第四章 第八話(1)『瞬転機関』
躱した。
紙一重で。
もし擦りでもしていたら、胸が肉ごと抉れていたかもしれない。それほどまでの破壊力を秘めた戦鎚の一撃。回避出来たのは、威力が大きい分、大振りになりがちだったからだろう。
ザイロウの知覚をもってすれば、決して躱せぬ攻撃ではない。
渾身の一振りを躱されたかに見えたヨーロッパバイソンの人牛騎士――鎧獣騎士――は、突撃した勢いのまま、人狼騎士の後方に着地する。
変化は直後に起こった。
着地と同時に、まるで回転机にでも乗せられたように、人牛騎士クダンの体が、ものの見事にグルリと反転する。
体を回した勢いをそのまま瞬発力に変え、クダンは再度の跳躍をかけた。
咄嗟の事で、イーリオの反応は出遅れた。思わず後ろに跳びながら、両腕を防御の形で交差させた。
衝撃。
両腕の骨が砕かれる。
痛みと直撃の反動で、息が詰まり、目の奥に火花が散った。
吹き飛ばされて地面を転がった後、ようやくブナの樹の一つに当たり、その身を停める事が出来た。
砕かれた両腕は、ザイロウの持つ驚異的な治癒力で、すぐさま元に戻っていくが、体の芯に残る痛みの残滓だけは消しようもない。
よろめく足に力を込め、次の攻撃に備えるイーリオ。
しかし――襲ってこない。
ヨーロッパバイソンのクダンは、構えもせず、悠然とその場に立っている。
「お、お、お、お前、な、な、何だ、その鎧獣は?」
――何を言って……?
イーリオは心中、小首を傾げる。
「た、た、確かに、腕をへ、へ、へ、へし折ってやったは、は、は、は、はずだが……」
強いどもりの口調で、敵は不思議なものでも見る眼差しで、こちらを睨んでいた。
どうやら、ザイロウの桁外れの治癒力を不審がっているようだ。ティンガル・ザ・コーネとの一戦は知っていても、ザイロウの能力までも知っている訳ではないらしい。それはそれでこちらにとっても有利だが、それ以上にこの事は、情報を内通している者がいる事を端的に示唆しているとも言えた。
――けど、そんな事よりも……
今そこにある危険は、内通者の存在ではなく、この人牛の鎧獣騎士の存在だ。
初撃は確かに躱した。
問題は二撃目だ。
あの人牛が、まるで独楽にでもなったように、クルリと前後を反転させ、同じ勢いで突進して来た。
いくら人外の能力を持つ鎧獣騎士だとて、あのような動きは、どだい不可能なはず。
本当に一瞬で回転した。
――あの時の言葉、多分、獣能だ。
襲ってくる前だ。聞き取り辛い言葉で何かを喚き、次いで急に怒り出したと思ったら、突進をかけてきた。その際、あの人牛の鎧獣騎士は、確かに何かを言った。
となれば、あの変則的な動きが、奴の獣能だという事か。
牛、山羊、鹿など、有角種の鎧獣騎士は、角突撃という、頭突きやタックルを主体とした攻撃方法を専らとする。だが、実際の有角類同様、直線的で軌道は読み易いという難点があるものの、角による攻撃のその圧力たるや相当のものであった。野生においても、百獣の王と呼ばれるライオンでさえ、一対一でスイギュウと対峙すれば、決して勝てる訳でなく、数頭の群れがあればこそ、その牙や爪も活かせるというものだ。いわんや鎧獣騎士であれば、有角種の角による攻撃は、最も致死率の高い攻撃手段であるとも言われていた。単純な攻撃力、破壊力で言えば、角突撃に敵うものはない。
それがクダンなる鎧獣騎士は、予測不能の、まるで補食獣系の狩撃走のような動きを見せ、いや、それ以上に変則的とも呼べる動きを見せたのだ。単純であるが故、最強になりきれない角突撃が、変則的に襲ってくる。これほど厄介な攻撃方法はないだろう。
果たしてどう対処すべきか、イーリオは逡巡していたが、敵もそれを待っている訳ではない。
「フ、フ、フン。ど、ど、ど、ど、どうあれ、全部、こ、こ、粉微塵に砕いてしまえば一緒だ」
そう言って、地面スレスレの低空で、再び突進をかけた。
――畜生!
考える暇もない。ザイロウの鼻先を、戦鎚が掠めていく。転瞬、半身にした体捌きで、人牛の巨躯を躱すものの、クダンは先ほどと同じように、着地と同時にその身を反転。体勢の整わないザイロウに向け、今度こそ猛追の直撃。
全身の骨がバラバラに砕かれるような錯覚を覚えながら、ザイロウは森の樹々を薙ぎ倒しつつ、吹き飛ばされ、大地を鞠のように跳ねていく。やがて巨大な岩に全身を叩き付けられ、そこでザイロウの体は止まった。
治癒は既に始まっており、痛みも和らぎながら、かろうじてザイロウは立ち上がった。
当然、クダンの中のラフ・ラーザは、驚きを禁じ得ない。
手応えも充分だった。
今の一撃は、堅固な城壁すらも紙細工のように潰してしまえるほどの威力のはず。それを真っ向に受け、まだ立てるとは。
「オ、オ、俺の〝瞬転機関〟で、し、し、し、死なない、だと?」
〝瞬転機関〟。
今度ははっきり耳にした。それが奴の獣能の名か。
イーリオは見ていたのだ。見ていたが故に直撃を受けた。
おそらくザイロウ以外の鎧獣騎士ならば、直撃の際に即死していたであろう。敵の攻撃手段が分かると同時に、それは終わりを意味していたに違いない。しかしザイロウには、体内に異常なまでに備蓄したネクタルを燃焼して行う、尋常ならざる治癒機能がある。鎧獣の性能にばかり頼ってはいけないだろうが、今はそんな事も言ってられない。
そしてその結果、恐るべき事実が、判明したのだ。
クダンは、躱された後の着地の瞬間、着地した片足が、付け根の部分でねじ曲がったのだ。
片足のみ前後が逆になり、まるで無茶な骨折でもしたかのように全身を前後に回転。片足の足首から下のみがイーリオ=ザイロウに背を向け、体は対峙の恰好。そして同じ勢いでこちらに突撃を行う。
内部の人間はどうなっているのか? イーリオは知る由もないが、この獣能は、自身が指定した箇所の肉体のみを、鎧化から解除し、自在に操作する能力なのだ。ねじ折ったように筋肉を操作する事も可能だし、ダメージを軽減するのも容易。ラフ・ラーザは短躯であるが故、巨大な ヨーロッパバイソンを纏えば、手足も頭も届かない。しかし、鎧獣騎士は、皮膚組織の癒着を通じて、神経接続に近い状態を有している。だからこそ、ラフの短躯でも、巨大な野牛を動かせるのだが、クダンの獣能は、それを解除するのだ。それゆえ、筒の中で中身を回転させるように、中の人体はそのままで、足から上が反転するという、奇天烈な動きも可能にしていたのだ。
とにかく、奴の〝瞬転機関〟なる獣能は、予測不能な上に、恐ろしく厄介だ。このままでは、いずれザイロウの治癒機能も底を尽く。一撃で死ぬのが、数撃で死ぬかに変わるのみであろう。
敵がザイロウに戸惑っているうちに、何か手段を講じなければ。だが、シャルロッタがいない今、ザイロウの獣能は使えない。鎧化し、戦う事は出来ても、全ての能力を引き出すには、未だ彼女が放つ神之眼に似た〝光の認証〟が必要なのだ。とすれば、このザイロウの今引き出せる性能と、イーリオ自身の能力で、何とかするしかない。




