10話 見た目以上の
「はい、どうぞ、お二人とも。これをお持ち下さい」
霊水を輸送袋に入れ始めたアクセルとは別の水瓶を使い、霊水入りのボトルを作ったミカエラは、バーゼリアとサキに手渡していた。
「わあ、有り難う、グレイスー」
ボトルを受け取って嬉しそうにしたバーゼリアはしかし、その後で喉を抑えた。
「うあー、でもさっきお水を飲んだばかりなのに、結構すぐに乾燥しちゃうなー。頑張れば耐えられるけど」
「竜王ハイドラ、貴方は普段から体温が高いから乾きやすいですからね。……まあ、この紫嵐……というのでしたか? 実際に喰らってみた感じ、脱水効果や、脱魔力効果は、結構長く続くみたいですが」
「サキさんは、魔法系統のダメージについて直ぐに分かってしまうのですね……」
冷静に分析しているサキに対し、ミカエラは驚きが少し混じった頷きをもって返す。
「サキさんの仰る通り、それがこの紫風の大変な所です。普通の砂嵐以上に強力な脱水、脱魔力をしてきますから。以前までの砂嵐であれば治してくれる霊水でも、直ぐに効果が失われてしまうので、飲み続けなければならないのです」
「それは……中々重労働ですね。水が尽きたら危険でしょうし」
「はい。ですから探索は思うように勧められていないのです。……勇者様たちはまだ、平気でしょうが、それでも長時間いたら、直ぐに脱水してしまうくらいですから」
「うう、グレイスー。霊水をもう一杯、貰ってもいいー? 喉が渇いちゃった」
「あ、どうぞバーゼリアさん。水瓶は自動的に水を満たしてくれるので、どんどんお飲みください」
「わあい、ありがとー!」
ミカエラはコップに新たな霊水を注いで、バーゼリアに渡すと、彼女は嬉しそうに飲み始めた。
霊水の効果はすぐに現れ、彼女の皮膚にあっという間に潤いをもたらしていく。
……ただ、効果がすぐに現れるという事は、勇者様たちにも確実に被害が行っているという事です……。
そうなのだ。
勇者たちは強いと思う。
上級職を持つ自分たちが対砂嵐用の装備を固めていても、すぐさま水と魔力を奪われるのに、彼女たちは少し乾燥するだけで済んでいるのだ。
竜王であるというバーゼリアも、魔術の勇者であるサキも、上級職のそれとは違う耐性を持っているのがすぐに分かる。
しかし同時に思うのは、
……勇者様ですら、被害を受ける程、この紫嵐は強力なのですね。
そう実感してしまった。
耐性があっても、影響ゼロではないのだ。
……これから、この中を進まないといけないというのに……。
魔法の水瓶からアクセルが輸送袋に水を入れている間、改めて、ミカエラは砂漠が映る窓を少しだけ開けて、眺める。
強い風が吹いている。
強風は窓やドアを打ち、そして、口腔の僅かな隙間をこじ開けるように、風が入ってくる。
乾燥した風だ。
少し呼吸しただけで、喉に引っ掛かるような違和感が生まれる。
喉や舌を湿らせようとして出てくる唾液すら、奪い去っていく。
無理やり口を閉じても入ってくる。
探索するためには、この風と砂の中、霊水を補給しながら歩いていく必要がある。
……そうです。こんな中を、勇者様はともかく……。勇者でなくなった、運び屋となった彼が、本当にいけるのでしょうか……?
頼んでおきながら、酷い疑問をしていると自分で思う。
だが思わざるを得ない。
常に身体から水分を奪っていき、数分で喉は渇き、何もしなければ十数分で身体が不調を訴える。
上級職を得て、それなりに強い魔力防護スキル、耐性を持つ自分ですらそうなのだ。
そしてこの砂嵐は砂漠の奥の、ある地点に近づけば近づくほど、強く水と魔力を奪ってくる。そういう性質を持っていると、既に調べがついている。
そして――これから人を探しに行く場所は、そういう地帯も含まれている。
……彼は、ただの運び屋ではない、と知ってはいます。それでも……。
これは無謀をさせてしまっているのではないだろうか。
自分が無理やり頼んだから、変に期待したから、彼は依頼を断り辛かった筈だ。もしかしたら、本意ではないかもしれない。
……無茶は、させてはいけません。
だからミカエラは、もう一度、実行の意思を尋ねようと思った。
その為に、窓を閉じて、水を輸送袋に入れているアクセルの方を向こうとした。
その時だ。
「あ、ミカエラさん」
アクセルから、先に声をかけられた。
「え? あ、はい。なんでしょうか?」
「この魔力の入った水なんだけどさ。持てるだけ持っていっていいんだよな?」
「勿論です。そうして貰った方が安全ですし。でも、どうしてです? もしかして、輸送袋がいっぱいになったけど、もう少し持っていきたいとか?」
だとしたら、容量は少ないが携帯用の瓶がある。それを渡すべきだろうか、と思ったのだが、彼は首を横に振った。そして、
「いやさ。水瓶の中身が無くなったから、もっと貰っていいかって思ってさ?」
「え……?」
そんな事を言い始めたのだ。
「な、無くなった? ちょっとまって下さい。水瓶が枯れたということは、この水瓶一個の中身が、全部入ったのですか?!
「ああ。入ったな。見た目以上に沢山入れられて驚いたし、自動で湧き出てくるって話だったのに、無くなって二重の意味でビックリしたが」
「そ、それは当然ですよ。水は自動で生み出されますが、限度はあるのですから……」
この瓶ひとつで、人が数日、日常生活で使い続けても問題ないほどの量が湧き出てくる。そも、ひとつひとつの大きさだって、普通の水瓶とは違う。なのに、
「全部、入ったというの……ですか? その輸送袋に? しかも、まだスペースに余裕がある、と?」
「ああ、これだけあれば、地図上での距離を考えた場合、俺が捜索して帰ってくる分は問題ないと思う。でも、ここを出たら補給できないと考えると、限界まで持った方が良いと思ってな。だから、まだ水に余裕があって、入れて良いというなら入れたいんだ。それで……他の水瓶を使ってもいいのか?」
「あ、は、はい。勿論です。こっちにも、まだまだありますから……」
「そうか。良かった。じゃあ、もっと追加で入れさせて貰うよ。多分、ここにあった分量くらいなら、もうワンセットははいるだろうからさ」
普通に、何事もないような笑みを持って、アクセルはそう言った。
「――」
その台詞にミカエラは絶句した。
あまりに、規格外すぎると。
そうして口をぽっかり空けていると、
「肌のピリピリも収まってきたー。凄いなあこの水ー。ご主人もお水飲もう――って、凄い肌つるつるだね、ご主人」
「あ、本当です。あんまり乾燥していませんね?」
「本当か? 喉はそこそこ乾いている気はするんだけどな」
「だって、ご主人の顔すべすべだよー。ボクの頬と比べれば分かるけどさー」
バーゼリアが、自らの頬とアクセルの頬を擦り合わせながら言う。
「あ、こら、竜王ハイドラ。何をすりすりしているんですか」
「いや、だってこうした方が感触分かるでしょ。どうご主人」
「もっちりしている感じはするが……確かに所々、バーゼリアの肌にしてはさらっとしている部分があるな」
「でしょー。ご主人の顔はなんだろうねー。竜騎士の兜を被っていたから、加護が残ってるとかなのかなあ」
「流石にそれはないと思うんだがな。耐性力の強さが影響しているとかじゃないか」
「かなあ……」
「私たち以上に、アクセルの肌は強い、ということなんでしょう。ええ、結果が出たんですから、そろそろ離れる事です、竜王ハイドラ」
そんな風に、自然体なやりとりをしている彼らを見て。
何となくではあるが、直感した。
……ああ、この人なら、頼って、大丈夫なのかもしれない。
そうして、目の前で、新たな水瓶から水を補給しているアクセルの姿を見て、ミカエラは、そんな安心感にも似た思いを抱くのだった。