入学編-6
説明を終え、風紀委員の仕事が始まった。
今日の仕事内容としては3つ。暴力沙汰が起きないよう注意喚起。暴力沙汰になりそうになったら未然に防ぐ。そして、仮に起きてしまった場合は実力行使でもいいから止める。である。
藍那は初めての仕事である為、補助として委員長である弓弦がつくことが小鳥遊の提案で決定した。
説明が終わり、次々と風紀委員室から出ていく。そんな中、藍那は弓弦のもとへ向かった。
「弓弦先輩。今日はよろしくお願いします。」
「あぁ、仁科か。まず空手部と柔道部が練習を行っている第1武道館に向かう。一応ここは毎年恒例の危険地帯だから、気を引き締めてね。」
「了解しました。」
「それと、これを胸ポケットに入れておいてくれ。」
弓弦からスマートフォンのようなものを渡された。
「これは小型のカメラで、暴力沙汰が起こった時の貴重な証拠になるから、ちゃんと電源を入れておいてくれ。それと、今日は必要ないが、通信機としての役割も持つから、大切にしてくれよ。」
「はい。」
「では、行こうか。」
藍那は弓弦の後ろをついて移動を始めた。
藍那たちが第1武道館に到着した時には空手部と柔道部が一触即発の状況になっており、多くの見学に来ている新入生や野次馬に囲まれた。
「またか・・・。一応仁科もついてきてくれ。」
「分かりました。」
弓弦がため息をつきながら、生徒たちの壁をかき分けていく。
藍那たちが人垣の最前列に到着した時には、既に道着を着た生徒たちが殴り合いを始めていた。
野次馬たちは面白半分で騒ぎ立てている。
「これはまずいな・・・。」
「弓弦先輩、私がけんかを止めますので、先輩は野次馬をお願いします。」
「待て!危険すぎる!」
弓弦が藍那を制止しようと声を掛けるが、藍那は制止を聞かずに飛び出した。
「風紀委員です。暴力行為を即座にやめ、各部の勧誘活動へ戻ってください。繰り返します。暴力行為を即座にやめ、各部の勧誘活動へ戻ってください。さもないと――」
つかみあっていた2人の男子生徒が藍那の方を向く。
「さもないと、どうなるんだ!?あぁ!!」
頭に血が上っている彼らには、藍那の言葉は挑発のように聞こえたのだろう。
「実力行使に移らせていただきます。」
藍那の一言に男子生徒の怒りが頂点に達した。
「やってみろや!!!」
男子生徒の1人が藍那に殴り掛かる。しかし、藍那は最小の動きのみでかわし、逆に投げ飛ばした。
まさか自分が投げられるとは思っていなかった男子生徒は、受け身をとれず背中から落下した。背中から落下した生徒はたまらずもんどりうつ。
「風紀委員に対する暴力行為として、一時的に拘束させていただきます。」
藍那は拘束する作業を手早くこなす。
「おい!何でも俺たちの主将だけしょっ引かれるんだよ!?さっきやりあってたのは柔道部も同じだろう!!」
空手部の部員たちが次々に抗議する。
「風紀委員に対する暴力行為と申しました。」
どうやら藍那が拘束している男子生徒は空手部の主将のようだ。
「納得いくかよ!!主将を離しやがれ!!」
空手部の部員が藍那に殴り掛かる。
「これは明確な暴力行為であり、今すぐにこの行為をやめることをお勧めします。この要求が受け入れられない場合は、先ほど同様に実力行使で解決ということになりますが、よろしいでしょうか?」
空手部の部員13名の攻撃をかわしたり受け流したりしながら、藍那は警告する。
しかし、藍那の警告が受け入れられる様子はない。
「繰り返します。今すぐにこの行為をやめることをお勧めします。受け入れられない場合は実力行使で解決ということになります。よろしいですね。」
藍那が突き出された右の拳をかわし、手首を掴む。そのまま捻り上げて後ろで拘束し、次に殴り掛かってきた生徒に拘束していた生徒を突き飛ばすようにして、正面衝突させる。それによって2人を制圧し、次の標的に狙いを定め倒していく。結果、藍那1人によって空手部の部員全員が倒されるという事態となった。
野次馬の対応を終えようやく終え、弓弦が戻ってきた。弓弦は目の前に広がっている目を疑うような光景を前に少し呆然としていた。
「これは・・・。仁科、どういう状況なのか説明をしてもらえるか?」
弓弦は倒れ伏した空手部の部員達を次々に結束バンドで拘束している藍那に尋ねる。
「はい。空手部の主将である男子生徒が私の警告を無視し、暴力行為に及びました。それを理由として彼を拘束したところ、他の空手部員が主将の開放を求め動力行為に及びました。一応警告をいたしましたが、聞き入れてもらえなかったので、やむなく実力行使によって全員を拘束しました。以上です。」
藍那が淡々と話すのを聞いていた弓弦は半ば混乱する。無理もない、つい先日入学したばかりの女子生徒が、毎日のように自分の武を磨いてきた上級生を全員倒したというのだ。
「仁科、全員倒したのはいいが、けがはしていないか?」
「はい。問題ありません。」
「それは、無傷で全員倒した。ということか?」
「はい。」
弓弦はさらに混乱する。
自分でも1人で全員倒すことはできるだろう。自分で言うのもなんだが、弓弦はこの学園ないでも有数の実力者だ。弓弦相手に格闘戦闘で勝てる者は生徒の中ではまずいないだろう。
しかし、そんな弓弦でもこの人数を相手にするとなったら無傷とはいかない。
弓弦は藍那の言っていることを信用しきれず、近くにいた新入生と思しき女子生徒に尋ねる。
「そこの君。本当に彼女は一度も攻撃を受けずに全員倒したのか?」
「え・・・え!私ですか?は、はい!確かに見ている限り全部躱していたと思います。とてもすごかったですよ~!あの身のこなしは――」
「わかった。ありがとう。」
次第にエキサイトし始める女子生徒に礼を言って会話を一方的に終える。
「まだ信じられないが、君が言っていることは本当のようだ。」
「はい。それよりも、先輩。この方たちの処遇はどうなさるのですか?このままというわけにはいきませんし・・・。」
「あぁ・・・。すまない。とりあえずは生徒指導室に連れていく。仁科も手伝ってくれ。」
「了解しました。」
藍那は弓弦の指示に従って事後処理を進め、拘束した生徒たちを生徒指導室に連れて行った。
生徒指導担当の教師に引き渡し作業を終え、2人は風紀委員の業務に戻ることとなった。しかし、今回の逮捕者は数が多く引渡し作業が長引き、帰宅時刻が近づいたため今日の業務はここまでとなり、解散となった。
時刻もだいぶ遅くなり、外もかなり暗くなっている。
「先輩。今日はお世話になりました。お先に失礼します。」
まだ事務作業をしている弓弦に藍那が挨拶をして帰ろうとしていた。
「少し待ってくれ。仁科、君は何者なんだ?あの人数を1人で相手するのは私でもできる。だが、無傷となると話は別だ。君はどこでその技術を身につけた?」
帰ろうとする藍那を引き留め、ずっと気になっていたことを尋ねる。
「昔にいろいろありまして・・・。」
藍那は話すと長くなるため、ごまかそうとする。
「・・・。まぁ、いい。あまり言いたくないこともあるだろう。」
「はい・・・。申し訳ありません。」
藍那は弓弦が勝手に自己解決してくれたことを幸いに、適当に話を合わせる。
「とはいえ、君の実力を確認しておきたい。今から少し付き合ってもらうが、かまわないな?」
「今からですか?もう下校時刻間際ですが?」
「ああ。許可は取ってある。問題はない。」
「しかし――」
「問題ないな?それと重要な用事でもあるのか?」
完全にNoと言える雰囲気ではない。
「分かりました・・・。」
渋々了承し、弓弦は「よし!」といった様子で頷いた。
「では、先ほども行ったが、第1武道館で行う。ついてきてくれ。」
「分かりました。」
藍那は弓弦に逆らうだけ無駄だと思い、素直に従うことにした。
第1武道館には下校間近だというのに明かりがついていた。
藍那と弓弦が到着すると、副委員長の斎藤奏恵と初期兼会計の相模原桃子が待っていた。
「委員長、遅いです。先生方には無理を言って開けてもらっているんですよ!それに、委員長のわがままに付き合っている私たちの身にもなってください!」
「そうですよ。委員長は少しわがままが過ぎます。私たちはなれていますけど、今回は私たちだけでなく仁科さんまで巻き込んで・・・。仁科さんごめんなさいね。」
「いえ。私のことはお気になさらず。」
相模原の気遣いの言葉を受け、藍那は頭を下げる。
「まぁ、仁科もこう言っているし、いいじゃないか!」
「「委員長はもっと自重してください!!!」」
弓弦が笑い飛ばそうとしたが、斎藤と相模原の2人に怒られてしまった。そのせいで弓弦は先ほどより少し小さくなったように感じた。
「まぁ、仁科には無理言って付き合ってもらっているんだ。始めて大丈夫か?」
ようやく元の調子に戻った弓弦が藍那たちに声をかける。
「はい。それは、いいのですが。この御二方はなぜこちらへ?」
「私たちはあくまで見届け人です。」
「けが人が出たときの対処のために最低2人は見届け人として付ける決まりになっているのよ。」
藍那の質問に対して丁寧に説明してもらえた。
「なるほど、分かりました。それではよろしくお願いいたします。」
藍那は見届け人2人から弓弦に顔を向ける。
「委員長。それで、私たちはどのようなことをするのでしょうか?」
「あぁ。軽く組手をしよう。小手調べなどと思わず全力で来い。」
「分かりました。」
藍那は「全力で来い」と言われた限りは本気で向かうことを決め、弓弦に対して先ほどとは違う真剣な表情をとった。
「いい表情だ。」
藍那の顔を見て弓弦の表情も真剣沢帯びる。
向かい合う2人を交互に見ながら、斎藤が1歩前に出る。
「2人ともわかっていると思うが、相手に重傷以上のけがを負わさないこと。もちろん、死に至るような攻撃はもってのほかです。それと、今回は武器の使用は禁止です。2人とも武器似るようなものは携帯していませんか?」
2人とも頷く。
「それでは、始め!!」
斎藤の右手が振り下ろされる。
それと同時に弓弦は強く握った拳を突き出す。何の迷いもない、ただ藍那を倒すという1つを目的とした正拳突きである。
正拳突きは寸分の狂いもなく藍那に命中し、一撃のもとに勝敗がつくと弓弦を含め見届け人の2人も予想した。
しかし、弓弦の拳が何かをとらえるという感覚は無かった。その代わりに体が宙を舞う少しの浮遊感の後に背中に痛みを感じ、いつの間にか弓弦は武道館の天井を見ていた。
何が起こったのか理解できない。なぜ自分が仰向けになっているのか。正拳突きを放ったはずの自分がなぜ、武道館の畳の上で寝ているのか。一切理解できずに呆然としていた。
「委員長、もうよろしいですか?」
弓弦は藍那の問いかけに我に返った。
(そうか・・・。私は彼女に投げられたのか・・・。しかし、どうやって・・・?)
弓弦は自分が藍那に何をされたのかよくわからないため、考え込んでしまう。
「委員長?大丈夫ですか?」
自分の問いかけに返答がないため藍那が再び呼びかける。
「あぁ・・・。すまない。大丈夫だ。」
藍那の手を借り弓弦が起き上がる。
「委員長、まだ続けますか?」
「いや、もう結構だ。」
ほんの一瞬で2人の組手は終わり、両者ともに怪我も無いためそのまま解散となった。
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藍那が予想外のハプニングに見舞われているということなど知らない香奈子は、自室で藍那のことを心配していた。
(遅い・・・、あまりにも遅すぎます。いくら風紀委員の仕事があるからって遅すぎます。まさか、何か大怪我でもして医務室にでも行ってるんじゃ!!)
落ち着きなく色々な事態を考えていると、何事もなかったように藍那が帰ってきた。
「藍那さーーん。心配しましたよーーーーー!!!」
香奈子は勢い良く藍那に抱き着こうとするが、見事な回避で藍那によけられ壁に激突した。
「痛たた・・・。藍那さん!心配しましたよ!帰ってくるのが遅いから、仕事中に怪我でもしたんじゃないかって。何があったんですか!?」
壁に打ち付けた場所を手で押さえながら、何があったのかを聞く。
「ただいま。別に大したことはありませんでしたよ。ただ、風紀委員の委員長が私の実力を知りたいって、第1武道館で少しだけ組手をしました。」
「まさか!!それって噂に聞く、新人いびりの類ですか?」
「多分違うわ。本当に私の実力を知りたかっただけだと思う。いきなり1年生が入ってきて怪我でもされたら、それこそ風紀委員にとっては問題だと思うから。」
「確かにそうですね。後輩が仕事中に怪我をしたってなったら大変ですからね。まぁ、藍那さんは怪我をするよりもさせる方って感じですけど。」
「香奈子。『口は禍の元』っていうことわざを知ってる?」
「え?藍那さん、どうしたんですか?顔が怖いですよ?まさか怒ってます?ちょ、待って!うわーーー!」
藍那は香奈子に対して般若のような形相で制裁を加えた。
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弓弦は寮の自室に帰り着くなり、ルームメイトの斎藤奏恵に先ほど組手について詳しく聞いていた。
「本当に何があったかわからないんだ。私はどんなふうに投げられた?」
「それは見事に。恵利佳の正拳突きの力をうまく利用して、きれいに投げていました。それはもう、教科書に乗せられるほどきれいでしたよ。」
「そんなにか・・・。ところで、仁科が使った投げ技は何という格闘技のものだ?」
「1回見たぐらいじゃわかりませんよ。でも、強いて言うなら軍隊の近接格闘訓練で見た技に似ていました。」
奏恵の推測は正しい。
藍那が得意としている格闘術はCQC(Close Quarters Combat)である。
CQCは軍隊や警察において近距離での戦闘を指す言葉である。主としては、個々の兵士が敵と接触、もしくは接触寸前の極めて近い距離に接近した状況を想定した格闘術である。
藍那は子供兵時代に、周りの大人たちが訓練しているのを見て学び、かなりの実力を持っている仁科正純に基礎からみっちりと叩き込まれたものであった。そのおかげで、藍那の実力は正規の国防軍の軍人よりも上出あるほどであった。
そんなことを知る由もない恵利佳と奏恵は、藍那のことについての話をつづけた。
「なるほど。軍隊の近接格闘術か。何が起こったのか分からないうちに倒されていたっていうのは、私がまだ小さかった頃に爺さんにやられて以来だったよ。」
弓弦恵利佳の実家は空手道場である。そのため、恵利佳は幼い頃から師範の祖父に空手を教えられてきた。恵利佳には元より天賦の才能があり、全国大会、中学生の部で3年連続優勝するほどの実力者だ。
「そうなの?なら、彼女は風紀委員として問題なくやっていけますね?」
「あぁ、もちろんだ。頼りになる新入生が入ってきてくれて頼もしい限りだよ。」
「そうですか。なら、明日からはもう彼女に補助をつける必要はありませんね?」
「必要ないだろうな。」
こうして、藍那は実力を認められ、風紀委員の職務を明日以降は上級生と同じように1人で行うこととなった。