第十一話 名残
古沼原の戦いの合戦の結果は合戦が終わったその日のうちに九州中へと伝播した。
多田家の大敗と多くの重臣の討ち死には九州中の大名を驚嘆させた。
【豊後 臼杵城】
「なんと多田家が破れたか……まぁ好都合じゃの、いずれは南下し対峙せねばならぬ相手が勝手に弱まってくれたか」
派手な服、マントに身を包み髪を反りあげたこの男 豊前・豊後・筑前・日向を治める九州の覇王 大友宗麟である。
「ガブリエラ卿をここへお呼びするのです」
「ハッ!」
しばらくして一人の男性が宗麟のいる間に入った。
「オヒサシュウゴザイマス ドン・フランシスコ様」
「久方ぶりに、ガブリエラ卿。」
宗麟と似た格好をしているこの外人はキリスト教の宣教師のフランシスコ・ガブリエラである。宗麟は熱心なキリスト教信者でガブリエラを始め多くのキリスト教宣教師を手厚く保護し、布教を進めていた。そしてガブリエラよりドン・フランシスコというクリスチャンネームを与えられていた。宗教を通じてこの二人は固い絆を持っていた。
宗麟はガブリエラへと語りかけた。
「聖書と布教を進める志こそ九州に覇を唱えるために必要なものである。しかしそのためには多くの血が流るることは必至、判天連の各々方はこの所業許されるものであろうか。」
「ミチヲアヤマレバ神ハオイカリニナラレマス。シカシ、フキョウ、ソシテ、未来アル国ノノタメトアラバソノイカリハ道ヲ阻ム者ノタメニフリソソガレマショウ。」
「うむ、我は道は誤ってはおらぬ。この思想の伝播を阻む者共こそ悪なり、勿論我は迷わず進む。」
「ソノ固イオ志ヲオモチデアレバ心配ハゴザイマセヌ神ハ殿ノウシロニツイテオラレマス。」
「イエスの神を後ろに……か……ハッハッハ!!これは心強い!さぁでは城下へと参ろうかガブリエラ卿!」
「オトモシマス」
高笑いを弾ませて宗麟は城下へと降りていった。
【肥前 佐賀城】
「ガハハハハハハハ!多田家は自ら死地へと赴いたか!実に滑稽ぞ!ガハハハハハハハ!!!」
大笑いしながら大広間に座しているこの巨漢の男は肥前・筑後・肥後の一部を支配する大名 肥前の熊 こと 龍造寺隆信である。
龍造寺家は元々は少弐家の家臣であったが隆信の祖父である家純と父である周家が主君の少弐家から謀反の疑いをかけられ誅殺され隆信は曽祖父の家兼に連れられ少弍家を出奔した。その後、蒲池氏の力を借りて挙兵し、旧領の肥前を奪還、さらにかつての主君である少弐氏を滅ぼし勢力を強固なものとした。その後も勢力拡大を続け、近隣の豪族、大名を次々と降し九州の大大名として成り上がった。西日本で最大の下剋上を達成した猛者である。
「笑い事ではございませぬぞ殿」
そういって真剣な顔をしているのは龍造寺家の腹心であり軍師でもある鍋島直茂である。
「ガハハハハハハハハハハハハハハ!解っておる!この九州も混沌としてきおったが!それが楽しか!」
「まったく…殿は…」
ガラガラガラガラ!!広間の扉をあけて一人の武者が入ってきた。重臣の 江里口信常 である。信常は今、龍造寺家から島津家への寝返りを画策した蒲池鎮漣の居城を攻める軍の大将を務めていた。蒲池鎮漣はかつて龍造寺隆信の挙兵を援助した蒲池鑑盛の子であり鑑盛が亡くなった今の蒲池家の当主であり、隆信にとっては恩人の子だった。
「殿、蒲池鎮漣が居城柳川城 降伏勧告受け入れ申した。蒲池家の処遇ぞいかに」
「やっと落ちよったか!きな臭い謀反者め!」
「蒲池鎮漣殿は兵士、領民の助命を求めておりますが…」
「ふむそうか…」
そのとき横から鍋島直茂が口を挟む。
「殿、蒲池鎮漣殿の父は大友方とはいえ龍造寺家の復興に力添えを下さった御仁、ここで助命の条件呑まねば家中の目が畏怖に怯えましょう。」
「直茂、たわけたことを抜かすでない、父の縁と子の縁は別ものぞ、信常、城内老若男女問わず撫で切りにせい」
「と、殿!」
「御意に それでは」
信常は去っていった。
「畏怖に怯えるぞ結構!甘さを見せた大名が沈むのは世の常ぞこの龍造寺隆信の力、九州に唱えねばならん!この非情こそ世の常となるのだ!」
「……(非情なれどここまで龍造寺家を栄えさせたは殿の持てる業、こうする他あるまい…。)」
「ガハハハハハハハ!由利根家が島津を潰さばさらに面白いことになろう!ガハハハハハハハ…。」
【薩摩 内城】
「由利根家か…。注意ばしとかんとな。」
「ほう!兄者が注視するとはな!肝っ玉が小さくなっとるばい!」
「又四郎の兄者は大局感もっとらんばいそがなこと言うんじゃ」
「又六郎は考えすぎとるばい!もっと男なら目先を見て生きにゃならん!」
「中書よ、由利根はどう思う」
「特に今は何も感じんが、油断したときに何か起こしかねん臭いがぷんぷんしとる。」
この話し合っている四人は島津の四兄弟である。
当主で長兄の 島津義久 通称 又三郎
次男で軍好きの猛将 島津義弘 通称 又四郎
三男で知略に優れている知将 島津歳久 通称 又六郎
四男で軍略においては家中一の勇将 島津家久 通称 中書
島津家はこの四兄弟によって今薩摩を平定し、勢力を拡大、全盛期を迎えていた、兄弟の欠点を兄弟が補い、長所を生かす、その関係は戦国時代でも有数の連携であるといえるだろう。
そしてこの島津家はもうすぐに由利根家、そして久保正繁と激突することになるがそれは少し先の話である。
この多田家の敗戦により九州の注目は一気に由利根家へと動いて行った。それはこの九州でこれら三つの大大名と起こる大きな波乱の幕開けでもあった。