幻想
星宮さんの死体を処理しようとしたところ、意外な人物が公園へと姿を現した。
それは私の最愛の人、天道先輩だった。
私はつい反射的に草むらへと身を隠す……と、同時にドクドクと心臓がはち切れそうなくらい高鳴る。
しかしこれは、いつもの心地良い鼓動じゃない。恐怖の鼓動だ。
殺人を見られてしまったかもしれない恐怖。
それによって社会的に殺される恐怖。
だが、一番恐ろしいのは、彼に嫌われてしまう恐怖だった。
何で……?
どうして……?
天道先輩が……?
ぐるぐるぐるぐると、先ほどとは違う混乱が心と頭を支配する。
もはや冷静な判断など出来る訳もなく……。
私は、先輩が星宮さんの死体に気を取られているうちに、ソッと公園から逃げ出した。
ビシビシッ! と再び私の心に亀裂が入る。
それは先ほどの比ではなかった。
それくらい、私に取っては衝撃的だった。
そこから先はあまりよく覚えていない。
ただ、雨の中をひたすら走り続けた気がする。
途中、何かに転んだり、躓いたり、泥まみれになりながら、私は家へと走ったと思う。
途中、どうやって着替えたのか、シャワーを浴びたのかもよく分からない。
気が付いた時には自室へと飛び込み、自分の布団の中でガチガチと歯音を立てながら震えていた。
その度に、私の心は激しく壊れ、瞳からは光が失われていく。
人を刺し殺した事より、彼に嫌われたくない方が衝撃的だなんて、やはり私はどこまでいっても黒く、汚く、醜い存在なんだと思い……。
「ヒヒ……ハハハ、ハハ……あははははははははハハハはハハハはハハハはハハハはハハハはハハハはハハハはハハハはハハハはハハハはは……!!!!」
壊れた様に嗤った。
◆◆◆◆◆◆
9月15日、金曜日。曇り。
公園での一件から、1ヶ月が過ぎた。
いつの間にか、夏は終わりを告げ、季節は秋へとその姿を変えていく。
だが、私の心は相変わらず暗闇の海の底にいた。
あれから私は新学期が始まったというのに学校へも行かず、先輩とも一度も顔を合わせていなかった。
親にはひたすら体調不良で誤魔化した。
いや、正確には誤魔化しきれていない事くらい分かっている。
親もそれを分かっていて、私の引きこもりを見逃してくれているのだろう。
だから敢えて、私に何かを聞こうなんてしなかった。
今頃、学校では星宮さんが刺された事も広まり、大騒ぎになっている事だろう。
ちなみにあの後、星宮さんは先輩の通報により、一命を取り止めたらしい。
だが、刺されたショックからか、刺した相手を忘れてしまっている状態らしく、犯人探しは難航していると、風の噂で聞いた。
だが今の私にとって、もはやどうでも良かった。
あの一件以来、私の心はボロボロになっていた。
人を刺したという事実さえ、何も感じなくなっており、そこに命の温もりを奪う情なんて物は持ち合わせていない。
ただ私が、先輩に近付く邪魔者を、排除しただけ。
それはさながら、主を守る為だけに生まれた機械の様で……。
「先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は私が守る先輩は……」
呪詛の様に同じ言葉を繰り返し、心の均等を保つ。
そうでもしないと、私の心は完全に壊れてしまう。
いや、既に壊れているけど、まだ立ち直れると思い込んでいるだけなのかもしれない。
◆◆◆◆◆◆
?月?日、?曜日。???。
その日、私は夢を見ていた。
そこに広がるのは私の知らないIFの世界。
そこでは先輩と、星宮さんと、他にもたくさんの友達に囲まれた私が笑っている。
皆、楽しそうに笑顔を浮かべて、仲良く、一緒に……。
それはかつて、私が手に入れる事の出来なかった理想郷。
これといって面白い物語がある訳でもない。
平々凡々な少女のつまらない日常。
でも、今の私にとっては喉から手が出るほどの望む日常だった。
夢の中にもう一人の自分が出て来て、嘲笑う。
「人を殺そうとしたヤツが何を夢物語を見ているの?」
うるさい! 夢の中でくらい夢を見て何が悪いの!
貴女なんかに言われる筋合いはないわ!
また違う自分が出て来て、言う。
「思い出しなさい。そもそもの始まりを。貴女の真実を」
真実? いきなり何を言ってるの? 私の真実はたった一つよ!
先輩といつまでも仲良く愛を育んで……! 理想のカップルのハズよ!
更にもう一人の自分。
「そもそも言うなれば、この現実すら幻よ。天道晃平……あれは本当に貴女の彼氏だったの?」
「……え?」
ドクン……!
三人目の私の言葉に、激しく心が揺さぶられる。
違う! 私、動揺なんてしていない!
だって私は……私は……!
「そう、貴女はそう思い込んでいるだけ。人を刺したという罪を認めたくなくて、逃げているだけ」
違う……!
「自分を機械だとでも思わなければ、貴女は今度こそ完全に壊れてしまうと思っている」
違う……!!
「でもそれこそが、そもそもの間違いよ。貴女が行った事は愛する人を守るなんていう崇高なモノではない」
違う……!!!
気が付くと私は、いつの間にか握り締めていたナイフで、自分の分身となる存在を刺していた。
それはまるで、あの夜の再現を見せられている様で……。
先ほどまでの勢いはどこへやら、私は顔を真っ青と染め上げ、ナイフを落とし、尻もちを付くとガタガタと震えだした。
そしてそれと同時に思い起こされる真実の数々。
私は頭を抱える様にうずくまると、小さな子供の様に泣き叫んだ。
止めて……!
止めて……!!
止めてよ……!!
私は戻りたくない!
まだこの幸せな夢の中に居たいの!
苦しいだけの現実なんて、いらないよお……!
しかし三人の私は、止めない。
一人はダメだと突き放し。
一人は逃げるなと捕まえ。
一人は真実を思い出せと、心に直接突き付ける。
前提からして狂っている物語を正そうと、私の記憶のピースを組み替えていく。
全てのピースが正しく組み替え終わると、私の中に一つの巨大な真実が浮かび上がってきた。
それは、この『私だけの物語』の前提を覆すほど、強力で、強大だった。
「あ……ああ……あああ……!」
嫌がおうにも、真実が頭の中へと流れこんでくる。
私は抵抗を試みるも、強大な力の波になすすべもなく飲み込まれていく。
そして、私は全てを思い出した。
あの日の真実を……。
◆◆◆◆◆◆
「ずっと前から好きでした! 私と付き合って下さい!」
そう言って、一組の男女がどこか見覚えのある公園にて、告白をしている。
「ここは……私が先輩に告白した学校近くの公園?」
だとするとあそこで告白しているのは、あの時の私、という事になるのだろうか?
いや、そのわりには何か妙な違和感を感じる。
「そう、あそこで告白をしているのは私ではない」
心に巣食う、もう一人の私がそっと告げる。
するとようやくその全貌が見えてきた。
一人は天道先輩、これは間違いない。
だが、告白している少女は私などではなく……。
星宮さんだった。