最終部 最終章 第七話(終)『散牙』
レイドーンの第二獣能〝闇から闇へ〟は、骨片を撃ち込んだ敵に対し一定の距離を離れると、巨大な牙で爆破するように内部から喰い千切るという恐るべき異能である。
爆破の威力も距離も発動毎に設定が変更可能で、ロッテ=レイドーンの演算能力によって瞬時に調整が可能となっている。
まさに火薬を使わない巨大な牙による爆弾というべきで、当たれば防ぐのはまず不可能。どれだけ相手が強大であろうとも、確実に粉砕してしまう。
それだけに使用するロッテ=レイドーンにとっても、非常に危険な技であった。
例えばだ、一定距離を離れると爆発するのであれば、ほんの数フィートほど離れるだけで発動させるように設定すれば無敵では? などと考える者もいるかもしれない。何も遠くにまで離れる必要などなく、ほんの少しの距離を取るだけで発動させるようにすれば、相手は容易に倒せるのではないのか。
しかしそれは不可能だった。
この牙は、発動すれば骨片が食い込んだ部分を中心に、三六〇度全方向に見境なく貫いていく性質を持っている。付近にあるもの全てと言っていいだろう。
まさに無差別な破壊力。
だから牙の爆弾とも言えるのだ。
その牙の餌食になるのはレイドーン自身とて例外ではなく、間近に味方などいればそれも含めて全てが牙に貫かれるのである。
威力制限して放つ事も可能だが、少なくとも装竜騎神を相手にするのなら、制限した力で通用するわけがなかった。
そうなると制限なしの威力で、尚且つ味方も自分も被害の及ばない絶対安全圏と呼べる距離で放つのが一番となる。
それが三〇〇フィート(約九〇メートル以上)といったところ。
先にあった最初のヴリトラとの一戦で見せた時は、まさにそれだけの距離を設定したのだ。絶対に周囲に被害を及ぼさない、ヴリトラだけを貫く距離。
が、今ロッテはその禁を破り、己の周囲たったの一フィートで発動させるという暴挙を犯したのである。
そうしなければ守れなかった。
そうしなければ倒せなかった。
己も巻き込まれてしまう事など百も承知で、ロッテは自らの力で自らごと相手を貫いたのである。
最初に倒された時と同じく、再び肉片と化し粉々に飛び散る人翼竜。
レイドーンもまた、己の異能の牙で、全身を貫かれていた。
人獣の頭部は半分が吹き飛んでいる。
左腕、右肩、右足も全て肉片となって消えてしまった。
胴体も、文字通り皮一枚で繋がっているだけ。
しかしヴリトラは倒せた。
が、問題はシャルロッタだった。
全ての筋力を総動員して放り投げたのと、同時に放った獣能〝頂天の牙〟を防御壁のように使い、何とか青のライオンと彼女を牙の及ぶ範囲から避難させようとしたが――。
半分になったロッテ=レイドーンの視界に、青い毛並みと銀の聖女が映る。
「……」
声は出ない。けれども自らの勝ち得た結果に安堵したのだろう。
千年の終わりにしては、あまりにも呆気ない最期――。
敵をもう一度倒した事よりも何よりも、シャルロッタが祈りの姿勢を崩していない事が、ロッテにとって最も満足のいく結果であったのかもしれない。
シャルロッタが無事だったのは、レレケの放った青のライオン――〝瞬神獅子公〟が風の防御膜をクッション代わりにしたからであった。これにより姿勢も崩す事なく遠くに着地出来たのである。
しかしシャルロッタの無事とヴリトラの破壊を真っ先に感知したのは、他ならぬ敵側、再生人竜を創造したヘルオプス=カンヘルだった。
「もう砕かれたか。仕方ない」
そう呟くと、ディザイロウと対峙しつつ再び空間に牙をたて、コールタールのような真っ黒のドロドロの液体を大地に落としていった。それが再び固形化していくと、倒したはずのヴリトラが再び翼を広げたのだった。
「――!」
イーリオは目を剥くしかなかった。
ロッテが死亡したという事実もそうだが、その彼女が己を犠牲にしてまで倒した翼竜が、すぐさま復活するだなど――。
イーリオと同じく、レレケも声すら出せず、人獣術士の中で顔を蒼くさせるのみ。
あのロッテ・ノミが――。
〝頂天の牙〟レイドーンを駆る神の知恵者たる彼女が――。
オリヴィアとドグ、二人にとってもあまりに予想外すぎる事態なのは言うまでもなかった。
「ロッテが……マジかよ。団長……これ、ヤベぇんじゃねえの」
ドグの声からも、最前までの余裕がなくなっていた。
それに対し、オリヴィアも無言のまま。
千年間共に生きてきたかけがえのない仲間の死だというのに、悲しんだり怒りに震えるといった表情はまるで見せない。戦士たる者の心構えだとでもいうのか。それとも人造魂魄だから人間とは違うのか。
いずれにしてもオリヴィアが出したのは、あくまで冷静で現実的な分析。
「ディザイロウがシャルロッタを通じて星の城と結合する際、おそらくが一〇秒か……またはもっとか、ディザイロウは完全に動きを止めなくてはいかん。つまり全くの無防備になってしまうという事だ。これに対し、お前かオレのどちらかでイーリオの守りに向かい、残った二騎とレレケだけでどうにか装竜騎神を抑え込もうと考えていたが――」
流石にアルタートゥム一騎とレレケ=レンアームだけで全ての竜を封じるのは不可能。
それに問題はもう一つ。むしろこちらの方が遥かに深刻かもしれない。
今しがたは何とかロッテの捨て身でシャルロッタを助けられた。けれどもあの翼竜が再びあらわれたという事は、またシャルロッタを襲おうとしているのが明らかという事。
青いライオンもレレケの術で再び姿を消しているものの、一度見つかった以上、あの次元竜神から隠れきるのは無理だろう。
ロッテ=レイドーンの死。
それはあまりに大きすぎる痛手だった。
だからといってここにニーナを呼ぶ事は出来ない。彼女と彼女の騎獣セルヴィヌスは、己の命と引き換えにシャルロッタの手助けをしているのだから。
オリヴィアとドグがロッテの死に嘆きや怒りを見せなかったのも、これが原因だったのだろう。つまり感情的になっている余裕すらないという現実。
内心ではどんな思いが渦巻いているのかは分からないし、ドグなどはそれを必死で押し殺しているのが、どこかで滲み出ているようにも見える。けれども激情に我を忘れている状況ではないのだ。
あまりに次元の違いすぎるカンヘルという存在。
神の騎士・古獣覇王牙団すらも手出しさえ出来ない圧倒的な竜の神。
まさかここまで手に負えない魔神になっていようとは、アルタートゥムですら想像出来ていなかった。
だが、刻は待ってはくれない。
迫り来る人竜の凶暴に、身構えるオリヴィア=イオルムガンドとドグ=ジルニードル。次元竜神によって追い詰められるイーリオ=ディザイロウ。
却説、どうしたものか――?
思考を回転させるオリヴィア。
しかし導き出される結論は、どれもこれも万全とは程遠いもの。どう考えても、分の悪い賭けとしか言い様のないものばかりだった。
「ドグ、いいかよく聞け――」
それでもまごついている猶予はない。
オリヴィアが決断した、まさにその時だった。
先行で飛来した翼竜のヴリトラが、戦っている彼らの頭上を追い越していったのは。
絶望の神は、常に最速で運命を掻っ攫っていくというのか。
ドグが駆け出そうとする。レレケが空を飛んで追いかけようとする。
だがそのどれもが間に合わないだろう。
シャルロッタも無防備に近い。どうすれば――。
「〝嵐影行軍〟」
何かが、翼竜と交差した。
残ったのは声と、衝撃で飛翔方向の変更を余儀なくされた翼竜の姿。
空を翔ける、もう一つの影。
「貴方は――!」
レレケが絶句した。
ヴリトラの飛翔を阻んだのは、そのヴリトラの討伐に一度は貢献した、大翼の剣。
銀月獣士団・古代巨大怪鳥の鎧獣騎士。
ミハイロ=ジムルグだった。
更にそこへ――
「〝久久能智〟」
シャルロッタのいるであろう場所を覆うように、突如戦場一帯の広範囲に、光の樹木が猛烈な速度で繁茂していく。
そこへ重なる、同じ女性の声。
「〝五十猛――射楯〟」
光の樹木が形を変え、樹で出来た猛禽の姿に変わっていく。
一羽や二羽ではない。数十羽。いやもっとか。
それが猛禽の凶暴さと木々の無感情さで翼竜を襲う礫となった。
その光の樹園の中央に、青緑の異装な鎧を纏った、人鹿の武士。
ユキヒメ=軍荼利が、大太刀構えていた。
「あ――貴方達、一体……」
驚きで二の句が告げないレレケ。
それを尋ねられると分かっていたように、空を舞うミハイロが告げる。
「僕達だけではありません」
ドグとオリヴィアの横から、数騎の影が躍り出る。
白き獅子虎――レオポルト=リングヴルム。
氷の灰色虎――ハーラル=ティンガルボーグ。
琥珀の風狐――クリスティオ=ヴァナルガンド。
白亜の原始麒麟――セリム=ウルヴァン。
紅き奔馬――ジョルト=アリオン。
翠の豪牛――ヤン=エアレ。
そして――
「我々も、竜の討伐に助太刀致します」
深い赤の鎧。
何度も聞いた声。
戦場を指揮しているその声は。
「ブランド・ヴァン……! 軍師が、何故ここに」
幻惑の古代鼬――ブランド=マイナスだった。
後の世に獣王十騎士と呼ばれる全騎が、ここに集っていたのだ。
「あんた達アルタートゥムだけに、肝心要の竜退治を丸投げってわけにはいかんだろう。そんな事をしては、俺が我が国民に石を投げられてしまう。アクティウムの民はそういうのにうるさいからな」
「武門の国である我がゴート帝国とて同じだ。ただの雑魚魔獣狩りだけを皇帝がしていたなどと言われては、余の治世にヒビが入ってしまう」
クリスティオとハーラル、二人が互いに似たような事を言って頷きあう。
「何を言っている。お前達王の持ち場はどうした。お前達が角獅虎を押し留めているからこそ、我らが全力で装竜騎神と戦えるのだぞ。お前達が抜けては、連合軍はどうなる」
オリヴィアですら驚きを隠せないでいるものの、それでも冷静さはまだあった。
これに対して落ち着き払って答えたのは、軍師のブランドである。
「それならばご心配いりません。我らの抜けた穴は、既に埋まっていますから」
「何?」
「カディス王国より本国に残されていた全軍。アンカラやその他の衛星諸国家よりも参陣が到着しています。勿論、メルヴィグからも四公領の公領軍全騎にその他あらゆる国の軍勢や傭兵騎士団、それにすら所属していない個人の騎士など数多の者も含め、総勢にして六万の騎士が、我らの抜けた穴となってくれているのです」
「その数、まさか……」
「はい。大陸中のあらゆる軍、あらゆる騎士達が、この戦場に集ったのです」
新たな援軍の喚声が、遠雷となって轟いていた。
或いは波濤の潮騒か。
大陸全土の騎士達が、ここに集ったのだ。
信じられなかった。信じろと言う方が無理だろう。
いくら何でもそんな事は有り得ない。これが世界の命運を分ける戦いだとしても、全ての騎士が――本当の意味で全てが――この場で同じ目的のために剣を揃えるなど。
「まさか、お前が仕掛けたのか。これを」
「策略を練り、声をかけたのは私です。けれども私の力でこれを為し得たわけではありません」
オリヴィアの問いに、ブランドが答える。
その時、猛り狂った嵐のような勢いで、トリケラトプスの人竜が突進を仕掛けてきた。
咄嗟にドグ=ジルニードルがこれを受け止めようとするも、そこに緑の巨体が前に立つ。
ペロロヴィス・アンティカスの人牛聖騎士ヤン=エアレである。
「ちょっ――おっさん」
「む」
任せろ、と言わんばかりに両手を広げ、拳を固めるエアレ。
「〝堅城鉄壁〟」
珍しい、ヤンの発する声。
緑の全身から火花のような光が弾け、巨腕が更に膨れあがった。その拳を、足元の大地に撃ち下ろす。
爆発――したかのような炸裂。
人牛の拳を起点として、足元の大地が、めくれ上がったのだ。
あまりの凄まじさに、誰もが声を失ってしまう。
トリケラトプスすら、足場を失い突進が阻まれていた。その隙をついていつの間にか、ヤン=エアレがトリケラトプスに肉薄。火花散る両腕に最大級の膂力を込め、三日月戦斧を打ちつけた。
大気が震え、山河が裂けるような轟音を放ち、人竜の巨体が後退させられてしまう。
「なんつう、馬鹿力……」
ドグが呆気に取られていた。
竜を倒し、この世ならざる神の騎士の力を持つアルタートゥムのドグですら呆れる、エアレの膂力。地上最大の豪腕は、竜ですらも怯ませるほどだった。
「見ての通りです。貴方がたには遠く及びませんが、我らとて多少なりとも力にはなれるはず」
このブランドの発言を耳にしていたのは、何も目の前にいるオリヴィア、ドグ、レレケだけではない。思念通話によって、イーリオもまた隣の戦場でこれに反応していた。
そして彼も通信で返答する。
「ブランドさん、貴方の力で騎士を集めたんじゃないって、じゃあ一体どうやってこんな数の鎧獣騎士がここに来てくれたんですか」
「それは貴方ですよ、イーリオ様」
「――え?」
「私はあらゆる手段を用いはしましたが、全土の騎士という騎士に伝えた――あくまで伝えただけです。あのイーリオ・ヴェクセルバルグが、カイゼルンの名を継いで大陸全土のために戦おうとしている――そういう風に。だからどうか、皆さんの力を貸してはくれないか、と」
国を通じ、組合を通じ、何より全土に繋げた鎧獣術士による通信網を使い、この言葉はあらゆる騎士達の元に届いた。
既にハーラルやレオポルトといった王達も集っているというのも、大きかっただろう。
実は義侠心で加わった物などほんの僅かで、実際は一旗上げてやろうとか報酬目当てだとか、そういった下心で参加した者ばかりなのかもしれない。
けれどもその誰もが、ある事を思い描いたのは同じだった。
あのイーリオが――
あの緑の髪の若者が――
人のいいだけのあいつが――
助けてくれって言ってるのか。
だったら助けてやろうか――。
人徳、というのとは少し違う。
カリスマのようなものでもないし、イーリオの人柄と言えばそうなのだが、やはりそれも少し違うように思える。
あえて言うなら「やれやれ仕方ない」そんなところかもしれない。
百獣王なのに。
今や誰よりも強くなったというのに。
あの世話好きな優しい若者のためなら、一肌脱ぐのも仕方ない。
中には、とある騎士が行き渋っているのに向かって、ただの市民が叱りつけたという話もあった。
なあ、あんたも助けてやりなよ。自分達はあの兄さんに助けてもらったんだ。あのヘクサニアの魔獣に襲われたところを助けてもらったんだ。だから今度は、自分達が力になる番じゃないのかい。
そんな風に――。
押し付けがましいお節介な言葉。けれどもそのお節介こそ、イーリオがみんなに見せた優しさだったのだ。
誰もがそれを思い出したのだろう。
誰もが、己の獣を纏って剣を手に取る理由を考えた。
その理由は千差万別だった。動機など、様々だ。
でも一度くらいはイーリオみたいに剣をとってもいいんじゃないか――。
そんな気持ちになったのも、また事実だった。
「いや、僕はそんな……」
ブランドの説明を聞き、イーリオはどう答えていいか困惑してしまう。
「貴方はそういう人なんですよ。貴方が分かっていなくても、みんなの方は分かっています。だからここに大陸中の騎士が集ったのは、私の力ではありません。イーリオ・ヴェクセルバルグ、貴方の力になれればと、みんなが来てくれたんです」
そうして集った皆の助力を借りて、ブランドやハーラル達九名が、竜との戦いに身を投じる事が出来たのだ。
「我らだけでは、あの装竜騎神を倒すのはどだい無理でしょう。けれども魔王の如き竜異能がない今、しばし押し留めるぐらいなら我らとて出来ます」
ブランドが再びオリヴィアに向き直って告げる。
「我らは我らの為すべきを為します。ですからオリヴィア様、どうかアルタートゥムのお二人も、貴方がたしか出来ない、為すべきを為してください。我らは命を賭して、必ず竜を食い止めます故」
駆けつけた全騎が力強く頷く。
恐怖がないなどと言う事はなかった。
勇と誇りと義に満ちたこの九騎ですら、今すぐ逃げれるものなら逃げ出したいに決まっていた。けれどもそんな事は、誰一人お首にも出さない。
何故なら誰もが騎士だから。
守るべき命と世界のためにこそ、騎士はあるのだから。
「――分かった」
オリヴィアが応じる。
彼女にとっては、自分の考えていたどの策よりも分の悪い賭けであったかもしれない。だがそれでも、これに全額支払っても惜しくない、そんな賭けだと彼女も思ったのだ。
ドグに向かって、オリヴィアが頷く。
ドグも同じく、首を縦に振って無言で応じた。
暗黒の蘇生竜に、十騎の王達が立ち向かう。
全ては若き人狼の英雄と、銀の聖女のために――。




