第四章 第二話(3)『大王』
一行は、一際大きな扉を潜り、いよいよ国王謁見の広間に辿り着いた。
目の前に、玉座がある。きらびやかな紋様が描かれた絨毯を進み、横に佇んでいるジルヴェスターの近くまで来ると、リッキーの挙動のままに、四人は片膝をつく姿勢をとった。きょとんとしているシャルロッタには、イーリオが「僕の真似をして」と囁いた。
「待っていたぞ、リッキー」
よく通る声。靴音が近付いてくる。
まさか、国王自らが目の前に降りて来たのか? 大国家の盟主が、玉座を降りて近付いてくるなど、想像だにせぬ出来事だ。
「面を上げて構わんぞ。連れの方々もな。堅苦しいのは抜きだ」
本当に顔を上げていいのか、躊躇っているイーリオ達に、リッキーが顎で指し、起立するよう促す。
目の前には、シンプルだが、高級そうな衣服に身を包んだ男性が立っていた。
メルヴィグ王国国王、レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンシュタウフェン。
彩度の低い青金の髪は、ゆるく巻き毛になっており、優し気な瞳の色は、透明度の高い海のよう。白皙無髯の端正な顔立ち。六フィート以上ある長身と甘いマスクで、若い頃から、王国中の貴族の娘達の憧れだったという彼は、当年とって三〇歳。まだまだ若々しさが全身から溢れ、国王というよりも、育ちの良い貴公子といった風貌だ。
だが、その甘い容姿とは裏腹に、既にメルヴィグ建国以来の名君として誉れ高く、内乱と外征で疲弊し、借金に喘いでいたこの国を、わずか数年で立て直した事は、近隣諸国の民草に至るまで知られている。
さらに彼は、大国家の君主としてのみならず、一個の騎士としても、他に並びない実力を誇っていた。現在、隊長不在である壱号獣隊 の隊長職も兼任する彼は、その鎧獣と共に、黒騎士や百獣王と並び称されるほどの存在でもあったのだ。
そんな彼を、国民は敬意と尊崇の念をもってこう呼んだ。
メルヴィグ中興の祖。
獅子群王レオポルト。
歴史に名を残すような大王が、今、自分のすぐ目の前にいる。しかも何ら偉ぶる事のない笑顔を浮かべて。目眩をおこしそうな状況に、イーリオは口を閉じるのも忘れて緊張していた。実に情けない表情ではあったが、もともとがただの平民の彼にとって、レオポルトはまさに雲上人。あまりにも身分が違いすぎた。
「そう、固くしないでくれ。気楽に話そうじゃないか」
両手を広げ、大王らしからぬ口調で語りかけるレオポルト。そこではたと、彼は気付いた。
「こんな所で立ち話をするのがいけないな。しかも淑女が二人もいるというのに。おお、ボクは何て迂闊だったんだ――よし」
ジルヴェスターの方を見ると、続けて彼は、
「隣の 列星卓の間を使おう」
国王の提案に、ジルヴェスターは、ほんの少しだけ眉をひそめる。
「陛下、あそこは覇獣騎士団の――」
「構わん構わん。使うといっても、年に数度だけの部屋だ。しきたりだの範例だのと言って、物事を有効に扱わんのは愚か者のする事じゃないかね。キミもそう思うだろう?」
いきなり話を振られ、イーリオは動転する。「あ、え?」と、意味のない言葉が漏れ、どう答えて良いのやら、固まっていると、そんな彼の返答を待たずに、レオポルトは早速、隣室へと向かって歩き出した。
軽く進言したものの、元より非難するつもりはなかったのだろう。何も言わずにジルヴェスターが後に続くと、リッキーもイーリオらを促して、後に続いた。
「な、気さくな人だろ?」
途中、リッキーがイーリオの耳元で、小さく呟く。確かに見た目のみならず、態度や物腰も、思い描いていたような、王族的な偉ぶった言動など、微塵も感じさせない人物である。
その地位との落差に戸惑いはするものの、何だか、安心出来る心地にさせてくれる人だ。
隣室の名を、列星卓の間といった。
ここは、覇獣騎士団の隊長格と国王が会議をするための部屋であり、年に数度、覇獣騎士団の主席官と次席官全員が、一堂に会するための空間であった。
中央に円卓。それを取り囲むように、大きな円柱状の台座が八柱あり、さらにその八柱の周りにも、椅子が備えられていた。
レオポルトは円卓に座るよう薦めると、己も円卓の席の一つに腰を下ろす。
「いやぁ、普段は謁見の間で、立たせて報告聞くものだから、ついその癖で、あっちに行っちゃったね。報告聞く時とか、あれやこれやうるさい小言を聞く時なんかさ、相手を座らせちゃうと、話が長くなっちゃうでしょ。それで、相手を立たせて自分が座ってれば、相手も疲れてくるからさ、話も短くなるわけ。ついその癖で、いつものように謁見の間を使っちゃったよ」
大国の王とは思えぬ台詞である。気さくというよりも、開けっぴろげでさえあった。
「さて、昨日の件は、ジルヴェスターから報告を受けた」
レオポルトの表情が変わる。親しげな笑みが消え、両眉が目に近付いた。対峙する人を、縛り付ける眼光。昨夜の黒獣の男とは違った意味で、相手を呑み込んでしまうような迫力が、急に滲み出る。
これが獅子の騎士団の王――。
「黒母教。ナーデ教団。灰堂騎士団と名乗る鎧獣騎士たち。それに、その者らが司祭と呼ぶ、スヴェイン・ブク……。どれも、実に厄介な話だね。奴らがどういう目的で、何を企んでいるのかはわからないが、現状、一つだけ確かな事がある。それは、奴らが最初に毒牙の餌食にかけようとしているのは、他ならぬ我が覇獣騎士団だという事だ。それは間違いないだろうね」
その後を、レオポルトの隣の座席に座った、ジルヴェスターが継いだ。
「実はな、陸号獣隊からの報告だが、北の参号獣隊だけでなく、西、東、南と、各地の隊も、所属不明の騎士集団であったり、近隣国からの襲撃を受けたという情報が入っている。しかも南方に至っては、アクティウムの騎士団からの襲撃だと聞いている」
「アクティウム?! 何で友好国のアクティウムが、メルヴィグを攻撃するんスか?!」
思わずリッキーが声を荒げる。
「おそらく、貴様の報告にあった、マクデブルクを襲ったゴート帝国の騎士と同じだろう。目的も何も不明。本当にゴート帝国かどうかも怪しい。それと同じなら、アクティウムの騎士というのも、偽装の可能性がある」
「偽装って、そんな簡単にバレちまうような偽装をしてまで、わざわざ同時期に、各地の部隊を襲ったって言うんスか?」
「ばれた所で問題ないのだろう。襲撃をしたという事実さえあれば良い。そうすれば、もし万が一襲撃が本物だったらと、我々は警戒せざるを得なくなり、各地の部隊をその場に釘付けに出来る。敵の狙いは、戦力の分散。それが第一の目的なのだろう」
それが事実なら、灰堂騎士団と名乗るメルヴィグ王国の〝敵〟は、相当な戦力を持っている事が予想された。しかも〝敵〟は、レレケの用いる獣使術を扱える。これの擬獣を使えば、例え遠方だろうと、各地の部隊とも秘密裏に連携が取れ易くなる。
最初の明るい顔とは打って変わった、威を備えた表情でレオポルトが続けた。
「でだ――。具体的に手を講じる前に、ボクとしては、この一件の最初の当事者たる、君達の意見を聞いておきたくてね。レナーテ・フォッケンシュタイナー嬢――いや、今はレレケ・フォルクヴァルツさん、だったかな?」
「どちらでも結構ですわ、国王陛下」
「では、レレケさん。それに、イーリオ・ヴェクセルバルグ君に、ドグ君、シャルロッタ嬢。偶然にも、君達がこの国に来て、奴らの企てと遭遇したからこそ、事態は我々の知る所となった。正に、君達の働きあってこそ。救国の英雄だと言っても差し支えないだろう。褒美の一つも差し上げたいところだが――、君達が事件に出会ったのは、本当に偶然だろうか?」
「え?」
レオポルトの言っている意味が掴めないイーリオ達。レレケのみ、眼鏡の奥で表情が読めなかったが。
「いや、君達を怪しんでるんじゃないんだよ。君達が事件に関わったのは、本当に偶然なんだろう。君達自身からするとね」
「陛下が仰りたいのは、我々は何者かの仕業によって、意図的に事件と関わりをもつようになったと? そういう事でしょうか?」
驚いているのか、憤っているのか、まるで考えの掴めない顔で、レレケはレオポルトの言葉の真意に踏み込んだ。
「さて。判断材料が少なすぎて、何とも言い難いが、それにしてはあまりにも出来すぎているとは思わないか? 偶然、謎の鎧獣と出会ったイーリオ君は、メルヴィグに来ないといけなくなる。その後、偶然、レレケさんと知り合い、彼女もメルヴィグ行きへの供をする事となった。そして、偶然にも、襲撃されたマクデブルク砦に行き、さらに都合良く王都に行けば行ったで、偶然、奴らの犯行現場に居合せ、しかも、〝敵〟の一味の一人は、レレケさんの知人だったという偶然」
確かに言われてみればそうだ。当事者のイーリオは、選択と判断の積み重ねだと考えていたが、客観的にここまでの道程を振り返ってみると、実に数奇だと言えるかもしれない。
「やはり、何者かの意図が介在していると……?」
「どうだろうな……。ただボクはね、国政を預かる身として、長年抱いてきた信条のようなものがある。それは、〝偶然の先には何らかの必然がある〟というものでね。確かなのは、君達の今までの偶然も、これからあるかもしれない偶然も、やがて必然的な方向へと行き着くだろう、という事だ。しかもそれは、放っておけば、我々にとって宜しからざる答えを導いてしまう可能性が高い。そこでね、ボクが思うに、君達の今までの経緯からすると、君達が事件の最初の関係者であり、敵の姿をその目で見たのには、何か理由があると思うんだ。だから、君達の目で見た敵の印象、それを聞いてみたいと思ってね」
自分達が関係者である理由――。そんなものはまるで想像もつかないが、昨夜、レレケが言っていた、神話の宝剣、ウルフバードの伝説と、ザイロウの授器が同じ名前であるという事は、この際、何か重要な意味を含んでいるような気もする。
〝山の牙〟なる山賊団の頭目との戦いでは、刃先が光って熱を帯び、硬厚な灰色熊の鎧獣騎士の体を、一刀で両断せしめた。しかも、ゴート帝国の皇太子、ハーラルの駆る白虎の鎧獣騎士ティンガル・ザ・コーネとの一戦では、ウルフバードは谷底に落ちたにもかかわらず、宙を浮いて手元に戻って来たという超常現象っぷりだ。あの武器授器が、何らかの重要な意味を持っていたとしてもおかしくはないように思える。そう言えば、昨夜出会ったスヴェインは、ザイロウとウルフバードに、異様な興味を示していた。それは単にレレケの言ったウルフバードへの執着なんだろうと思っていたが、考えてみれば、それも都合の良すぎる話だ。ウルフバード探求に取り憑かれた男が出くわしたのは、そのウルフバードと同じ名を持つ武器を持った鎧獣騎士なのだから。
考えるイーリオより先に、まずはドグが王の言葉に応えた。
「印象ったってなぁ……。不気味な連中って事くらいしか覚えてねぇけど……」
「不気味?」
「見た目も格好も変なんだけど、なんつぅか、やってる事も不気味なんだよな。普通、悪党っつうか、底辺にいる連中ってのは、何より自分の命が大事なんだよ。身内との絆とか、己の信念とか誇りとか、そういうお題目は、綺麗なとこに居る連中の言葉でよ。底に居る連中ってのは、何よりも自分。その次が金。そんで食い物。それが全てだ。でもよ、昨日出くわした連中ってのは、何か違ぇんだよ。底に居る連中と同じ、自分達以外は全て敵、みてぇな面をしておきながら、何かの為には死ぬ事すら構わねえ、みたいな。そんな危ねぇ空気がプンプンしてたんだよ」
「ふむ」
「イーリオがここに居るのはね、偶然じゃないよ」
こういう話には、まるで意見を挟まないであろうシャルロッタが、唐突に言葉を発した。
「災いは、黒い獣だけじゃないの。イーリオはここで、三つの紋と出会うの。それが本当のはじまり。災いに立ち向かうため、獣の王達、未来の王達と会うの。イーリオはそのためにここに来たのよ」
「シャルロッタ……?」
「シャルロッタさん? それ、どういう意味ですか?」
いきなり発言をしたかと思うと、その内容はまるで予言めいた詩のようなもの。イーリオもレレケも、口々に彼女にその真意を尋ねる。だが当の本人は、尋ねられておきながら、むしろ不思議そうに全員を見回した。
「意味……? よくわかんない」
また、いつものシャルロッタだ。
黒い獣? それは昨夜出会った鎧獣の事だろうか。では、三つの紋とは? それに災いってどういう事だろう? いや、そもそも彼女の言葉は、一体何なのだろうか。予言のようだが、突然それを言い出したのは、どういう意味があって?
意図の読めない彼女の言動に、戸惑うばかりのイーリオ。思考は疑問符を増やしていくのみ。だが、彼女の発言の中で、その言葉のある部分に、レオポルトが引っかかった。
「黒い獣と言ったね? それはキミが昨夜見た鎧獣の事だろうか。……その鎧獣、どんな姿形か覚えているかい?」
レオポルトはイーリオとリッキーを交互に見る。
「どんな――。鎧化をして夜目が効いていたとはいえ、月明かりだけの真夜中なうえ、鎧獣も真っ黒だったので、明確には申し上げられ難いですが……。そうですね……あえて言うなら、黒いライオン、でしょうか。黒豹や黒ジャガーとは違うと思います。体格も一回り大きかったし、ライオンに似たタテガミもありましたし……。でも、ライオンにしては、豹に似た模様があったような気もしますし、何より、黒いライオンなんて、聞いた事がありません。なので、はっきり言えるのは、猫科の大型猛獣という事だけでしょうか。申し訳ありません、こんな答えしか出来なくて……」
国王の前なので、言葉遣いも自然、丁寧なものになるイーリオだったが、曖昧な回答しか出せないのは、いずれにしても仕方なかった。錬獣術師の息子として、長年様々な動物を学んできたイーリオであったが、彼にしても未知の動物がないわけではない。それでも、猫科の有名どころぐらいは把握しているつもりだったが、昨夜の黒い猛獣は、まるで見た事がなかった。
種族も何もわからない、未知の鎧獣。それでも――
「あの緑玉の神之眼と、目だな。覚えてんのは。不気味なだけじゃねえ。ありゃあ間違いなく、特級の鎧獣だぜ」
イーリオの発言を継ぐように、リッキーが答えた。
「緑玉の神之眼……。ライオンのような、猛獣か……。ふむ」
何かを思い出すように、レオポルトは口元に手を当てて沈思する。さすがに、国王に向かって思い当たる節があるのかと問う事は憚られた。
レオポルトが何か考え事をはじめ、場の空気に沈黙の水位が上がりはじめたかに思えた時、その静寂を破るように、部屋の外から国王を呼ぶ声が聞こえた。




