 もう、古本屋にでも売ってしまうか。何度もそう思ったが、そのラノベはもう2年も淀川の部屋の本棚にしまわれ続けている。


「恭二! 早く起きなさい! 学校遅刻するわよ!」


 ドアの向こうで、母さんが声を張り上げる。言われなくても起きてるよ。アンタが1時間も前にかけてる、昭和歌謡のアラームで。おかげで、ラノベを見る時間ができちまった。気分は最悪だ。


 ふと、頭を触ると、髪が大変なはね方をしていることがわかる。こうなると、鏡を見るのも鬱屈した気分だ。自分がどれだけの寝癖を直さないといけないのか。それを考えるだけで、学校に行く気が滅入る。


 すっかりレンズが汚れた眼鏡をかけると、淀川はようやく部屋のドアを開けた。開けた途端、焼き立てのウインナーの匂いが、鼻腔から腹の虫をたたき起こす。


「……おはよう」

「さっさと食べちゃいなさい。お母さん今日早番だから、戸締りよろしくね」


 父は単身赴任で新潟だ。家にはいない。母はコールセンターでのパート。早番、普通、遅番と、3つも出勤時間があって大変だと、淀川は思う。が、それだけだ。

 ウインナー4本で茶碗一杯のご飯を食べきると、たらたらと洗面所に向かう。そこで髪を濡らし、適当に歯を磨き、ついでに眼鏡のレンズも水で洗う。完全に汚れは取れないが、ティッシュで拭けばある程度はマシになった。


 淀川が制服を着替え終わるころ、母は「じゃあ、行ってきます」と言って先に出てしまう。そして、次の句は「ゴミ、出しといて」だ。

 カバンを背負い、あまり機敏とは言えない動きで、淀川は家を出た。鍵を閉め、マンションの外にあるゴミ捨て場に行かないといけない。今日は燃えるゴミの日だ。


「……やだなあ」


 燃えるゴミの日は、カラスがまれにゴミステーションを陣取っている。そうなると、近くの公園そばにあるゴミステーションまで、ゴミ袋を持って行かないといけない。それが、淀川にはひどく面倒で嫌だった。

 両手に袋を持ってマンションを出ると、案の定カラスが3羽、ステーションの前で袋をつついている。

 そのうちの一羽と目が合った。大きく開いた口腔は、真正面から見ると暗い穴のようで不気味だ。


 そそくさと、淀川はカラスを避けるようにゴミを持って離れる。ここのカラスは、人を襲うような連中ではないが、それでも怖いものは怖いのだ。

 そして、カラス相手に逃げてしまうような自分が、淀川は本当に嫌いである。


 マンションから一番近い公園のゴミステーションまでは、歩いて5分もかかる。たどり着いたところ、幸いにもゴミはそんなに捨てられていなかった。これなら、カラスにぶちまけられることもないだろう。


 ノロノロとステーションの蓋を開けて、ゴミ袋を入れようとしたところで、淀川の目に人影が映った。自分と同じように袋を持っている、自分と同じ学校の制服の女子。


 しかも、見るからに派手な髪色で、アクセサリーもじゃらじゃら。遠くからでも校則違反をしていることは明らかだ。そんな彼女がゴミ袋を持つ姿は、どこかギャップすら感じる。


――――――無視、いや、軽く挨拶くらいはしてもいいか。


 同じ学校の制服を着ているというのに、挨拶の一つもない、というのはどうなんだろうか。いささか、不自然な気がしないでもない。


 ちょっとずつ近づいてくる彼女の気配を、淀川は全神経をとがらせて感じていた。ゴミ袋を捨てるなんてすぐ終わるのに、明らかにノロノロと牛歩して。


 そして、とうとう彼女が目の前にやってくる。


(……あっ、あの、お、おは……)


 それすらも、声に出せなかった。結局、彼女の目の前で淀川ができたのは、硬直した首を何とか動かして、会釈しただけである。


 泣きたかった。もう、彼女の顔すらまともに見ることができない。彼女はきょとんとした顔で、すぐにゴミ袋をステーションへと捨てた。


 言いようもない敗北感に、淀川は打ちのめされた。自分はきっと、このまま一生こうして女性と接していくんだと、そう感じた。

 女にモテることなど、ない。ラノベの主人公のように、陰キャを名乗る者が美少女とイチャイチャすることなど、ない。そもそも、ラノベの主人公など陰キャではない。


 空想にすら敗北して打ちのめされる自分に嫌気がさして、淀川は足早に去ろうとした。人と距離を取ろうとするときだけやたらと素早いのも、陰キャの特徴だろう。


――――――だが、そんな彼の制服の襟を、彼女は掴んだ。


「――――――待って」


 がくんと、身体が揺れて、淀川はぱっと後ろを振り返る。


「どうせおんなじ学校行くんだし、一緒に行こ? ()()()()()


 そう言ってはにかむ彼女、姫道明乃(ひめみちあけの)の顔を、淀川は直視できなかった。


 ちょっと優しくされるだけで、オタクは女の子に恋をしてしまう生き物なのだ。


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