(3)
「父さん! リジーが結婚するって知ってた?」
「おや。アンは知らなかったのかい」
会合から帰宅するなり噛みつくような勢いで詰め寄る娘に、セオールは驚く様子もなくのほほんと答えた。つまり知っていたのだ。
代わりに布地の買い付けを請け負ったのだからそう答える事は想定内だ。ならば、とアンリエッタは次の質問を繰り出した。
「じゃあ、リジーの旦那さんになる人って誰か聞いてる?」
セオールは虚を突かれたように目を丸くした。
「いや……? 婚礼衣装用の布は頼まれたがそこまでは聞いていないな」
「そうなの……」
そこまで期待はしていなかったしそう返して来るだろうと思ってはいたが、予想通り過ぎてがっかりする。
セオールは嘘をつくのが壊滅的に下手だ。目が不自然に泳いだり、いつもゆったりとした口調なのに早口になったりする。
平常運転のこの様子だとリジーに口止めされているという訳でもないようだ。
──リジーの夫になる人物は誰なのか。
リジー本人の口を割らせるのは困難だと判断し、セオールが戻るまでに近隣のおばちゃん達に結婚の事はぼかして聞き回ったのだが、誰もが首を横に振った。
リジーなら嫁の貰い手はいくらでもいるだろうけど、その相手となるとこれという特定の人間は思い当たらない、と。
リジーの事ならアンの方が知ってるんじゃないの? という言葉に地味にダメージを受けながら、最後の頼みの綱でセオールに尋ねたのだが、結局収穫なしのようだ。
アンリエッタの沈んだ表情にセオールは不思議そうな眼を向け、そっと頭を撫でてきた。
「どうしたんだい、アン。随分落ち込んでいるね」
「……うん」
そう、落ち込んでいる。
本当は理解しているのだ。リジーにだって、誰にも話したくない事はあるだろう。それが結婚相手の事だっただけで、アンリエッタにだけ秘密にされている訳でもない。
それでも──何となく距離を置かれたようで寂しい。
名前も顔もわからない『未来のリジーの夫』にリジーを突然取られてしまったように思えるのだ。
アンリエッタの様子に人の心に聡い所のあるセオールはしばし思案した後、ゆっくりと口を開いた。
「アン、リジーはいつ式を挙げるんだい?」
「来月……、《エミエルの恵み》が始まる前って言っていたわ。その頃なら農作業とかも一段落ついてるからって……」
「そうか。じゃあ、リジーはこの村で式を挙げるつもりなんだな」
その言葉に首を傾げる。一体何を言いたいのだろう。
アンリエッタの物言いたげな視線を受け、セオールは続ける。
「今日の会合でも結婚話はいろいろ上がっていたが、リジーに関してはそういう話を聞かなかった。そんなに近い話ならとっくに村長へ話がついているはずだね」
確かに大抵の村人は結婚式を村の中心にある広場を借りきって行う。お披露目も兼ねているからだ。その際、セオールが言うように事前に村長へ許可を得なければならない事になっている。
何しろ皆同じような時期に式を挙げるので、偶さか式が重なりでもしたら小さな農村で場所と参列者の取り合いが発生してしまうのだ。
だがリジーをよく知るアンリエッタは、彼女が広場の許可を取っていない事に何も疑問を感じなかった。
「リジーは多分、他の人みたいに広場で式は挙げないと思うわ」
その言葉にセオールは心得たように頷く。
「そうだね。父さんもそう思った」
「……? なら、どうしてそんな事を言ったの?」
「アンが手掛かりを一つ忘れていると思ったからね」
「手掛かり?」
本当に先程から何を言いたいのだろう。セオールはたまにこういう言葉遊びのような物言いをする。
普段はアンリエッタも問答めいたやり取りを楽しむが、今はそういう気分ではない。一体、リジーの式を行う場所に何の手掛かりがあると言うのか。
(……式の、場所?)
「あっ!」
思わずアンリエッタは声をあげた。
今までに尋ねた人々以外に、この件で詳細を知っていそうな人物がもう一人いる事に気付いたのだ。
「そうか、聖父様!」
アンリエッタの言葉にしたりとばかりにセオールは頷く。
そう、リジーが広場で式を行わないと思ったのは彼女がとても『信心深い』からだ。実はリジーのその性質はとても珍しいものだったりする。
アンリエッタ達が暮らす大陸に限らず、大部分の人間があまり信仰心というものを持っていないのだ。
強いて言えば創造神たる女神エミエルを信仰しているとも言えるが、特別に祭日がある訳でもないし、収穫祭などで感謝や供物を捧げはするが、特定の神殿のようなものもなければ神官のような者もいない。
向けられる感情は敬愛でなく一種の畏怖であり、『神』と呼ばれてはいるが日常に根差した身近な存在なのだった。
もちろん、それには相応の理由がある。
──何故なら、女神エミエルは清濁併せ持つ神。
正しいものも悪いものもどちらも等しく生み出した結果、今の世にほとんど記録や痕跡が残っていないが、この世界は血で血を洗うような暗澹たる時代を幾度も、それこそ数え切れないほど迎えたと言い伝えられている。
ヒトに命を与えたのもエミエルなら、その身を蝕む病や凶暴な獣、時に脅威となる闇の生き物達を生み出したのもエミエルだし、最後に死を齎すのもエミエルである。
結果として女神エミエルは神聖なものとして扱われる事はなく、一種の自然現象──ただ生み出し刈り取るものとして扱われているのだった。
リジーが信仰するのも当然ながらエミエルではない。
遥か海を隔てた大陸で生まれた、《聖主》を奉る教会の宣教者がこの辺境の村に訪れたのは、今からニ十年ほど前──まだアンリエッタもリジーも生まれる前──の事だったそうだ。
聖主とは大昔に《魔王》と呼ばれた魔族の王を苦難の末に倒し、人々に光の時代を与えたとされる人物の事だ。《救世主》あるいは《選ばれた者》と呼ばれる事もある。
その物語は少々内容を異にしながらも各地で伝わっている有名な英雄譚で、大抵の子供達は寝物語にそれを聞いて育つ。
実在したとされる彼の死後、その功績と教えを讃え、人々を正しい方向へ導き続けようと興ったのが聖主教会である。
聖主の話は知っていても、それをありがたく思うかはまた別問題だ。
当初は先々で胡散臭がられた。田舎ほど余所者に対して排他的なのだから当然の事だ。だが、宣教者達は最終的には歓迎され、その地に拠点である聖所を営む事を許された。
と言うのも、彼等が他の誰にも出来ない、ある特殊技能を有していたからである。
リジーは以前、その特殊技能によって命を救われた。
それ以来、リジーは足繁くという程ではないものの他の村人よりは熱心に聖所へ足を運び、今ではそこの主である聖父だけでは行き届かない雑事の手伝いをしている。
聖主教会の総本山は何百年もの歴史があり実に壮麗なのだそうだが、村の聖所は村人達の善意から建てられたものでそこまで古くはないがかなり簡素な建物だ。
それでも数年ほど前から村人が希望する形で聖父の立ち会いの元に葬儀や結婚式を執り行うようになっていた。
そこを預かる聖父の人柄と聖所に満ちる独特の神聖な雰囲気がそうさせるのだろう。リジーもおそらくそれを希望する一人になかった。
「明日、聖所に行ってみる!」
意気込む娘を優しい目で見つめ、セオールはところで、と口を開いた。
「アンはリジーの相手を知ってどうしたいんだい」
「え?」
「リジーも意地悪で教えなかった訳じゃないだろう。何か理由があるはずだね。それでも知りたいのかい?」
「それは……」
確かにセオールの言う通りだ。隠している事を一方的に暴いて良い理由などない。それでも──。
「……リジーは特別なの。絶対に幸せになって欲しいんだ」
反対するような人ではないと言っていたけれど、リジーは根っからの善人だ。彼女にかかれば少々難のある相手でも『良い人』になるだろう。
リジーが選んだ相手にケチはつけたくない。だが『恋は盲目』と言うではないか。
アンリエッタは亡くなった母が遺した言葉を思い出す。
──いいわね、アン。顔だけの男は絶対にダメよ。
──顔が良い事を自覚している男はもっとダメ。不幸の元だからね!
──見た目で人を選ぶ男もダメ。女の敵よ……!
母はその見目でいろいろと苦労があったようで、自分に似た娘のアンリエッタによくそう語っていた。
幼い頃はよく意味のわからなかったそれは、今もしっかりとアンリエッタの男性観に根付いている。
リジーが見目で人を選ぶとは思わないが、相手がリジーを見た目や家庭的な部分だけで選んだ可能性はないとは言えない。
それにまだ相手が村の人間であるとは決まっていないのだ。村の男達ならまだ人となりもわかっているが、村の外の人間ならわからない。
考えたくもない事だが、ひょっとしたら甘い言葉で人を誑かすような人間だとも限らないではないか──。
「リジーに見る目がないなんて思ってないよ。ただあたしがこの人なら大丈夫、って安心してお祝いしたいの!」
何も知らない(リジーから話は伝わっているだろうが)向こうからすればとんだ小姑振りである。だが心からリジーの幸せを案じている事は確かだ。
アンリエッタの主張に、セオールはこれ以上何も言っても無駄だと思ったのか軽く肩を竦めた。