第31話 油断大敵
躯と革袋を片手にしていた男は、こちらに見るなり、顔の傷跡を大きく歪めて、面倒くさそうな表情を浮かべた。
「こいつみたいにまた、好奇心に引かれた商人が来やがった……って訳でもなさそうだなあ。その為にジャッカロープを配置したんだし」
血が滴る誰かの躯を足で小突きながら傷の男はぼやく。
「しょ、商人……? な、なにを言っているの?」
「まあ、何だっていいや。ケツの青そうなガキ二人と、ひょろい運び屋一人ってなると、喰いごたえがなさそうだが、オレの愛しい子たちへの供物だ。有り難く頂こう」
ぞっとする怖気を出してくる。
「新しい餌だ。この脚共々食ってしまえ。ブラッドシャーク」
言って、弄んでいた躯の片足を掴み、こちらに向けて投げた。刹那、
「ァァァア……!」
「っ!?」
近くの水辺からいきなり、大柄なサメが飛び出してきた。
大口を開けて、放り投げられた足を飲み込んだ勢いのまま、こちらを食わんとばかりに迫って来る。
「な、なんだこのサメは!」
「驚く前に防御よ!」
「おう!」
セシルはジョージと共に武器を構え、息を合わせて、ブラッドシャークと呼ばれたサメ型魔獣の突撃を受け止めた。
「へえ、チャージを止められる……ってことは、戦闘系の冒険者か」
その様子を見ても男は余裕を見せている。
だが、当然だ。何せ、
「この魔獣、強い……!」
「サメが陸上に来てんのに、なんで馬鹿力のままなんだよ……!」
水辺から来た、見知らぬ魔獣の力は強大だったのだから。
それはもう、二人で武器を構えて受け止めても、正面から押し切られかねない程に。
「この……ぉ!」
それでも二人は持ち前の武器を振り切り、大口を開けたサメを打ち払い、水の中に叩き返した。
「ほう、第一波を防いだか。中々、喰いごたえのありそうな筋肉をしているようで何よりだ」
「くっ……余裕を出しやがって。こんな強大な魔獣を、どこで従えやがったんだ、あのヤロウ……!」
「ええ。魔獣を従えているということは、《魔獣使い》ビーストマスターなんだろうけれども……こんな強力な魔獣を、こんな操り方をする人がいるだなんて……!」
ジョージが眉をひそめながら吐き捨てた言葉に、セシルも頷きながらぼやく。
そう、魔獣使いなら、スキルを使って魔獣を使役する事が可能ではある。だが、
……魔獣使いがスキルを使って操るなら、必ず魔獣に「支配の首輪」が装備されているのに……。
それがスキルを使って使役されている魔獣の証だ。
実家でも見た事がある。使役されている魔獣にはその特徴が必ずある。
けれど目の前に入る魔獣たちはどこにも首輪など付けてはいない。
なのに、目の前にいる男にだけは敵意を向けず、こちらにだけ牙を向いている。どういうことかは分からないが、
「っ……一体……どこのギルドで鍛えられた魔獣使いなのよ……!!」
こんな技術を隠し持っているギルドがあるなんて、と歯を食いしばりながら放ったセシルの言葉に対し、目の前の男はふん、と一度鼻で笑った後、
「ギルド? 魔獣使いだと? ……さっきから何を言うかと思えば……オレを、神に尻尾を振る脆弱な奴らと一緒にするなよ……!!」
怒気と共に、睨みつけてきた。
「っ……!」
その眼つきから来るのは、寒気がするほどの殺気だ。
ぶるり、と震えが来るが、歯を食いしばり、小さな声が漏れ出るだけに抑えた。
が、それでも、背筋の震えは止まらない。
「……ジョージ」
「ああ、言われなくても分かるぜ姉さん。あいつはやべえ……。戦争帰りの師匠が本気を出す時みたいな上級職レベルの殺気を飛ばしてきやがる……! 魔獣を使う上に、この殺気たあ……何の職業なんだがな……」
同じく殺気を感じたジョージは、額に浮かんだ汗を拭いながらそう言った。だが、傷の男はその言葉も気に食わなかったようで、頭をがりがりとかきむしる。
「職だ何だと……貴様らは、どこまで行っても神の尺度で測るのだな。ああ、気に入らん……。魔人であり、魔人衆であるオレが、神の力など使うわけがないだろう!」
「ま、魔人……?!」
魔人とは、魔王戦争時に魔獣側に加担したものだ。魔獣の加護を受け、人にあだなす危険な存在。だが、戦争が終わった頃にギルドや英雄たちが行った討伐の効果もあって、ほぼ全ての魔人は倒されたという話だが、
「なんで、そんな奴がここに……」
「どうでもいい。これ以上、魔人のオレを不愉快にするな。神に従う物は皆等しく餌だ。だから――そろそろ潰して食い散らかせ、ブラッドシャーク……!」
傷の男が指を弾いて音を響かせた。刹那、
「――!!」
先程、自分たちを襲って来たのと同種、同型のサメが複数匹、水辺に寄って来た。
「なっ……こ、こんな数を操っていたの……!?」
「そのまま食われてろ、ガキども」
魔人を名乗る男は言葉短めに吐き捨てた。
そして、彼の言葉に従うように、数匹のブラッドシャークは自分たちの横合いから一斉に突っ込んでくる。
「くそ、さっきより速――!」
先ほどよりも数段上の速度で、食いちぎろうと口を開けた状態で。そして――
「――そうはいかん」
こちらの肌に届くよりも早く、アクセルの剣が、全てのブラッドシャークを切り裂いた。
「う……え……」
「あ、アクセルさん……!」
「……運び屋、貴様……何をした……?」
自分を含めて、反応の仕方は三者三様だ。
けれど、そのどれもが、驚きによるものに間違いは無かった。
……林で私の槍を使った時より、更に速い……!? どんな練度をしているの……!
と、驚愕の視線を向けているとアクセルは、魔獣の血を剣から振り払いながら、こちらへと歩いてくる。
「俺の仕事は観察役で、その二人は強いから上手くやればブラッドシャーク程度の中級魔獣にも余裕で勝てるし、何度も何度もあまり出しゃばるべきではないと思うんだが――そこにいる奴が、魔人を名乗るんだったら話は別だ」
言葉が終わると同時に、アクセルは傷の男に、一瞬で肉薄した。
それはもう、目で追うのがやっとな速度で。
「貴様っ! ……ただの運び屋ではなぃ――!?」
「――騙りかどうか分からんが、魔人を名乗る奴に容赦はしない」
それ以上、何を言わせる間もなく、アクセルは手にした剣の腹で傷の男をぶん殴った。そして、
「ごぉっ……!?」
高速かつ重量ある一撃をその身に受けた傷の男は、勢いよく壁面に打ち付けられた。その後、力を失ったかのように崩れ落ちるのだった。




