第四章 第五話(3)『鉄骨』
威勢良く啖呵を切ったはいいが、しかし、カレル率いる伍号獣隊は、攻めきれないでいた。
攻撃が通じないからだ。
どのような体構造になっているかはわからないが、鉄扉さえも両断する鎧獣騎士の爪撃も、彼らの武器授器も、この異形の猛獣の体表を裂く事すら敵わなかった。
彼らは知らぬが、何せジャコウウシの鎧獣騎士の一撃でさえ、擦り傷のみにとどまったぐらいである。
哺乳類最硬度と言われるサイの表皮に似てはいるが、怪物のそれは、サイというより、サイの鎧獣騎士と同等の堅牢さと言えるだろう。それは既に、生物としての常態を遥かに逸脱しており、名うての覇獣騎士団と言えど、傷を与えられぬのでは、どうしようもないと言えた。
それを遠巻きに観察しているのは、灰堂騎士団の騎士ラフ・ラーザと、黒母教司祭スヴェインである。
両名からすれば、これはこれで興味深い実験であった。果たして〝怪物〟が、覇獣騎士団の、それも次席官のいる部隊相手に、どれほど通用するか――。
自らが注視されているとも知らず、カレルは攻撃の手を休めない。
攻めきれぬとはいえ、彼らは彼らで並みいる鎧獣騎士とは比べものにならぬ真価を示していた。かの〝怪物〟を相手に、未だ誰も、擦り傷一つ負っていないのだ。それは、驚嘆すべき事柄であった。
為す術なく被害を被ったオルペの騎士団は、地方騎士団とはいえ、一国の騎士団を相手取って、実力の互するほどである。そのオルペ騎士団の鎧獣騎士を、苦もなく牙にかけたのが、この〝怪物〟だ。
それを相手に、未だ一名たりとも手傷を負った者がいないのは、やはり覇獣騎士団といったところだろう。
イーリオも目を見張る。
動きがまるで、演舞のようだ。
六騎が呼吸を合わせ、決められた演目のように、俊敏で滑らかに躍動する。その烈しさと華麗さには、惚れ惚れするしかない。
――これが覇獣騎士団の獣騎術!
通常の、いや並大抵以上の相手であっても、これを相手にしては、五分も保たぬであろう。
だが、目の前の敵は、異形・異常の化け物。
普通であれば、致命傷になるであろう一撃を幾度も受けながら、こちらも傷一つ見えない。
どちらが先に均衡を破るか――。
イーリオはリッキーらを守る位置に居て、固唾を飲んで見守っている。
一方、リッキーも戦いの趨勢を計りながら、そこは彼も次席官。同時に、周囲に気を配ると、ふと、何か違和感のようなものを感じた。辺りの気配を探るリッキー。
――何だ? オレら以外にも……?
感じたのは、気配ではない。彼の視力が捉えた。
こちらを見据える、奇妙な影。
遠い。街の外。外縁の森の中。そこに人影を認める。
彼の視力の良さは、誰もが舌を巻くほど。つまりそれは、彼以外、誰も気付いていないという事。
――チッ。オレだけかよ。
明らかに不審な影を、イーリオにも伝えてやろうとした時。
イーリオから小さく「あっ!」と声が漏れる。
伍号獣隊の一騎が、怪物の一撃を受けたのだ。
右前足の、鋭い横殴り。
吹き飛ぶ伍号獣隊の鎧獣騎士。
よもやと思われたが、追い打ちをかける間もなく、その鎧獣騎士は、宙回転するように姿勢を立て直すと、再び戦闘体勢に舞い戻る。
どうやら何ともないようだ。
あの一撃を食らって、この動き――。
「わーったか、イーリオ? 伍号獣隊の動きが」
不意にリッキーが、イーリオに声をかける。
イーリオは驚きのままで、「はい」と応えた。
「伍号獣隊は、覇獣騎士団中、最も防御戦闘に秀でた部隊だ。アイツらの獣騎術を一言で言うなら〝盾〟。流れるように攻撃してるようでも、それは隙のねェ、見えざる壁となってんだ。だから相手は攻めきれない。本気になった伍号獣隊を相手にして、破れるヤツなんざいねーよ」
「リッキーさんでも、ですか?」
「ハッ! オレぁ別格さ。だがな、その伍号獣隊の中でも、最も〝盾〟を体現してるのが、席官の兄弟二人よ。見ろよ。そろそろカレルが仕掛けるぜ」
動かぬ状況に決着を着けようと、カレルが五騎に合図を送る。
五騎は頷いた。
同時に、休む間もなく攻撃を仕掛けていたベルヴェルグが、急にその足を止めた。怪物の目の前で。
リッキーを除く、四人が驚く。
何故止まる?! まるでそれでは、観念でもしたかのような――!
これを逃さぬ怪物ではない。
何かの囮であったとしても、それを上回る威力と俊敏さで、これを捩じ伏せればいいだけの事。正にそんな声が聞こえてきそうなほどの、圧倒的な破壊の化身となって。
皆が口を揃えて、思わず息を呑んだ瞬間――。
彼らは確かに聞いた。
カレルの声。
「鉄骨」
怪物の牙が、ベルヴェルグを捉える。
噛み千切られた――!!
誰もが瞬時にそう思うほどの、暴威とも呼べる牙の一撃。
だが怪物は、ベルヴェルグに喰らいつき、そのままの姿勢で留まっていた。
息を呑むのはイーリオ達。
異形の獣の牙が、ベルヴェルグの片腕に喰らいついているからだ。むしろそのまま腕をもっていかれてないのが、不思議なほど。
怪物が頭を一振りでもすれば、雪豹騎士は、たちまち隻腕となり、次には別の部位がなくなるに違いない。怪物もそう考えたのだろう。
角付きの巨大な頭部を、下方に動かそうと蠢動――できない。
コフッ、コフッ
と、喘ぐような息遣いが雪豹騎士の耳朶を打つ。
食わえられた片腕を伝い、相手の唾液が地面に落ちていく。それが伝えるのは、怪物と呼ばれる巨獣の狼狽そのもの。
「捉えたぞ」
ベルヴェルグの口蓋から、くぐもったカレルの声がした。
「あれが カレルの鎧獣、ベルヴェルグの獣能〝鉄骨〟だ」
驚くイーリオの姿を横目に、リッキーが事態を説明する。
「獣能……なんですか?」
「アイツの獣能は、鎧獣の骨を、金属よりも硬くする。そうなった時のアイツは、例えどんな槍で突こーが剣で斬ろーが、絶対に破れねェ」
鎧獣が鎧獣騎士となった際、その体内構造はどのようになっているか――。
実は一般にも、よく知られていない事柄である。
まず、鎧獣騎士になるという事は、人型に構造を組み替え、更に内部に人間を内包するため、その体内は がらんどうになっていなければならない。内蔵類に関しては長くなるので割愛するが、何より邪魔になるのは骨格である。実は鎧獣騎士時に最も変異を遂げているのは、この骨格であった。
頭蓋骨などは別として、各部を支える骨は、細かい板金鎧のように変異し、全身にくまなく行き渡っているのである。つまり、〝骨〟そのものが、筋肉に埋め込まれる形で外骨格となっていた。これが、鎧獣騎士時の骨の変異である。
鎧獣という名称も、装着者である人間の全身を、獣の骨で鎧う事からきていると言われているほどで、硬性の筋肉のみならず、再生機能をもった高硬度の鎧が、騎士の全身を守っているのであった。
ベルヴェルグの獣能は、この内部の〝骨〟を、異常なまでに硬くする。
その硬度は、カレル曰く「金剛石以上」との事。
誇張も多分に含まれているので、そこまでとはいかないまでも、その硬さは、いかな怪物といえど、生き物の牙でどうにかなるものではない。
「言ったろ? 伍号獣隊の中で、最も〝盾〟を体現してる一人が、アイツだって」
数多の鎧獣騎士を噛み千切ってきた恐るべき牙が、このしなやかな雪豹騎士を相手には、文字通り〝歯が立たない〟。リッキーは続けた。
「あのバケモンが動けねーのは、ただ、噛み切れねーだけじゃねェ。動かそうにも動けねェんだ」
「……どういう?」
「舌を掴んでやがるのさ」
猛獣と呼ばれる肉食動物であるが、実はその体の構造上、襲われた際に舌を掴まれると、口が閉じれなくなる。イーリオは山での暮らしの折、熊の捕獲などで、その事を父から学んでいる。リッキーはその事を言ったのだ。無論、襲い来る野生動物の口の中に手を突っ込み、舌を掴むなどという芸当、簡単に出来るものではない。しかも相手は異形にして常軌を逸した化け物。だが、対峙する者も、人間を超えた存在。その中でも一際恐るべき使い手だ。
ベルヴェルグは、片手に把んだ直刀を地面に突き刺した。
「……ヤベーな。ブッ殺しすぎなきゃいいが」
リッキーの独語に、イーリオがどういう意味かと重ねて問うた。
――雪豹の空いている片方の拳に力がこもる。
「 カレルはよォ、澄ました顔して上品ぶってやがるけど、伍号獣隊の中じゃあ、一番キレやすいんだよ」
――ゴキン、ゴキン、と、拳の骨が軋みをあげる。
「つまり、一番、攻撃的なのさ」
――怪物は危険を察知し、両の前肢を振るう。
「カレル、冷静に対処してるよーに見えたろ? ちげーよ」
――黒色の爪が幾度も雪豹騎士の全身を叩くが、反対に、爪の方が欠けていく。
「アイツはなァ、とっくの昔にキレてたんだよ。仲間が殺された時点でな」
ベルヴェルグの拳が、唸りを上げて巨獣の頭部に叩き込まれる。
めしゃり。
堅固なはずの頭部が、まるで砂糖菓子のような脆い音をたてた。瞬間、肉が千切れる嫌な音をさせながら、怪物が横方向に吹き飛ばされる。
最も堅牢な物質へと変じたベルヴェルグの体。それの拳が鉄塊となって、ぶつけられたのだ。
霧に混じって土埃が舞い上がる。
ベルヴェルグの噛み付かれていた腕、その手には、暗紫色の肉片が握られていた。ベルヴェルグはそれを地面に投げ捨てる。
それは舌。
拳の一撃で引き千切られた、怪物の〝舌〟であった。
その凄まじさに、イーリオらはただただ嘆息するしかなかった。ただの一撃で、この怪物を、仕留めるとは……。
しかし、イーリオとレレケのみ、カレル=ベルヴェルグの力ではなく、もう一つ、別の事にも目を奪われていた。それはのたうちまわる、怪物である。
巨獣の額、角に隠れるような位置に、鎧獣と同じ、神之眼。この怪物は、神之眼持ちだという事。それ自体は何も驚くべき事ではない。問題は後頭部に見える、二対の輝きであった。額のみでなく、神之眼がもう二つ――!!
その異形が示す事実に、二人は慄然とせざるを得なかった……。
一方、痛みで痙攣を起こしながらも、巨体を激しくばたつかせる怪物。片側の眼底が潰れ、無惨な姿になっている。
※※※
「不味いな……」
ラフからの状況説明を聞き、スヴェインが独語した。
街の外縁部にいる両名だが、ラフの視覚は鳥獣並み。はっきりと戦闘の模様を捉えている。ラフはそれを逐次、スヴェインに報告していた。
「……潮時か」
口ぶりは残念そうだが、表情はまるで冷淡そのもの。やはり〝現状〟ではここ止まりかと判断し、懐中に手を忍ばせるスヴェイン。
既に勝敗は決していた。
後はこの異形の生物を捕獲すれば、一連の騒動も終わり、亡き者達の無念も晴らせる。
カレル=ベルヴェルグは、部隊の五騎に合図を送り、仕留め損なわぬよう、一分の隙も見せない。
「――何だ……?」
するとそこで、彼は、妙な違和感を感知した。カレルだけではない。隊員達も同様だ。また、イーリオの側にいたザイロウも同じくであった。
不快な音が、耳朶を貫く。
――ィィィン。
高周波の音色。
耳鳴りに似た、頭に響くようなその音は、人間の耳では感知出来ない。鎧獣騎士となった者だからこそ気付けたが、それが何を意味するかは、すぐに全員が知るところとなった。
口吻から血反吐の混じった涎を垂らしつつ、怪物はよろける足を踏ん張って立ち上がる。まるで今の音波が切っ掛けになったかのように。
突風。
いや、黒い〝何か〟が、全員の眼前に躍り出る。
「!」
驚愕の視線の先には――もう一体の〝怪物〟!
しかも、よろける一体よりも一回りほど大柄である。
一同が咄嗟に身を固めた間隙を突いて、怪我を負った一体は、後方へと飛び退る。
「なっ……! 待てっ!」
あともう一息で仕留められる。
そう思ったベルヴェルグら伍号獣隊が、手負いの怪物を追いかけようとするが、新しく表れた一体が、部隊の行く手を遮った。
しかも、先ほどの戦闘を見ていたとでも言うのだろうか。ベルヴェルグの間合いを巧みに外し、相手に付け入る隙を与えぬ周到さだ。
気付けば、先の一体は、もう霧の彼方に姿を消している。
あの手傷で、まだこれほど素早く動けるとは――。正に想像もつかぬ化け物ぶりである。
僅かな空白が流れる。
やがて、撤退の刻を稼いだ後の一体が、体の前面をこちらに向けながら、強い警戒態勢のまま、ゆっくりと後じさっていく。ここまで警戒を強くされては、伍号獣隊もおいそれと手出しが出来ない。それほどまでに隙のない、怪物の身のこなし。
そしてゆっくりと――。
二体目の異形の怪物も、夜霧の彼方へと姿を消していった――。
こうして、夜半に起こった怪物襲来の騒動は、激闘の末、後味の悪い終わりを示すに至った――かに思えた。




