第15話 受けの美学
モカと別れた俺は、採取用の鉄箱を背負って、シドニウスと共に果実の採取に向けて、神樹の枝を進んでいた。
「アクセル殿。こちら、お渡しした短剣の調子はどうですか?」
「ああ、いい感じだぞ、シドニウス」
今、歩いているのは太い枝の上だ。
人が二人、横並びになって歩ける程度の幅があるとはいえ、丸みを持っているのが足裏で感じられる位には、安定性が地面と異なっている。
この足場で槍や大剣を使うと、姿勢によっては振りが遅れる可能性もあるし。揺れを起こすかもしれない。
そう思って、ここに来る前にシドニウスに『短剣があるなら、使いたい』と伝えたら、貸し出してくれたのだ。
……装備が揃っているのは有り難いことだ。
思いながら俺は短剣に握り、見る。
刀身はいつも使っている剣の三分の一もないくらいだが、これくらいの方がこの環境では適しているだろう、などと思いつつ、
「質がいいな、これ」
手にした感覚から、上等な作りであるのがわかった。そんな感想を述べると、シドニウスは嬉しそうにほほ笑んだ。
「はい。騎士団の装備は良質なもので揃えておりますので。特にそれは、私が重宝している鍛冶師の力作になりますので、特に使いやすいかと思います」
「え、良いのか。そんなのを借りちまって」
「構いませんよ。必要なのであれば、どんどん使ってもらうべきだと思いますし。装備としてもありがたいでしょうし。……しかし、その剣の触れ方を見るにアクセル殿は短剣も使えるのですね」
シドニウスはこちらの手元を見ながら言ってくる。
「まあ、程々にな。大体、竜騎士の技として投げつけてたから、《短剣術士》みたいな事は出来ないけど」
「そうなのですか。……いや、もしも投げつける必要性があったら、今回も投げつけて頂いて、構いませんよ? 下は人払いしてありますし」
「はは、まあ、その時が来たらな」
そんなことを話しながら、俺とシドニウスは数分かけて、果実がぶら下がる枝の前までたどり着いた。
枝から下がる数個の銀色の果実は、ほのかに甘い香りを漂わせている。
「これを取るんだよな?」
「はい。箱に入れて持ち帰るまでが勝負です」
「そうか。……行きでは、魔獣たちは襲ってこないんだな」
ペネトレイトビートルは木の樹液を吸って生きる食性を持っており、餌場に対する縄張り意識はある。だから、その縄張りに入った瞬間、人を襲う傾向にあるが、今は全く襲ってこない。
「そうですね。奴らは、この果実をもぎ取って、戻ろうとした瞬間から来ますね」
「そりゃまた限定的というか、変な習性になってるな」
この神樹はかなり特殊な木だし。
そこに住み着いて、習性が変わったのだろうか。
モカ達は調査中だと言っていたけれど。
「ま、そういうことなら、今は安心して収穫しようか」
俺は背中から鉄箱を降ろし、足元に置く。
そして目の前で甘い香りを振りまいている果実を手のひらで包むように触れ、もぎ取る。
すると、果実についていた細い枝は容易くねじ切れ、俺の手の中に銀色の球体が収まった。
傷も無い。完品だ。
それを確認してから鉄箱の中に仕込まれたクッションに埋め込むように置いていく。
「採取するのは、簡単だな」
「ですね。これを収めるまでは、私も問題なく出来ていたのですが……」
シドニウスは言いながら歩き、腰の剣を抜き、俺の背後を守るように構えた。
見ればそちらには、既にブブブ、と羽音を立てる虫たちがいた。
「……ここからが本番な訳か」
俺は膝をついて、鉄の箱のふたを丁寧に閉め、背負い直す。
そして短剣を逆手に握った状態で、立ち上がる。
それだけで、明らかに意識の向き方が変わった。
俺の方――正確には、俺が背負う鉄の箱に、敵意の様なモノが向いたのが感じられた。更には、
「上と下と、歩いてきた方にも、いるな」
ここは枝の群集地帯だ。どこから出て来てもおかしくはない。
枯れていて、葉が少ないから見易いというのは不幸中の幸いという所だが。
「作戦通り、少し距離を開けて私が背後側を守ります。後ろからの攻撃はお任せを。アクセル殿は前に集中して頂ければと」
「了解。じゃあ、行くぞ」
その言葉を合図として、俺たちは戻り道を進む。
荷物を崩さないように、少し遅めの走り程の速度だ。
往路でゆっくり時間を掛けて道を把握したので、衝撃を背中にもたらさない程度の速度でも、数分も掛からず戻れる距離だ。けれど、
「……最悪、数十匹位は相手にする必要があるな」
「はい、来ます……!!」
瞬間、斜め後ろから、ガイン!と金属音が響いた。そして、
「ぐ……」
と衝撃を堪える声も。
一瞬、見ただけで分かる。
シドニウスが剣でペネトレイトビートルを弾いたのだ。
三十センチほどの甲虫が、外に吹っ飛んでいくのも確認できた。
「大丈夫か」
「はい……。この威力があるから、箱に当たったら、終わりなのですよね……!」
筋骨隆々としたシドニウスが、両手で構えた剣を揺らすほどの威力だ。
それに小さいので、当てづらさもある。
それでもしっかり迎撃したのはシドニウスの技量が凄いからだろう。
確かに、これは厄介な相手かもな、と思いながら歩いていると、
「また来ます!」
「みたいだな」
背後と上方、そして左方より、甲虫が来た。
三方向からほぼ同時だ。
背中はシドニウスに任せるとして、他の二か所は相手をしなければならない。
「まあ、やるか」
第一に考えなければいけないのは背中の果実だ。
いくら相手を倒せても、攻撃の衝撃で壊れたらおしまいだ。
だからこの魔獣たちがいると聞いて、俺の方針は決まっていた。
思い、俺は上と左から来た甲虫に対し、まず短剣を向ける。そして――
「……今回は、背中重視で、倒すの度外視だな」
俺は上から来た甲虫の角に短剣を当てた瞬間、手首を捻った。
そして進路を誘導してやるように、左方へと体を回し、
「そっちに行ってな」
「……!?」
突撃の勢いを殺さないようにして、左から来る甲虫に向けてに流した。
いきなり進行方向が変わった事に驚いたのか、甲虫は驚き、動きを止めようとするが、
「――!」
左から来たモノとぶつかり、そして下へと落ちて行った。
……上手く行った。
思いながら、俺はその動きを連続させる。
そう。上や下からも来るが、基本的に来る場所は背中の一か所だ。
そこにさえ、気を付けておけば、進路は簡単に読めるのだ。
あとは受け流す瞬間の力加減さえ間違えなければ問題はない。
……この短剣も頑丈だしな。
時折り良い角度で来る甲虫は、刃筋を立ててればそのまま切り裂けるほどに鋭利だし。
良い武器だ。
衝撃を荷物に伝えるわけにはいかないので、出来るだけ腕だけで攻撃を完結させる必要があるが、腕の運用だけでも充分やり合える。
……要するに、攻撃も防御も回避も、背中に衝撃を与えなければ、何をやったっていいんだからな。
この位の衝撃ならば大丈夫、とここに来る前に半分崩れた果物で実験したし。そのラインを守っていさえすれば、オーケーだろう。
「さ、このまま、行くか」
そうして、俺は甲虫たちを斬り払いながら進んでいく。
●
「これで、短剣を程々に使えるレベル……ですと」
自分のすぐ背後……いやもはや隣になった所で行われる行為に対しシドニウスは、凄まじい、とまず思った。
「……手首の動きだけで衝撃を吸収している……」
剣と硬質な物がぶつかり合う金属音も、ほとんどしていない。
つまり、衝撃をほぼ完全に無にしているということだ。
しかも、背中の箱にはそもそも、掠らせもしていない。
足場は良いとは言えず、決して早い動きではないのに。
背中の鉄箱を動かさない程にゆったりとしているにも関わらず、攻撃を避けながら撃ち落としている。
武道の型を見ているようだが、それ以上に動きによどみがない。
止まる事が、ない。
「上下の、死角から来ているのに。……こんなに小さいものでも、見えているのですか……」
「動いているから、多少はな。でも、全部じゃないぞ」
しかも、こちらと会話する余裕まであるようで、普通に答えてくる。
「こいつらは小さくて全部を一々視認していると大変だからな。基本的には自分の周囲の空気の流れを把握して、動きがあったら、その位置に手を持っていってるだけだしな。貸して貰った短剣の耐久性も抜群だし、意外と楽だぞ」
「な、なるほど……これで、楽……? なのですか」
目の前で起きているのは明らかに超絶な戦闘技術だ。けれど、これを楽だという。
元竜騎士だとはいえ、現状は運び屋である彼が、そういうのだ。
……この人は一体……。
と、そこまで思った瞬間、シドニウスの目に、黒い影が映った。。
「っ、アクセル殿! 前、塊で来ました……!」
見れば、ペネトレイトビートルが一塊になって突っ込んでこようとしていた。
受け流されまくった事を自覚したのだろうか。
重量と面積を持って、アクセルごと背中の箱を打撃しようとしているように見えた。
……あれは、短剣では防げない……!!
自分の剣であれば防御は出来るだろうが、しかし衝撃を受け止められるかは別だ。
あれは不味い。
どうにかする方法を考えねば、とシドニウスは冷や汗をブワット浮かべた。が、
「ああ、あれは問題ない」
アクセルは何事も無いように、普通に前へと進む。
「え……何を――!?」
こちらが呆気にとられる間に、集団となったペネトレイトビートルは突っ込んできた。
硬質な甲虫たちが面となって衝撃を与えに来る。そんな一撃に対し、
「こんなに大きいのが直線的に来るなら、こうして――」
短剣を手放したアクセルは、腰元に付けていた輸送袋の口に片手でつかみ、
――ガバッ!
と、思い切り口を広げて、ゆったりとした動きで、目の前をさらった。
それだけで、突っ込んできた甲虫たちは、跡形もなく、その場から消えていた。
「うん。取れた取れた」
「ゆ、輸送袋で捕らえたのですか……?!」
あれだけ高速化した虫の間合いを見極めて、自分は早く動けないというのに。
そんな、こちらの驚きながらの問いかけに、アクセルは、まあな、と頷く。
「あんなに一か所に集まってくれたんなら、そのまま取ればいいから、楽ではあるんだ。こいつらは結局、小さくて、早いのが面倒なだけだからさ。一個の特性が消えたら、そりゃまあ、やりやすいさ」
と言った上で、しかしアクセルは苦笑し、
「出す時は周りを考えなきゃいけないけどな。あとで一匹一匹倒す必要があるし」
その言葉で、シドニウスは、はっと我に返る。
「あ、っと……そうですね。もしお出しになる際はお任せを。単純な戦闘でしたら、我々騎士団でも対応できますので」
「そうなのか? それじゃ、退治はよろしく頼むわ」
アクセルはとても気楽に言ってくる。
あれだけの事を見せてくれたというのに、なんとも自然体だ。
それを見て、シドニウスは内から震えの様な物が来るのが分かった。
「何といいますか、私の代から、グランアブル流に、貴方の動きを取り入れ始めたのですが、やはり正解だったようです……」
「え? そうだったのか?」
「戦争時に、竜騎士だったアナタの動作は何度も拝見しましたからね。……ここまで近くで、細部を見れたのは初めてなので興奮していますが」
そう。自分が戦場にいた時、空で行われていた憧れの戦闘。そこでなされる行動の数々を見て、効率的な動きとして真似て、取り入れた。
お陰で代々続く流派が、より実践的になったと、師父からお墨付きをもらったくらいだ。
「だから、今さらですが、物凄く有り難いもの見せて頂いて、感謝しています」
そんなこちらの言葉に、アクセルは頬を掻いて苦笑する。
「まあ、うん。何度も言うけれど、役に立ったようなら、よかったよ。……んでまあ、とりあえず、着いたな」
「あ、……本当ですね」
どうやら、話している内に、広間に戻ってきたようだった。
そして、周囲に敵意が無いのを確認して、アクセルが鉄の箱を開けて中身を確認する。
すると、箱の中には、
「おお、これは……!」
「うん、成功だな」
傷ひとつない果実が幾つも収まっていた。
採取してきた全てが無傷だった。
「素晴らしいです……アクセル殿!
「はは、まあ。あとはこれを必要としている人の所に、届けようか」
そしてシドニウスは、アクセルと、そして今まで自分ですら運べなかった成果物と共に、魔法科学ギルドへ向かっていく。




