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小夜

作者: と〜や

「……さむ」


 お早うございます、の駅員さんの掛け声に曖昧に会釈して改札をくぐり、ホームに降りる。

 電車が来るまでの五分がこの時期はとてつもなく長く感じられる。

 今日は風が強いから最悪だ。

 昨日よりは暖かくなると聞いていたから少し薄着にしたのに、この風は想定外だ。

 きれいに晴れた青空を恨めしげに睨み上げる。

 ホームの屋根に切り取られた空は、向かいのホームの向こう側にそびえる大きな木の枝で半分隠されていた。

 こんな駅近くにこんな大木があることに、今まで気がついてなかった。この駅から会社に通うようになって二年も経つのに。

 それにしても立派な木だ。田舎では似たような木が神社にあったのを思い出す。神木として祀られた木だというのによじ登って、怒られたっけな。

 電車の到来を知らせるベルの音がけたたましく鳴って、僕は思考を中断させ、電車の来る方向を見る。

 今日もホームは人でいっぱいだ。

 入ってきた電車の巻き起こす風になぶられ、後ろに並ぶ人の波に押されて鉄の箱に乗り込む頃には、木のことなどすっかり忘れ去っていた。



◇◇◇◇


 次にその木に気がついたのは、ずいぶん経ってからだった。

 春先の土砂振りの雨の中、バスの遅れでいつもの電車を逃した僕は、ホームでふと顔を上げた。

 グレーに塗り替えられた空からは切れ目なく雨が落ちている。

 向かいのホームの後ろにはうっそりとあの木が立っていて、そうでなくとも暗い空が一層暗く感じられる。

 以前見たときは葉も落ちて寒そうに見えた木の枝には青々とした葉が茂り、煙るような雨風を受けてしなるように流れ、ざわめいている。

 しばらく乾いた日々が続いていたから、植物にとっては恵みの雨だよな、と眺めていた時だった。

 その枝の間に、赤いものが見えた。

 雨で視界が悪いはずなのに、どうしてかそれははっきりと見えた。


「……女の子?」


 赤いレインコートを着た女の子が、枝の間に座っていた。フードからはみ出した髪が風に揺れているのまで見える。

 もっとよく見よう、と思わず一歩足を出したところでぐいと肩を引かれた。

 けたたましく警笛を鳴らしながら回送列車が至近距離を通過していくのを見送って初めて、すぐそばにいた人の声が聞こえてきた。


「危ないだろっ!」


 振り向けば、目を吊り上げたコート姿のサラリーマンがいた。

 電車の音も、駅のアナウンスも聞こえてなかったのだ。

 サラリーマンや後ろにいた人たちに頭を下げ、すぐあとに入ってきた電車に乗り込む。

 人の隙間から遠ざかる木に目をやったが、木の上に人影はなかった。


◇◇◇◇


 忙しい日々の中で、だんだんあの時の人影を忘れていった。

 次にそのことを思い出したのは、秋が終わって冬が来る前だった。

 いつもは夜遅くでないと帰れないから、駅に帰り着くのは真っ暗になってからで、木に近い下りのホームから木の姿を見たことはなかった。

 体調を崩して嫌味を言われながらも午後休を取った僕は、昼日中に立つあの木を見上げて目を丸くした。

 ホームに面した側の枝が切られ、白い切り口をさらしていたのだ。その白さから、まだ切られて間もないのがわかる。

 駅近くにあるお寺の境内に立つ木だとその頃には僕も知っていた。

 おそらく、駅に落ちる葉や枝に苦情が行ったのだろう。

 太い枝も切られて白い傷を晒している。

 傷、ととっさに思った。これほど立派な木でもあっさりと切られてしまうのだ。

 田舎であれば、神木とされてもおかしくない立派な木だったのに。


「惜しいな……」


 誰もいなくなったホームでポツリと呟く。


「ありがとう」


 後ろから聞こえてきた声に振り向いたが、誰もいない。

 電車が着いてからずいぶんたっていた。次の便に乗る客もまだいない。

 気のせいだろう、ともう一度木の方を見やると、赤いコートが見えた。

 レインコートをまとった少女は、木の枝に座ってこちらを見ている。これほど離れているのにどうして見えるのか、わかるのか。

 そんなことはどうでもよかった。

 僕ははじかれるように走り出した。エスカレーターを駆け上がり、改札を抜ける。


 寺は、誰でも参詣できるように門が開かれていた。

 導かれるように木に歩み寄ると、風がないのにさやと木がしなった。

 近くに寄れば木は思っていたよりずっと高く、太い幹を持っていて、田舎の神木を思い起こさせる。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 木の根元には――彼女がいた。

 自分が見たのはただの幻だと、ずっと思っていた。

 赤いレインコートを着たその子は、小学校に上がったばかりくらいに見えた。

 遠目にもそのくらいに見えていたが、近寄ってみると、あちこちに絆創膏が貼ってある。


「痛くない?」


 少女はこくりとうなずき、ほんの少しだけ微笑んで見せた。それが逆に儚く見えて、息を飲む。


「こっち」


 少女に導かれるままに木のそばに寄れば、すぐ裏は崖になっていて、フェンスからはみ出た部分が切られたのがわかる。


「惜しんでくれたのは君が初めて」


 幼い少女に君、と呼ばれたのはなんだか奇妙に感じたが、そういうものなのだろう、と僕は飲み込んだ。


「痛くないかと問われたのも」


 では、この絆創膏はそういうこと(・・・・・・)なのだな、と悟る。

 どう言葉を返せばいいのかわからなくて、僕はじっと少女を見つめた。少女も同じように目を合わせていたが、すい、と視線を逸らした。


「毎朝、あの場所で見る」


 彼女の視線の先には、先ほどまで立っていたホームが見えた。かなり小さく見えるということは、思ったより離れているのだろう。


「疲れた顔で、鉄の箱に乗って行くのが見える。時々来ない日がある」

「それは、土日が休みだから……」


 言い訳がましく口にしたが、振り向いた彼女の透き通る目に言葉を失った。


「知っている。土日は住職がやかましく説法を垂れる」


 なるほど、とちらりと社務所の方を見る。今日は平日だからか、静まり返っている。

 沈黙が流れ、僕は木を見上げる。

 駅で声をかけられた時の焦燥感は去っていた。

 体調不良で帰ってきたというのに、ここまで走る元気があったことに今さらながらに気づく。

 そういえば、喉の痛みも熱っぽさも、体のだるさもない。

 ふわりと手に当たるものに気がつけば、少女に手を握られていた。幼女特有の柔らかさと暖かさが伝わってくる。

 ざわりと風が木を揺らした。


「もう、大丈夫」


 それは何についてのことなのか、首を傾げたが、少女はふわりと笑みをうかべるだけだった。


◇◇◇◇


 以来、朝ホームに立つと、木を見上げるのが習慣となった。

 彼女はいつも木の枝に座り、じっとこちらを見ている。微笑むでなく、手を振るでもない。ただ、じっと見つめている。僕もじっと見つめるだけ。

 土日には時折寺まで行くようになった。

 この間は住職に声をかけられた。どうやら『檀家でもないのに頻繁に寺に来る変わり者』として認識されているらしい。説法にも誘われてしまった。

 見つかると説法に引っ張られるので、最近は説法が始まったあとの時間を見計らって寺に行くようにしている。

 そういえば、境内に切り落とした枝が残してあるのを見つけた。

 住職によれば、ごみとして処理する気はなかったらしい。手ごろな枝を削って手のひらサイズの地蔵を作っては説法を聞きに来た人に配っているらしい。

 僕も一つもらった。

 それから時折僕のボロアパートに手のひらサイズの少女が現れるようになった。

 どうやら木の一部があればどこにでも現れることができるらしい。他の地蔵のところにも行ってるのかと聞いたら、彼女が見えるのは僕だけらしい。

 とはいえ、僕の部屋に来たところで何かするわけでもない。ただ地蔵の隣に座り、じっと見ているだけだ。

 面白いのか、と聞いたことがある。

 仕事の日は朝早く出て夜遅く帰ってくるだけだし、土日は家のことをして買い出しに行く程度だ。面白いとは思えないのだが、人の営みは面白い、と言う。

 やはり感性も考え方も人とは違うのだろう。

 そういえば、彼女に呼びかけようとして、名前も知らないことに気がついたのは、彼女が僕の部屋に現れるようになってからだった。彼女は僕の名前を知っているのに、と聞くと名はない、というので小夜、と勝手につけた。

 名をつけた時に初めて笑った。いつもは表情のない顔をしていたが、その時だけは、ほんのりと頬を赤らめた。

 以来、僕の部屋には小夜が居着いている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほやほやした感じて、癒されますね。 ミニ小夜ちゃんは、日中は何をしているのでしょうか?
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