(6)
そして瞬く間に日々は過ぎ去り、婚礼の日がやって来た。
新郎も新婦も、村人の祝福を受ける為にその日は朝から晩まで急がしいのが常である。そう、『常』であれば。
「リジー!」
聖所の一室を借りて最後の支度を手伝いながら、アンリエッタは顔を青くして悲鳴じみた声をあげた。
「どうしよう? もう村の人達が来ちゃったよ? 相手の人は何処にいるの?」
そんな不安を矢継ぎ早にぶつけても、自分で縫いあげた真っ白なドレスを身にまとったリジーは慌てた様子もなく笑っている。
先程まではリジーの母親も支度を手伝っていたのだが、式に訪れる村人達に挨拶する為に先に式場へ戻っており、今は二人きりだった。
聖所はいつも以上に綺麗に片付けられ、晴れの日にふさわしく要所に花や壁飾りなどが飾られている。
祝福に訪れる村人達もそれぞれ一張羅を身にまとい、残るは式を取り仕切る聖父と新郎新婦を迎えるばかりだ。
今日のリジーはいつも以上に清楚で大人びて見えた。
自作のドレスは当然ながらこの上なく似合っているし、頬は幸せそうな薔薇色、栗色の緩く波打つ髪は綺麗に結い上げられて何処から見ても完璧な花嫁姿である。
対するアンリエッタもお揃いの布で縫われた白いミニドレス姿だ。
通常、花嫁の介添え役は母親や親族の女性がなる事が多いのだが、リジーはアンリエッタにその役目を依頼した。
やった事もないし責任重大だと断ろうとしたのだが、当のリジーの両親からも是非にとお願いされ、さらに先にドレスを縫いあげてからという周到ぶりに結局引き受ける事となった。
──決してドレスに目がくらんだ訳ではない。他の誰かに、そのドレス、もとい役目を譲りたくなかっただけだ。
聖主教会の婚礼は正式なものとなるとそれなりに面倒な決まりや手順などもあるらしいが、ジョイスはその辺りを大幅に端折ったらしく、お陰で教会の事に関してほぼ無知なアンリエッタでも幾度か練習すれば何とかなる程度になった。
曰く──その教えが完全に浸透している訳でもないし土地によって伝わるやり方もあるのだから無理に倣う意味はないよ、との事だそうだが、一応儀式的なものなのにそんなに緩くて良いのだろうかとアンリエッタの方が心配になったくらいだ。
そんな訳で式に関しては準備万端、全て整っている状態だ。ただ、新郎がこの期に及んでもまだ姿を見せないだけで。
その頃、式場で待つ村人達も落ち着かない気持ちでいた。彼等もすでにリジーの相手が不明である事を知っており、新郎らしき姿が見えない事に動揺しているからだ。
「リジー、笑っている場合じゃないと思うんだけど!」
心配を通り越して怒りだすアンリエッタに、リジーはさらに軽やかな笑い声をあげるとゆっくりと立ち上がった。
その動作に続くようにざわついていた式場がふと静かになる。
慌てて扉の隙間から外の様子を見ると、祭壇の下にジョイスがいつもの真っ白な服で佇む姿が見えた。いよいよ式が始まるのだ。
血の気が引く思いのアンリエッタを他所に、リジーが手編みのレースで包まれた手を差し伸べる。
「え、で、でもまだ……」
「大丈夫。さあ、行きましょう。もうすぐ答えがわかるわ」
+ + +
花嫁の手を引き、ゆっくりとした歩みで祭壇の方へ導く。そうしながらもアンリエッタの頭は不安でいっぱいだった。
リジーは大丈夫と言うが、一体新郎は何処にいるのだろうか。まさか何処かに隠れて出番を待っているとでも言うのか。
(やっぱり無理矢理にでも聞いておけば良かった……!)
そんな後悔をしながら、アンリエッタは練習の倍はのろのろとした歩みで進む。少しでも時間を稼がなければと思ったのだ。
おそらくその不安は見ている村人達にも伝わっており、徐々にだがまた小さなざわめきが生まれ始めている。
一体どうしたらいいのだろう。どう考えても自分のせいではないのだが、アンリエッタは泣きたい気持ちになった。
どんなに歩みを遅めた所で控えの間から祭壇まではさして距離はない。ついに祭壇で待つジョイスの前に辿り着いてしまう。
絶望的な思いでジョイスを見上げれば、彼も困ったような、落ち着かないような雰囲気を漂わせているように感じられた。
(ほら、聖父様だって困ってるじゃない……!)
ちらりと視線をリジーに向けるが、こちらはいたって普段と変わりのない笑顔だ。リジーに対して腹を立てた事など今まで一度もないが、今回ばかりは度が過ぎている。
本来ならここで一度控えるべきなのだが、アンリエッタは逆にぎゅっとリジーの手を握り締めた。
こんなにも心配しているのに、リジーはどうして平然としていられるのだろう。こちらの気も知らないで、あまりにも理不尽だ。
そんな思いがついに限界に達し、自分の立場や状況を全て忘れてアンリエッタは叫んでいた。
「リジー! 一体どうなっているの? あなたの旦那さまって何処にいるのよ!」
その一言で一気に式場がどよめきに包まれた。荘厳さも静粛さもあったものではない。
式を台無しにしている自覚はあったがもう引っ込みがつかなかった。
リジーを信じたい──そう思う一方で、アンリエッタの感情はここまで来ても姿を見せない新郎に向けられていた。
これでのこのこと現れたとしたらどうしてくれようか。何処の誰かはわからないが、文句の一つ、いや一発くらいは殴りつけても罰は当たらないだろう。
ここは神聖なる場所ではあるが、正義の象徴である聖主ならばきっとアンリエッタの行いを許してくれるだろうし、村の男なら頑丈だからそれくらいは問題ないはずだ。
「落ち着いて、アン」
場を宥めるようにリジーが静かに口を開く。
「落ち着ける訳がないでしょ! 一体──」
どうする気なのかと問い質そうとしたその時、リジーはするりとアンリエッタからその手を引き抜くと一歩足を踏み出した。
そして──。
「大丈夫。心配しなくてもわたしの旦那さまならここにいるわ」
そのまま祭壇に立つジョイスの横に寄り添うと、花が開くように満面の笑みを浮かべた。
「……へっ?」
アンリエッタの間抜けな声が響く中、申し訳なさそうに苦笑するジョイスと幸せそうな笑顔を浮かべるリジーが視線を交わす。
(──それって、まさか……まさか!)
その瞬間、式場は完全に静まりかえり、次いでほぼ同時に村人達は全員驚きの声をあげる事になったのだった。