第十話 残る三人
多田軍本陣からの退き太鼓の音が戦場中に響きわたった。
ここに戦の大勢は決したといっていいだろう。
由利根軍の当主を囮にし横から奇襲を仕掛ける策が実ったのだ。
多田軍は 左翼の牧田兄弟 右翼の 岩崎兄弟を失い統率は最早不可能だった。
幸い中央にまでまだ由利根軍は侵入していなかった。多田軍の軍師 石川郡楼は即座に撤退を進言したのだった。
しかしその撤退に納得しない者が2人いた。
いまだ戦場中央で由利根家の本隊と乱戦を行っている 多田軍の先方大将 石田室信 寺田真善 の2名だ。
【戦場中央最前線】
「石田様、寺田様にご注進!! 敵の奇襲により左翼の牧田隊が壊滅!さらに右翼の抑え岩崎兄弟の部隊も同じく!石川様からは早急に撤退戦に移れとの由!!」
伝令兵からの伝令が前線で孤軍奮闘している二人の将に戦の全貌が告げられた。しかしこの程度の伝令で彼らが止まるはずもなかった。
ある程度敗戦は予測していたとはいえ、目の前に大将首があるこの最後の好機に二人は賭けようとしているのである。
「このままおめおめと撤退などありえぬ!! 敵の総大将は目の前ぞ!!ここを討たずして何時に討つとする!!!」
「石田室信!!覚悟ォォ!」 ブルゥンブルゥン!!
「小癪なァ!!」ガキンガキン!! ドスゥ
「グハァァ…」ドシャッ
「退き太鼓にかまうなぁぁ!敵の総大将だけを見て進めえぇい!!」
石田室信は撤退に移らずなおも攻勢にでる。周囲の兵もそれに付いて行く、石田室信の鬼神の如き武術があれば大将首をとることも幻ではないからだ。
「ウォォォォォォー!!」 バシャバシャバシャッ!!
石田室信と兵がさらに前進してくるがそれに由利根兵は気圧されていた。勝ち戦となったいま命を失うのはあまりにも不合理であるのは誰が見ても明らかであるからだ。
「こ、こいつら退き太鼓が鳴っても退きやがらねぇ!」
「来るぞぉ!!殿に近づけさせるなァァァ!!」
由利根の馬廻り衆も必死に耐えるが更に追い討ちが掛けられる。
「我も石田と同じく撤退などどいう腑抜けたことは出来ぬわ!」
「さぁぁ!!敵の総大将討てばそこでしまいじゃぁ!!好機を逃すでないぞ!!ゆけェェェ」
寺田親善隊も石田室信隊に負けじと攻勢に出てきたからである。前線の二将に喝を入れられた兵士たちは気迫のみで由利根本陣へと進む。
「ウォォォォォォォォ!!」 バシャバシャッ!
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【戦場右翼】
一方その頃右翼では中央とは相反し早急な撤退を決めていた。これは右翼大将の茂山千作の冷静かつ的確な判断といえるだろう。
すでに岩崎隊を失い戦力的に乏しい右翼は撤退するしか道はなかったといえる。これで中央のように攻勢に転じようとしたならば間違いなく再起不能となり軍は崩壊していただろう。
「退き貝だ…………退くぞ………。」
「ハッ!!退くぞお前らァァ撤退戦にそなえろォォ!」
「岩崎兄弟を破った敵がすぐそこまで来ている模様!!どういたしましょう!」
知将の茂山の部隊は流石である。即座に状況に対応し、撤退に移り、尚且つ茂山へ報告と連絡を忘れないからである。
もちろん茂山もおめおめと帰るにはいかず、ある程度の策を仕掛けて撤退するつもりであり、ここに部隊としての完成度の高さが伺える。
「伏せて………待つ……敵の勢いを…削いでから退く……。」
「ハッ!!」
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茂山千作の陣に向け岩崎兄弟の隊を破った勢いそのままに由利根軍の田沢義介隊が進軍してくる。
「ウォォォォォォォォ!!」ドドドドドドッ!!!
バシャバシャバシャッ!!
「あの旗印!!茂山隊の物ぞ!さぁ!かかれかかれェェ!!」
田沢義介の号令とともに由利兵が茂山千作の陣に突入する。
しかし、勢い任せ過ぎた。茂山千作は田沢義介隊の動向を全て知っていたのだから、どうにでも策を講じれたからである。
由利根兵「ウォォォォォォォォ!覚悟ォォ!」
勢い良く陣幕を破って突入したまでは良かったが中はもぬけの殻であった。ここで由利根兵は唖然とするものと危機を感じるものに別れたであろう、もちろん何か策があると感じて。
その危機察知は本物である。
「掛かった………放て…………」
「ハッ!!放てェェェ!!」バババババンッ!!バババッン!!
茂山千作は空陣に田沢隊をを突入させ、自らは鉄砲部隊と共に茂みに隠れていたのだった。もちろん反撃をするために、そうとも知らない兵は鉄砲での掃討を受け、陣に突入した兵はほとんど全滅してしまった。
「な、なんだ!!」
その鉄砲の音は田沢義介の耳にも響き渡り、何か喜ばしくないことが起こったのは理解できた。
「敵陣の横に鉄砲隊が潜んでいる模様!!」
「小癪なり!!蹴散らせェェェ!」
ここで田沢義介は冷静さを欠いてしまった。わざわざ鉄砲隊が姿を見せるのに更なる伏兵がないはずがないのは兵法を学んだ者にはすぐに分かることであったが部隊としての勢いが考えさせる暇を与えなかったのである。
「鉄砲隊を潰せェェェ!!」バシャバシャバシャバシャッ!!
完璧に茂山の思い道理に事が進んでしまった。
「今ぞ……横槍入れい………」
茂山千作の号令により陣幕の中から隠れていた多田兵の横槍が突進、田沢隊が崩れる。これにはさすがに田沢義介も冷静にならざるを得なかった。
「クッソ!!これはいかん!!一旦退けい!!」
崩れた田沢隊は一旦撤退する。茂山隊は追撃をしない。あくまでその場しのぎの策で撤退させたに過ぎず、また正面ぶつかると分が悪いのを分かっていたからである。
「深追い無用………我らも退く……」
「ハッ!さぁ退けい退けぇい!!」
茂山千作隊はほぼ無傷で戦線から離脱することに成功した。
一方中央ではさらに戦いが激化していた。
【戦場中央最前線】
石田・寺田隊の勢いは止まることなくさらに総大将の応援に駆けつけた 久保・門田・吉田隊の存在もあり血みどろの白兵戦が展開されていた。
「なぜこやつらは退き太鼓がなっても退かんのだ!!」
ブルゥン!!ドスッ!
「グワァッ!!」
重臣である吉田重治自ら槍を振るうほどに苛烈な戦場になっており、一人また一人と味方、敵が倒れていくありさまであった。
「俺に聞くなよ!こいつらの考えてるなんて分かるかって!!」
そう言いながら久保正繁も槍を振るっていた。正直この展開は策を考案した正繁にも予想外であった。さすがに本陣からの撤退命令にまで背くほどの猪だとは考えもしなかったのだ。
「はやく追撃したいのじゃが…こうなってしまっては防戦で手が一杯じゃな……。」宿老の門田も馬廻りを上手く使いながら防戦しておりどちらが勝ち戦を戦っているのかすら分からなかった。
そしてそのときである。
「グワァァ!」「ヒィィ!」「バケモノだぁぁ!」由利根兵の断末魔と恐怖の声に渦巻かれながら一人の騎馬武者が迫ってきていた。「どけェ雑魚共ォ!!大将を出せ!大将はどこだぁぁ!!」
二将のうちの一人、寺田親善であった。
「あれは…寺田真善!!とうとうここまで……」一番最初に気づいたのは宿老の吉田重治であった。このままでは本陣まで突っ切られてしまう。止められるのはもはや自分たちしかいない。
「門田殿!!門田殿は殿の元へ!ここはなんとか食い止めまする!」
「む!??あ、あれは…。しょ、承知した!無茶だけはされるなよ!」
門田も一瞬で状況を飲み込んだ、寺田親善を止められるのはもはや吉田重治しかいなかった。
「あ、あれは寺田親善!…と吉田殿!!」久保正繁が気付いた時にはもうすでに二人の距離は肉薄していた。
「退けい!無駄だァ我は止まらん!!そこの兜首も貰い受けよう!!」
「させるかァ!覚悟!!」ガキィン!!
壮絶な打ち合いが始まった。もちろん吉田重治も腕は立つが寺田親善は別格で、すぐに押され始めた。
しかし、寺田親善は失敗を犯してしまっていた。吉田重治の馬には泥を掃けるための金属を蹄にはめていたがもちろん寺田親善はこのような条件の場所で馬を操るなど出陣前は知らぬわけで蹄はそのままであった。それが天命を分けたといえる。寺田親善の馬が滑ったのだ。「んん!?おおぉっ!?」バランスを崩し転倒しかけた。そこを重治は見逃さなかった。「ぬうううん!!」
ザスッッ!!! 寺田親善の喉元に槍が突き刺さる。「グハッッ!お、おのれ…」ドサッ!!寺田親善はそのまま落馬、重治によって討ち取られたのだ。それを重治の側近は見ていた、直ぐに戦場に吉田重治が寺田親善を討ったとの掛け声が木霊した。もちろん聞こえない者もいたが何回も叫ぶうちに敵味方ともに気付き、寺田隊の動きが止まった。頼りにしていた大将が討たれたとあればもはや勝機はなし、戦場の空気は一変した。…
かに思われた。
ほとんどの由利根兵が安堵したであろう、寺田親善を討った当人の重治、さらにその一騎討ちを見ていた正繁でさえそうだった、しかしその安堵が危機を招いた。その危機に最初に気づいたのは久保正繁であった。
「おお…寺田親善を…さすが重治殿だ……ん、し、重治殿後ろを!」
ザスッッ!!!その一突きで由利根軍は思い知らされた。寺田親善を討っただけではまだ終わりでないと。
「グ、グハッ、き、貴様は…」
吉田重治に槍を突き立てたのは石田室信であった。「どうした者共!主らは多田家の選ばれし先鋒隊ぞ!寺田が討たれようとも退くことは能わぬ!まだ多田家にはこの石田室信がおる!ただ前を見て進めい!!!」その声に多田兵の目が生き返った。
「ウォォォォォォォォォ!」「さすが室信様じゃ!!」「我らこそ精鋭中の精鋭の先鋒隊!ここぞ死に場所ぞ!!」多田兵はさらに気迫を増して攻勢を続ける。
「グ、石田室信……戦の勝敗は分かろう…なぜそこまでして…ただの猪武者であったか……。」重治が血を吐きながら喋る。「否、我はただの猪ではない。ただ本能のままに戦場を駆ける馬になりてここにおる。」「戯れ言を…。」「戯れ言ぞ誠にする者こそ真の武士なり。」ズバッ!ドサッ!!
重治が落馬した。「吉田殿ォォォォ!」正繁が叫ぶ。「我が武能うものこの戦場にもおらず!さぁ進めぇ!!」
石田室信がさらに進もうとするその時だった。「ウォォォォォォォォォ!」「……ッ!!」ガキィィン!!一人の武者が石田室信に斬りかかった。久保正繁であった。
「ぬ!?若造め、命惜しくばここから消え失せい!」「できぬわ!!」「ならば首をここに置いてゆけぃ!!」ガキィィン‼ ガァン!久保正繁と石田室信の壮絶な打ち合いが始まった。
周りの兵も見ており、由利根兵は久保正繁を止めようとする。
「正繁殿!!ここはお退き下さい!石田室信はただの将ではございませぬぞ!!」「重治殿にさらに正繁殿も失うことにもなれば中央が崩壊してしまいまする!左右の軍が来るまで後陣へ!」そんな由利兵の声も届かず久保正繁はひたすら石田室信と槍を交えていた。「室信殿!お急ぎに!敵兵が集まってまいります!」「解っておる!ぬうううん!!」ガァン!!
石田室信は焦っていた。自分の武に自信はあったがさすがに左右の由利根軍が中央へ殺到すればこの勢いが消えてしまうのは分かっていたからである。しかし、目の前の久保正繁が予想外に胆力があり互角となっており、その事実もさらに焦りを生んでいた。
「糞ッ!小癪なァァ!!」その焦りが裏目にでた。大振りな槍が続いてしまっていたのだ。その隙を久保正繁は見逃さなかった。大振りな槍で態勢が崩れたその首もとに槍を突いたのだった。
ズ…ズズッ!ドスッ!「グォォォォォ!」「む、室信様!!」まさかだった。もし石田室信が久保正繁を岩崎軍左衛門を討ったあの将だと気づいていればこんな雑な勝負は避けていただろう。しかし勝敗は決した。石田室信が崩れ落ち。多田兵は再び硬直してしまった。「多田家の石田室信!久保正繁が討ち取ったァァ!!!!」久保正繁のある種の勝鬨が戦場中央に木霊した。「ば、ばかな…」「室信様が…」多田兵は室信が討ち取られたところをみてなすすべがなかった。推進力の原動力を失いもう中央の多田軍の勢いは止まってしまった。その流れは徐々に伝染し最前線の多田兵にも届いた。ガキィィン!「な、室信様が…!」「隙ありぃ!」「グハァッ!」 「む、室信様が討たれただと……!!グハッ!」「ひ、退けえぇ!!」「逃げろォォォォ!」石田室信の存在でなんとか前に向かっていた先鋒隊ももはやその存在をなくして壊走していった。ここに戦は完全に由利軍の勝ちと相成った。
その後は左右から駆け付けた由利根頼久隊や土井義介、義春隊により中央の多田兵はほぼ壊滅し、本隊も追撃を受け殿であった石川群楼は討ち死に、多田軍は出陣時の半数にも満たない兵数で本領へと帰還したのだった。ここに古沼原の戦いは由利根家の勝利で終結したのだった。そしてこの勝敗を決定付ける石田室信を討った久保正繁はさらに名声を轟かせたのだった。
古沼原の戦い 合戦結果
交戦戦力 由利根軍 三千五百人 対 多田軍 八千人
指揮官 大将 当主 由利根頼信 対 大将 当主 多田義房
由利根頼久 門田義満 吉田重治 久保正繁 田沢義介 田沢義春
対 多田吉峰 多田氏元 石川群楼 茂山千作 牧田利重 牧田利成 岩崎忠常 岩崎寺左衛門 寺田親善 石田室信
結果 由利根軍の大勝 多田軍撤退
損害 死者 四百人 死者不明者合わせ四千以上
吉田重治討ち死に 石川群楼 牧田利重 牧田利成 岩崎 忠常 岩崎寺左衛門 寺田親善 石田室信 討ち死に