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 初夏も間近な、うららかな昼下がり。

 その日もアンリエッタは実の姉のように慕っている幼馴染のリジーの元へ行こうとしていた。

 父譲りの金髪と祖母譲り(らしい)の野苺の瞳を持つアンリエッタ・ラティーノは現在十ニ歳。

 草木の汁で染めた飾り気のない服に少し草臥れた前掛けを着け、肩より少し長い髪を二つに分けて編んだ姿はごくありふれた村娘そのもの。

 だが、見かけた者はその目を奪われる事だろう。と言うのも、かつて村一番の美人だったという母ジュリアの血か、黙って歩いていれば結構な美少女に見えるからだ。

 そう、『見える』だけである。事実、この村の全ての人間がアンリエッタの中身を知っているのでその外見で得した事は一度もなかった。

 派手な見目とは正反対の、真面目で現実主義者な頑固者。

 アンリエッタとしばらく付き合った人間はほぼそういう感想を抱く。

 実際、アンリエッタは同世代の少女達と比べると非常に利発で物怖じもしないし、間違った事が大嫌いだ。

 それは良い言い方をすれば『年の割りにしっかりしていて自立心が旺盛』となるが、逆を言えば『生意気で口達者』とも言える。

 アンリエッタを擁護するなら、当然ながら彼女も最初からこうだった訳ではない。

 真面目なのは生まれついての性格だが、やたら現実的になったのは五年ほど前に母が亡くなり、家事を担うようになってからだ。


『あたしがしっかりしなくちゃ死ぬ!』


 ──大げさのようだが前触れもなく母が帰らぬ人になった事により、実際にそんな切羽詰まった状況に陥ったのだ。

 料理に洗濯、それに掃除、さらには日々の糧を得る為の農作業などが幼いアンリエッタの身の上に一度に降りかかったのだから。

 共に遺された父のセオールは村で数少ない読み書きの出来る人間であり、さらに家畜を世話させれば村でも一、二を争うが、それ以外は不器用──すなわち一般的な生活的能力に欠けていたのだ。

 当初は愛する娘の為に彼なりに努力していたが、人には向き不向きがあるのだという事をアンリエッタが学ぶ結果となった。

 誰にでも出来そうな家事だが、努力と技術の積み重ねだけではどうにもならない人もいるのだ。

 その為、アンリエッタはそれこそ自分達が生きる為にあらゆる技術を体得した。

 まずは食べねば生きられない。

 母が亡くなった時期が悪く、収穫の季節を外しており、しかも前年が歴史に残る程の不作で備蓄や保存食が僅かに残るばかりだった。

 どうやって食料を確保するか。それが最初に立ちはだかった問題であった。

 幸いにもアンリエッタの暮らす村は山間で、知識さえあれば山の恵みを手に入れる事が出来る。

 そこでアンリエッタは山に入る村人に同行し、山野草の知識を教わる事にした。

 知識だけならセオールもあるが、残念ながら彼は本などで仕入れた知識を現物と結び合わせる事もあまり得意でなかったのだ。

 同行をせがんだアンリエッタに、村人達は最初は危険であるからと渋面を隠さなかった。十かそこらの子供がそんな事を言い出したなら当然の事だろう。

 だが、事情を理解すると流石に大人が同行しなければ山には入れてはくれなかったものの、彼等は親身にもその知識を分け与えてくれた。

 その時期に採れる茸や木の芽、木の実。そのまま食べられるもの、加工が必要なもの、毒があるもの、見分けが難しく素人が採るには適しないもの──おそらく幼い子供には過ぎた知識まで。

 卵や乳はセオールが育てた家畜が毎日良質のものを提供してくれるので、当面食いつなぐ事は何とか目処がついた。

 後はこれらに調理という加工を施せば良い──が、その加工方法は当然ながら我流だ。

 亡き母が元々そこまで凝った料理をする人でなかったせいでもあるだろう。横で見ていた記憶を頼りに、切って焼くとか煮るくらいなら人の世話を受けなくとも出来ると思ったのだ。

 ──結果だけを言えば、それは決して過信ではなかった。

 だが、習うより慣れろの精神で作るアンリエッタの料理は、味はそこまで悪くなくとも見た目が非常に悪い事となった。

 当初は当然、味も見た目通りにひどいものだったのだからこれでも格段の進歩だと言えるだろう。

 洗濯は共同の洗い場でおばちゃん達に教わったが、最初はコツが掴めずに汚れを落とすどころか、干す時に落としたり、力加減がわからずにボロボロにしてしまったりもした。

 だが今ではコツを掴み、大物を干す時はセオールに頼るが、それ以外は問題なくこなせる。生来のがさつさでシワ一つなくとは行かないが、汚れは落とせているのだから問題ない。

 畑仕事はセオールと分業している。家畜同様、『育てる』事にはたぐいまれな才能を見せる父のお陰でここ数年は豊作だ。

 アンリエッタの仕事は母がかつてそうしていたように、心を鬼にして悲しそうな彼の目の前で育った野菜達を容赦なく収穫する事くらいだ。

 このようにして母を喪った危機を周囲の協力を得ながら死に物狂いで乗り越えた結果、何処に出しても恥ずかしくない立派な一家の主婦(代理)となったアンリエッタ。

 今では同じ年頃の少女達よりも、現役主婦のおばちゃん達との会話の方が盛り上がる有様である。

 だが、そんなアンリエッタにもたった一つ苦手とするものがあった。

 それは裁縫。

 日常的に使うあらゆる布製品──衣服を筆頭にシーツやカーテンといった物は、辺境一歩手前の田舎では既製品などほとんどなく基本的に全て手作りである。

 そもそも田舎ほどそうした技術は料理等と共に祖母や母などから娘へと伝わるのが常なのだが、当の母がろくに伝えないままに帰らぬ人になってしまったのだから仕方がない。

 最初は料理同様、独学で挑戦してみたのだ。だがしかし、裁縫は予想以上にアンリエッタの手に負えるものではなかった。

 針先で何度も指を突き刺した結果、微妙に血染めになった鍋敷き(予定)を手に、自力では無理だと判断したアンリエッタは数件先の家──幼馴染のリジーの家へと走ったのだった。

 リジー・バマルはアンリエッタの五つ上で、現在十七歳。子供の頃から手先が器用で家事は万能、裁縫に至っては自分や家族の服を自ら縫うほどだ。

 そんなリジーなら自分を助けてくれる──そう思った事は間違いではなく、リジーは傷だらけのアンリエッタの手を手当てをしながら、裁縫を教える事を約束してくれた。

 それ以来、数日に一度は裁縫を習いにリジーの家に通う日々が続いている。

 今日は先日から作り始めた冬用の掛け布の続きを縫う予定だ。冬用の生地は厚く、さらに言えば初めての大物だが、リジーの教え方も良いのだろう。今のところは順調で冷え始める秋口までには間に合いそうだ。

 うまく出来たら父に贈ろうとアンリエッタは心に決めていた。何故ならセオールはかつて母が縫った、今ではすっかり擦り切れた夏用の掛け布を数枚重ねて使っているのだ。

 母の思い出の品である事はわかっているし、これから夏に向けて気温が上がるので当分は大丈夫だとしても、本格的な冬の冷え込みにはやはり心許ない。

 少し頼りない所はあっても唯一の家族である。いつも笑顔で人当たりが良く、村人からも慕われる賢い父をアンリエッタは心から敬愛していたし大切に思っていた。ひ弱そうな見た目によらず頑丈な人ではあるが、風邪などひいて欲しくはない。

 今日は何処まで縫い進められるだろう、暑くなる前に大まかな所まで仕上げられるといいのだけど──そんな事を考えながらいつものように大して距離のない道を歩いていると、今日は常と異なり背後から聞き覚えのある声が追いかけてきた。

「おおい、アン! ちょっと待ってくれ!」

 声の主は昨日、所用の為に出かけていたセオールだった。そろそろ帰って来る頃ではあるが、往来で呼び止められる理由を思いつかない。

 怪訝に思いつつも立ち止まったアンリエッタの元へ、セオールは謎の包みを抱えて駆け寄ってきた。

「父さんお帰り。今帰ったの?」

「ああ、ちょっと前にね。それよりアン。これからリジーの家かい?」

「そうよ」

 答えつつ、アンリエッタの目は父の手に抱えられた物に向けられる。頑丈そうな紙と紐に包まれた細長く平べったい包みで、一見した所では中身はまったくわからない。

 セオールは月に一度、少し離れたこの地方で一番大きな街へ泊まりで出かける。

 村で作られたチーズやジャムといった農産物の加工品を売りに行き、相応の金銭を得てくるのだ。

 基本的に村の物流は原始的な物々交換が主流だし、通常時は金銭などあってもさほど役に立たない。

 だが、村にないモノを手にいれようと思うならそれは必須だ。そうして得た蓄えは、例の大凶作の時にも大いに役立った。

 何故セオールがそれを一手に任されているのかはアンリエッタも知らないし、留守番するのは寂しいが、とても大切な仕事なのは理解している。それにたまにちょっとした土産も買ってきてくれるので、楽しみでもあるのだ。

 抱えている包みもそうした物なのだろうが、それにしては今回の包みはやけに大きい。

「丁度良かった。これも一緒に持っていってくれないか」

 そう言いながら手渡されたのは当の包みで、受け取ると予想以上に重かった。

「お、重……っ、父さん? これ何?」

 目を白黒させる娘に、申し訳なさそうな顔で父は頼んだ。

「リジーからの頼まれ物なんだ。直接届けに行こうと思っていたんだが、父さんはこれから会合に行かないとならなくなってね。悪いが代りに持って行ってくれないかな。きっと心待ちにしてるだろうからね」

「リジーの? わかった、ついでだもの。いいわよ」

「済まないね。じゃあ頼んだよ」

 余程急いでいたのか、それだけ言い残すとセオールは村長の家の方角へ小走りに立ち去った。

 村の男衆はとても仲が良く、何かあれば会合を設けるのでそんな姿は珍しくはない。父の背を見送りながら、アンリエッタは毎度のように一体なんの会合だろうかと考える。

 世界地図は元より大陸地図にだって載らず、国の全体地図になってようやく名前が載るか載らないかの小さな農村で何をそんなに話し合う必要があるのかアンリエッタにはよくわからない。

 仲の良いおばちゃん達は、話し合う振りをして酒盛りでもしているのだろうと言っているが、戻ってきた父が酒気を帯びていた事はほとんどなく、かと言って真面目に話し合いをしているにしては村の何かが大きく変わる訳でもないので謎だ。

 アンリエッタは軽く肩を竦めると、再びリジーの家に向かって歩き出した。大人の世界には自分の知らない色々な事があるのだろうと思いながら──。


 ちなみに、村長の家での謎の会合が村の男達総ぐるみの賭けの伴う大カードゲーム大会である事が露見し、各家庭で大冷戦が勃発するのはそれから数年後の事である。

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