触らぬ早良に祟りなし。
『助けてあげる』
そう言って、彼女は笑った。
にやりと、不気味に怪しく、醜くも恐れを抱かせるように。
「ブス! キモイんだよ!」
なんでお前は生きているの?
朝から見るのも迷惑なんだけれど!
イジメとは、極めて理不尽な理由で幼稚に相手を貶め傷つける、所謂、ストレスをぶつける八つ当たりのシステムである。
早良 祝子はその存在を祝う名前とは真逆の人間で、体は丸く、その身から滲み出るオーラは常に陰鬱。
友達は居らず、学校では一人以上でいることはない。
読書が好きなのか休み時間は背中を丸め、顔を埋める様に本を読む。
せめてもっと気弱で、小動物のように怯えた仕草の一つでも取れたなら、彼女を守りたいとお節介な者の同情を買う事も出来たのかもしれないが、如何せん残念なことに彼女は得体の知れない不気味な自信と他人を見下す様なきつい目つきの持ち主なのだ。
「あの、早良さん。その、数学の課題……今日が締切で……先生に回収して来いって」
「ああ……どうぞ」
話しかけても無視はしないが会話が続かないのはコミュニケーション能力が著しく不足しているのだろうか。
イジメられる人間はイジメられるべくしてイジメられるものだ、と誰かが言った。
だとすれば不気味でぶっきらぼうな彼女がクラスの女王様に目をつけられたのは、至極当然なことだったのかもしれない。
女王様は言う。
クラスみんなでイジメましょう。と。
早良 祝子はイジメをものともしない強い精神力の持ち主だ。
物を隠されても、捨てられても、理不尽に罵られて笑われても、暴力を受けたって黙って女王様達を感情の無い目で見つめていた。
女王様は自分の思い通りにいかない人間が嫌いだ。女王様は可哀想な玩具が泣いて喚いて、怒って暴れて、それでもどうにもならない女王様の力に屈伏することを望んでいた。
けれども、彼女はイジメを受け入れて、ただただ無視を貫いていた。
「早良さんは、すごい、なぁ」
私は、泣きながら、ビリビリに破かれて窓の外へと投げ捨てられた美術の課題を拾い集めた。
せっかく上手くかけたのに。先生に今度コンクールに出すよと言われたのに。絵はビリビリと、無情に舞い散って、ただの紙切れに成り下がった。
早良さんの“ついで” だった。
早良さんの絵を捨てる“ついで” に捨てられたのだ。
正直憎い。女王様よりも早良さんが。早良さんの絵の隣に私の絵があったことが憎かった。
「こんくーる、だした、かった、なぁ」
震える声で、早良さんも私も悪くないと思いながらも呪詛の様な言葉を吐き出す。
悔しくてたまらない。
憎い憎い憎い。早良さんの“ついで” でこんな目に遭うなんて、最悪だ。ムカつく。腹が立つ。
(早良さんのせいだ……)
早良さんが居るから。この世に早良さんなんて居るから。
(……ちがうもん……さわらさんの、せいじゃないもん……)
きゅ、と唇を噛む。我慢しきれず涙が零れた。
「……ごめん」
「……早良さんのせいじゃないよ」
「……」
「……」
「……いい」
「え?」
ぽつり。早良さんが何かを言った。
顔を上げる。
「……?」
目が合った。真っ直ぐ目が合って、早良さんのきつくて強い視線が私に突き刺さる。
「憎いでしょ? 私が。いいよ。憎んで」
「な? え?」
「慣れてる。皆そうだから」
にこり。彼女が笑った。
不気味で、怖くて、不器用な歪んだ笑みだ。
その笑顔に一瞬、背中が震える。
「……ん」
私は頷いた。憎い。女王様には勝てないから、早良さんを憎んだ。その方が感情を収めるのに楽だから。
でも分かっているんだ。早良さんのせいじゃない。百パーセント、そうじゃないって。
「……ごめんね。早良さん。私……自分も苛められたくないから早良さんのこと無視してた……」
でも結局こうなった。
自分がイジメられて、初めて早良さんがどんなに酷いことをされていたのか身に染みた。
「憎まないよ」
むしろ、憎まれなきゃいけないのだ。私が、早良さんに。
「憎んでいいのに」
ふ。呆れたように息をつく。
「さ」
「憎まれるのも楽しいものよ?」
「え?」
早良さんは立ち上がり、集めた自分の絵を、私の絵を掴んで、パッ! と空へと投げ捨てた。
ひらひらと舞い散る紙吹雪が早良さんを包む。
「優しい人は嫌い。だからあなたは嫌い」
空虚な目が私を見つめる。
ぐにゃりと醜く笑って、早良さんはうっとりと校舎を見上げた。
「彼女達はもう私には飽きてきたみたい。そろそろ頃合かな?」
「あなたは……一体」
「遊ぶなら最後まで楽しく遊ばないと。ああ、だからね。“ついで” に助けてあげる」
「なに、を?」
「“次はあなたの番だから”」
早良さんを虐めるのに飽きた女王様は次は誰を遊び相手に選ぶのか。
それは私。“ついで” に見つけた玩具候補。
彼女達にとってイジメは遊び。本気で嫌っているのではなく、ただ目について、生きようが死のうがどうでもいい相手だから弄ぶ。
明日? それとも明後日?
女王様からお呼びがかかるのは一体いつから?
「っ! ぅ……うう……いやだよ、いやだ……やだよぉ……」
痛いかな。辛いかな。苦しいかな。早良さんみたいに酷いことをされるくらいなら、死んだ方がマシだと思う。
「言ってるでしょ?」
泣かないで。傷だらけの指が私の髪を撫でた。
『助けてあげる』
「あはははははは! なにそれ! ウケる~!」
汚いトイレのタイルの上に更に汚い水を撒き、私はそこに倒れ込む。
やめてください。許してください。ごめんなさい。ごめんなさい。
私は何も悪くは無いのに汚い床に丸くなって許しを乞う。
女王様、並びに配下の少女達は麗しい笑みをたたえながら下品な笑い声を高らかに上げた。
デッキブラシの硬い部分で背中を打たれた。
綺麗にしてあげる。そう言って肌を直接磨かれた。
「あーたのしい」
女王様はご満悦だ。楽しそうに早良さんを頬を踏みつけて、けらけらと笑っている。
「やっぱりアンタ、いい反応するよね。早良は何しても無反応なんだもの。つまんなくて」
鼻血が出るほど殴っても、汚いトイレの便器に顔を押し付けても、早良さんは泣きも怒りも笑いもしない。無感情に佇むだけ。
感情をなくした? ううん。
もとから無感情? ううん。
「さ、わら、さん……」
同じ床に押し付けられた早良さんに声をかける。
早良さんはこちらを見た。
見た。見て。笑った。
『助けてあげる』
――どうやって?
「ねえ、知ってる?」
お昼休みの教室で、誰かが誰かの噂を話す。
「昔ね」
幼稚園、小学校、中学校と彼女が見てきた本当の話。
幼稚園の頃、同じクラスの〇〇君がある日突然、園をやめてしまった。噂では父親が母子を捨てて出て行った後、母親も他所に男を作って彼を置いて出ていったらしい。
まぁ〇〇君はイジメっ子だったから誰も引越しを惜しんだりはしなかったけれど。
次は小学校の話。彼女の担任の若い女教師はある日、気が狂って檻付きの病院に入院してしまったらしい。
突如、担任の先生が代わったことに驚きはしたものの、クラスの誰も先生が辞めたことに残念がりはしなかった。
なぜなら先生はひどい差別主義者で、気に入らない生徒は毎日どうでもいいことで長時間の説教をしたり、罰を与えたり、体罰なんかもしていたからだ。
そして中学の時は、ある部活の部員丸ごと登校拒否に陥った。
どんな理由があったかは知らない。誰も語らない。
確かその中の一人は自殺したらしいと風の噂では聞いている。
「不思議でしょ? それも私の通う学校ばっかりで、しかも私の学年の子ばかり」
なにより不思議なのは、その三つの事件。その中で共通して“ある人物” が関わっていること。
「うちの地域ではね、こんな諺があるの」
彼女に関わると、必ず不幸が起こる。
不気味でも、気持ち悪くても、決して悪口を吐いてはいけない。
抵抗しないからと言って、ちょっかいを出してはいけない。
『“触らぬ早良に祟りなし”』
〈――お昼の放送の時間です。今日はテレビをご覧下さい〉
いつもなら昼休憩は放送部がラジオ風に音楽を流すだけなのに、今日に限ってテレビ放送をするらしい。
クラスの男子が面白半分に教室に備え付けられたテレビをつけた。
『あはははははは!』
下品で高らかな女の笑い声が大音量で流れ出る。
『やめてください。許してください。ごめんなさい。ごめんなさい……!』
トイレの床に水浸しになりながら丸まり、悲痛な声をあげる少女の姿が俯瞰で映る。
ざわ。この教室だけでなく学校全体が揺れたような気がした。
『綺麗にしてあげる』
そう言って裸に剥いた少女の背中を、三組? の小林、だっただろうか、が黄ばんだデッキブラシで思いきり擦りあげる。
『あーたのしい』
入口に寄りかかり、床に倒れている誰かの(死角だから顔は見えない)頭あたりを踏みつけながら、偉そうに学年の女王様と呼ばれている藤原 江梨花がふんぞり返っていた。
美人で、社交的だが、お高くて狡猾。クラスのカーストの頂点であるギャル系の中でもトップにいる彼女に気に入られればステータスに箔が付き、嫌われればこの先の学園生活に傷がつくとこの学年の誰もが知っていた。
けれど。まさか。ここまで酷いことをしているなんて知らなかった。
(あ)
ちらり、女王様に踏みつけられた哀れな少女が一瞬だけこちらを見た。
(あーあ)
女王様は知らなかったのだ。幼稚園も小学校も中学校も、別の学校にいたからだろう。
(触っちゃったんだ)
きっとこの映像はただこの学校だけで流されるのに留まらない。
まずは教師、学校の偉い人から始まり、教育委員会、テレビ、新聞、インターネットを通じて国中、世界中に晒されることだろう。
そうなれば女王様はその座をボールのように転がり落ちて、そのまま奈落の底に真っ逆さま。
更に更に、彼女達の家族、果ては親族まで……。
早良は絶対に容赦はしない。
(憎まれれば憎まれるほど、傷をつけられれば傷つけられるほど、早良の中の怖い部分が大きくなって、災いになるんだ)
相手が嫌な奴ほど復讐は楽しい。そう言ったのは彼女が何歳の時だっけ?
「はは。ざまぁみろ」
誰かが言った。
“触らぬ神に祟りなし” の祟る神も、祟らぬならば人を救う神である。
ならば“触らぬ早良に祟りなし” であるのなら、早良もまた祟らぬならば他人にとって良き者となり得るのだろうか。
(ま、どーでもいいか)
今も昔もその先も、彼女は彼女に関わらない。
早良 祝子は関わらなければ、ただの普通の女子高生なのだから。