第七話 世界の剣(2)
◇
あれから数日が経過した午後のことである。
直虎は今も古泉に連れてこられたホテルの一室に泊まっていた。そこへノックの音がして、琉歌が部屋に入ってくる。扉を閉めると、琉歌は扉の方を睨めつけて唇を尖らせた。
「相変わらず、私の部屋の前にも直虎の部屋の前にも、警備兵が二人ずついるわね」
「警備と云いつつ、俺たちを見張っているからな」
直虎はそう云うと、琉歌のために紅茶を淹れてやり、二人でテーブルを囲むソファに座った。
現在、日本には対王太郎を想定した魔法使いたちが集結中であり、また各国や各機関がお互いの戦術を確認したり足並みを調整したりということをしているらしい。だが直虎と琉歌はずっと蚊帳の外に置かれてこのホテルに缶詰めにされていた。安全のためというのがその理由だ。琉歌とは自由に会えるし、ホテル内のレストランやフィットネスルームには行けるが、外出はできない。また携帯デバイスは使用できたが、電話の発信には制限があるし、インターネットの閲覧も監視されていた。
琉歌が紅茶のカップを片手に尋ねてくる。
「古泉さんから連絡は?」
「ない。作戦開始まで待ってくれって云われてるけど、いつまで待てばいいのか……」
「もっと迅速かと思ったけど、意外と時間がかかるものなのね」
琉歌はそう云うと、つけっぱなしにしているテレビに視線をあてた。直虎もなんとなくそれに倣い、テレビが流しているニュース番組を見る。こちらはこちらで大変だった。
「お伝えしているように、富士山が火山活動を再開してから今日で――」
そう、王太郎と一戦交え、ヴァイオラが死んだあの夜が明けたとき、富士山一帯で何度も強い地震が連続し、その日のうちに火口から噴煙が上がった。今や富士山はいつ噴火してもおかしくないという話で、周辺からは人が避難している。
――王太郎が世界を滅ぼすかどうかと云うときにこれか。
まるで本当に世界の終わりが訪れたようで、直虎はどうにもいい気分がしなかった。そのニュース番組がCMに入ったところで、直虎の携帯デバイスが鳴った。琉歌が如才なくテレビの音を絞るのを尻目に、直虎は携帯デバイスの画面を見て首を傾げていた。
「どうしたの?」
「……非通知だ」
この携帯デバイスは現在、古泉たちの管理下にある。にもかかわらず、非通知の着信とはどういうことだろう?
直虎が不審に思っていると、ソファから立ち上がって卓を回り込んできた琉歌が云う。
「出てみたら?」
「……そうだな」
どうにせよ、電話に出てみないことには始まらない。そう思って着信を受けると、すっかり聞きなれた男の声がした。
「やあ、俺だよ直虎君」
「王太郎!」
直虎は思わずそう叫びながら立ち上がっていた。とても座ってなどいられない。直虎は混乱に襲われながらも早口で尋ねた。
「な、なぜだ? この端末は現在政府の管理下にある。なぜ普通に電話ができた?」
「俺の仲間がやってくれた。こういう機械や通信関係に得意な奴らがいてね」
「仲間……?」
「それより現在の状況について、君の意思を確認しておきたい。君は今、東京のホテルにいるようだが、なぜそこから出てこない? どうして統一政府の特殊部隊や魔法使いたちを差し向けて、自分は安全な場所にいるという選択をしたんだい?」
「な、なに! どういうことだ!」
直虎は本当にわけがわからず、目を白黒させた。ふむ、と王太郎の声がする。
「俺は今C川の中州にいるんだがね、既に俺を標的とした作戦行動が始まっているようなんだよ」
「な――!」
直虎は稲妻のような衝撃を感じるとともに、状況を一瞬で完璧に理解した。
――出し抜かれた! 古泉め、俺をここに閉じ込めたまま、勝手に戦いを仕掛けたな!
あまりのことに固まってしまった直虎に、王太郎が云う。
「それで念のため確認しておきたいんだが、これは君の意思なのかな?」
「……違う。俺は、俺を含めた全員で戦うつもりだった。だが準備にやたら時間がかかっていると思っていたんだ。まさか俺を置き去りにしておまえに挑むとは」
「全員で、か。俺は琉歌君以外の同行は認めないし、君が世界の剣を使うなら、俺も対抗措置を取ると云ったはずだがね。それとも俺の仲間の力を侮っていたのか? 俺には仲間などいないと思ったのかい?」
「いや、おまえがその手の嘘を吐く男でないことは、俺にももうわかっている。だがこの世界のすべての者には、自らの生存を懸けて、おまえと戦う自由と権利がある。だから彼らがともに戦うと云うのなら、俺にはそれを止めることはできない」
すると電話の向こうでしばらく沈黙があった。
「……ふむ。この世界のすべての者には、自らの生存を懸けて、俺と戦う自由と権利がある、か。たしかに筋は通っているな。そして君が殺され、俺に時術を奪われることを恐れた彼らは、君に断りなく勝手に作戦行動を始めたということか。わかった。そういうことなら俺も反撃は少し待とう。この作戦の指揮を執っているのは古泉という男だったね。今からこの会話に彼の端末を加えてグループ会話に切り替えるから、電話はそのままで少し待ちたまえ」
「ま、待て! 待て! なにをそんな簡単に――なぜそんなことができる!」
「云ったろう? 俺の仲間がやってくれるのさ」
そして実際にほどなくして、直虎と王太郎の通話に古泉が加わった。古泉は最初動揺していたが、次第に黙って王太郎の話に耳を傾けるようになった。
「そちらの作戦行動はすべて筒抜けだし、直虎君の現在位置も把握している。君らがこのまま攻撃を仕掛けて来るなら、俺も俺の仲間たちに迎撃してもらう。その場合、負けるのは君らだ。それでも本当にやるつもりかい? 俺としては無駄な血は流したくない。俺と直虎君の二人だけで、この世界の命運を決めたいんだがね」
王太郎の言葉を最後に長い沈黙があった。直虎がなにか発言すべきだろうかと思ったそのとき、やっと古泉が云う。
「情報戦でおまえが一歩上を行っているのは認めよう。だがおまえがこの世界を相手取って勝てるほどの力を持っているのは信じがたい」
「では、根拠を示そうか。既に報道されている通り、富士山が火山活動を再開し、噴煙も確認されている」
それだけの言葉で直虎はもう嫌な予感にとらわれ始めていたのだが、果たせるかな、王太郎は得意そうに云うのだ。
「このタイミングでそれが起こっているのが、ただの偶然だと思うかい?」
「な――」
さしもの古泉もすぐには言葉が出てこないらしい。そこへ王太郎が得意そうに云う。
「あれは俺が手配したんだよ。直虎君が世界の剣を抜くという選択をした場合に備えて、なにかわかりやすい脅しを用意しておいた方がいいと思ってね。仲間に頼んで、富士山の火山活動を人為的に再開させたのさ」
「嘘だ、そんなことができるはずはない」
古泉の言葉に直虎も同感であった。科学の力で火山を起こすなどできないし、魔法の力を使ったとしても考えにくい。直虎もまた現実を押しのけるように云った。
「おまえの仲間というのは火山の魔法を使えるのか? それで今から富士山を噴火させると?」
「いや、富士山を物理的に消滅させる。火山活動を再開させたのは、富士山周辺から人を避難させるためだ。まあ見ていたまえ」
簡単にそう云われて、直虎はぞっとした。
「おい、王太郎!」
思わずそう叫んだが返事はなかった。直虎は居ても立ってもいられなくなり、携帯デバイスを握りしめたまま部屋の戸口に向かって突進した。
「直虎!」
直虎の携帯デバイスに耳をあてて話を聞いていた琉歌が、慌てて直虎を追いかけてくる。
部屋を飛び出した直虎は警備員の制止を振り切って廊下を駆け抜け、階段を上って最上階まで行くと、西側の景色を望めるレストランに飛び込んで展望席まで行った。ホテルの最上階だから見晴らしはよい。今日もいい天気で、富士山は綺麗に見えた。
「直虎君」
王太郎の声が聞こえ、直虎は急いで携帯デバイスを耳にあてた。そして。
「あと二秒だ」
今までの人生で一番長い二秒が過ぎ去り、次の瞬間、巨大な光りの柱が空から降ってきた。富士山はその光りに呑まれ、光りが細くなってふっつりと消えたとき、もうそこに富士山はなかった。景色が一つ、変わってしまった。富士山の静かな、一瞬の消滅であった。
「え……」
直虎はなにが起こったのか、よくわからなかった。頭が理解を拒んでいた。
だが直虎の隣で同じ光景を目撃していた琉歌が、自分の携帯デバイスからニュース番組につなぐと、そこでは富士山の様子を中継していた取材班に慌ただしい動きがあり、富士山が消えたと戸惑いながら報道している。
直虎はしばらく琉歌の携帯デバイスに目を釘付けにされていたが、そのとき自分の携帯デバイスで古泉が愕然と云った。
「いったいおまえは、なんなんだ……本当に、あの一瞬で富士山の山体を消し飛ばしたというのか? 嘘だろ? 土砂も粉塵も衝撃も振動もなく、静かに消した……?」
「サジタリアスの矢、とだけ云っておこう。そして俺がひとたび号令を下せば、今の攻撃が世界中のどの都市にも降り注ぐ。東京もニューヨークもロサンゼルスも、パリもロンドンも上海もムンバイも、そこに住む人々ごと一瞬で消滅させることができる。これでも俺が世界を相手取る力を持っていないと、そう思うかね?」
話を聞いているうちに、直虎はくらくらしてきた。
「ありえない……こんなことはありえない……魔法の力も科学の力も超えている。これが本当なら、なんでもありじゃないか……」
なにか仕掛けなり、理由なり、原理なりを説明されないと納得できない。それこそ幻術で世界中の人間がたばかられているのだとした方がまだ信じられる。
しかしそのとき、あの謎の単語が不吉な流星となって直虎の脳裏をよぎった。
「オーヴァドライブ……?」
――これが母上が危惧していたこと? 王太郎は大きな力を持っていて、だから一騎討ちでのみ勝利の可能性があると? だとしたら、オーヴァドライブとはいったい……。
「最後の警告だ」
太く使われた王太郎の声に、直虎は息を呑んだ。
「余計な奴らは撤退させろ。直虎君だけでいい。でなくては俺はこの地上を焼き尽くし、仲間とともに直虎君のところへ乗り込んでいくだけだ」
王太郎はそれだけ云うと通話を切ってしまった。
直虎は茫然としたまま、ふたたび朱鷺恵の言葉を思い出していた。
――世界対王太郎という構図に持っていくことはたやすい。しかしそれで王太郎に勝てるのでしょうか? 一騎討ちをした方が、まだ勝てる可能性があるのでは?
まさしく、その憂慮は的中していた。