最終部 最終章 第五話(3)『大剣牙虎』
奇景、奇観というには、あまりに歪で異様な景色。
青々と広がっていた平原の名残りは微塵もなく、不規則且つ不自然に隆起した大地の突起は、人工的なようでもあり、天然自然の不可思議とも見える。
最早、元の王都南方域の場景だった頃の面影は、遠くの景観しか残っていない。だが一番奇体なのは、これが戦争による破壊の爪痕ではなく、むしろ新たに生まれた光景にも見えるというところ。
鎧獣騎士の戦争で景色が変わる――。
ましてや破滅の竜との攻防ならば、言うまでもなくだろう。
しかしさっきも述べたように、恐るべき事にこれは破壊というより創造の産物なのであった。
「〝創造〟」
三本ツノと巨大なカサから、驟雨のように礫――剥がれた角質――がばら撒かれ、それが地面に深く穿たれる。
その直後、さっきまでと同様に大地の形が変化していった。
押し上げられて山のようになるのも、二つに割れて底なしの裂け目を覗かせるのも、異能の使い手である人竜の思うがまま。
自然法則も何も無視して、己の立つ大地が形を変えるのだ。
巻き込まれる者からすれば、天変地異並みの地獄だろう。下手を打てば大地そのものに呑み込まれてしまうのは言うまでもなく、地形が変わる度、回避のために神速の反射神経を強いられるのは相当に疲弊する。
ドグはともあれ、クリスティオにとってはなかなかに堪える状況だった。
しかも魔獣兵器・角獅虎が群れをなして襲いかかってくるという嬉しくなさ過ぎるオマケも付いてくるのだ。僅かでも気を緩めれば、戦場の藻屑になるのは言うまでもない。
「〝旭閃刃〟!」
白天の眩さが生まれる時、魔獣すら溶かす熱量が群れを焼き尽くす。
クリスティオの駆るタテガミオオカミの鎧獣騎士。
ヴァンナルガンド・アンブラの放つ第三獣能の閃光だった。
ただの強烈な発光ではない。体内のリン酸を重化合させ、擦過熱の高い白リン粒子として体毛から発生させるという大技。未来の兵器である白リン弾と同じ破壊力を持つこの異能は、角獅虎の耐久力すら優に上回る熱量を有していた。
群れを焼き払ったのを確認したクリスティオが、変化する地形に対し反射神経的に即応しながら、鎧獣騎士専用の体力増補剤・極上薬箋の一本を飲み干す。
旭閃刃は、ヴァナルガンドにとってもここぞというべき時にしか使えない大技である。ここまで連発する前提の獣能でもないし、増補剤なしではとうの昔に体力は尽きて強制解除になっていただろう。
空になった薬筒を捨てた後、不意に視界の隅に見えた表情に、違和感を覚えるクリスティオ。
彼と同じように――いや、それ以上の地形変化攻撃を受けながら、これを悉く回避する姿は、野生的でありながらどこか美しささえあった。
古サーベルタイガー――大剣牙虎のドグ=ジルニードルである。
獣の顔だからそう見えただけかもしれない。
けれどもどこかで、クリスティオには見えていた。いや、そのように感じ取れてしまった。
ドグが、笑っていると――。
「何が可笑しい」
投げかけられた言葉に、虚を衝かれたような反応を見せるドグ=ジルニードル。
ほんの少しばかりの無言の後、「そっか、笑っていたのか」と一人ごちる。
「おい」
「いや済まねえ。嬉しいってのが漏れてたんだろうな」
「嬉しいだと?」
怪訝に狐面を顰めるクリスティオ。
タテガミオオカミはオオカミと名がつくものの、種族的にも外見的にも狐の方が近縁になる。
「八年間だぜ」
「?」
「八年間、俺はずっとロクに外界と接触する事も出来ず、地獄以上の訓練っつうかそれ以上のシゴきを繰り返す日々を送ってきたんだ。八年経ってやっと外に出て、イーリオと一緒に戦えるんだ。今ここにあいつはいねえけど、同じ戦場ってのは間違いねえしさ、気分がノらねえってのは嘘になるよな、やっぱ」
「待ち望んでいた戦場だと?」
魔獣の群れも、この地形変化を操る〝竜〟も、攻撃の手を休めはしない。つまり二騎は会話を交わしながら攻撃を凌ぎ、或いは反撃していたのである。
「不謹慎っつうのは分かるぜ。でもやっと俺が八年間やってきた事が役に立つって考えたら、嬉しくもなっちまうさ。悪ィけどよ」
確かに不謹慎だが、クリスティオには分かる気がした。
自他共に認める卓越した実力がありながら、それを存分に振るえる機会がない事のもどかしさ。かつてのクリスティオもそれに倦んだからこそ、各国を放浪し、カイゼルンに弟子入りまでして新たな刺激を求めたのだ。
だがそこで知ったのは、刺激ではなく己の矮小さだけだった。
井中の蛙。夜郎自大。
己はとうの昔に高みにあったと思っていた――そんな稚気めいた自負心は、田舎者にしか見えない緑金の髪の少年に粉々に砕かれた。
それだけではない。自分は何と近視眼的に世界を見ていたのかという事も、その時に思い知らされたのだ。
世界は広い。
当たり前過ぎる陳腐な惹句を、彼は身をもって痛感した経験があった。
だがそれがあればこそ、今の己はあるとも言える。
つまりここでクリスティオが彼らしからぬ心配を抱いたのは、ドグがいささか勇み足気味に――もっと言えば相手とこの戦いを甘く見てやしないかという事。
やっと世に出て戦えるという気持ちも分かるし、己の力を試せる高揚も分かる。分かるが、それと戦いは別物だ。何より、浮ついたままでどうにか出来る相手ではない事くらい、例えアルタートゥムの一人であっても固く心に留め置かねばならないはず。
その事を知らしめるように、大地を〝創り変え〟ようとするこの世界の敵――他ならぬ破滅の竜の一体が、その名に相応しい攻撃を仕掛けてきた。
最早巨大という言葉では形容し難い、城の尖塔並みに長大な槍が、災害級の突貫で放たれる。
大きさに比例して、破壊力は計測不能。
直撃すれば都市の一区画を吹き飛ばす規模の威力を、身をもって味わえるだろう。
それを回避するも、避けた先に待っていたのは、動きを封じるかのように迫り上がった大地の壁とそれに続く壁たち。
囲まれる大剣牙虎。
九〇フィート(約二七・五メートル)の巨体が、壁の間からサーベルタイガーを睨んだ。
ドグ=ジルニードルの大きさは一五フィート(約四・五メートル)程度。六倍以上の差があれば、赤子と大人に近い開きがあった。
「〝探究〟」
竜の口から、赤黒い息が放出された。
壁に囲まれていたため、ジルニードルはまともにこれを被ってしまう。
しかし体に変化はない。
壁の一つを大剣で斬り崩すと、サーベルタイガーのドグは一旦距離を取った。
――二つ目の異能。何をしやがった?
人竜の巨体を睨むドグ。
竜の指が、おもむろにこちらを指した。
何を言うつもりだ? そう問う間もなく、乾いた音と違和感に気付き、ドグ=ジルニードルは己の剣に視線を向けた。
剣が、中央で折れていた――。
あまりにあっさりと、見事なまでに二つに。
ジルニードルが持つ、籠手のように把持する形の大剣は、地上のどの刃より鋭くどの武器よりも硬い。
過言ではなく事実として、それを振るう資格のある者として、そう理解していた。
それをどうやってこうも容易く折ったのか――。いや、いつ折ったのか。
あの息だとしても、何も気付かせない事に、ドグの背筋はぞくりと震える。
「さっきのクセェ息のせいか……。腐食させる能力か? いや、それなら剣だけってのが怪訝しいよな」
矮小な存在を睥睨するかのように、竜は薄く笑った。
三本ヅノにそれをささえるかのように広がる頭部の巨大なカサ。
口吻は鳥のクチバシに似て鋭く、体は竜らしからぬ幅広さで、ずんぐりとさえ見える。
角竜類、最大級の恐竜。
トリケラトプスの装竜騎神。
紅玉竜王・アズラエルが答える。
「私は〝創造と探求〟のエポス。アルナール・エポスだ。我らの駆る装竜騎神の竜異能は、世界を創り変える力。つまりは新世界を生み出すものだ。分かるか? 創り変えるのに何が必要か。それは破壊だ。〝創造〟は大地を意のままにする力。そして〝探求〟は、ないはずのものでもそれを探し出し、見つける力」
「ああ?」
「本来存在しない弱点を任意の物体に生み出させるというもの。さっきの我が紅玉の息吹で、お前の剣に過度の金属疲労的な老朽を生み出させたのよ。たった一振りでも、何か密度のある硬いもの――例えば捲れ上がった大地などを斬れば、一発で折れてしまうほど、刃を脆くしたのだよ」
再度、己の剣に目を落とすドグ。言うまでもなく、武器としては最早機能しない。いくら獣能があっても戦い方は大いに狭まるだろうし、攻撃力としては大幅に激減したと言える状況だった。
思わずクリスティオが声に出しそうになる。
言ってる側から何をしてるんだ――と。
しかしそれを責めたとて剣が戻るわけではないし、自信がある分プライドもあるだろうから、下手に煽るような事を言えば逆にドグが意固地になるかもしれない。
こういう時に必要なのはやられた相手を気遣い、奮起させるように励ます事。または逆に、畜生とばかりに気持ちに火を起こすような激励や同情を与える事。
それくらいは、クリスティオとて分かっている。伊達に一国の王として四年間も治世をしているわけではないのだ。そう、分かっているのだ。
にも関わらず、彼は言った。
「言わん事ではない。何をやってるんだ」
そこはやはりクリスティオ。
「戦いを甘く見てるからそうなる。いくら鍛えられても、頭の中が庶民のままでは致命傷になるぞ。いや、もう既に取り返しがつかん状況ではないか。今からでも遅くない、気を引き締めろ、この馬鹿者」
そんな励ましなのか嫌味なのか分からぬアクティウム王の言葉に、ジロリと視線を移すサーベルタイガーのドグ。
「何だ。言い訳など女々しい言葉を口走るなよ。イーリオの相棒なら、相棒らしくしろ」
「うっせえんだよ、バカ王」
「あぁ?!」
ジルニードルが、折れた大剣を掲げる。そして二、三度揺らすようにそれを振るった。
ガシャガシャと金属音をたて、大剣の刃がごっそりと足元に落ちる。
剣の柄にあたる部分だけを残して。
「は?」
見ていたクリスティオが驚いたのは当然だが、人竜のアルナールすら目を剥いた。
そして把持部分だけになった大剣を背に回すと――
再度金属音を響かせて、引き抜くように片腕を前に向けた。
陽光を反射したそれは――失ったはずの刃。
元通りの――いや、新たな刃を得た姿で、大剣があらわれていたのだった。
「剣が……元通りに、だと?」
「元通りじゃなくって替え刃だよ、替え刃。俺の剣は、付け替え式なんだ。まあびっくりするのも分かるぜ。でも状況自体はこれで何もかも元通りってわけだ。せっかくの第二竜異能も無駄撃ちさせちまったな。敵のツノトカゲには悪ぃけどよ」
今までと何も変わらず――再び構えを取るドグ=ジルニードル。
この時代のこの世界にはまだないが、言ってしまえばこの剣は、遥か未来で言うところの替え刃式のカッターナイフであった。
それを大剣のサイズにまで大型化したものとでも思ってもらえばいい。
ただ、クリスティオはこれを見て安堵するというより、どこか憮然とした様子だった。
本来なら、己の心配が杞憂になった事を喜ばしいと捉えるべきなのだろうが、何故だか釈然と出来ない。
その要因は、竜を駆っているのがドン・ファン・デ・ロレンツォ――正確にはそうだった者――だという事。
つまり、己がかつて兄のように慕いながら、同時に底の読めぬ怖ろしさも抱いていた、ロレンツォ・フェルディナンドその人が敵だから。
今やその人格も何もかもエポスに乗っ取られてしまったのだろうが、ロレンツォだった頃の記憶や思考も残っているという。つまりクリスティオにとっては、兄にも等しい存在を相手にしているようなもので、同時に権謀術数に長けたロレンツォの底知れなさを警戒をするのは、当然の心理だと言えよう。
現に戦闘向きの巨体と槍を持ちながら、使う異能は直接的な破壊行為というより、変則的とも言える力というのがいかにもロレンツォらしい。
何が虚でどれが実なのかを眩ませる事にかけて、この男ほど厄介な者はいないとクリスティオは思っている。
実際、彼は一度それで手痛い敗北を喫し、一緒にいた覇獣騎士団の女性騎士を失っているのだ。
だから小言と言われようとも、口に出さずにはいられない。
「おい、剣が無事でもやはり油断はするな。自信と過信は、己では見分け難いものなんだからな」
少し驚いたような目を、古サーベルタイガーがタテガミオオカミに向けた。
「自信家のあんたがそんな事を言うなんてな。人も八年経てば変わるもんだ」
「いいか……自分に自惚れるのも相手を甘く見るのも大概にしろ。俺はそう言ってるんだ」
「他ならぬ自分が言うんだからってヤツか? 安心しろよ。俺は別に自惚れも過信もしてねえよ」
「だったら遠慮などせず、全力で戦え」
「そりゃあな、遠慮はしてねえよ。手も抜いてねえ。でも、出し惜しみはするかな」
「はあ? どう言う意味だそれは」
クリスティオが声を大きくして問い詰めるも、ジルニードルにはアズラエルが、ヴァナルガンドには角獅虎の新たな群れがそれぞれに襲い掛かり、強制的に言葉が途切れる。
その攻防の最中、紅い武装の巨大角竜が告げた。
「知っているぞ。お前達アルタートゥムが力を惜しむ理由ならな」
アルナールのその言葉に反応したのは、どちらかと言えばクリスティオの方だった。
ドグは無言のまま。いや、そうせざるを得ないのかも知れない。
トリケラトプスが放つ紅い息が、さながら色のついた毒風のように迫っていたからだ。
それを異能の牙、サーベルタイガーの巨大髑髏で弾き返すドグ=ジルニードル。
物質そのものではなくエネルギーの塊であるジルニードルの獣能なら、どうやらトリケラトプスの竜異能を防ぐ事が出来るらしい。
だが。
「そんなに連発していいのか?」
再び笑いを含んだ声。角竜を駆る、エポスのもの。
「お前達アルタートゥムは、強大な力を内包させるため、地上での活動時間に制限があるのだろう?」
「……」
「既にどのくらい消費して、残りの動ける時間がどの程度まで減っているのかは知らんが……より強大な力を使うほど、お前達の限界は早まる。仮に万が一だが――私を倒せたとしても、そこで力尽きる可能性もあるわけだ。それに、それは単なる体力の限界ではないのだろう? 力尽きる、即ちそれはお前達の魂の死をも意味する」
何だって――と声に出しそうになったのはやはりクリスティオ。
彼は当然ながら、アルタートゥム唯一にして最大の弱点でもあるこの事を聞いていない。知っているのは、連合でも軍師のブランドと連合術士長のレレケのみである。
クリスティオが「まさかイーリオはこの事を」と、話に割って入ったのも当然だろう。
「ああ。知らねえよ、あいつは」
「何だと」
「知らせてどうなるよ。あのバカ真面目なあいつの事だ。だったら自分一人で何とかするとか無駄な責任感を背負いこんで、挙げ句の果てにヘタっちまうのが目に見えてるじゃねえか。んな事わかりきってんのに、わざわざクソ丁寧に言うヤツぁいねえだろ」
それは確かにそうだろう。そうだろうが、納得出来るものでもなかった。
だが同時に、これに反する言葉が見つからないのも確かだった。
そしてここにきて、やっと気付く。
いや、理解したと言う方が正しいか。
戦いの高揚もあっただろう。八年振りというのも間違いなく心を震わせているはずだ。
けれども若き日の自分にあった油断や侮りといった慢心は、この男には微塵もないという事に。
戦いの喜びを遥かに勝る、圧倒的なまでの覚悟。
または、死に至る事を知っていて尚笑える、誇り高き矜持か。
それこそがドグという若者の心の奥底にある、消えることのない熾火なのだと。
「分かった」
返事に、言葉以上の意味を込めて、クリスティオは敵の群れに向き直る。
もう、案じはしない。
お前になら任せられる。
口には出さず無言のまま、己の背中だけでそれを伝えた。
ドグもそれを感じ取ったのか。
聞こえないように、ふっと笑っただけだった。
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☆〝紅玉竜王〟アズラエル
破滅の竜の一体。
角竜類の恐竜、トリケラトプスの装竜騎神。
全高は九〇フィート(約二七メートル半)にもなる怪獣サイズ。
★〝琥珀狐王〟
★クリスティオ・フェルディナンド
アクティウム王国フェルディナンド王朝の初代国王。
☆〝狐閃王〟ヴァナルガンド・アンブラ
クルスティオの鎧獣。
タテガミオオカミ。
証相変の影響で体毛が琥珀色になっている。
その事から琥珀色と名付けられた。
画像は鎧獣騎士のもの。
★ドグ・ヴォイト
古獣覇王牙団の一人。
イーリオの旅の最初からの仲間であり親友。
☆ジルニードル
ドグの鎧獣。
サーベルタイガー、大剣牙虎ことマカイロドゥス。
またの名を〝最強の牙〟。




