第20話 勇気ある者
解毒薬の投与計画を直前に控えた頃。
俺はサキ、デイジーと共に、魔法科学ギルドの研究所内で準備を整えていた。そして、
「毒の変性の予備動作を確認! 薬品の作成、三十秒後にスタートするわよ!」
研究所の中心にある筒型の装置をのぞき込んでいたモカが声を上げる。
筒の中にはレンズが入っており、毒の状態を逐一確認できるそうだ。
彼の声が上がると同時、所内に緊張が走った。
ここからが本番だ、との気合いと意気込みが職員たちの表情から伝わって来る。
勿論、筒をのぞき込み、その隣にある解毒薬の作成機のスイッチを握りしめている、モカからも。
「グランツさん。リズノワールさん。作戦は、覚えているね」
「ああ、勿論」
「はい。打合せ通りにやりますよ、所長さん」
毒が変性した直後にモカが薬を作成する。
短銃型の注射器に入った状態で完成させたあと、俺とサキが受け取り、俺は頂上の、サキは下の投薬ポイントに向かう事になっている。
打ち込む箇所は騎士団によってペイントされているので、そこに向かって短銃の引き金を引く。
そのまま俺だけは再び研究所に戻って来て、今度は下の投薬ポイントに向かう。
そんな流れになっている。
「うん。私も頑張って確実に薬を作るから……よろしく頼むわね」
そうして、軽く言葉を交わしている内に、所内で筒をのぞき込んでいるモカのカウントダウンが始まる。
「五秒前……三、二、一――【調薬魔法:改良型解毒薬】開始……!」
変異を確認したモカが魔法スキルの発動と同時、解毒薬作成機のスイッチを押す
瞬間、作成機に取り付けられたシリンダーが動き出す。
二つ分、一気にだ。
これが解毒薬の作成の始まりだ。
……現状、この機材で解毒薬を作れるのはモカと、デイジーだけ、だったな。
薬品は機材があれば精製できるわけではなく、それに応じた知識とスキルも必要になるそうだ。
実際、目の前の機材がどのように動いているのか、俺はさっぱりわからないが、
「……出来ている。二つ分、しっかり動いているぞ……!」
デイジーには分かっているらしい。
この辺りは、流石に本職というところだ。
……薬を打ち込むのに、特別な知識が必要ないように、短銃型の注射器にしてくれたというしな。
その辺りの気遣いに感謝だな、と思っていると、
「完成まであと十秒!」
モカの声が再び響いた。
その宣言通り十秒後、新緑色の薬が、短銃型注射器に入った状態で、作成機からモカの手により取り出された。そして――
「頂上部用と下層用の一本、完成よ! お願い、リズノワールさん! グランツさん!」
モカは、言葉と共に俺とサキに手渡してきた。
受け取った俺たちは、即座に揃って研究所から走り出る。
俺が目指すのは頂上の一角、連絡通路の近くにある投薬ポイント。
予定通り、騎士団により、赤色のペイントが施されているので、ここからでも良く見える。
そして、サキが目指すのは、俺が向かっているのとは反対側にある、神樹の下層の投薬ポイントだ。
「では、お先に失礼しますね、アクセル」
「ああ、下で待っていてくれ」
そうして、サキは俺とは逆方向に、神樹の広場を走っていく。
その動きを見て、
「え、リズノワールさん? 連絡通路はそっちじゃ……」
頂上に配置されていた騎士の一人が驚きの声を上げる。けれど、
「ああ、良いんです。そっちを使うよりも、外側から行った方が早いので」
サキは構わず走り続け。そして――
「【フリーズ・アイスエア】」
「え……!?」
魔法を発動させるなり、そのまま、神樹頂上から飛び降りていった。
●
倉庫街近くの投薬ポイントで騎士団員と共に待っていた、シドニウスの目は、サキを捉えていた。
サキは空中を滑っていた。
大気に薄い氷の柱で出来たらせん状の道を作り上げ、そこに乗って降りていく。
「まさか、魔法で、降りてくるのですか……!」
「まあ、得意技だからね、リズノワールの」
そんな声に答えてくるのは、サキとの話し合いで、下で待つことに決まったらしい、バーゼリアだ。
彼女は、あっけらかんと言ってくる。けれど、こちらとしては気が気でなかった。何故なら、
「し、神樹の傍で魔法は使うのは危険なのですよ……?」
「安定発動出来ないんだよね。神樹の魔力が邪魔しちゃって」
「はい。サキ殿が、吸収の魔術を使いながら、魔法を行使できるのであれば、別ですが……」
二つの魔法を同時に使用するのはとんでもない高等技法だ。
さらには、それを持続させ続けられる人を、シドニウスは見たことが無かった。
実際、神林都市にはそんな事が出来る人間は一人もいなかった。ゆえに、物理的な手段での上り下りが中心だったのだ。
けれど、そんな思いに反して、バーゼリアは首を傾げた。
「同時使用? それなら多分、出来ると思うけれど……リズノワールはもっと、効率的に降りてくると思うよ」
「……はい? ど、どういうことです?」
「いや、ほら。あれを見てよ」
バーゼリアが指を差した先。
そこでは、サキが形作った氷の柱の道がグズグズと崩れていく様が見て取れた。。
……や、やはり、魔法が安定しなくなっている……!
普通に魔法を使えば、ああなるのだ。
数秒も持たずに、魔法は元の形を忘れ、不安定になり、暴れていく。
それは魔術の勇者の魔法でも変わらない。
変わらないのに、
「あれ、滑り降りる速度が、早まって、いる……?」
ぐずぐずに崩れた氷で、海の波に乗るかのように。
溶けかけた氷に足を付けたサキの降下速度は上がっていた。
「ま、まさか魔法の安定しないのを利用して、いるのですか……」
シドニウスの声に、そだよーとバーゼリアは頷く。
「リズノワールは、本当に、認めるのは癪だけど、魔法に関しては天才だからね。『ちょっとくらい不安定になったからって、使えない訳ではありませんよ?』とか、『不安定なら不安定なりに安定させればいいのです』とか、よく分からない事を真顔で言って来るから。」
今や、氷の道は完全に崩れ落ちている。
その段階でサキは、再び氷の柱を作り直して、その柱の周りで踊るように回りながら降りてくる。
「あんな、角度もガタガタで、垂直になったり不安定になったりする道を滑り降りれるなんて……」
「……じゃんけんで負けちゃったから、待っているだけになっちゃったけど。まあ、リズノワールなら、問題なくご主人の仕事を手伝えるから、そこだけは良いかな」
そうやってバーゼリアが呟いている間に、どんどんサキの姿は大きく見えてくるようになり、そして――
「ふう、到着。待ちましたか?」
氷の道が目の前まで来て、サキは地面へとふんわりと着地した。
「ほんの少しね。ご主人ならもっと早く来れるからさ」
「でしょうね。まあ、とりあえず、私の仕事は果たしましょうか。打ち込むポイントはここで良いのですよね、騎士団長さん」
「あ、は、はい。お願いします」
シドニウスが予定されていたポイントを指さすと、サキはゆっくりと近づき、短銃の引き金を引いた。
パシュっという音と共に、注射器がポイントに打ち込まれ、そして薬品を投与していく。
「これで、こちらは終了、と。では、予定通り、アクセルの落下予定ポイントに行ってきますね、騎士団長さん」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「じゃ、またね。シドニウスのおじさん!」
そうして、バーゼリアとサキは、神樹の向かい側まで小走りで向かっていった。
それを見て、近くにいた部下が声を掛けてくる。
「あれが……勇者の力……。凄まじいですな、騎士団長……」
「ええ。本当に。アクセル殿だけでもとんでもないと思っていましたが、勇者の方々もやはりとんでもないというか。彼らが運び屋チームをやっている事が知れたら、運び屋と言う仕事の概念が変わってしまいそうですよ」




