第四章 第一話(1)『獣使師夜話』
フォッケンシュタイナー家は、メルヴィグ王国でも代々続く名門貴族であり、優秀な錬獣術師や騎士を少なからず輩出してきた家柄だ。
特に、前当主のイーヴォは、歴代で最も優れた錬獣術師として知られ、覇獣騎士団にも多くの鎧獣を供与しているだけでなく、往時には、その実力は工聖ドレや工聖ホーラーと並んで、何ら遜色ないと噂されるほどであった。人柄も温厚篤実。研究熱心で知られ、王国内で彼の名を知らぬ者はいないとまで言われていた。
レレケこと、レナーテ・フォッケンシュタイナーは、そんな父に憧れた。王国に冠たる錬獣術師の父から教示を受け、人形で遊ぶよりも錬獣術の基礎学問に興味を持ち、ドレスを選ぶよりも、鎧獣の目利きをするのを好むという、偏った趣味嗜好を持つ事となる。
そんな父は、寝物語の代わりに、ある伝説をよく語って聞かせてくれた。
錬獣術師の間で広く知れ渡る、古よりの言い伝え――。
〝宝剣ウルフバード〟の伝説。
ウルフバードとは、神話の神、最高神エールが手ずから鍛えたという、伝説の神剣の名だ。
神話ではこう記されている。
敵対する神、竜神ヤム=ナハルが、エール神を神々の玉座から奸計によって引きずり下ろした際、エールは「我の仇を伐てし者に、玉座を渡そう」と宣言する。そして、一振りの剣を鍛え上げた。エールの息子、雷と嵐の神バールは、己がその役を、と自ら戦いを買って出、父神よりその剣を譲り受けた。彼はヤム=ナハルと一騎打ち。見事戦いに勝利する。約束通り、エールは神々の玉座を息子に譲位しようとするが、バールは「戦いに勝てたのは自らの力にあらず。父の鍛えた剣のゆえ」と、これを固辞し、父の玉座復帰を願い出る。エールは玉座に戻り、しかもバールは、父よりの剣を、来るべき災厄への備えとせん、と、この地のどこかに封印したという。この剣がウルフバード。
また、神話ではその後、竜神ヤム=ナハルは百万の星月が流れた夜、〝滅びの獣〟となって海の底より復活し、エール神の眷属を全て喰らい、この世のすべてを呑み尽くしてしまうとあった。これに対する手段こそ、かつてヤム=ナハルを倒したウルフバードであり、その剣を持つ者のみが使役出来るという神獣〝月の狼〟であるといわれていた。
神話では以上であるが、錬獣術ではこれを、錬獣の秘儀を示した、大いなる伝承だと位置づけていた。それによれば、神々は皆、優れた錬獣術師であり、ウルフバードとは、原初の力を宿した、〝神の授器〟であるという。滅びの獣と月の狼は、鎧獣の完成形、またはその錬獣方法か何かを示しており、それらはいずれも、この地のどこかで眠っているのではないかと考えられたのだった。
これをして、イーヴォはよく言った。
錬獣術を突き詰めて行くと、必ずどこかで、神之眼の謎に当たってしまう。この神妙不可思議な結石は、一体、いかなる原理で生物の体に発生するようになったのか。その由来は。その根源は。一体いかなるものであるか。私はこの謎の答えは、ウルフバードの伝承にこそ、隠されているのではないかと思っている。いや、ウルフバードなる授器は、この世のどこかに必ず存在しており、それを見つければ、神之眼の謎も、鎧獣の根源も、人類発祥の秘密も、全て解き明かせるのではないか、と信じているのだ。
幼い少女の寝物語に聞かせる話ではないようにも思えるが、イーヴォは毎晩、繰り返し繰り返し、これを聞かせてくれた。いや、レナーテが父にねだったのかもしれない。
いずれにしても、イーヴォはその言葉通り、時を経ずして、本当に、ウルフバード探索の旅に出てしまうのだ。
必ずあるはずだから、私は絶対に見つけ出してみせる、と息巻きながら。
周囲の人々は口々に止めたが、父はこれを頑として聞き入れず、わずかな供を連れ、探求の旅に出る事になった。そしてそれが、父を見た最後の姿となった。
数年後。父の旅に供として出た一人が、窶れ果てた姿となって、フォッケンシュタイナーの扉を叩いた。家人は驚き、事情を聞くと、彼は息も絶え絶えにこう言った。
イーヴォは各地を放浪し、これぞウルフバードと自称する様々な紛い物を何度も掴まされ、挙げ句、路銀を使い果たしてしまった。供の者も一人、また一人と脱落していき、自分が最後の一人となったのだが、それでもイーヴォはウルフバード探求を諦めようとせず、最後の望みを託して、魔の山と言われるウンタースベルク山へと登って行った。そこで二人は崖の滑落に会い、男はかろうじて一命をとりとめたものの、イーヴォの姿は知れず、おそらく亡き者となったのであろう、と――。
家人は嘆き悲しみ、レナーテもその時の衝撃を未だに忘れる事が出来ない。
その日よりフォッケンシュタイナー家は、山師の錬獣術師などと後ろ指を指され、非難と好奇の目にさらされながら、王都中に身の置き場のない、肩身の狭い思いをする事となった。
例え由緒ある貴族の家でも、華のある内は、人は追従とおもねりを絶え間なく贈り、善意があるように振る舞うが、零落した後には、これでもかというほど、酷薄になる。フォッケンシュタイナー家に対してもご多分に漏れず、陰湿な陰口や、都雀の悪意ある噂は、否が応でも耳に入ってくる。それは、人がねじまがってしまうには、充分な環境要因であったであろう。
しかし、残された子供達は違っていた。
レナーテは、父の考えは間違っていないと信じ、自ら錬獣術師の道を選んで勉学に励み、彼女の兄、クラウスは、落ちぶれた家を支えようと、騎士になる道を志した。
この兄が、父にも増して、人品に優れた人物であったのだ。
クラウス・フォッケンシュタイナーは、王立学院に入学後、すぐにその頭角を現した。気付けば建学以来の俊英と呼ばれ、文武共に非凡な才能を発揮。見事、首席で卒業するだけでなく、卒業後、すぐに騎士団入りを決め、しかも入団と同時に、最精鋭部隊である壱号獣隊の次席官となるという快挙を成し遂げたのであった。
これは史上類を見ない栄誉であり、あの逆境からよくも、と、人々は彼を褒めそやした。だがクラウスは、そんな事に驕るでもなく、上に厳格、下に寛大、誰にでも分け隔てなく優しく接し、およそ黒い噂とは無縁の評価を得ていた。
とはいえ、悪意ある雑言がなかったわけではない。在学時、後に国王となり、当時は第二王子であったレオポルトと親しくなり、二人は親友と呼べるほどの仲になったのだ。心ない連中は、クラウスの栄転を王子とのコネによる結果であり、彼は計算尽くで王子に取り入ったのだと讒言を囁きあった。それは表面的な事実だけ見れば、確かに外れていなかったものの、そのような噂は、彼のその後の活躍ぶりが、すぐに掻き消していった。
覇獣騎士団に入団するや否や、クラウスは各地の紛争や荒事を次々に解決。更には六〇年近く続いていた内乱を鎮めるという快挙を成し遂げ、彼は二十代という若さで、主席官を任官する事となったのだ。それも、ただの主席官ではない。長らく空位となっていた、覇獣騎士団全隊を束ねる総司令というべき役職。
壱号獣隊の主席官を任命されたのだ。
これには王国中が沸いた。
栄えある覇獣騎士団でも、壱号獣隊の主席官は、特別の上にも特別。ただ、総司令だからというのではない。頭脳、実力、人望、人柄、どれをとっても傑出した人物でなくては務まるにあたわず、歴代の主席官の中には、あの〝百獣王〟となった者も名を連ねるという、特別さなのだから。しかも、壱号獣隊の主席官は、代々、王国が誇る王家鎧獣を拝する決まりになっており、彼は文字通り、国王レオポルトを除けば、メルヴィグ王国で最高の騎士となったのであった。
ここに至って、フォッケンシュタイナーの家について、あれこれと言う口さがない連中は、全く鳴りを潜めるになり、レナーテ自身もまた、我が兄を心から尊敬していた。絵に描いたような、高潔で無類の人物だと。
栄光の日々が一転、苦難の日々となり、艱難辛苦の末、やがて再び栄光を取り戻す。
それも以前より輝きをもって。
それはまさに、神話のエール神の転変のようであり、兄の栄誉は、ウルフバードが導いたものだと、レナーテは心密かに思っていた。父の死による悲しみの日々は、兄の栄光を得る架け橋になったのだと。
実際、兄のクラウスも、あの日の悲しみを乗り越えんとする強い思いと揺るぎない意思があったからこそ、自分はここまで、こうしてこれたのだと、語っていた。
――だが、このフォッケンシュタイナー家の物語が、神話との相似であるというのなら、滅びの獣が訪れる未来もまた、神話どおりでなくてはならない。そしてそれは、まさに悲劇となって訪れた――。
今から二年前――。
六〇年近く続いていた内乱を、クラウスは鎮圧したのだが、その余燼はまだ各地で完全に鎮火しきれていなかった。そしてあろうことか、火種は王都の中、それも王宮の中枢より燻っている事が、調査によって判明したのだ。
宰相ギシャール。
既に即位していたレオポルトの先代、前王の御世より仕えし、宮廷内の古老の彼が、密かに内乱を再燃させようと画策していた。
王位継承権を持つ王族、カイ・アレクサンドルを擁立し、王都に内乱を起こさせようというのだ。当事者のカイは、何も知らぬ所で陰謀の渦中に放り込まれ、このままでは、どちらにしても王家に傷のつく事態となると判断したクラウスは、腹心の部下を連れ、ギシャールの館に強襲をかける事を決意。証拠がとられていないと高を括っていたギシャールは、何の労もなく捕縛されてしまう。
宰相が内乱を企てるという前代未聞の不祥事だったが、これまたクラウスの鮮やかな手並みで解決された――。
誰もがそう思って、安心していた矢先――。
捕まったギシャールを護送の最中、突如、少年と少女が二人、大声をあげて護送の列に飛び込んできた。
すわ何事かと列がにわかに乱れる中、クラウスの鎧獣が、混乱に割って入り、少年と少女を――
噛み殺してしまったのだ。
辺りは収拾のつかないほどの大混乱となり、すぐさまクラウスの鎧獣は、捕縛。クラウス自身も駆り手として捕まってしまう。
鎧獣は、人を襲わない。
普通であれば絶対に。
人を襲うとすれば、それは主である騎士に命じられた時か、または主を守ろうとした時くらいで、通常であれば、人は絶対に襲わないよう〝造られて〟いる。
絶対に、である。
この時も、クラウスの身を守ろうとしたのではないかと推察されたが、だからといって噛み殺すなどという事は、あまりにも行き過ぎている。しかも相手は、年端もいかない子供二人だ。後に判明した事だが、この二人は、ギシャールの縁者であるという。
しかも問題なのは、これを王都の往来で、あらゆる人が見ていた事実だという点だ。誤摩化しもなく、作りようもない事実。宰相の内乱騒ぎは、一転、鎧獣による殺人事件へと、予期せぬ変貌を遂げていた。
メルヴィグ国内のみならず、錬獣術史上に残る、歴史的事件。
下手をすれば、国民全体の覇獣騎士団への信頼失墜にもなりかねない、由々しき大問題である。
すぐさま国家の有識者が、王都に何人も召喚された。
果たして調律された鎧獣が、野生の猛獣よろしく人を襲う事などあり得るのだろうか。
論議は幾日にも及び、詮議は幾度も繰り返された。
一方、当事者であるクラウスは、全くわからないの一点張りだった。事実、彼には思い当たる節もなければ、そのような理由など、あるはずもなかった。
答えを見見出せぬまま、長い長い問答の末、やがてメルヴィグ王国が出した結論は――。
鎧獣狂乱。
つまり、クラウスの鎧獣が、狂ってしまったというのである。これには勿論、クラウスが、猛反発をした。自分の鎧獣が狂うなど、そんな事、あり得るはずがない、と。しかし、クラウス自身、擁護をするのに限界があるのも事実であった。既に国民の不審と不信は頂点に達しており、これ以上の詮議引き延ばしは、民衆に対し、到底許せるものではなかったのだ。
しかも、もう一つ大きな問題は、この鎧獣が、王国の至宝、王家鎧獣であるという点だ。王家鎧獣が狂気に憑かれるなど、畏れ多いとしか言い様がない。
それは駆り手である人間の影響ではなかろうか。
そう、父親が狂気に至った、あのフォッケンシュタイナーの家なら、さもありなん。
だからあのような輩に国家の重責を負わせるなど、間違っていたのだ――。
上向きの時は、こちらが構わなくとも笑顔で勝手に寄ってくる人間が、落ちた途端、手の平を返して讒言と悪罵を広めまわる――。
夫の時には何とか耐え抜いてきたフォッケンシュタイナー夫人であったが、今度の我が息子の事件は、いよいよ彼女の神経を限界にまで追い込んだ。
周囲の悪意と憎悪の圧力に耐えきれなくなったクラウスとレナーテの母である彼女は、事件後、にわかに体調を崩し、そのまま帰らぬ人となってしまった。祖父母らは以前に他界し、縁戚の者は皆、判を押したようにフォッケンシュタイナー家の者との接触を断った。
運命の相似。
またしてもフォッケンシュタイナー家は、抗い得ぬ落とし穴に嵌められ、栄光から更なる地の底へと叩き堕とされてしまった。
そう、父・イーヴォの失敗よりも、今度はより深い絶望へと。
まさに、破滅の獣の到来だ。
しかも悲しむべき事に、残されたレナーテには、運命に抗うウルフバードは握られていなかった。兄が手にした栄光の象徴が、彼の王家鎧獣であると言うならば、その王家鎧獣こそ、破滅の獣であったのかもしれない。
堕ちた神々の王。その次に堕とされたのは、その息子の英雄神――。
父の次に堕ちた英雄の兄――。
まさに、破滅ばかりが相似していく。
それから二年間――。
クラウス・フォッケンシュタイナーは、王国南部にある城に、己の鎧獣を伴って、無期限の幽閉の身となった。
鎧獣は主たるクラウスから隔離され、いかなる時でも鎖に繋がれている。クラウス自身、全ての権限を剥奪され、城の敷地より一歩も外に出る事を許されない。
そして、誰からともなく、この事件の中心となった王家鎧獣は、こう呼ばれるようになっていた――。
〝凶獣ガルグリム〟と。
そんな中、クラウスの妹であるレナーテ・フォッケンシュタイナーは、下女の名と乳母の姓を拝借し、密かに身分を偽ってフォッケンシュタイナーの家を出奔。事件の真相を探るだけでなく、己にまつわる様々な因縁を解きほぐさんと行動を起こしはじめた。
レレケ・フォルルヴァルツとなって。
さらにその後、丁度今から一年前、意を決した彼女は、鎧獣探求の旅に出ると、目的さえも偽って、師の元を離れ、野に下っていくことなる。
真の目的を胸に秘め――。




