第一章 第四話(1)『首飾』
皇太子ハーラルが、首都ノルディックハーゲンを発つより時間は遡る。
ゴゥト騎士団の部隊を退けた直後のイーリオの邸宅では、事後処理に追われるムスタと、疲労で寝込んだイーリオの姿があった。
ザイロウとの激しい戦闘の爪痕は、数人の騎士団員の死体を残したうえ、屋敷を半壊させるに至っていた。生き残った副団長のソルゲルは、気絶している内に縛り上げようとしたのだが、倒れたイーリオや死体の処理に気をやったほんの隙をついて、いつの間にか逃げ出していた。
その、肝心のシャルロッタとザイロウはというと、表に出るのは色々と差し障りがあるという事から、当初、屋敷の無事な部屋に息をひそめてもらっていたが、ムスタが村人への説明などで屋敷を空けている間に、気付けばいなくなっていた。
一人でどこかへ? と、思わず慌てたが、探すまでもなく所在は判明した。
村人の集まりの中にいたのである。
奇妙な出で立ちと、見た事もない鎧獣である。
最初、村人達は、警戒を強めてシャルロッタらを忌避していたのであるが、彼女には、人を惹きつけるような何かがあるのだろうか。彼女が人畜無害な性格で、存外人当たりの良い人間だと知ると、気付けば村人らの環に集い、一緒に話し込んだり、子供達と遊んだり、村の女達と一緒に料理や雑務を手伝ったりしていた。
これにはムスタも、回復して目覚めたイーリオも驚いた。
まさかあの無表情な少女が、こんなに人に溶け込めるなんて……。無論、子供と遊ぶ時も、他の村人と話す時も、彼女のぼうっとした虚ろげな顔は、一向に変わっていないのだが。
「君がそんな風に人好きするなんて、意外だったよ」
村の子供達に遊ぼうとねだられているシャルロッタに対し、イーリオは軽い驚きを露にして問いかけた。
「ひと……ずき……?」
「大勢といるのが楽しいって事」
「どうして? みんなといるの、楽しいよ」
「いや、喜んだり笑ったり、あんまり表情がないじゃない。君って」
「……?」
シャルロッタが困惑していると、周りの子供達が、イーリオを責め立てるように詰め寄った。
「シャルロッタねえちゃんをいじめるな! ねえちゃんはとっても面白いんだからな!」
そうだそうだ、とわめきたてる子供達。
面白い……? それって態よく、オモチャにされているだけなんじゃあ……。
そう思っても、口には出さなかった。だが、やはり村人全般に好かれている事は確かで、いつの間にやら、〝ヴェクセルバルグの遠い縁戚で、西の向こうよりやってきた身寄りのない娘〟という、とってつけたような生い立ちが、村人達の勝手な憶測と誤解によって、彼女には付与されていた。ムスタもそれをあえて否定せず、むしろ半ば肯定するような口の濁し方で、曖昧気味に答えていた。もともとムスタやイーリオらも、彼女の生い立ちはおろか、身分素性の欠片さえわからないのだ。自分たちを頼ってきたというのも、曲解すれば、あながち間違いではないので、そのまま誤解させていた方が良いと判断したのであった。
村人達はというと、騎士団の襲撃も、昨今耳にする氷の皇太子や、戦につぐ戦という不穏な情勢も働き、ムスタらには同情しこそすれ、非難めいた態度を取る事はなかった。ただ、事態に積極的に関わろうとする者は、勿論いなかったが。
一通りの事後処理の目処がついたのは、襲撃より二日後。イーリオも回復し、改めて事件を思い出していた。
仮の修繕が済んだ屋根に、季節外れの雪がぽつりぽつりと落ちる。
幸い、暖炉のある部屋は無事だったので、三人と一匹は、そこで暖をとっていた。
「奴らの目的は、このザイロウとシャルロッタだったんだよな……。結局、何が何なんだろう。シャルロッタは何も覚えてないっていうし……。でも、あの時、君に起こった光……」
「それについては儂にもわからん。ただ……一つだけ言える事は、この娘が、帝国にとって何やら重要な存在であるという事だけだ。――が、こんな話は聞いた事がある」
「何?」
「ゴート帝国帝都の城深くには、建国の礎となった〝聖女〟と、〝古の鎧獣〟が今も眠っているという伝説がある。その聖女の瞳は銀色に輝き、鎧獣もまた白銀の光をまとっていたという……」
思わずシャルロッタとザイロウの方を見るイーリオ。
あの時、イーリオの鎧獣だとシャルロッタは言ったが、にも関わらず、今もザイロウは、シャルロッタの側を片時も離れない。
「それって、まるでこの二人そのものじゃないの?」
「〝聖女〟は、銀の瞳であって、髪とは言われてない。この娘の瞳は黒だ。鎧獣も、狼だとは言われていない。そこがひっかかるがな。ただ、気になるところではある。何にせよ、これからどうするかだが……」
眉根をしかめて、考えるムスタ。
そこへ、思い出したように、己のポケットに入れた、母の形見のペンダントを出すイーリオ。
「そういやさ、これ、こんなになってしまった。母さんの形見なのに……」
襲撃の際、馬やアイベックスの鎧獣に踏みつけられ、無惨に汚れ、変形してしまった母の形見のペンダント。
ムスタはそれを見るや、大きく目を見開き、イーリオからもぎ取るようにして、手に取った。
「何ということだ……」
「父さん?」
「これでは……これじゃあいけない」
父の雰囲気が突然豹変したのに、イーリオは戸惑いを隠せなかった。驚きに、その両目は大きく開かれ、手は震えている。確かに形見であり、大事なペンダントではあるが――。
「ご……ごめん。まさか、それまでそんな風になるなんて……」
だがムスタは、イーリオの言葉などまるで耳に入ってないかのようであった。ペンダントをさすり、見つめながら何やらぶつぶつと呟く。その姿は、亡き母の面影を、未だひきずるかのようで、一種異様でさえあった。
まさか、父にこんな一面があったなんて――。
シャルロッタとザイロウも、不思議そうにムスタの姿をじっと眺めていた。
やがておもむろに、ムスタはペンダントを、イーリオに突き返した。
「……父さん?」
「お前、ここを今すぐ発て」
「へ?」
「お前とこの娘、それにザイロウとでだ。どのみち、帝国騎士団がこのままこの娘と鎧獣を諦めるとは考え難い。いずれ次の追っ手がくるだろう。なら、無事ではおれんだろうし、来る追っ手、来る追っ手みな迎え撃つ訳にもいくまい」
「いや、出て行くたって、どこに行くっていうんだよ。それに、父さんや村の皆を放って行くなんて、そんな事、出来る訳ないじゃないか」
「儂や村の連中なら心配ない。帝国の奴らにとって、こんな辺鄙な村なぞ、お前らがいないと知れば、何の価値もなかろうからな。それに、行くアテならあるぞ」
「行くアテって……」
「いいか、よく聞け。お前はあの娘と、あの鎧獣を連れ、メルヴィグのバンベルグという村に住む、ホーラーという男に会え」
「ホーラー? それに、メルヴィグって!」
「儂とは旧い知り合いだ。そいつに会ったら、儂の名前を出せば良い。それで、このペンダントを直すように依頼しろ。それで話は全て通る」
「ちょ……ちょっと待って。わざわざメルヴィグまで行って、ペンダントの修理をしろって事? しかも、シャルロッタとザイロウまで連れて?」
「そうだ」
「ペンダント修理ぐらいなら、町に行って、鋳掛け師にでも頼めばいいじゃないか。なんでわざわざ……」
「詳しいことは言えんが、このペンダントはそこらの人間に直せるものじゃない。ホーラーでなければ、直せんのだ」
「いや、そうじゃなくってさ――、確かに大事なペンダントだけど、そんな、何もわざわざこの状況で、ペンダントを直しに行くだなんて……」
「この状況だから行くんだ。どのみち、ここに居たって何もはじまるまい? 帝国の奴らにしても、まさかペンダント修理を目的にここを出たとは思うまいし。ならば、奴らを煙にまくこととて出来るかもしれん。それに、騎士団が国境まで超えてわざわざメルヴィグまで入れば、それこそ危うい問題にまで発展しかねんしな。一石二鳥だろう?」
「話はわかるけどさ……。でも、そのホーラーって人にペンダントを直してもらって、その後はどうすんの? また、ここに戻って来んの?」
イーリオは、訝しげな顔で問いかけた。
「……その後は……ペンダントを直せば……、いや、ホーラーに会えば、どうするかが決まるだろう」
父の含みのある言い方に、イーリオは疑念を抱かざるを得なかったが、暖炉の火が逆光になって、詳しい父の表情までは読む事が出来なかった。
「そのホーラーって人、どういう人なの?」
「ホーラーは、〝工聖〟ホーラー。〝名匠〟クラス、いや、それ以上の腕前を持った鍛冶師であると同時に、授器作りの名人でもある最高位の錬獣術師だ。もしくは、〝賢者〟ホーラーなんて言う奴もいるな」
「そんな凄い人に、わざわざ……」
「それにな、ホーラーなら、このザイロウの事が何か分かるかもしれん。ノルディックハーゲンの錬獣術師組合に見せる事が出来ん以上、ザイロウを知る意味でも、うってつけの人物だ」
なるほど、そういう事か。
自分の鎧獣となったこのザイロウが、どういう鎧獣であるか――、はっきり言えば謎が多い。能力もさることながら、出自も不明だという。これを調べるには、首都の錬獣術師組合にでも見せるのが一番手っ取り早いだろうが、首都に行くなんて事は出来ない。有名どころの錬獣術師は、当然の如く、帝国が何らかの手をまわしている可能性も高いだろうから、奪ってくださいと言ってるようなものだ。なら、他国の錬獣術師、それも腕も知識も信頼に足る錬獣術師に見せるのが一番だろうと、ムスタは考えたのだ。それによって、ザイロウがどういう鎧獣かが分かれば、自ずと、次の目的も決まるだろうし、そう言う意味でも、〝一石二鳥〟という訳だ。
けれども――
「でも、そのホーラーさんでも、ザイロウの事が分からなかったら?」
ムスタはイーリオの目を見た後、静かに二人のやりとりを聞いているシャルロッタとザイロウに目をやった。ザイロウは退屈そうに、顔を伏せ、目を閉じている。
「それはない。奴なら、必ずザイロウの事が分かる」
「どうして?」
「奴はかつて、このゴート帝国の国家最高錬獣術師だったからだ。今は隠者同然だが、鎧獣について、奴が知らん事はない」
そんな人に……、いや、そんな人と父さんが知り合いだなんて、それこそイーリオは驚きだった。
イーリオの驚きをよそに、そこへいきなり、シャルロッタが口を開いた。
「ねえ。あたし、イーリオとどっか行くの?」
ムスタが彼女に答える。
「ああ。メルヴィグっていう、隣の国にな。そこで、このペンダントを直してもらいに行くんだ。勿論、ザイロウも一緒だぞ。楽しい旅になるだろうさ」
ムスタの言葉がわかったのかわからなかったのか、シャルロッタは、きょとんとしながらも、ほんの少し、顔をほころばせた。
「イーリオ、旅だって! 良かったね!」
無邪気そのものといった顔で、シャルロッタが微笑む。そのまま伏せているザイロウに抱きつくが、ザイロウはそうされるのがいつもの事であるかのように、微動だにせず、心地良さげに目を閉じていた。