最終部 最終章 第一〇話(終)『不屈』
顎は骨ごと外れ、喉も裂けるかのような激しさ。
それほどの衝撃を伴い、人竜の口部から光の塊が吐き出された。
発光体は、装竜騎神の巨体と比しても、かなりの大きさである。
夥しい唾液と共に飛び出したその光は、地上に投げ出されるように落ちた後、輝きを急速になくしていく。
そこにいたのは――
「イーリオ!」
紅き人馬・ジョルト=アリオンは両腕から惨たらしいほどの血を吹き出しながら叫んだ。
ぐったりと横たわっていたのは、イーリオと、ディザイロウ。
だが最初に体を起こしたのは、彼らを助け出したシャルロッタだった。
滑るように地上スレスレで宙を飛び、彼らに駆けつけるレレケ=レンアーム。数秒の時間差でジョルトも駆けつけた。
術を展開して防御を張るレンアーム。アリオンは人竜との間に立って盾となる構え。
救出されたイーリオらを、守るためである。
「良かった……! ほんと、無事だったんだな。本当に……」
「ええ、本当に良かった。イーリオ君もディザイロウも、息があります、大丈夫です……!」
無事を確かめたレレケが、声を震わせる。
また言葉にはしなかったが、死が確実とされていたジョルトの無事にも、レレケはこの場の誰よりも喜びと安堵で胸が張り裂けそうになっていた。
――本当に、無事で……。
が、今はそこに浸っている時ではない。
既に意識を取り戻しているシャルロッタに向けて、レレケが声をかけようとする。
だがそこで、彼女の動きが固まった。
「シャルロッタさん……?」
聖女の頬に、涙が一筋。
瞳は揺らぎ、呆然とした表情。喜びなど感じていないのは、明らかだった。
「どうしたんですか? 一体何があったんですか?」
もしかしてイーリオとディザイロウに異変があったのか。それとももっと良くない事でも起きてしまったのか。
不安がそのまま声になる。
「イーリオ君かディザイロウに、何かあったんですか? 一体どうされたんです、シャルロッタさん」
防御の構えを取りながら、ジョルトもチラチラと後ろに視線を送った。
「答えて。ねえ、シャルロッタさん」
「あたし達のために……」
「え?」
「最初から、そんな……!」
顔を覆い、泣き崩れるシャルロッタ。
どうしていいか分からないレレケは、再び問いかけようか躊躇う。けれども救出が失敗したのなら、すぐに手は打たなければならない。
イーリオ達を吐き出した事で人竜は蹲っているが、決して倒したわけではないからだ。
「シエルだ……」
そこへ、弱々しい声ながらも意識を取り戻したイーリオが、声を上げた。
「イーリオ君!」
レレケが喜びと驚きで叫ぶように名を呼んだ。
「大丈夫?! 無事だったんですね?! 良かった! 本当に……」
思わず全身から力が抜け落ちそうになるレレケ。
だがイーリオとシャルロッタの表情は暗い。それに、シエルと名を呼んだ意味は――。
「シエルさん――シャルロッタ様のもう一つの〝魂〟。彼女が一体――」
「僕達を助け出すために、彼女が、犠牲になったんだ」
「――え?」
一度呑み込み、吸収をはじめたカンヘルから、イーリオとディザイロウを助けるには、この作戦だけでは不可能だったのだ。
いや、オリヴィアもロッテも、それは最初から分かっていたのだろう。
イーリオの言葉を継いで説明をはじめるロッテ。
「カンヘルが吸収し、力を取り込みはじめた以上、それを解除するのは難しい。だからシエルには、犠牲になってもらった」
「どういう事ですか」
「イーリオもだが、ここまで能力を奪われた以上、ディザイロウの救出こそが最も困難なのは最初から分かっていた。それはシエルも気付いていた。だからイーリオとディザイロウを吐き出させるため、シエル自らがカンヘルの体内に残って、イーリオとディザイロウの代わりに吸収されたんだ」
一つの肉体に魂を二つ持つシャルロッタだから出来た方法。
聖女の力をエサに、イーリオとディザイロウを助け出した――。
吐き出される際、その事に気付いたシャルロッタがそんなのは駄目だと否定したが、シエルは笑顔でそれに応えたというのだ。
ありがとう――と言い残して。
「そんな……」
「言わなかったのは、もしこれを先に言えばシャルロッタが作戦をやめると言い出す可能性もあったからだ。そうでなくとも、動揺する分作戦が上手くいかなかった可能性もある。……いや、そちらは確実にあるだろうな。だから黙っていた。すまん」
レンアームのフライト・ユニットになったロッテが、謝罪の言葉を述べる。
そうしなければ助けられなかった――。
それが現実だとしても、ずっと一緒で文字通りの自分そのものだともいうべき存在が消えてしまったのだ。
失った悲しみの大きさは計り知れないし、シャルロッタが涙で蹲るのは当然だろう。
だがそれは同時に、もう一つの大きな問題がある事も意味している。
「で、では、今のシャルロッタさんは――」
「ああ、聖女の力は全て失っている。座標の巫女としての存在を除けば、今のシャルロッタは、ただの人間そのものだ」
声を失うレレケ。
もう、シエルの――銀の聖女の加護はなくなったという事。
それに付け加えるなら、霊狼の加護もとうに消えている。
つまりまだ戦場で生きている連合の騎士は、ただの鎧獣騎士だけという事。
イーリオを救出する事は成功した。それはこの上ない成果だ。
だが全体を見れば、窮地は更に悪化している。
しかもシャルロッタは力を失い、最早自力で身を守る事は出来ない。それにイーリオも助け出されたばかりでぐったりしている上に、シエルを失った衝撃で茫然となったまま。
しっかりしてと言いたいが、それを言うのが憚られるくらい、レレケもまた衝撃を受けていた。ジョルトとて、何と声をかければいいかわからない。
「どうあれ、いつまでも呆けている場合じゃないぞ。しっかりしろ、お前達」
沈黙を破ったのは、人でない人となったロッテ。
そもそもこの状況になった原因の一端でもあるのに、それに恥いりもしないで諫言出来る事に、レレケは怒りを通り越して呆れる気持ちにさえなってしまう。
「ロッテ様……。お言葉ですが、イーリオ君やシャルロッタさんの気持ちも少しは――」
「考えてどうなる。そもそもシエルは何のために犠牲になった? さっき死んでいったジェジェン人達は? ニーナは? お前達が悲しんでそいつらが蘇るのか? ボク様を罵りたければいくらでも罵れ。壊したいのなら好きにするがいい。だがボク様は言い続けるぞ。そいつらが亡くなったのは、何のためだ。イーリオ、お前を助け、ディザイロウを助け、あのヘル・エポスを倒すためにだろう」
正論だった。
感情はどうあれ、ここは戦場で、悲しみの深さと戦いの決着は関係ない。
紡いだ想いを無駄にしない事こそ、亡き人々への最大の弔いになる。
当たり前だが最も苦しく、最も強さのいる選択を、ロッテはイーリオ達に強要していた。
それはこの上なく残酷な事かもしれない。
だがそれが出来るのがイーリオだと、ロッテは言っているのだ。
まだ呆けたままの表情のイーリオ。悲しみなのかそれとも別の感情なのか。
何をどう言えばいいか、レレケはまだかけるべき言葉を見失っていた。
「僕を――助けるために――」
呟くイーリオに、ロッテが「そうだ」と答える。
「イーリオ君」
「――レレケ、分かってる。僕は分かってるから。だから大丈夫。安心して」
「イーリオ……」
涙で真っ赤に目を腫らしたシャルロッタに、イーリオは優しく力強い笑みで返した。
「大丈夫だよ。大丈夫。――でも……」
イーリオはその場で腰を上げ、立ち上がる。
「分かってる……って言ったけど、でも、やっぱりその……分からないんだけど……」
「イーリオ君……」
彼の顔はまだ曇ったまま。
悲しみが消える事はないのも、当然だとレレケも察した。
が。
「えっと、その……ロッテ様は、一体どうなってるの?」
「――え?」
「さっきから、レンアームの後ろからロッテ様の声が聞こえるんだけど……その羽だよね? 一体、何がどうなってるの……?」
少しの沈黙の後――言葉の意味を理解して、レレケは「ああ……」となる。
それはそうだ。
イーリオがカンヘルに呑み込まれた後で、ロッテはレンアームの飛行装置の姿となってあらわれたのだから、彼が知るわけがない。
「それになんだけど……僕とディザイロウがカンヘルに囚われたのは何となくだけど分かっていた。ヘルが蘇ったのも、うっすらと気付いていたよ。けど、今の状況がどうなっているのかが分からない。だからそこのところを教えてくれないかな」
思いのほか冷静なイーリオの言葉に、ジョルトは思わず苦笑いを浮かべる。
そうだよな。こいつはそういう奴なんだよ――と。
綺麗で穏やかそうな顔をしているが、根は図太いというか生存本能の塊のような一面がイーリオにはあった。ある意味、生き残る事に関して最も逞しいのが、彼である。
イーリオには特別な才能などない――というのは誰もがよく言う台詞だ。武術も含め、賢さだって彼よりも深さや奥行きを感じさせる人間は数多いる。それはイーリオと相対した誰もが、彼から才の閃きのようなものを感じなかったと言った事が裏付けていた。
それでも唯一つだけ才能と呼べるものがあるとするなら、この精神的な強さ、生き残る強度ではないだろうか。
もしかしたらそれこそが、彼を〝霊獣王〟たらしめた最大の要因であったのかもしれない。
「ああ、説明してやろう――」
口調だけだが、ロッテも苦笑気味な声音で返事をする。
ロッテも分かったのだろう。
さすがは霊獣王イーリオ〝カイゼルン〟・ヴェクセルバルグだと。
心配は必要ない。皆が思うよりもずっと、彼は強い――強くなったのだ。
が、その説明より先に、別の声が彼らの会話を中断させる。
地の底から響くような含み笑い。地鳴りかと思えるような皮肉。
声のした方向は、暗黒の巨人――。
「イーリオを助けた――だと?」
漆黒の捕食恐竜・竜喰らいの王の人竜が、体を持ち上げ膝を立てていた。
「何をどう、助けたというのだ。貴様らの行為は、イーリオを苦しめるだけだ。愚昧とはどこまでも度し難い」
巨大な曲剣を杖に、ゆっくりと立ち上がる人竜の神。
「我がカンヘルの体内にいた方が、よほどイーリオにとっては幸せであったろうに。貴様らは徒にイーリオを苦しみの中へ引き戻したにすぎんのだぞ」
ヘル=カンヘルの言葉に、構えを取ったジョルト=アリオンが怒りの声をあげる。
「冗談じゃねえ、何言ってやがる。てめえの汚ねえ腹ん中にいる事の、どこが幸せだってんだよ、ああ?」
「無知で愚か――まさに低劣の極みだな」
カンヘルが片腕を横に翳した。
「〝霊輝花〟」
翳した腕から、黒の花びらがはらはらと落ちていく。
それが大地に積もり――
再び黒騎士レラジェの複製が生まれた。
「――!」
数は三騎だが、それはただ見せ物として出しただけだからである。
「まだ説明がいるか? 見ての通り、ディザイロウの力は既に俺のものだ。お前達が取り戻したと思っている英雄には、最早何の力もない。千の狼を千の仲間に分け与える事も、巨大な相手と対等に戦う事も、世界を繋ぎ、多層世界に干渉する事も――もう叶わんのだ」
レレケだけではない。これを目にした誰もが、イーリオ本人ですらも唖然となる。
思わずディザイロウを見つめるイーリオ。
人語を話さずとも、ディザイロウがどういう思いでこれを見たのか、イーリオには分かる気がした。
「そして」
今度は曲剣を地面に突き刺し、もう片方の腕から闇色の盾を生み出した。
問わずとも分かる。
色こそまるで真反対だが、あれはシエルの獣理術だ。
「今は〝銀の聖女〟、シャルロッタの魂の外殻であったシエルの力も全てカンヘルの中にある。俺を倒せる唯一の存在であった月の狼の力は俺のものとなり、俺から仲間を守る盾となっていた聖女の力も俺のもの。これを前に、どうやったら貴様ら全員が俺の隷属となるのを防ぐ事が出来るというのだ? なのに本来は俺と一体化し、苦しむ事なく安らかにいられたはずのイーリオとディザイロウを、貴様らは自分達と同じ責苦の渦中に引きずり戻したのだ。己らの無知蒙昧な行いによって。これを苦しみと言わず、何と言う。全くもって許せぬ愚かさだ」
イーリオとディザイロウは助け出せた。
けれどもその霊獣王の力は奪われたまま。
彼らを助け出せば、勝機はある――。
そう言ったのはアルタートゥムのオリヴィアだが、誰もがそれを疑いもしなかった。
イーリオさえ戻れば――助け出せれば――。
イーリオとディザイロウ頼みと言えばそうだが、それだけが一縷の望みだったのだ。
しかし現実は、容赦なく希望を奈落の底へと突き落とす。
「そんな……」
その場にへたり込むレレケ。
ジョルトも、そしてまだ戦っていた十騎士も連合の誰もが、剣を持つ手から力をなくし、虚ろ気になってしまう。
だが――。
泣き腫らした目を拭ったシャルロッタの手を取り、イーリオは彼女を立たせた。
ディザイロウも、二人に並ぶ。
「イーリオ君……」
二人の表情だけは、そしてディザイロウの黄金の瞳だけは、まだ輝きを失っていなかった。
二人とも――そして霊狼も、最早力を失ってしまったというのに。
「お前に吸収されてしまう事が僕にとって幸せだって? ジョルトさんの言う通り、冗談じゃない」
希望の光など何も見出せないというのに――。
「力を全て奪われても、シャルロッタも同じでも、僕はまだ戦える。ディザイロウを鎧化出来る限り、僕は戦える」
「おお、イーリオよ。俺のイーリオよ。俺が育てた俺の希望。まだ無知な輩の呪縛から解けないでいるのか。それ以上は止せ。お前が俺の手ですり潰されるところなぞ、俺は見たくない」
「黒騎士、お前が何を言おうが、お前がどういう考えを持っていようが、僕にとってお前は、未来永劫許す事の出来ない敵だ。だから僕はどんな事があっても、お前と戦う。お前を倒すまで、僕は決してお前に屈しない。諦めない」
それが死んでいった者達への弔いであり、生きている者達に出来る真の希望だから。
この戦いで命を落とした全員。
それ以前もそう。
沢山の人達が、エポスの呪いに振り回され、苦しんできた。敵として戦ったヘクサニア教国の人間も、あのファウストですらも、エポスの犠牲者と言えるのだ。
カイも、リッキーも、マリオンも、もっと沢山、もっともっと大勢の人間が、そしてザイロウたち鎧獣も、異世界の魔導士に苦しめられてきたのだ。
カイゼルン師匠も――。
そしてドグも――。
だからイーリオは諦めない。
力を全て失っても。剣を握れなくなっても。
シャルロッタがいる限り。ディザイロウがいる限り。
そう宣言したイーリオに対し、ヘルは竜喰らいの王の顔をかつてないほど恐ろしげに歪めた。
「流石、俺の一番の親友だな」
けれどもそんな姿に賛同する形で、人馬闘士のジョルトがイーリオに並ぶ。
「俺も大概しぶとい性格をしてると思ってたけど、おめえはそれ以上だな。が、そうじゃなくっちゃいけねえ。俺もまだ諦めてねえぜ」
「ジョルトさん」
突如、地面が揺れ、大気を震わせる音が響き渡る。
ヘル=カンヘルが曲剣を引き抜き、それで大地に叩きつけた音だった。
「見て分からんのか。俺は最早神そのものとなったのだぞ。この世界における、全知全能の神に。その神の言葉に、お前は逆らうのか」
「お前は神じゃない。少なくとも、僕の神じゃない」
「いいやお前の神だ。この世界全ての神だ。その神の思し召しだと言っている!」
「お前の言う神とやらのせいで、この世にはおぞましい事ばかりが起きてきたんだ」
圧倒的な恐怖を前にしても、イーリオは寸毫も揺るがなかった。
恐ろしさがないわけではない。一瞬で粉微塵にされるかもしれないと、それも分かっていた。
けれども彼は折れない。
いや、何度折れたとて、何度も立ち上がるのだ。
それが、イーリオの持つ〝最強〟。
後の世に、七代目百獣王をして、こう呼んだという。
〝不屈の百獣王〟――と。
「よくぞ言った」
今度は、別の声が彼を賞賛する。
神の騎士、最後の一人。
古獣覇王牙団団長オリヴィアだった。
「お前がそうであるならば、いや、そうであるはずと思ったから、オレはそれに賭けたんだ。お前なら、きっと諦めずに立ち向かってくれるはずだと」
「オリヴィア様……」
「力が奪われる事を、このオレやロッテが考えなかったと思うか?」
相手をしていた首長竜を全て降し、サーベルタイガーの最大種、大軍刀牙虎の姿で不敵に笑うオリヴィア。
片手をサーベルタイガーである己の顔の前に持ってくる。
「無知はお前だ、最後のエポス」
パチン。
彼女が鳴らしたのは、指。
指鳴りの音と同時に、世界は一変した。
比喩でも何でもなく、この世が一瞬で書き換えられた――そんな風に思えるほど、それは突然に姿を見せた。
空――。
メルヴィグ王都レーヴェンラントの上空一面。
まるでそれはずっとそこにあったように、空を覆っていた。
雲よりも厚く広く。
「何……だと……?」
ヘルですら、気付いていなかった。気付けなかった。
何故ならヘルを神だと例えるのなら、空にあらわれたそれもヘルと同じかそれ以上の神格がある存在だと呼べるから。
それを目にするのは初めてではないが、イーリオやシャルロッタ、レレケですらもあまりにも一瞬で塗り替えられた空に、言葉を失う。
この世のいかなるものよりも巨大なそれは――
空一面を覆う――巨大すぎる鳥。
「ヒ……天の山……」
アルタートゥムが守ってきた、半機械生命体の空飛ぶ神殿。
星の城に直通する、唯一の方舟。
何故、今になってこれがあらわれたのか。
一体オリヴィアは、何をしようというのか。
あまりの唐突な出現に、誰もが魂の抜けたような有様で動けなくなる。だがアルタートゥム達を除き、たった一人だけ、これを前にしてすぐさま行動を起こした者がいた。
他ならぬヘルである。
天の山の出現が何を意味するかは、ヘルですらもまるで読めていない。何のために、今あらわれたのか。
けれども出現したこの瞬間こそが、まさにその意図を砕く絶好の機会。
こちらも呆気に取られていると、アルタートゥムですら思っているだろう。だから今この瞬間こそ、勝機を挫く最大の好機だった。
何より、これほどの巨体なのだ。
こちらの攻撃が躱される心配などあるわけがないし、当たりさえすれば潰すのも容易い。破滅の竜の力の前には、大きさなど関係ない。ただ虚しく墜落するのみだろう。
皆の心の間隙を縫って、一切の躊躇なく寸毫の間も与えず、ヘル=カンヘルは攻撃を放った。
重力を操る水晶竜王の異能・〝虚無〟を出しつつ、最大火力で撃つ極帝破光。
重力で捕えたのは逃げられぬようにするため。
同時にそれとは別に、重力を斥力に変換し新たに生み出したレラジェ三騎の分身体も、空に打ち上げさせた。
――何が無知だ。愚か者め。
こんな巨大な的を出して、こちらが攻撃をせぬと思う知性の方が愚かしい。
油断をしたのはこちらではなくそちらだと、ヘルは心の中で嘲った。
力を失ったディザイロウに、何らかの方法で力を戻そうとでも考えたのかもしれない。一番考えられるのは、オリジナルの月の狼をこれで運び、使うつもりだったのかも。
だが堕としてしまえば、それも不可能。
暗黒色の光線が、空へと突き刺さる。
空が、黒に灼かれる。
そう思った瞬間だった。
思い出すがいい――
イーリオとディザイロウの奪還。
予期せぬ天の山の出現。
そういった数々で、誰もが忘れていた事を。
そもそもイーリオ達を奪還出来たのは、どうしてだったかを――。
シャルロッタとシエルの力。
ブランドの策。
アルタートゥムの智慧。
ジョルトの根性。
が、最後の最後に何があったか、誰もが忘れていたのではないだろうか――。
〝それ〟がなくば、イーリオはここにはいない。
そして〝それ〟は、文字通りの奇跡となって、再び神に抗う〝牙〟を剥く。
暗黒の破壊光線が巨鳥に直撃した――その手前で巨大な盾が出現。
盾は鏡のような反射を起こし、光線を弾いてしまう。
「――!」
あらぬ方向へ軌道を曲げられ、遠くの方で巨大な爆発が起こる。
空中。
同時に影は、空に打ち上げられた三騎の黒騎士レラジェをも、文字通り一瞬で両断していた。
そこから地上へ降りる、影。
あまりの立て続けの出来事に、語彙を異次元の彼方へ仕舞い込んだようになる一同。
しかしその影が白い煙をあげてイーリオの前に降り立った時、今以上にあらゆる言語が消し飛んでしまった。
金色の髪が、風に靡く。
そう――金色だ。
金色であるはずがないのに、黄金の色をしている。
傍らで並んで歩いているのは、既に見慣れた――けれども有り得るはずがない、あの獣。
「なに馬鹿みてえなツラしてんだ、馬鹿弟子」
イーリオを見て、〝彼〟は言った。
「……っと、俺様がおめえを弟子っつーのも妙な感じだな。が、馬鹿弟子は馬鹿弟子だ」
不敵な笑顔。聞き慣れた口調。
誰かは分かる。だけども分からない。誰なのか。何もかもが。
「どういう……事……?」
目にしていた全員の顔が惚けていたのは、仕方がない。
「どうもこうもねえっての。おめえのために、舞い戻ってきたんだよ。俺が。そんで、俺様が」
髪がオレンジから金髪になってはいるが、それは紛れもなく――
「ド……グ……?!」
傍らには、大剣牙虎〝ジルニードル〟。
「ああ、けど、ドグだけどドグじゃねえ」
「はぁ……?」
「俺様だっつってんだろ。もう忘れたのか、馬鹿弟子」
その口調、その眼差し。
思い出せないはずがない。
「まさか……カイゼルン……師匠?」
イーリオを馬鹿弟子と呼ぶのは、古今東西大陸中のどこを探しても、カイゼルン・ベル以外にいない。
だが、カイゼルンは――。
それにドグも――。
「そうだ。俺様はドグであり、カイゼルン・ベル。あの世から戻ってきたんだよ。おめえが竜の腹から戻ってきたみてえに、俺様は地獄――じゃねえ、天国から、な」




