(5)
それから数日後。
いつものようにリジーの家を訪れたアンリエッタの表情は暗かった。まさにどんよりとした曇り空のごとしだ。
結局、リジーの未来の夫となる人物の手掛かりは何一つ得られないまま。そのせいでアンリエッタはどんどん悪い方へ考えが向かう事を止められずにいた。
ジョイスの言葉で相手が外の人間である可能性も出てきたが、仮にそうだとするとリジーが何一つ教えてくれないというのも不自然に思えた。
何処そこの某程度の紹介くらいはしても問題はないではないか。何しろ、アンリエッタは今まで一度も生まれ育った村から出た事がないのだ。名前を聞いた所で会った事も見た事もない人間の事などわかるはずもない。
それに結婚式は村の聖所で挙げるようだが、相手が村の外の人間ならリジーはその後どうするのだろう。普通なら夫に従って村を出て行ってしまうのでは?
そう仮定してここ数月ばかりを思い返しても、リジーの家でそのような準備をしている様子はなかったし、リジーの両親も特に普段と変わった様子は見せなかった。
──ではもしかすると、夫となる人物は結婚後にこの村で暮らす予定なのだろうか?
それならまだ納得出来る気もしなくもない。だが、あまり現実的ではないとアンリエッタは自分で己の考えを否定した。
この村はそこまで排他的ではないが、いきなり馴染みのない土地──しかもこんなど田舎──に飛び込んで暮らすのはなかなか勇気のいる行動だと思う。
その辺りは人それぞれなのかもしれないが、アンリエッタは他でもない父のセオールが元々村の人間ではなく、ジュリアとの結婚の際に相当な苦労をした事を幼い頃から繰り返し聞かされてきていた。
アンリエッタが生まれる前に亡くなったジュリアの父は特に『石頭』だったそうだし、可愛い娘を嫁に出す相手としてセオールは余程頼りなく見えたのだろう。
聖父のジョイスだって、人柄もさる事ながら先代が馴染んでいたからこそすんなり村に溶け込めた事は否定出来ない(先代は教会への理解もまだなくてセオール以上に苦労したらしい)。
ならばやはり村人の誰かなのか。
何となくリジーと釣り合う年代の男達の顔を思い浮かべ、頭の中でリジーと並べてみる。
だがやはりしっくり来る組み合わせはなかったし、そのほとんどがリジー以外に良い仲の相手がいる面々ばかりだった。
疑問はそんな風に堂々巡りになり、ぐるぐると考えた結果、最後に行き着いたのは一つの不安だった。
──本当にこれはリジーが望んだ結婚なのだろうか。
もしかすると望まぬ結婚だからリジーはぎりぎりまで話してくれなかったのではないか。
そう言えばまったく盲点で聞いていなかったが、相手が必ずしも初婚とは限らないのだ。何処かで見染められて後妻に、といった流れもまったくない訳ではない──と近所のおばちゃん譲りの知識が告げる。
打ち明けてくれた時の笑顔に嘘は感じられなかったが、あれでリジーも農村の女だ。いざという時は気丈さを見せるだろうし、必要ならば嘘だってつくだろう。
(……ううん。たとえそうでも、あたしはリジーの味方だもん)
嫌な想像を振り切るようにアンリエッタは自分に言い聞かせる。そうだ、相手がどんな人間でも良い。最終的にリジーが幸せになるのなら。
「……アン? なんだ、来ていたのね。なかなか来ないからどうしたのかと思ったわ」
「リジー……」
玄関先で悶々と考え込んでいると、当のリジーが扉の中から顔を出す。普段通りならとっくに訪れているアンリエッタが頃合いになっても来ないので様子を見に来たようだ。
いつもの元気が見当たらないせいかリジーが心配そうな顔になる。アンリエッタは慌てて笑顔を顔に貼り付けた。長い付き合いなのでわかってしまうだろうが、こんな事で変な心配はかけたくない。
「こ、こんにちは! 遅くなってごめんね」
「何かあったの?」
「ううん、何でもないよ」
「そう……?」
リジーは納得していないようだが追求はして来なかった。おそらくリジーもアンリエッタの様子がおかしい理由を薄々察しているのだろう。
リジーの後に続いて部屋に入ると甘い香りがした。今日もお菓子を用意してくれていたようだ。
そう言えばと今更ながらにアンリエッタは思い至る。
(結婚してからもこんな風に習いに行ってもいいのかな……)
作りかけの冬用の布団は縫い始めたばかりだ。まだまだ発展途上の腕前ではあと二月足らずで完成出来るとは思えなかった。
村で暮らすなら今まで通り通う事も出来るだろうが、万が一、リジーが村の外へ出てしまうとしたら。その場合はこんな風に裁縫を教えてもらえるのも結婚するまでだろう。
「ねえ、リジー」
「なあに?」
「その、……結婚してからも、お裁縫を教えてくれる……?」
アンリエッタの問いかけに、リジーは不思議そうな顔をした。何故そんな事を聞くのかわからないといった様子だ。
その反応にアンリエッタは安堵した。鎌をかけるつもりではなかったが、結果的に一番気になる事への答えを貰ったようなものだ。
「何を言っているの。当然じゃない」
言葉でもリジーは安心させてくれる。良かったと胸を撫で下ろせば、逆にリジーが問い返してきた。
「どうしてそんな事を? 誰かに何か言われたの?」
「えっ。そうじゃないよ。ただ……、いいや、もう聞いちゃえ。もしかしたらリジーと結婚する人は村の外の人じゃないかと思って。……違うよね?」
「ええ、彼はこの村の人よ? なんだ、そんな事を考えていたのね。それならそうと先に言うわ。何故そう思ったの?」
問われてアンリエッタはどうしても相手の事が気になってあちらこちらで聞き回ったこと、誰もそれらしい相手を思いつけなかったこと、誰も知らないという事は外部の人間ではないかと思ったこと、そしてもしかしたら望まぬ結婚なのではと考えた事を正直に全て話した。
それを聞き終えると、リジーはぎゅっとアンリエッタを抱きしめた。
「リジー?」
「意地悪してごめんなさい。アンがそんなにわたしの事を心配するなんて思わなかったの。……本当はね、旦那さまになる人もずっと黙っているのは心苦しいって言っていたの。だけど……、ちょっと悪戯心が湧いてしまって。みんなを驚かせたくてひっそり準備していたのよ」
どのつく田舎は本当に変化という変化がない。村人達は皆顔見知りで、日々は平穏で平凡で、同じ事の繰り返しが多い。
だからこそ冠婚葬祭は数少ない非日常であり、祝い事は一種の『娯楽』でもある。
みんなを驚かせたいというリジーの気持ちはアンリエッタにも理解出来るものだった。
「じゃあ、嫌なのに結婚するとかじゃないのね?」
「もちろんよ。心配いらないわ、アン。わたしは彼がとても好きで、一緒に人生を歩みたいと思ったから結婚するの」
いつも通り優しく微笑むその顔は、けれどアンリエッタの知らない顔だった。おそらく、彼女の伴侶となる人だけに見せていた顔なのだろう。
ほんの少しだけ妬けたけれど、同時にアンリエッタにだけ見せる顔もあったはずで、リジーが多くの思い出と時間を共有した相手である事には変わりない。
「やっぱり、教えてくれないの?」
多分教えてくれないだろうなと思いながら尋ねれば、リジーはにっこり笑ってもちろんよと答える。
「ここまで来たら最後のお楽しみよ。アンだって一番の好物は最後に食べるでしょう? あ、ちなみに今日はビスケットよ。良い蜂蜜を分けてもらったの」
何かまたしてもうまく誤魔化されている気もしたけれど、リジーが楽しそうなのでアンリエッタは仕方ないなと頷いた。
最後にお楽しみを取っておく──それはリジーも一緒だからだ。