第21話 頼もしき運び屋として
効果の有効時間が切れるまで、残り一分と五十秒のタイミングで、俺は魔法科学ギルドに戻ろうとしていた。
既に一本は頂上部の投薬ポイントに打ち込んできた。サキもあの調子ならば成功しているだろうし、あとは一本だ。
受け取って直ぐに走れるように、戻りながら靴や装備などのチェックもしておく。
輸送袋にはいつもの剣と槍だけの状態にしてあり、竜騎士としての力もいくらか使えるようにしてある。
それでも、行うのは、運び屋業の中でも経験のほぼ無い、時間厳守なものだ。
「何というか、結構ドキドキするもんだな」
「そうなのか? 親友の鼓動は、あんまり変わってないというか、落ち着いているっぽいけど」
「気分的にはドキドキしているんだよ」
幾ら竜騎士の力が使えても、結局は別職だ。
緊張は身体を固まらせていては速度を落とすだけなので、次の薬が出来上がるまで深呼吸をして心を整えようかと思っていると、
「――きゃあああ!」
叫び声が、前方の研究所の中から聞こえた。更には、
「ま、魔獣だ!」
嫌な予感がする。そんな言葉も。
●
魔法科学ギルドは、叫喚の渦に包まれる瞬間を、モカは見た。
「ペネトレイトビートルだ!! 気を付けろ!」
研究所の床をぶち抜いて、数体のペネトレイトビートルが侵入してきたからだ。
「こんな時に出て来るなんて……!!」
「あんなに大人しかったのに。習性が変わったのか……!」
ブブ、という羽音を立てる、ペネトレイトビートルは、そのまま研究所内を飛び回る。
素早く、しかし、やけにまとまった動きで、硬質なその角で、何もかもを貫こうとする。
「ひぅ……!」
慌てたり、怯えの声が研究所内部を錯綜する。
だが、それに混じることなく、モカは指示を出す。
「機材を守るのよ!」
そして自分も、薬を作成する機材の前に立ち塞がろうとする。けれど、
「くそっ! 一つやられた!!」
間に合わず、薬品を作成中の一基が貫かれた。
シリンダーの中身がぶちまけられ、無論、精製中だった薬品は駄目になる
「く……そんな……!」
あと数十秒で出来上がっていた解毒薬が、破壊された。
更にペネトレイトビートルはそれだけを貫くのでは飽き足らず。
「……!!」
自分と周囲にいる職員を目掛けて突進してきた。
その速度は、戦闘職ではない自分では、避けられないと分かるほど。
……これは、やられる……!
と、息を呑んだ瞬間、
「……今度は、捕まえるだけじゃ、駄目だな」
疾風のように研究所に駆け込んできたアクセルが、空中にいる全ての魔獣を切り裂いた。
ほんの僅か一瞬の出来事。
剣筋は見えなかった。けれどアクセルが長剣を手にしており、更には剣に甲虫の破片らしきものが付いていることから、彼がやってくれたのだと分かったのだ。
そしてアクセルは、こちらに駆け寄るなり、自分や研究員たちに手を差し伸べてくる。
「大丈夫か、モカさん達」
「え、ええ。私はどうにか平気よ……!」
「良かった。ただ、作成機がやられちまったか……」
アクセルは眉をひそめる。確かに被害は、大きい。
しかし、
「まだ行けるわ、グランツさん。作成機がひとつ潰されたけど……デイジーさんが作ってくれたもう一基は無事だから! だからもう、そっちで、もう作り始めてるわ!」
モカの視線の先、そこには稼働を始めたもう一基があった。
ペネトレイトビートルが研究所に現れた瞬間、もしもの事を考えて、もう一基を稼働させていたのだ。
念のために作成機には材料を仕込んであり、何かがあれば動かせるようにしていたのが功を奏した。
「おお、フォローが早いな」
「一応、予備は持っておこうと思ったから。でも、十秒以上、ロスしちゃってる……!」
完成する頃には、残り四十秒そこそこしか残っていないだろう。それで、大丈夫なんだろうか。そんな思いが頭をよぎるが、
「――大丈夫だ。それだけあれば間に合う。モカさんのフォローは無駄にならないさ」
アクセルは力強くそう言ってくれた。
それだけで、まだ、諦めなくていい、というような安堵の気持ちが湧いてきた。
「ええ、じゃあ、全力で魔力を混めて作るわ……!」
それで薬が出来る速度が速まる訳ではない。けれど、気を抜かないために、モカは全力でスキルを使用し、そして、
「出来たわ!」
想定通り、残り四十秒の段階で、薬は完成された。
そして、作成機から取り出し、即座にアクセルに預ける。
「グランツさん! 頼んだわ……!」
「頼まれた、モカさん!」
言いながらアクセルはギルドを飛び出していく。
そのまま樹上の広場で加速し、そして、
「――」
一歩で踏み切って、神樹から地面に向けて、下向きに飛び込んだ。
そんな後ろ姿を、モカは見つめていた。
頼もしい、とそう思いながら。
●
残り数十秒。
既に余裕はそこまでない。
時計を見るのはデイジーに任せて、落ちる間も加速する。
「ぐ……ぬおお……」
下向きの落下による風圧で、胸元のデイジーが唸っている。
「デイジー、平気か」
「お、オレは心配しなくていい。親友は、前を見てくれ……!」
「ああ、お言葉に甘えて、そうさせて貰う」
神樹は垂直に立っていない。
僅かながら斜度があるし、胴吹き枝だってある。
それ故、ただ、落下するだけでは変にぶつかって、速度を落とす。
だから――
「――!」
足に樹皮が触れた瞬間、下に向かって踏み切り、体を加速させる。
胴吹き枝などの視界や進行の邪魔になるものがなく、それでいて、再度の方向調整と加速が出来。そんな地点に自分を送っていく。
そうしている内に、
「あそこだ、親友!」
目印が見えた。
家と家の間にある街道。
そこにむき出しになっている根っこだ。
既に騎士団の手によってペイントされているからよく分かる。
ここからは、それなりに離れた場所だということも。
「……時間は、残り十八秒!」
デイジー時間制限を伝えてくる。
このまま直下に着地して、街を走りだしては、間に合うか微妙なラインだ。ならば
「オーケー。飛ぶぞ。衝撃に注意しろ」
「……っ分かった!」
言いながら、俺は樹皮を思い切り蹴った。
ただ、今回は下方向では無い。
斜め下、地面に向かって、体を鋭角に突き進ませる。その行動を見て、
「――着地の衝撃はオレに任せろ!」
デイジーが胸元で片腕を上げた。そして、
「【錬成:衝撃吸収台】!」
スキルを使用する言葉が聞こえた。
すると、俺が着地する予定の地面が淡く光った。
その光に向かって、俺は突っ込む。
勢いのまま、両足で設置し、更には片手で着地した。刹那、
――ズン!
と体が沈んだ。
地面が、クッションになっていたのだ。
本来、こんな速度で落下すれば如何に慣れていると言えども、足に痺れが発生する。
そうなれば、次の行動に移るまで時間が掛かっただろう。だが、
……デイジーのお陰で、それも無い……。
クッション性のある地面により、己の体はダメージなく受け止められた。
お陰で、足に痺れなど一切起きない。
そして落下時の勢いを程よく殺してくれた事で、その勢いを利用したまま即座に動ける。その結果――
「――これで、打ち込み、完了だな」
「ああ、ジャスト五秒前。完璧だぜ、親友」
少し手間取ったが、数秒の余裕をもって。
地面に浮き出た根に薬を打ち込むことに成功した。
「――さて。これで俺の仕事も終わり、と。あとはこっちに来るバーゼリアとサキを待ちつつ、何かしら薬の効果が出るまで待機する、んだったな。変化が生まれたら、倉庫街にいるシドニウスの所に行くって話だったけど」
「そうだな。……でも、親友。効果が出るのを待つ必要は、なさそうだぜ」
デイジーは言いながら、頭上を見上げた。
俺もそれにひかれるようにして上を見る。すると、そこには、
「……ああ、本当だ」
根っこに打ち込んだ薬の色を吸い上げていくように。
綺麗な茶色をした幹と枝から、新緑色の葉を広げていく神樹の姿があったのだ。




