最終部 最終章 第七話(1)『暗黒竜』
真の破滅の竜――
〝竜の神〟出現。
その報せは、瞬く間に戦場を駆け巡った。
今までも怪物なのに、もっととんでもないのが出てきたのか?――。
そういう声もあれば、
遂に破滅の竜も最後の一体になったか――。
そういう声もある。
いずれにせよ、各地で奮戦する騎士達にとっては目の前の敵こそ集中すべきであり、中央からこれを伝えたブランドも、だからこそ目の前の魔獣退治に全力を傾けろという意味で報せたのだ。
耳にした各国の皇帝、王、将軍らも、一様に気を引き締める。
まさに今こそ胸突き場。戦いが佳境なのは言うまでもなく、万が一にも自分達が後れをとって、イーリオらの足を引っ張る様な事があってはいけない。そのためにも敵軍の数が一〇倍だろうと、絶対に魔獣を一騎たりとも王都に入れてなるものか、と決意を新たにしていた。
それに呼応するかの如く、加護の力も心なしかより強力になっているような気配があった。
それぞれの剣や槍といった武具。
それが〝神色鉄の加護〟によって強力になっているのは言うまでもなく、その武具から、更なる力が伝わってくる感覚があったのだ。
折れそうな体も、費えそうな力も、挫けそうな心も、刃を持っている限り無尽蔵に回復されて鼓舞される。そんな感覚。
勿論、思い込みなどではない。
実際にシャルロッタ=シエルの加護が、より強力になっていたのである。
ただ、当然それだけの力を放ち続ければ、シエルも疲弊はする。しかし天の山との伝環路を持ち、それを通じて力を引き出しているシエルにとって、限界はまだ遠い先。
――みんな、頑張って。
彼女の強い気持ちが、連合全軍にも伝播している――それも決して言い過ぎではないだろう。
とはいえ、彼女がどれだけ奮闘しようと連合が奮戦しようと、全ては最終決戦であるイーリオ達の戦い次第。その結末こそが、この戦全ての結末でもあるのだから。
同時に竜の神との勝敗は、それだけにとどまらないという事も示していた。
イーリオや古獣覇王牙団が、竜の神・次元竜神に万が一でも負けてしまうような事があれば、この大陸とこの世界そのものが好き勝手に蹂躙されてしまう――。
即ち、現在と未来の全てを決める戦いでもあるのだ。
その場こそ、王都周縁西部域。
誰も――敵味方の区別なくその只中に近寄ろうとしないのは、繰り広げられる戦闘の規模があまりに尋常でなかったから。
そして今まさに、神の人狼と魔神の人竜がぶつかりあわんとしていた――。
「〝巨狼化〟!」
白銀と白金の人狼騎士が、光に包まれる。
己の全身から吹き出す、プリズムを帯びた輝き。
あらわれた巨体は、全高五〇フィート(約一五メートル弱)ほど。
五一フィート(約一五メートル半)はあろうかという竜喰らいの王の人竜に比べればほんの少し小柄だが、それでもほぼ同じ大きさ。
九年前は力の巨大さに振り回されて暴走した第二獣能だが、大狼から霊狼になった今は、完全に制御下においている。それどころか、以前までとまるで様子が違っていた。いや、以前どころか先ほど金剛竜王のミカイールの時に見せた姿とも違う。
これまでは溢れ出るエネルギーのまま蒼白い炎が人狼の巨体を形作っていたのに、今の巨狼化は、はっきりと細部に至るまでディザイロウの形そのものになっていた。身に帯びた鎧や剣――霊授器の形や色までもそのまま。よく見れば高エネルギー体の揺らめきも見えるが、どう見てもディザイロウがそのままの姿で巨人になったようにしか見えなかった。
これこそが、巨狼化の真の姿。
異世界に対抗する第二の力。
即ち――〝立ち向かう力〟。
ゾウをも超える巨体の恐竜という種と戦うには、己も巨大な姿が必要。
それこそが巨狼化という力の、本来の目的。
第一は真の千疋狼。
万に近い霊獣王軍全騎に力を付与する〝率いる力〟。
それは膨大な敵軍の数に抗うためのもの。
そんな巨大な力をずっと維持し続けているだけでも、拳で海を割るくらいとんでもない事なのに、更にそこへ重ねて別の力も発動するなど、最早常識で計れるものではなかった。
史上最大の肉食恐竜、竜喰らいの王の装竜騎神・黒白の人竜魔神〝カンヘル〟が、肉厚で幅広の大剣を振るう。
巨体なだけに、余波や風圧だけで周りが吹き飛ばされる破壊力があるのは勿論だが、機敏さや速さも体格からは考えられないものを見せる。一五メートルの大きさとは思えない動き。しかしディザイロウも同じような、むしろそれを凌駕する動きで刃を弾き返した。
重粒子で出来た光の刃。威力だけならばカンヘルのものをも上回る。その証拠に、ヘルオプス=カンヘルの刃がほんの僅かに欠けていた。
それを皮切りに、剣戟の乱舞が巻き起こる。
一合や二合で済むわけはない。一瞬で十数合、息を呑む間に倍する数の刃を打ち合っていく。
互いに剣をぶつけ合う事で破壊力が相殺されているから分からぬが、この一振り一振りは、それだけで小山の一つも容易く吹き飛ばす威力を有していた。
比喩でも誇張でもなく、そこで繰り広げられているのは紛れもなく神話の戦いそのもの。
不意に、ヘルオプス=カンヘルが開脚運動よろしく、足を開いて大きく体を沈みこませた。
イーリオ=ディザイロウからは、一瞬で視界から消えたように見えただろう。
そこから人竜は、地を這うのにも似た俊敏さで、薙ぎ払いと爪撃の連撃を放つ。魔神の剣と、竜喰らいの王の凶暴な爪。
しかも下半身狙いではなく、ディザイロウの首を狙った掬い上げ。
だが巨大人狼もまるで後れをとっていない。
仰け反り、宙返りを打つ形で連続攻撃を躱しながら、最小半径で巨体を縦に回転。神域の超反射を見せつつ、対になった双剣で相手の攻撃を弾き返す。更に剣を回転させて両方の刃で斬りつけを放った。
が、音も衝撃もまるで出さず、既にカンヘルの巨躯はそこから消えている――。
遠巻きに見ているハーラルらは、目を見張るのみ。それどころか、ディザイロウの姿も見失ってしまった。
轟音。
大気を震わせる、凄まじい衝撃波。
いつの間にか二つの巨体は、遥か上空に跳躍しているではないか。
まるで空気を足場にしているかのように、宙で何度も体勢を変えながら、有り得ない動きで有り得ない剣や爪や牙を繰り出す両騎。
そして互いに息を合わせたかのように――
最後に渾身の一振りのような一撃を撃ちながら、同時に着地をした。
地響きが大地を震わせた時には、既に両騎は向き直っている。
それと共に――
ディザイロウの右上腕が裂け、カンヘルの左太腿からも鮮血が噴き出した。
互角。
直後に傷を一瞬で修復したのも含めて、それぞれ一歩も譲らない。
アルタートゥムらを除く、これを目にしていた誰もが大きく息を吐いた。
体が大きくなれば動きは緩慢になる――。そのようなイメージが人間にはあるものだし、ある意味においてそれは正しい。
けれどもディザイロウとカンヘルに、そんな常識はまるで通じなかった。
ないどころか、この場の誰よりもどの騎士よりも、速さでは勝っているのではないか――。そんな風にさえ思わせる。
その一方でイーリオは、今のやり取りの中である事に気付いていた。
ヘルオプス=カンヘルの動き。
それは獣騎術のどの流派でもなければ、そもそも獣騎術の枠内におさまるような戦い方でもなかった。
あまりに変則的で予測不能であるにも関わらず、一撃一撃が必殺の破壊力を持つ常識外の技の数々。いや、技という言葉にも当て嵌まらないのかもしれない。
それは即ち――
「……黒騎士と同じ」
イーリオはそれを何度も目にしていた。
己の身で味わってもいる。
特に最後に目に焼き付いたカイゼルンと黒騎士との戦いは、今もまざまざと思い出せた。だから余計に同じ動きだと、確信させる。見間違うはずなどない。
人竜の動きは、スケールを巨大にした黒騎士そのものだと。
「その通りだ、イーリオ・ヴェクセルバルグよ」
人竜から、男女不詳の声がした。
肉食恐竜サウロファガナクスを纏う、両性具有の神の化身。
ヘルオプスの声。
「先も言ったように我が受肉体はヘルとヘレを母体にしている。つまりこの身と頭脳には、黒騎士ヘルの千年に渡る武の研鑽と修練の結晶、技術も経験も記憶も、何もかもが備わっているのだ。つまりお前は、最強の装竜騎神を使った最強の騎士たる黒騎士と戦っているのに等しいという事だ」
ヘルの時に纏っていた黒豹の鎧獣レラジェも化け物そのものだったが、装竜騎神は化け物を遥かに超える存在である。
そんな事は言うまでもなくだが、それを黒騎士そのものの武術を宿した神の化身が操っているのだ。いや、そのものと言うより、ある意味において黒騎士以上、黒騎士の上位互換とさえ言えるかもしれない。
何より今の攻防で、次元竜神は異能である竜異能を使っていなかった。対するディザイロウは〝巨狼化〟を使い、それでやっと対等といったところ。
アルタートゥムのオリヴィアに鍛えられ、更に神の兵器すら凌駕する月の狼のディザイロウがあるというのに、圧されているのは明らかにイーリオの側だろう。
だが――
――そうだね……アレを使おうか、ディザイロウ。
心の中で、己の半身に語りかけるイーリオ。
この時まで取っておいた〝力〟。
それは然るべき時まで温存しておけと、己を鍛えてくれたオリヴィアより厳命されたからでもある。
だが今こそその封印を解く時だと、イーリオは決意したのだ。
戦いの第二幕。
遂に神の狼と滅びの竜の全力が出されるのか――。
その一方で、オリヴィア達アルタートゥムはどうなっているかと言えば――。
本来、イーリオと共闘するはずだったオリヴィア、ロッテ、ドグの三騎は、予想だにせぬ脅威によって動きを阻まれていたのだった。
それは、カンヘルが次元を裂いて生み出した、倒したはずの五騎の竜。
金剛竜王・ミカイール――ドレッドノータス
黄金竜王・ジブリール――ティラノサウルス
青銀竜王・ヴリトラ――ケツァルコアトルス
紅玉竜王・アズラエル――トリケラトプス
水晶竜王・ファラク――モササウルス
倒す前とは違い、全騎ともに漆黒に塗り潰された暗黒の色をしている。だが、動きも力も先程までといささかも変わらない。
とはいえ、一言も声を発しない事もそうだが、攻撃から感情のようなものが欠けているため、この黒潰された五騎の人竜は何か傀儡のようなものなんだろうと推察された。しかし動きの鋭さや戦った際の感触は、エポスが動かしている時と何ら遜色はなかった。
力は災害、速さは暴風、一撃一撃が天変地異に等しい威力――同じ、というよりそのものだった。
思わずドグからも、舌打ちが零れようもの。
だが、見た目だけでない大きな違いもあった。
「どうやらこいつら、竜異能は使えないと見える」
ロッテが他の二騎に向けて、分析をした結果を告げる。
「しかし千疋狼のような分身体ではなく、はっきりと実体を持っている。一体何なんだ、これは?」
戦いながら、それに対してオリヴィアが疑問を投げかけた。
「あくまで想像だが――こいつはディザイロウと似たような原理で生み出された、〝復元体〟ではないかな」
「復元体? 多層世界から魂を集めたと?」
「さっきあのサウロファガナクスの装竜騎神は次元に断裂を起こし、〝ドゥーム〟、あんたの獣能を防いだ」
死の運命とは、オリヴィアの渾名のようなものである。
「おそらくそれが、あのカンヘルの竜異能なんだろう。で、今度はその断裂から黒いタール状のものを出し、そこからこいつら装竜騎神が生まれた」
その黒いタール状こそ、多層世界から抽出した竜の因子そのものであり、それがこちらに残された遺骸を触媒にして、あの漆黒の人竜を再創造させたのではないか。
ロッテは続けてそう説明した。
「原理的には複製体と若干似ているのだろうが、そこに灰化人のような、虚ろな複製人間を核にする技術や、カンヘルの仕込みもあるんだろうと思われる。――おおまかすぎるかもしれんが、この五体の恐竜の装竜騎神は、それで説明がつく。つまり実体と生命を持った、コピーともやや異なる複製体――といったところだろうな」
「複製体だから、竜異能は使えない。だが装竜騎神の基本性能である極帝破光は放てると」
「そうだ。竜異能は獣能とは異なるものだが、駆り手と装竜の二つがなければ使えないのは同じだ。その点では擬似生命でもディザイロウの分身の方が優れているとも言えるが、実体がある分、やはりこの竜の複製体は厄介だ」
複製体のように創り出せるなら、何体も同じものを生み出せる事もあるのだろうか。もしそれが可能なら、角獅虎の軍団のように装竜騎神の軍勢が出来てしまう。そうなればお手上げどころではない。
だがそれについて、ロッテは否定した。
「触媒となる元の遺骸が必須なんだろう。それも、遺骸ならば何でもいいというわけでもない可能性もある。いずれにしても複製を再創造出来る回数や数に限りはあるだろうが、まずは目の前のこいつらをどうにかしないとだ」
倒したばかりなのにもう一度相手にしなければならないとは――。
しかも異能がないとはいえ今回は五体が固まって戦っている。
つまり装竜騎神を最も効果的且つ強力に運用しているという事であり、アルタートゥム達にとって厄介である事この上ない。
「オレ達がもう一度全騎倒すというのが常道だが――」
問題は大きく二つと、オリヴィアが言う。
一つは再度複製されてまたこの五体が出てこようものなら、疲弊しきったアルタートゥムではどうにもならない事。
アルタートゥムの強大すぎる力はその大きさ故に限界があるのだ。そして限界が来ればアルタートゥムは活動停止――即ち命を落としてしまう。
そうなればただ疲弊させられただけの、戦い損になってしまう。
それにもう一つ。
まだカンヘルは力の全てを出しておらず、最悪の場合、ディザイロウだけでは負けてしまいかねないという事。そうなったら、それこそ元も子もない。だが手助けしようにも、このままでは助けに行く事すら出来なかった。
「ディザロウ単騎だけで次元竜神を倒す事が出来ればいいが」
「そうだな。――それにおそらくだが、カンヘルを倒しさえすれば、この五体も機能を停止するはずだ」
「つまり今んとこ、イーリオ次第って事か。ったく、俺らが助太刀どころかアイツの足を引っ張りかねねえなんて、カッコつかねえぜ」
ドグのぼやきに、オリヴィアとロッテが苦笑した。
しかし言わんとしている事は正しい。本来は、最後の竜に至るまでに五体を先に片付け、イーリオを助けながら最後の竜の神を倒す、というのが彼らの考えだった。
途中までは実際にその流れだったのだが、オプス神による直接介入が発覚した時点で対処の変更を余儀なくされてしまったのである。
「こうなると……」
ロッテが視線を送った先。
そこで三騎と共に戦っていたのは、レレケ=レンアーム。
「あいつの存在が重要になるかもな」
千年前にも、ディザイロウと同じ月の狼はいた。アルタートゥムもいた。同じように連合軍に似た軍勢も存在した。
けれども鎧獣術士は、ましてや鎧獣騎士をも凌ぐほどの大術士などはいない。それは千年後の現在にあらわれた、新たな存在。
それこそが、戦いの鍵を握るかもしれない。
そう呟いた後、アルタートゥム達がイーリオ=ディザイロウとヘルオプス=カンヘルの戦いの様子が変わった事に気付く。
先ほどまでは超常を超えた神域の攻防はあったものの、それすら小手調べの雰囲気だった。
けれども激しく目まぐるしい攻守の入れ替わりの後、嵐の前の静けさそのものといった、ほんの少しの睨み合いが続いていたのだ。
やがて来る、更なる激烈な瞬間への前置きとでも言おうか。
「そうか……いよいよ解放するか」
アルタートゥム団長のオリヴィアが呟く。
ドグも視線を向ける。
ディザイロウの真の力。
三つの獣能を超える、神の獣能。
一天俄かに掻き曇った空が、まさにそれをあらわしているかのよう。
離れた戦場にいるイーリオの声が、遠くのアルタートゥム達にまで届くように感じられた。
その声が告げる。
「最終獣能――」




