白詰草
麗らかな春の日とは程遠いほど、今日は暑い。うんざりする程とは言い難いが、俺には合わないと感じる。
新学期を迎え、俺はまた聡と同じクラスになった。高校では初めての事だが、彼は幼馴染である為、小中からとなると何回目か覚えていない。
「よ、翔馬。」
「朝ぐらいおはようって言ってくれないのか?」
毎日のやりとりがこれで始まる。俺は人の性格とかをうるさく言うつもりは無いが、挨拶が抜けているのは些か不自然だと思う。まぁ、それが聡という一人の人間だろう。あと、俺がとやかく言わなくともつつく人がいるのだ。ただ、あの人が来ると少々厄介なことになる。
「そうですよ。挨拶は基本なんですから。それをしないというのは、人としてどうかと。」
あ、来てしまった。まぁ、誰よりも早く学校に来ているらしいから、何処かで耳にしていても不自然ではないが、それだったら他の所に注意が向かないのかと思うのだ。
別にいいじゃないかと言いたげな顔で、聡は美咲の方に目を向けた。それを見た彼女はやれやれという感じで首を振る。
美咲は結構な神経質というより、堅物だ。こんな言い方では良い印象がない感じになってしまうが、良識さえあれば普通に関係を作れる人なのだ。周りからは「まともに話が聞けるだけでも自慢になる」と言われる始末。俺はそうは思わないが。
聡、美咲とたわいない話をしていると、チャイムが鳴る。美咲は既に自分の席に着いているが、聡は今からという具合だ。結局、一人でいることには失敗したが、もう慣れてきている自分がいるため、少し諦めている。
一限目が終わり、次の授業の準備をしていると、後ろの戸からノックの音が聞こえた。もともと廊下側に近い所に俺の席があるため、結構聞こえてくる。しかも、それは独特の叩き方をしている。印象にも残るし、何しろこのノックをする人に思い当たりがある。
俺はすかさず戸を開けると、そこには隣りのクラスになった浅倉凛がいた。
「あっ、こ、こんにちは。」
凛は少しおぼつかない様子で挨拶をした。俺は口元を緩め、挨拶を返す。ようやく落ち着けたのか、凛はほっと一息ついた。
「でも、どうして」
俺が言い切る前に、美咲が凛の存在に気づき割り込んだ。
「あら、浅倉さん。」
「美咲さん!」
美咲の声に反応して、凛も声を掛けた。俺と対応が違う理由は詳しくは分からないが、あまり深くは追わない。人間、そういうものだろう。
「そういえば、さっき鬼頭さんが言いかけたことって、何ですか?」
「あぁ、どうしてこっちに来たかって訊きたかっただけだよ。気にしてくれなくても良かったんだけど。」
そうだ。あまり重要ではなかったのだが、なぜこの短い休み時間に来たのかが引っかかっていた。昼休みとかでもと考えている矢先、凛が口を開く。
「た、ただ、鬼頭さんと話したくて。」
理由はとても単純だったが、彼女にとってはとても大きなものである。美咲とではなく、あえて俺を選んだだけかもしれないが、きっと俺と話したい理由もあるだろう。そこには踏み込まないが。
何か気を遣ったのか、美咲が自分の席に戻った。二人だけで話すのはいいが、あまり時間がない。相手に負担をかけないため、俺から話題提示をする。
「朝は何か食べた?」
「えっと、トーストとハムエッグですかね。」
「自分で?」
「あ、はい。なるべく、自分で出来ることは、自分でしたいので。」
他愛もない話だが、凛には大きな意味を持つだろう。話す行為そのものだとは思うが。
「あの、鬼頭さんは」
「浅倉さん、もうそろそろ戻った方が。」
美咲が声を掛けたのに気づき時計を見ると、あと一分あるかないかでチャイムが鳴るという具合だった。
「そう、ですね。本当に、ありがとうございました。」
「いや、構わないよ。」
そう言葉を交わして、凛は自分の教室へ、俺は自分の席へと戻った。美咲は申し訳なさそうに「悪かったね」と小さく言った。彼女の優しさを少し感じた時、チャイムが鳴り響いた。
午前の授業が終わり、クラスの皆がバラバラに動き始めた。食堂、購買、他のクラスの教室と色々あるが、俺は自分の席で自作の弁当を食べるのが日課だ。というより、それしかない。
「よぉ、翔馬。一緒に」
「今日は他の友達と約束してなかったか?」
「あぁ、そうだった!翔馬、悪かったな。」
いつもと違うところを挙げるとするなら、聡と一緒ではないことだな。彼も俺以外の友人はいる。俺の事は棚に上げても構わないと言ってはいるが、友人との約束は破るのは駄目だ。
「気をつけろよ。約束を守れないなら、それだけ運が逃げて行くから。」
そう言って、聡を見送った。教室を出た直後に聡は俺の方を振り返った気がするが、それは気のせいだろう。
弁当箱の蓋を開けようとした時、美咲が俺の前の席に来た。
「前、失礼します。」
俺は首を縦に振り、弁当を食べ始めた。ふと美咲が口を開く。
「さっきの言葉、聞いてしまったけど。」
「ん?何?」
「神田さんが教室を出る直前にかけた一言、約束を破る度に運が逃げるとは?」
噛み砕いて説明したにしても、俺はそこまで言ってないんだが。美咲の疑問に、心の中でツッコミを入れた。
「根拠があるわけじゃないが、ある植物の花言葉に関係しているんだ。」
「花言葉、ですか。約束と運が絡んだものが?」
「まぁ、絡んでというより、『約束』と『運が入る言葉』の両方あるという具合だな。」
こうして話している最中に、美咲は制服のポケットから生徒手帳とシャーペンを出してメモを取り始める。これは、彼女の習慣だ。俺達が通う高校では、携帯電話の類の持ち込みを禁止している。だが、現代のスマホの普及や教師の指導の甘さで、スマホを持ち込む生徒は多くいるというのが現状だ。それでも、彼女は決してしないのである。確実に家に帰ってからしかやらないため、忘れないようにとっているのだろう。それも悪くはないのだが、そういう気分ではなかった。
「美咲、今日は一緒に帰らないか?」
「別に構いませんが、どうしてですか?」
「ただ調べて理解するじゃつまらないから、だな。なんとなくというのもあるが。少々遠回りはするけど。」
「まさか、寄り道ですか?」
「そうだが、あんたが考えるものとは違う。」
ほぼ成り行きで誘ってしまったが、なんだかんだで了承を得たようだった。寄り道を言及した時の顔は険しかったが。
その後、美咲はほぼ無条件で浅倉さんが来るかもしれないと付け足したが、俺は構わないとだけ返した。俺自身も、おそらく聡と一緒に帰るのだろうと思っている。
弁当は美咲と話している間に食べ終わったが、休み時間はまだ終わってない。美咲は既に席を外していたため、ようやく一人になれた。何故自分は、普段一人でいたいと周囲に話すくせに、こういう何気ないことで自ら一人の時間を無くすような行動に出るのだろうか。衝動ということでとりあえず自己完結しておくが、やはり腑に落ちないものだ。そう考えているうちにチャイムが鳴り響いた。
「翔馬ー、一緒に帰ろうぜー。」
聡がいつものように声を掛ける。
「あぁ、実は今日、別の人とも帰ろうとしてんだ。」
「なんだよー。」
「別に聡とは帰れないって言ってるわけじゃないんだ。一緒に帰る人が多くなるだけ。」
聡はわけが分からないという具合の顔をしている。まぁ、無理もない。結局、昼休みが終わってから担任の先生に帰りの挨拶をするまで、美咲と帰ることを言いそびれていたのだ。
「やはり、神田さんと一緒なのですね。」
そんな所に美咲が声を掛けてきた。聡は驚いた様子で、美咲と帰る約束をしてたことを俺に訊ねた。もちろん、頷いて返事をする。
「なんで言ってくれなかったんだよ。」
「あなたが休み時間、体をあけなかったのが原因なのでは?」
「うっ。」
どうも、聡は美咲に痛い所をつかれてしまったようだ。聡は結構分かりやすいのだ。
「あの。」
教室の後ろの戸から、凛がこちらを覗いてきた。どうやら、俺達が彼女を待たせたようだった。確かに、無条件だと感じるな。
結果、四人で帰ることとなり、教室を出て昇降口へ向かう。
「翔馬、よく美咲誘えたよな。美咲もさぁ、なんで翔馬の誘いのったんだ?」
「まぁ、特別といえば特別ですよ。」
「でも、寄り道なんて言葉使ってしまったのですよね?」
「まぁ、な。」
その道中は、美咲が俺の誘いにのったことで盛り上がっていた。ここまでの話で、美咲は俺を他の同学年の人とは別だという感じに捉えていることが改めて分かった。思い当たる節はそこそこあるが、微妙に思い出せない。
「そういえば、私の思う寄り道とは違う寄り道ってなんでしょう?」
「まだ言えないな。いや、言うよりは実際に行ってみれば分かる。」
そう言って、遠回りの真相を隠した。そうしないと、つまらなくなると俺が思っていたからだ。
正門を出て、俺達は高校から近い所にある公園に着いた。
「なるほど、確かに私の思う寄り道とは違いますね。ですが、花についてなら花屋とかにでも。」
「白詰草を探しにきた。それなら納得いくだろ?」
この言葉に三人は少し納得したようだが、すぐに首を傾げた。ただ、美咲は何かに気付いた様子になり、俺に訊ねる。
「もしかして、白詰草の花言葉が『約束』と『運に絡んだ何か』なんですね?」
俺は頷き、皆に白詰草の話を始めた。
白詰草には様々な花言葉がある。四つ葉のクローバーも含めて、だ。まず、『幸運』。これに関しては、『四つ葉のクローバーを見つけたらラッキー』といわれるくらいだから、なんとなく想像つくだろう。次に、『約束』。ここまでくると、知らない人の方が多いかもしれない。キリスト教の布教に努めた聖パトリックが、布教の際三つ葉のクローバーを用いたことから、この『約束』という花言葉の由来だ。確か。実は、白詰草の花言葉には『復讐』という意味もある。この花言葉の由来は分からないが、わざわざこの意味を込めてクローバーを探す人はいないだろう。そもそも、四つ葉のクローバーの花言葉に『復讐』はない。俺だったらあえて三つ葉を選んでいる。
この話を聞いていた三人は、俺に感心しているような雰囲気がでていた。流れで公園の傍らに群生している白詰草を見ていたが、俺の話が終わるや否や、聡は四つ葉のクローバーを探し始めた。凛も負けじと見渡しているが、少し不安だ。
「探すのはいいが、あまり踏みつけるなよ?」
四つ葉を探す二人に、たまらず注意喚起のために声を掛けた。
しばらくして、凛が小さく声をあげた。俺達が凛の近くに駆け寄ると、彼女はここだと指をさす。確かに、そこに四つ葉のクローバーがあった。美咲が、公園の敷地内にあるからとってしまうのはと言ったが、それでも凛はそのクローバーを摘んだ。
「私は、誰かの為に探してたんです。」
そう言って、凛は俺に摘んだ四つ葉を手渡す。正直驚いているのだが、それは聡も美咲もそうだろう。
「えっと、幸運を!」
俺が口を開く前に、凛に先越されてしまった。もう言及するなと言わんばかりにとは思ったが、言いにくいのなら仕方がないかもしれない。
これで気が削がれたのか、聡はクローバーの群生から離れ、帰ろうと声を掛けた。もともと、そんなに遅くするつもりはなかったから、ちょうどいいと思っていた。美咲や凛も満足そうなので、俺達は公園を出て帰路についた。
家に帰り、俺は凛から贈られた四つ葉を見ていた。彼女がどんな意図を持ってクローバーを渡したのか明確には分からないが、どうしても気になるため、自分で考えていた。幸運だけじゃない何か。そう考えた時、ふと皆に話してなかった四つ葉のクローバーの花言葉を思い出した。それは、『私のものになって』。もし、それを知ってた上で渡してたのなら腑に落ちるところもあるが、まさかそんなことはと思っている。四つ葉のクローバーだけ知っていた?それもあるか。
そういうことばかりが頭をよぎり、そのまま夜が更けていった。




