第四章 第二話(2)『獅子王宮』
レーヴェンラントの中央、ケーニヒス川の北側に、その豪壮な宮殿は鎮座していた。
獅子王宮。
国王レオポルトが住まう、大陸一の広さを誇る大宮殿だ。敷地面積は二〇〇ヘクタールを越え、広さだけなら、ゴート帝国のアケルスス城をも凌ぐ。元々、古の大帝国、ガリアン帝国の皇帝が、夏の別荘地として造らせたものであったが、そのあまりにもの大きさと美しさのため、メルヴィグ王国の初代国王キルデリクⅠ世が、自らの居城として改築したのが、獅子王宮としてのはじまりとされている。
ケーニヒス川より引いた水路が、運河となって宮殿中央を流れ、南西の方角から宮殿を眺めると、まるで水に浮かんでいるように見える。敷地内の庭園は、青々とした草地で覆われ、神像や獅子の像が、ところどころに置かれていた。またここには、離宮がいくつかあるだけでなく、厩舎や神殿、浴場、喫茶のための館、その他様々な建築物があった。
イーリオは、こんな典雅な宮殿に足を踏み入れる事になるなど、今までの人生で考えた事すらなかった。視線は泳ぎ、動悸は高まる。
リッキーが落ち着いているのは当然だが、レレケも出自の良さ故か、全くいつもと変わらない。その一方で、ドグなどはおのぼりさん丸出しの挙動不審さだ。シャルロッタに至っては、「わー、きれー」とか「魚がいるよー」などと、無邪気にはしゃいでいた。
やがて一行は、宮殿本殿へと足を踏み入れた。
新ガリアン様式と呼ばれる建築に、名のある芸術家が描いたであろう、天井のフレスコ画が描かれた、長い長い大回廊を渡りながら、何とか緊張を解こうとして、イーリオは気を逸らす為の話題を振った。
「ね、ねえ、リッキーさん。僕達、国王様に直接会うの?」
「ああ。そうだぜ」
一行を先導するのはリッキーだけだ。マテューは騎士団堂に残って、昨日の残務やら、内通が疑われる近衛兵団との折衝に追われている。
「安心しな。陛下との謁見は内々のものだから、同席すんのはジルヴェスターの主席官だけだ。それに陛下っつっても、あの方は王族っぽくねー、気さくな方だからよ。肩の力抜いてていいぜ」
それを聞いて、少し胸を撫で下ろすイーリオ。
回廊では、幾人かの貴族や官吏、騎士達とすれ違ったが、誰も目を合わせようとはしない。これでもリッキーは、国家騎士団の重職に就く身である。こちらに興味本位で不躾な目を向ける事で、逆に目をつけられたらと思うと、自然と目を背けてしまうのだろう。
すると、大回廊を曲がった先で、不意にリッキーが、「お」と呟いた。しばらく歩くと、前方から二人連れの女性が近付いて来た。そのうち一人が、リッキーに対し、親しげに手を振る。
「やだぁ、リっくん。帰ってきてたの?」
女性は二人とも、覇獣騎士団の隊服を着ている。しかも高官なのだろう。二人共に身にまとっているのは、肩章のついた、白地に金縁なだけの隊服ではなく、所々に藤色の紋様が描かれている。また、リッキーを妙な渾名で呼んだ方の女性ではなく、その後ろにいるもう一人の女性は、隊服の上から、背に隊章が刺繍されたマントを羽織っていた。
隊章の数字は、二人共に六。
陸号獣隊。
六番目の覇獣騎士団部隊。
「よぉ、マルガ。ヴィクトリア主席官も、お久しぶりっス」
「ちょっとー、何でアタシだけ、よぉ、なのよー」
「ンなもん、聞かんでもワカんだろ。ヴィクトリアさんは主席官、オメーは次席官、違うのは当然だっつーの」
「うっわ、アンタ、人によって態度変えんの? しかも肩書きで? そーゆーのサイッテー。器小っちゃ!」
「うっせー。文句は、人として、いや、オンナとして成長してから言いやがれ」
「え、マジ? ちょっと主席官、聞きました? 今の発言。オンナをバカにしてますよ。完全にジョセイサベツ。あんた、ちょっと会わない内に、随分ゲスくなったわねー」
取り留めなく喋っているマルガを制するように、後ろのヴィクトリアが柔らかい物腰でリッキーの後ろに控える四人を見た。
「リッキー次席官、その方々は?」
優しい声音。大人の女性そのものといった落ち着いた佇まいは、確かにマルガよりも洗練された雰囲気を漂わせている。
「こいつらは、オレんトコの隊で預かってる、オレの弟子みてーなのと、その連れッス。今から主席官の立ち会いのもと、こいつらを連れて、陛下のトコに行くところなんスよ」
表情の読み取れない笑みを浮かべながら、ヴィクトリアは、イーリオ達四人を凝っと見つめた。
「……そう。では、彼らが例のトルベン卿事件の?」
「さすが陸号獣隊、耳が早いッスね」
「そちらの女性は、レナーテさんですね?」
自分の名を呼ばれ、レレケは軽く会釈をした。
「確か貴女は、ヴィクトリア・メアリ・ルイーズ様? お名前はかねがね、お聞きしております」
ヴィクトリア・メアリ・ルイーズ主席官。
柔らかな焦げ茶色の髪を短く切り揃え、同色の瞳は、伏し目がちで表情が読み辛い。だが、白無垢の肌はきめ細やかで、薄桃色の唇は、紅をひいてるわけでもないのに、艶めいている。まさに大人の女性。
マントの下の隊服とごしでもわかる、均整の取れた肢体は、豊かな胸とほっそりとした腰をあらわしていた。
その一方で、マルガと呼ばれた次席官は、賑やかな色の金髪を束ね、アクセサリーを身に着けて大人っぽさを出そうとしてるのだが、ヴィクトリアと並ぶと、どうにも背伸びをしているように見えてしまう。
本名をマルガリータ・アイゼナハ。
皆は愛称のマルガと呼んだ。
彼女も充分美形なのだが、清楚と言うよりも、かしましい雰囲気の方が勝っていた。更に言うなら、リッキー同様、無駄に襟をはだけさせ、婀娜っぽい色香を演出しようとしてるのだが、控えめな胸元もあって、どうにも、ただの不良娘のようにしか見えない。
だがこう見えて、リッキーがさすがと言うだけあり、彼女らの率いる陸号獣隊は、諜報・索敵において、屈指の実力を誇る情報戦のエキスパートであった。彼女らがここにいるという事は、おそらく今しがたまで国王に会っていたのだろう。イーリオ達の事についても、判っていながらあえて尋ねたに違いない。リッキーは無神経で表裏のない分、気付いていてもまるで気にしないが、諜報線においては、どんな問答も綱渡りの駆け引きを孕んでいる。彼女らを前に、下手な言動は命取りになりかねないと、専らの噂であった。
だがその分、マルガは表裏のないリッキーの事を、とても気に入っており、「リっくん」と呼んで、何かと絡んでくる事が多かった。リッキーも存外嫌ではないらしい。王立学院時代には、メルヒオールと共に、よく三人でつるんでいたものだ。それは今も変わらなかった。
「んなもんで、ワリぃっスけど、陛下に呼ばれてるんで、先に行かしてもらいますよ。遅れよーモンなら、あの主席官に、どんな風にドヤされるかわかったモンじゃねーッスから……」
リッキーの大仰な言い回しに、クスリと笑うヴィクトリア。
「弐号獣隊 の〝炎の音撃〟も、ジルヴェスター殿の前では、借りてきた猫ですね」
「ンな事言わないで下さいよー」
デレっとした表情のリッキーに、マルガは片頬を引き攣らせて睨みつける。その雰囲気を察して、このままでは収拾がつかなくなると思っていたイーリオだったが、ヴィクトリアが自ら、「それではまた」と言って、その場を辞去していった。その大人の立ち居振る舞いに、尚の事、鼻の下を伸ばすリッキー。
行き過ぎてから、マルガは後ろを振り向き、リッキーに対して舌を出している。だがリッキーは、彼女の事など、まるで眼中に入ってないようだった。
だらしない兄貴分に呆れながら、イーリオは、行きませんか? と声をかけた。




