第四章 第四話(終)『毒街』
「怪物です!」
捕まえたオルペ騎士の一人が、リッキーとイーリオ達に告げた。
怪物なる化け物が、この教会を襲っているのだという。
「伍号獣隊は何やってんだ? カレルは?」
リッキーは問いかけるも、この闇夜と濃霧に加え、かつて誰も経験した事のない、獣害への対処である。襲撃に対して混乱をきたすのも無理のない事かもしれない。とはいえ、ここは都市の中。鎧獣達を常駐させた、騎士団の仮営舎の真っ只中であるにも関わらずだ。
鎧獣が人の営みに混じるようになって以来、野獣による害は、激減した昨今、このような事態への対処方法を心得ている者は、誰一人いなかった。
それもそうだ。
野獣が来ようが、野盗が来ようが、鎧獣騎士さえ居れば、何一つ怖れる事はないはず。この世に、鎧獣騎士に抗える〝力〟など、鎧獣騎士以外に有り得ないからだ。それこそが無言の抑止力となり、人類の生存圏は、今日まで安定を保持し続けてこれたのだから。
普通であれば。
だが信じられない事に、今、この教会を襲っている化け物は、その鎧獣騎士をも、いとも容易く殺戮している。
その牙にかけられた騎士の数は、今晩だけでも数騎におよんでいた。
予期せぬ事態に、イーリオ達にも堅い緊張が走る。
まずは何より、自分達が一番頼りにすると共に、力の拠り所でもある鎧獣達の元へと向かった。
厳戒態勢のため、教会の軒下で夜露を凌いでいた鎧獣達。
さぞや、この張りつめた空気に、神経を逆立てている事だろうと思っていたが、そこには、まるで病にでもかかったように、気怠そうに横たわる鎧獣達の姿があった。
これほどの騒ぎに、人間でさえ神経過敏になる空気の中、野生の――文字通り――獣の感覚そのものである鎧獣達が、何故か緊張感を欠いている。
「どうした? 〝ジャックロック〟」
予想だにせぬ愛獣の姿に、急いで駆け寄り、様子を伺うリッキー。ドグも同様だ。
だが、主人である騎士が側によっても、獣達の目に精気は戻らない。戻る素振りもない。
「これは……」
――まるで、病のような……?
レレケは瞬時に直感した。
鎧獣達の様子に、〝病気〟という言葉が頭をよぎる。だが、彼女はそれを言葉にする事が出来なかった。
人の手によるとはいえ、鎧獣とて生物だ。生き物である以上、病に罹らないわけではない。だが、この様子は、彼女の知るどの症状にも当てはまらなかった。何より、鎧獣が罹患する事など、そうそうあるものではない。
――こんな風に数体も同時に病に臥せるなんて……。
「ジャックロックに、カプルス、どうしたんだ?」
心配げな声をかけたのはイーリオ。
その言葉にどう答えるべきか、リッキー達にもわからない。だが、今の発言に敏感に反応したのはレレケだった。
「イーリオ君? ――ザイロウは?」
「え……? ザイロウなら……」
レレケは目を見張る。
振り向くと、イーリオの傍らには、いつもと何一つ変わらない白銀の巨狼が立っていた。
周囲を見ると、ジャックロックらと同じように、精気を欠いた伍号獣隊やオルペ騎士団の鎧獣が体を横たえている。
だが、ザイロウのみ、まるでいつもと変わらぬ様子で、尻尾を左右に揺らしていた。
――これは一体……?
喧噪に包まれる教会の中。機能麻痺した鎧獣達と、途方に暮れるその主人達。その中、一人立ち竦む銀狼と緑金の髪の少年騎士がいた。
※※※
「ゲッゲ、ゲ、ゲ。き、き、霧まで、ア、アンタの仕業か?」
モンセブールの街の外縁の森。
ヨーロッパバイソンの背に跨がる、短躯の身汚い男は、隣に立つ黒母教司祭スヴェインに向かって、見るともなしに尋ねた。
波打つ黒髪に、病的にも見える蒼白い相貌をしたスヴェインだが、悪臭を放つラフの隣にいながらも、少しも不快げな表情を見せず、明朗に答えた。
「まさか。偶然だよ、ラフ卿」
スヴェインに言わせれば、錬獣術で使う薬液の臭気に比べれば、ラフの体臭など、さほど気にはならないらしい。
彼らの周囲にも、濃霧のカーテンが舞っていた。隣に居ながらも、姿が朧になるほどだ。
「だが、これこそ正に天佑というべきだろうな。お蔭で怪物が、自由に動き回れる。……で、どうするかね?」
「ど、ど、どうする、とは?」
「〝灰巫衆〟の報せで、君達の〝標的〟も、あそこに紛れ込んでいると分かった。伍号獣隊を足止めするためだけだったが、思わぬ幸運を招き寄せたというわけだな。だからだよ――どうする? このまま怪物を〝標的〟にもけしかけるか? 今なら〝標的〟も、君らの手を煩わせるまでもなく、容易く仕留められるぞ。ベネデットには悪いがな」
「ファ、ファ、ファウストの指令では、ヤ、ヤ、ヤ、ヤツらを、ただ始末すりゃあいい訳じゃねぇ。レ、レ、レオポルトに命じられた内容も、さ、さ、さ、探ってこいと言っていた」
「成る程な。だからこそ、怪物を使って伍号獣隊を誘き出そうとしたんだな。ならば、もう少し引きつけておくか。ベネデットが出易いようにな」
「と、と、ところでよォ」
「ん?」
「ど、ど、〝毒〟は、こ、こ、こ、こ、この霧みたいには、ま、撒けねェのか?」
ラフの質問に、スヴェインはしばし思案げな表情を浮かべた。
「難しいだろうな。〝アレ〟は気化させてしまっては、効果が出ない。〝旧型〟であれ、液状にせねばならん。……だが、なかなか興味深い質問だな。……気化させても毒効を維持させる、か……。面白い発想だ」
スヴェインが思索の波間に舟を漕ぎ出そうとした矢先、ラフが不審げな声をあげた。
「うン……? ヤ、ヤ、奴ら、で、で、で、出るのか?」
「どうした?」
「ビ、ビ、伍号獣隊の奴らだな……。あ、あ、あいつら、出る準備をしてやがる」
この濃霧と暗夜の中、どこをどうやったら気付けるというのか。ラフの目――いや、嗅覚には、数騎の鎧獣と騎士が、街の城門付近で、隊伍を整えんとする姿が確認されていた。
「ほう。〝毒〟を免れた一団がいたか。何騎いる?」
「ご、ご、ご、五、ろ、六騎ほどだ。――うん? あ、あ、あれは……、席官か? た、多分、次席官がいやがるぞ」
「それは結構。まんまとこちらのエサに食いついてくれたな」
「いや……ま、ま、ま、待て。ほ、ほ、他にもいやがる。あれは……ラ、ライ、ライオン? ト、虎? いや、そ、そ、そ、そうじゃねぇ……。オ、狼…。で、で、で、でっけえ狼のガ、ガ、鎧獣がいる」
「大きい狼だと? ――あの、大狼の鎧獣か! という事は……、密使の一人が、伍号獣隊と一緒に、怪物退治に出たという事か?」
濃霧ごしに目を凝らす、ラフの方に目をやるスヴェイン。ラフは街の方を凝と睨み続けている。
「あ、あ、ああ。お、お、お、お、おそらく、アンタの言う通りだ」
「あいつは? 弐号獣隊 のリッキーなる次席官はいるか?」
「…………。た、た、多分、いねえ。は、は、話に聞くような、ハ、派手な格好の奴ぁ、い、い、いねえ」
おそらくレオポルト王の直接的な密使はリッキー次席官だろう。
だが、もし書状を持っているのが、リッキーでなく、別の人物だったら? こちらの罠は意味をなさず、獲物も逃げおおせてしまうかもしれない。それでは意味がない。
「まさか〝標的〟までもが怪物退治に出るとはな……。幸い、もうすぐ〝試作獣〟も帰還する。頃合いを見計らって、再度けしかけるぞ」
「わ、わ、わかった。こ、こ、今度のは、せ、制御出来るんだろうな?」
「完全とはいかんが――、前回よりは遥かにマシだ。ある程度は私の獣使術が通じる」
それを聞いて、ラフがニヤリと片頬を歪ませた。
濃霧は、時間と共に、わずかずつではあったが、薄れつつあるようだった。その紗幕が取り払われた闇の先には、どちらの恐怖が残るのか。それは問うまでもない結論のようだと、スヴェインは感じていた。
「面白い!」
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