最終部 最終章 第一一話(1)『不死鳥』
ドグの髪は、癖毛の強い、ほぼ橙色の茶色だった。
イーリオの師匠、カイゼルン・ベルの髪は金髪で、どこか獅子のタテガミを思わせた。
では目の前のドグはと言えば――まるでカイゼルンの頭髪になったようなドグ、とでも言おうか。
髪色はカイゼルンと同じ金髪。
元のドグにあった癖の強さはなくなり、何故だかカイゼルンのように髪が伸びていた。それに癖毛がなくなったせいか、彼の特長だった頭に巻いていた布が外れている。
だが布はともかく、髪の色や髪型もそれがどうというわけではない。そんなものは瑣末な事。
本人が言ったのだ。
自分はドグであり、カイゼルンだと。
口調まで、まるで二人を混ぜ合わせたかのような喋り方である。
一体何がどうなっているのか。
「クソババアの仕業だ」
そのドグ? カイゼルン? が言った。
――便宜的にドグ、またはドグカイゼルンと呼ぶが――。
「世の女性という女性を愛するこの俺様がババアと呼ぶオンナなんざ、この世に一人しかいねえ」
「もしかして……オリヴィア様?」
「様なんて付けんな。ババアだババア」
言った直後、ドグが妙な顔をする。
今の発言に自分で苦虫を噛み潰したような、または狼狽えるような素振りだ。
「っだからカイゼルンのおっさん、勝手に喋んなよ」
「ああ? てめえだけじゃヘボヘボのヘボチンだから、オレ様が力を貸してやってるんだろう。生意気言ってんじゃねえ、ヘボガキ」
まるで一人芝居を見せられているようだった。
言うなればドグの顔で、ドグの姿で、二つの人格が体を取り合っているとでも言おうか。
あまりの奇妙な状況に、イーリオはまるで着いていけない。レレケを見ても、彼女も首を横に振るのみ。
死んだはずのドグが蘇った――。
本来は感動と驚きが勝つはずだが、理解不能が先に立って、悪い幻覚を見ているようにクラクラとしてくる。
「〝霊神融合〟――そう言っただろう? ドグの魂魄とダーク・ベル――つまり六代目カイゼルンの魂魄を強制的に融合させたんだよ。レレケにはさっき言ったな。これはオリヴィアのみに許された禁断の力だと」
〝霊神融合〟。
オリヴィアがヘル=カンヘルとの戦いで発動させた、謎の力。
確かにロッテはその時、霊神融合についてレレケに説明をした。だが、発動したと言いながら何の変化もあらわれていないように思えたので、忘れていたのだ。
何の事か分からないイーリオに、レレケが端的に話した。
しかし、その霊神融合が、まさかこんな形のものだとは――。
「ドグはアルタートゥムの中でもただの人間にすぎん。改造を施してはいても、やはりボク様達のようになるには限界がある。ようは先に力尽きる事は予想出来たという事だ。だから本人にも知られぬよう、密かにジルニードルの中に、ある〝仕掛け〟を施しておいた。ドグが死んだ際、その魂魄を一時的に保管しておけるような仕掛けをな」
「そんな事まで……」
「オリヴィアに〝霊神融合〟が許されているように、ボク様にも禁忌の力はある。それが〝固有の魂魄の保存〟。即ち、魂のストックだ。だからボク様だけ、他よりも力を失うのが早かったんだよ。この戦争の前に禁忌を犯していたからな。ボク様とレイドーンのみ、戦う前から既に力に制限がかけられはじめていたのさ」
アルタートゥムの中で一番最初に力尽きたのは、ロッテだった。
それは単に、彼女が戦闘向きでないからだと思っていたが、そうではないという事か。
「で、カイゼルンの魂も、あいつが死んだ後で残された部分だけをストックしておいたんだ。オリヴィアと協力してな」
実は以前、カイゼルンと黒騎士ヘルが相討ちとなったあの戦いの場に、オリヴィアは密かにあらわれていたのだ。
誰にも知られず、密かに――この物語には記されていたが――。
「オリヴィアは霊神融合を発動し、ドグとカイゼルンの魂を強制融合させ、こいつを蘇らせたんだ。あと、ジルニードルにもカイゼルンの〝ヴィングトール〟の因子を組み込み、ドグの復活と同時にそれが発動するよう、組み込んでおいた。さっきカンヘルの光線を弾いたのは、ヴィングトールの獣能〝創大〟だよ」
「じゃあ、ここにいるのは――」
「ドグでありカイゼルン、そしてヴィングトールの能力も持ったジルニードル、というわけだ。まあドグ自身、というかその体がドグであるように、魂の主体はあくまでもドグだ。だからこいつを呼ぶとしたらドグか、またはドグダークとかドグカイゼルン、なんてのでいいのかもしれん」
ロッテの説明に、ドグが鼻を鳴らして憮然とした表情を浮かべる。
「俺様をどう呼ぶかなんざどうでもいい。ドグと呼びたきゃ呼べ。それよりもっと重要な事を言えよ。俺様のこの状態は、一時的なものだってな」
一時的――。
嫌な言葉を聞いたように、イーリオの心がざわつく。
ドグの言う通り、ドグがドグでいられる時間は長くない。
そう続けたのは、彼らの側に寄っていったオリヴィア=イオルムガンドだった。
「それともう一つ。霊神融合が使えるのはあと一度だけ。あと一度使えば、オレは消滅する」
「そんな――!」
イーリオがこれを聞くのは初めてだった。
「元々、複数の多層世界に深刻な影響を及ぼしかねない危険な術なんだ、霊神融合は。だからドグがダークと融合した状態でいられる時間も、長くない。それに使ったオレにもリスクはある。一度でも使えば寿命は大幅に減少するし、二度目で即終了だ」
さっきから出ているダークという名は、カイゼルン・ベルの本名である。さすがに母親のオリヴィアは、その名で呼ぶのだろう。
そのオリヴィアが側に来た事で、ドグの顔が嫌そうに歪んでいた。融合したカイゼルンの感情が、強く出ているのだろうが、どうして産みの母をそこまで毛嫌いしているのか、その理由は分からない。
「その――そこまで危険を犯して、どうしてドグと、師匠を……? いえ、僕はその……もう一度会えて嬉しいんですけど……」
イーリオの問いに、オリヴィアが口を開きかけた時だった。
イーリオ達を待っていたわけではない。
だが皆の隙をつく形で、ヘル=カンヘルが再度攻撃を仕掛けたのだ。
とはいえヘルの視点で見れば、彼が今まで戸惑って動けないでいたのも、無理からぬ事だろう。
全てが自分の思い通りに成就し、この世を掌握するだけの力も手にしたというのに、肝心のイーリオとディザイロウが奪い返されてしまったのだ。しかもよりによって、己の体内から。
そうかと思えば、今度は天の山が突如あらわれ、しかも死んだはずのアルタートゥムまで蘇り、こちらの攻撃をいとも容易く妨害してみせたのである。
無敵のはずの自分の力を。
何もかもが成功したはずのに、その直後から全てが上手くいかなくなってしまう――。
――これは何の冗談だ。
焦りや苛立ちをヘルが覚えるのも当然。それを自覚していたからこそ、彼はイーリオ達が会話している中、ずっと沈黙していたのであった。
己の中に渦巻く苛烈な感情を鎮めるため。
――ここで冷静さを欠くべきではない。
勝利を確信した時こそ、最も敗北が近付く瞬間――などという言葉があるが、まさにそれであろうとヘルは思い至る。
彼は敢えてイーリオ達を放置し、己の感情を鎮めるのと同時に、様子を伺っていたのだった。いや、こんな時こそ動くべきではないと考えたと言った方が、正しいのかもしれない。
そうして今。
皆の虚を衝いて、空に浮かぶ巨大な鳥――天の山に向けて、再び極帝破光を放ったのだ。
どういうつもりかは分からぬが、アルタートゥム達の警戒も解かれている。戦いの只中だというのに、あまりに不自然。ただ、何らかの罠だとしても好機である事に変わりはない。
それに再び攻撃が阻まれたとしても、ヘルがアルタートゥム達の様子を見るためにはむしろ好都合だった。
果たしてどういう反応を取るのか。
暗黒色の破壊光線。
他の装竜騎神たちとは違う、次元竜神だけの神の闇。
今度はそれが、弾かれる事なく――。
直撃する。
――!
当てたヘル=カンヘルの方が、むしろ驚いてしまう。
闇の光に貫かれ、天を覆う巨大な半機械の巨鳥は叫んだ。
巨大さに見合った、まさに天空全てをその音だけにしてしまうような咆哮を。
唐突な攻撃と一瞬で貫かれた天の山に、思わずイーリオ達が絶句する。
「なっ……!」
貫かれた穴から、炎が噴き上がった。火勢はみるみるうちに強さを増し、巨鳥を――空一面を紅蓮に染め上げる。
まるで王都の空が燃えているような奇観だった。
「そんな――天の山が!」
呼び寄せて何をどうするつもりだったのかは分からぬが、肝心の天の山そのものが堕とされては意味がないのではないか。焦るイーリオに、狼狽するレレケ、シャルロッタ。
しかし先ほど攻撃を防いだドグはと言えば――
「いけね、守んの忘れちまった」
などと間の抜けた言葉を吐くのみ。
「何が忘れただ。そもそも解除する必要もないにわざわざ鎧化を解いておいて何を言ってる」
それに対して、ドグと同じく平然と返しているのはオリヴィア。
「うっせえなぁ。俺様だって自分の体がどうなってるのか、この目で確かめたかったからだよ。大体、てめえ勝手に魂魄融合なんかされる身にもなってみろってんだ」
「何が自分の体をだ。鏡でもなければ己の姿なんぞ見れまい。それとも鏡でも持っていたのか? 律儀なやつだな」
「だからうっせえっつうの。いちいちうぜえカラみ方すんなよ。母親か」
「母親だが」
「ケッ、この体の、ドグの母親じゃねえだろうが。俺様の意識の半分、しかも魂だけじぇねえか」
やはり、危機感もなければ悲嘆もしていない。
目の前で、千年間守り続けていたアルタートゥムの居場所が、燃えて消えそうだというのに。
「何を――何を言ってるんですか、二人とも……!」
そんなイーリオを見て、やれやれといった表情を交わす二人。
反応だけなら、妙に親子感があった。
「言わんこっちゃない。お前がせんでいい防御なんぞしたから、イーリオまで勘違いしてるだろうが。そもそもさっきは何で攻撃を防いだんだ?」
「だからうっせえっつうの。試してみたかったんだよ。頭ん中で説明を垂れ流されても、実際にてめえで感触を掴まねえと本番でしくじるだろうが。大体なぁ、いきなりこんな状態にさせられて、はいどうぞ戦え、なんつう母親がどこにいるってんだよ。てめえだけだっつうの、そんなババアは」
「ほう。相変わらずオレをババア呼ばわりするとはいい度胸だ。オレのハサミで貴様のナニをちょん切ってやろうか? ん?」
オリヴィアはサーベルタイガーの姿のままなので、手にしたハサミ状の大剣を、まさにその見た目通りに刃を開いて見せる。
やってみろよ、と鼻で笑おうとするカイゼルンの魂だが、ドグの方の魂が条件反射的にゾッとなってしまう。オリヴィア〝ドゥーム〟・シュナイダーならやりかねない、と。
思わず己の股間を両手で覆い隠すドグ。
「だから二人とも、そんな事言ってる場合じゃないでしょう……! 天の山が燃やされたんですよ?! アルタートゥムは天の山と星の城の守護が役目なんじゃないんですか」
「その通りだな」
「だったら――」
イーリオの訴えに、オリヴィアが何を思ったのか――唐突に鎧化を解除した。
白煙を上げて解除した姿は、まるで敵に降伏したかのようにも見える。
「ちょっ――オリヴィア様?!」
武装を解き、ただの女性になったオリヴィアが告げる。
「守護というのは正確じゃない。天の山を正しく運用する――それがアルタートゥムの役目だ」
「正しく……?」
「天の山は、半機械生命体だ。何故機械だけにせず、そんなややこしい仕様にしたのか。それは、この時のためだ。巨大な力、内包する魂を、いざという時に利用するためだ」
上空を見上げるオリヴィア。
吊られてイーリオ達が空を見ると、燃え盛る巨鳥が空を覆っていた。が、イーリオはそこでふと違和感に気付く。これほどの巨大なものが燃えているというのに、火の粉が一粒たりとも降ってこない事に。
熱は感じる。
空から熱波が、霧雨のように注いでいた。それだけに、燃え滓や零れた炎の欠片が堕ちてくるはずだろうし、火の雨が注いでこない方がむしろ怪訝しい。それらが流されてしまうほどの風もないのに、どうしてなのか。
やがて天の山に空けられた穴が徐々に大きくなっていき、穴の中心から一際眩い発光体がある事に気付く。
いや、それは光ではなく、炎。
炎の中にあって、炎よりも輝く火炎。
塊の炎。
濃縮された火炎で形造られた、鳥だった。
「あれが、天の山の本体」
思わずイーリオが、オリヴィアに視線を向ける。
「正しくは、天の山の膨大すぎる〝力〟と魂魄の全てを圧縮してあの中に封じ込めたのが、あそこに見える炎の鳥だ」
大きさは相当にあるはずだった。おそらく史上最大級の鳥類、アルゲンダヴィスをゆうに超える巨大さなのだろう。しかし元の天の山がそんな比ではないほどあまりに大きすぎるため、本体が豆粒に見えるほど彼我の比率が狂っていた。
「さっき、どうしてドグとダークの魂を蘇らせたのか、聞いたな」
「え?」
「それは、切り札だからだ」
「切り札?」
「オレではカンヘルを今倒す事が出来ても、ここから先、奴らが二度とこの世界に干渉出来ないようにする事は無理だ。それにはイーリオ、お前とディザイロウでないといかん。だが、そんなお前達でも、今となっては力不足だろう」
分かってはいても衝撃的な一言に、返答に窮するイーリオ。
「ディザイロウが力を失ったからというのはそうだが、仮に失う以前であっても、より強力になったカンヘルが相手ではそれも難しかったかもしれん。だが、ドグとダークがいれば違う。霊神融合によって強力になったこいつなら、な」
思わずドグを見るイーリオ。ドグは褒め言葉を受けたというのに、不貞腐れているようにしか見えなかったが。
「それにイーリオ、ディザイロウにも力が戻れば――」
「戻る――? 戻せるんですか?」
「いや、語弊があるな。戻るのではなく、ディザイロウにしか出来ない事をすれば、だな」
ディザイロウにしか出来ない事――。
「そうすれば、オレでさえ不可能な、奴らエポスの完全消滅が可能だろう」
一体何をさせようというのか。
「これがオレの、最後の役目だ」
そう言ってオリヴィアは両手を広げ、再び空を見つめた。
紅蓮の空の、炎の鳥を。
「我らに力を与えたまえ」
古ガリアン語の呪言。
オリヴィアの目が光る。イオルムガンドの全身にある幾何学模様が発光する。
「何を――?!」
眩さにイーリオが目を細めるのと同時に、天の山の本体、巨大な炎の鳥が消えた。
いや、瞬間移動のような速度で、こちらに飛翔していたのだ。
当然ながらヘル=カンヘルもこれに気付くが、神の人竜であっても補足が出来ないほどの速度。気付いた時にはもう、イーリオらのすぐ目の前。
――ぶつかるっ。
思わず目を瞑り、防御の姿勢をとったイーリオ。
レレケやシャルロッタも同様。
けれども炎の鳥の飛来は、何の衝撃も起こさなかった。
明らかにこちらへ突っ込んできたと思ったのに。
「カンヘルが天の山を壊そうが壊さまいが、どっちでも構わなかったんだよ」
オリヴィアの声。
恐る恐る目を開くイーリオ。
「元より天の山を呼び寄せたのは、最後の役目――魂と力の全てを与えるためだ」
炎が、噴き上がっていた。
火柱が――赤、青、橙、白――いくつもの色をグラデーションさせている、神秘の輝きが、目の前で燃え盛っている。
「これが天の山の最期の役目」
燃えているのはディザイロウ。
白銀の霊狼が、色鮮やかな炎で燃えている。
けれども、燃やされているのではない。
まるで炎で守られているかのように、ディザイロウを燃やすのではなく包んでいた。ディザイロウ自身も、苦しんではいないどころか、己の身に起きている現象に、不思議な顔をしている。
「これは――」
「そして、オレの最期の役目。本当の、禁忌の術だ」
「え」
炎が、弾ける。
霊狼が、輝きの全てをその身に宿す。
「最期の禁忌――二度目の霊神融合だよ」
その場で膝を折る、オリヴィア。
まるで何かに祈るように。
己を捧げるように。
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★ドグ=カイゼルン
オリヴィアの霊神融合により、カイゼルン・ベルと魂魄融合したドグの姿。
魂と肉体の蘇生ではなく、事前にドグとカイゼルン両者の魂魄を保管しており、それを融合させてドグの肉体に宿したもの。
霊神融合そのものの用途的には、本来どちらかの生命体が生きている方が好ましく、それ故にドグカイゼルンの活動可能時間はごく僅かなもの。
まさに〝この瞬間だけの奇跡〟である。
カラーの全身絵は次話にて掲載。




