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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
最終部 最終章「銀月の狼と人獣の王たち」
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最終部 最終章 第五話(2)『不敗牙』

 ニーナ・ディンガーは、古獣覇王牙団アルタートゥム・ジーク・ファングの中で特にこれという役割のない人間だった。


 ロッテは科学者であり技術者。しかも天の山(ヒミンビョルグ)の操縦もこなしていたのだから、なくてはならぬ人材である。


 オリヴィアは団長というだけでアルタートゥムの要そのものだし、それ以外の意味でも彼女こそがアルタートゥムの全てとも言える存在だった。


 しかしニーナには、これという特筆すべきものがない。

 あえていうなら戦闘員というところだが、戦うのは別に彼女だけでなく全員だし、そもそも平時に彼女らが本格的な戦闘を行えるわけではないのだから、ずっと役立たずの状態と言われても反論も出来ないしする気もなかった。事実、仲間のロッテからは胸だけのバカ女とこき下ろされていたし、それで腹を立てもしないのが彼女であった。


 何より、それでも別に構わないと、彼女自身が思っていたのだ。


 アルタートゥムである自分の事を疎ましいとか、我が身とその運命さだめを恨んだりなどした事はないし、人造魂魄についても何も思ったりはしなかった。

 千年前には、己の存在意義について深い悩みを抱えるアルタートゥムなどもいたが、そういった面々は皆、千年前に死んでしまった。

 生き残ったのは、感傷的に思い詰めたりなどしない者だけである。


 だから彼女は、考えすぎると死んじゃうんだと思っていたし、爾後もずっと、何かを深く考えはしなかった。能天気だとか、愚かぶるのではない。千年もあれば自ずと知恵も知識も備わってくるし、彼女とて実際は人並み以上すぎるほどの知見は持っている。

 それでも彼女の基本的なものの考え方は至って単純であり、笑いたい時に笑い、怒りたい時に怒るというもの。そうすれば心はずっと軽いままだし、どれだけ時が流れようともその場に任せて楽しくいられる。


 ただ――


 本能というのだろうか。


 千年振りに宿敵である竜の一騎と剣を交え、まだ僅かな時間しか経っていないにも関わらず――。

 彼女の心には、どこか満たされたような充足感が漲っていた。


 アルタートゥムの中でも、戦闘に特化していると評される彼女だからだろうか。

 おっとりとした間延びする喋り方や、柔らかな雰囲気に騎士らしからぬ肢体と言動。


 けれどもやはり彼女は、生粋の戦闘者なのかもしれない。


 ずっと前だが、同じアルタートゥムのロッテは、ドグにこう言った事があった。


「ニーナの阿呆はああ見えて、ボク様たちの中で一番戦闘向きだ。そうは見えない? まあ、そう言いたくなるのも分かるが、あの阿呆みたいな物腰も見た目も全部、千年間で作り上げたあいつなりの仮面ペルソナで、生き方なんだよ。考えてもみろ、千年もの時間を外界に接する事も出来ずに過ごすんだぞ。常人の神経で耐えられるものじゃない。ボク様には研究があるし、オリヴィアはまあちょっと特別だから一緒には出来んが、ニーナは違う。あいつは人造魂魄でも、至って真っ当な〝人間〟だ。――不老であろうとも、あいつ自身が人間である事には変わりない。そんな、心までも神ではない人間が、果てしない時間の中で正気を保つとすれば、感情を潰し、あえて欠落させるのが一番てっとり早いのさ。あいつはな、それを本能で察し、誰から教わるわけでもなく自らそうしてのけたんだ。戦う力――生き残る力に関しては、あいつはアルタートゥムの中でもオリヴィア(ドゥーム)に匹敵するだろうな」


 神の騎士の中でも、最も戦闘に特化した騎士。


 全くそうは見えないが、ロッテは確かにそうだと言った。


 それに――と、ロッテは続ける。


「本当のあいつはあんなのじゃない。まるで違う。本当の顔? どうだろうな。どちらかと言えば知らん方がいいと思うぞ。――何故かって? そうだな……下手をすれば知ったら最後、お前の命はないかもしれんからな。ん? 単純な話だよ。怒らせたらいかんというだけだ。ああ、そうだ。あいつがブチ切れたら、それがあいつの本当の顔――そして怒らせた奴の最後の時ってわけだ」


 ただし、ニーナが何で感情を露わにして、どうやったら切れるのかは千年共に過ごすロッテにも分からないらしい。実際、普段あれほどの悪口雑言を浴びせているのに、ロッテに対してニーナは一度も怒った姿を見せなかった。


 何がどうなると真の素顔があらわれるのか。


 ドグは結局、その姿をついぞ見る事がなかった。

 ある意味、それは幸せな事なのかもしれないが。





 そして現在――。


 メルヴィグ王都を縦断するケーニヒス川での攻防の中。


 ニーナの目の前で、モササウルスの装竜騎神(ドラケニュート)水晶竜王(サルコテア)のファラクが、破壊光線・極帝破光(シリウス)を連続で且つ見境なく放っていた。

 見境がないのは防衛側であるニーナに的を絞らせないためで、その結果、防ぎそびれた光線が都市のあちこちを炎で包んでいた。川の堤も至る所が決壊し、王都の形そのものが変わりつつあった。


 ニーナ=セルヴィヌスも単分子ワイヤーで防御膜を作り、出来る限り防ごうとはする。しかし極帝破光(シリウス)のみならず、そこに竜異能(ドラクル)の重力操作も合わせてくるので、完全に防衛しきるにはどうしても無理があった。


 加えて、巨大な銛まで縦横無尽に振るわれるのだ。まさに歩く天変地異。意思を持った災害そのものと言えよう。


 ――だが待て。


 竜の持っていた銛は、セルヴィヌスの能力で細断されてしまったはず。

 けれども人竜は銛を振るっている。


 目の前の銛。

 それはファラクの体内から、再度創り出されたものなのだ。


 ファラクは先ほど、広げた己の手の平から突起物を生み出し、それを引き抜く事で、銛を再創造したのである。


 細切れにされた腕を味方を喰う事で瞬間再生させただけでなく、己が竜の体内から武器まで完全再生するというのか。ただでさえ反則級の巨体だというのに。


 無論その再創造の際にも、味方の角獅虎(サルクス)を呑み込んでいたのだが。


 その巨大な銛は鐘楼の如き巨大さであり、受け止めなければ余波だけで街そのものが砕かれてしまう。しかし光線と異能と武器の重層攻撃の前には、さすがのニーナでも互角に渡り合うのが精一杯。王都を守りきるところまでは、手が回らなかった。


 街のあちらこちらから、人々の悲鳴と苦悶の叫びが聞こえていた。災害というにはあまりに無慈悲にすぎ、神の怒りというにはあまりにも悪魔的すぎた。


「ちょっとぉ~節操なさすぎっていうかぁ~、マジでムカつくんですけど、そのピカピカビーム攻撃ぃ」


 極帝破光(シリウス)を躱しながら、溜め息混じりにニーナ=セルヴィヌスが吐き捨てる。

 騎士たる者、戦に関わりない無辜の民を殺めるべからず――とは騎士(スプリンガー)の不文律として語られる言葉だが、竜であり人造魂魄であり異世界由来であるエポスらに、その道理は通じないのかもしれない。


 彼女の言葉などまるで耳に届いていないかのように、攻撃の波をやめようとしないヘルヴィティス=ファラク。しかし戦いに愉悦を求めたり、ニーナの言動を嘲笑っているわけではなかった。このエポスの中には、己にとっての合理的思考があるのみ。

 そこに命に対する敬意などあるはずもなく、ただ目的のために無駄を省いた手段を用いるだけだった。

 都市を灼くのもそのため。

 被害を広げて動揺を誘えば、相手に隙が生まれ攻略がし易くなる。ある意味短絡的とも言えそうなそんな理由で、彼は淡々と破壊行為を行ったのだ。


「体毛を元に生成した、切断力を極限にまで高めた単分子ワイヤーの刃か……。しかもその糸巻きと己の爪で裁縫のようにして、瞬時に障壁もどきの庇護膜まで作れる――まさに攻防一体の能力というわけだ。千年前は真空で切断する力だったが、それを遥かに超える威力と汎用性の高さだな」


 光線を吐くのを止め、モササウルスがふとしたように呟く。


「え~、何ぃ。そんな昔のニーナの事まで覚えてるのぉ? ん~、嬉しいってゆ~よりぃ、ちょっとキモいんですけど」

「だが〝虚無〟と〝欲望〟のエポスである俺と、このファラクの前では、その力も無駄になる。先ほどは油断したが、もう貴様のワイヤーは届かん。届く前に我が〝虚無(ヴォイド)〟によって容易く沈めるからな」

「それそれ~。トカゲさんのそれ、ほんとウザい」


 セルヴィヌスの獣能(フィーツァー)不敗の牙ウンベジークト・ファング〟による万物あらゆるものを斬り裂く単分子ワイヤーだが、ファラクはそれを重力操作で無効にしていたのだ。ワイヤーが体に触れる直前、重力を竜の周囲にだけ展開させ、ワイヤーの勢いを殺して沈めるというもの。


 いかな比類なき力でも、届かぬ刃は肩書きだけ大仰なのと同じ。


 先ほどファラクの腕と銛を切断出来たのは、ニーナが一瞬の隙を衝けたのと、セルヴィヌスの異能の精度をヘルヴィティスが測りきれていなかっただけである。しかし殺傷範囲も含め、威力も精度も今は文字通り我が身を以って理解している。攻防一体なのは、何もセルヴィヌスだけではないという事だった。


「でもお」


 ニーナ=セルヴィヌスの雰囲気が、少し変わる。


「そっちの竜異能(ドラクル)とおなじでぇ、獣能(フィーツァー)だって一つだけなワケないんだよね~」


 牙虎豹(ゼノスミルス)の姿が消えた。


 速度が上がった?


 音。


 何かを蹴破るような激しい破砕音。


 いや、それは蹴破ったのではなく、跳躍の勢いで大地が砕かれた音だった。


 ――!


 まるで瞬間移動のような瞬足で、一瞬にしてモササウルスの直上に跳んでいるセルヴィヌス。

 成る程。これならば重力を放たれても、真上から攻撃を当てられるというわけか。しかし重力操作すれば、単分子ワイヤーが当たっても切断までには至らないはず。斬る、という行為は圧力と摩擦の結果生じる科学的現象でもあるからだ。

 ヘルヴィティスが取り乱すどころか驚き一つも見せずにそんな意味の事を告げると、ニーナは笑いを含んだ声で答える。


「そんな事、ニーナだって知ってるもん。だからさっきも言ったでしょ」


 落下するサーベルタイガー。


獣能(フィーツァー)は一つじゃないって」


 口を開き、真下から光線で迎撃する構えのヘルヴィティス=ファラク。



「〝明日は明日の風が吹くワズ・カン・シューナー・ザイン〟」



 セルヴィヌスが、片手を大きく振り上げた。瞬間、途轍もない発光が起き、太陽がもう一つあらわれたかのような眩しさで辺りを包む。


 それはファラクの視覚でさえ直視出来ぬ程の、鮮やかな閃光。

 思わず目を細めるモササウルス。



 衝撃――人竜の半身に走った。



 何が起きた? 理解が追いつかない。


 眩さの光源は、既に己の視線の遥か下。ヘルヴィティス=ファラクの足元辺り。

 竜の真上にいたはずなのに、いつの間にか岸辺に着地しているニーナ=セルヴィヌスがいた。

 一連のあっという間の出来事に気付いたのと、モササウルスが盛大に血の噴水を噴き出したのが、同時だった。

 ファラクは迎え撃とうとするどころか、理解をするのがやっとだった。


「光の刃……?」


 太陽の如き眩い光は、セルヴィヌスが片腕から発した光の塊。

 それはサーベルタイガーの身長などゆうに超える巨大な刃であり、それこそがファラクに重傷を負わせた正体だった。


「いや、先ほどのものとは違う……。この威力、装竜騎神(ドラケニュート)の表皮装甲はおろか、重力操作すらも無効にするこれは、単分子ワイヤーなどではない。だが、刃でもあるがただの刃でもない。――これはそうか……単分子カッターか」


 単分子カッターとは、刃先が分子一個レベルのみの厚みで構成される、極限の鋭さを備えた刃物。

 体毛を単分子ワイヤーに変化させるのが一つ目の獣能(フィーツァー)なら、爪を変化させて巨大な単分子カッターにするのが二つ目の異能。

 その斬れ味は、破滅の竜でさえ防御不可。


 左側の鎖骨部位から左足の付け根まで、縦一文字に大きく深い傷が開き、そこから血がとめどなく溢れている。


 誰がどう見ても決着は着いたかに見えたものの――。


 止まらないはずの血飛沫が、水道に栓をするように突如吹き出すのを停止した。


「重力で血を止めた……? ううん――」


 見ていたニーナが呟く。


「血を――操った?」


 水底をさらうように、己の側に待機させていた――沈めていた――アクティウムの海洋騎士の死骸二つを掴む巨大人竜。一六〇フィート(約五〇メートル)の巨体なら、一〇フィート(約三メートル)の鎧獣騎士(ガルーリッター)も玩具さながらである。それを丸呑みしたのは、再び回復するためか。


 血を操る異能――。


 それ自体は既に存在する。

 メルヴィグ王国の王家鎧獣(ロワイヤルガルー)〝覇王獣〟などは代表的なその一騎だし、珍しいものでもない。

 だからこそと言うべきか、違和感があった。

 そんな程度の能力が竜の二つ目の異能だと?


 ニーナの疑問を見透かしたように、ヘルヴィティスがモササウルスの口角を釣り上げる。


 そうだ。お前の考え通りだよ――と。


 人竜が片腕を掲げた。




「〝欲望(デザイア)〟」




 目に見えぬ何か――。


 物理法則を無視した不可視の力が、ニーナ=セルヴィヌスの全身を包んだ。

 まさか念動力サイコキネシスだとでもいうのか? いや、非科学的な超常などは有り得ない。では何だ。この総毛立つような、全身の細胞が蝕まれるような感覚は。


 ――汗?!


 全身が、いつの間にやらずぶ濡れになっていた。

 先程川底に沈められたので体毛に水気は多くあったが、今はまるで川から上がったすぐ後のようだった。または雨に打たれている最中と言うべきか。

 しかも濡らされたというより水が噴き出ているようで、感覚的には人の汗に近い。けれども鎧獣騎士(ガルーリッター)が汗をかくなど有り得ない。


 その直後、視界が揺らいだ。

 掠れ、ぼやける。

 足にまで、力が入らない。

 動悸に頭痛。

 鎧獣騎士(ガルーリッター)なのに。


 いや、外側のセルヴィヌスも合わせ、鎧獣(ガルー)騎士(スプリンガー)も、両方共に同じ苦しさがのしかかっていた。


「ファラクの第二竜異能(デュオ・ドラクル)を、血を操るものとでも思ったのだろう。まあ、血も俺の力の支配下にあるものの一つだから、そう勘違いもしよう」

「な……何……?」



第二竜異能(デュオ・ドラクル)欲望(デザイア)〟は、水分を操る力」



 思考が鈍る中、衝撃的な発言にニーナから余裕が消え去った。


「海、川――あらゆる水の領域において、水分は世界そのもの。ファラクは体内にある水分を外に放出した際、ファラク由来の水と交わった全ての水分を(・・・・・・)制御する事が可能なのだ。貴様は一度、水に沈んだよな。その際にファラクの排出した水分が体内に取り込まれていたんだよ」


 カバの鎧獣騎士(ガルーリッター)タウレトを救出した直後の話だ。ファラクの腕をワイヤーで斬り落としたが、その際に水に沈められている。


「今は内部浸透圧を制御して、貴様の身体中にある水分という水分を外へ抜き出しているのよ」

「身体中……?」

「そうだ。貴様のそのサーベルタイガーだけではない。中にいるアルタートゥムのお前も含め、もうすぐ貴様から全ての水分が失われる。いかな神のL.E.C.T.(レクト)でも、神の騎士たるアルタートゥムでも、水分を余すところなく全てなくなってまで、生き続ける事は出来るかな」


 不死身の怪物でもなければ無理だ。答えるまでもない。

 つまりこのままだと、もうすぐニーナとセルヴィヌスは敗北するだけでなく――。


「生きたまま干涸び、ミイラになる気分をもうすぐ味わえるぞ。見ものだな。サーベルタイガーの干物など、そうお目にかかれるものではない」


 ――生きたまま?


「それってまさか……ニーナ……シワシワになっちゃうの……?」


 苦しさを堪えながら、息も絶え絶えにニーナが呟く。


「貴様が今味わっているのは、過度の脱水症状だ。強い渇き、眩暈、吐き気――。やがて足がひきつり、むくみを起こすがそんなものはすぐに過ぎる。とめどなく排出される体内水分で、あっという間に死に至り、ミイラと化した死体を晒すだろうよ」

「やだ……そんなの……」

「アルタートゥムでも死は恐ろしいか。だが死とは平等にあるもの。そんな事は貴様も知っているだろうに無駄な事を口走る」


 セルヴィヌスが膝をついた。最早立つ事もままならないと見える。


 今ヘルヴィティスが一息に仕留めようとしても、容易く葬れる可能性は大だった。だが窮鼠なんとやらの言葉もあると用心し、ヘルヴィティスはこのまま異能による絶対的な死刑を執行し続けた。


「シワシワになるなんて……ミイラになるなんて……むくんじゃうなんて……そんなのイヤ……」

「何だ? 死に方への拘りか? この期に及んで己の死に様に執着するとはな」


 呆れた失笑が、怪獣の如きモササウルスから漏れた。

 しかしニーナはそんな嘲弄などまるで聞こえていないかのように、ぶつぶつと呟き続ける。


「……?」


 どうにも様子が怪訝(おか)しい。

 その事にやっと気付いたヘルヴィティスが、聴覚の精度を上げて何を口走っているのか拾い上げる。


「ニーナが……シワシワ……? ニーナが――オレが――このオレが、シワくちゃになる……?!」


 口調が変わった事に気を取られ、外の変化に気付くのが一歩遅れるヘルヴィティス。しかしふとした瞬間、それを目にした。


 とうの昔に倒れているはずなのに――いや、水分がなくなっているのだ、体自体が萎み始めてもいいはずなのに、牙虎豹(ゼノスミルス)は倒れないばかりか片膝をついたままで止まっていた。


 何より、立ち上がろうとしているようにも見える。しかも――


 ――体が一回り、大きくなっている?


 水も、抜け出ている素振りがない。

 馬鹿な。水分を操る力に、抗する術などないはず。あるとすればそれは――


 ――己の体内環境を、全て自身の制御下に置く、だと?


 細胞一つ一つに至るまで、自身の肉体を完全制御出来たなら、或いはそれも……。


 しかしそんな事が可能なのは、遠い世界の神話にある仙人くらいのものだ。

 いや待て。アルタートゥムこそ、まさにその仙人と言えるのではないか?

 世界へ干渉する事を優先し、自身の不死性と魂の永続に特化したのが自分達エポスという〝仙人〟なら、人知れぬ地に潜み、ただひたすら研鑽を重ねたのがアルタートゥムという〝仙人〟。そう言い換える事も出来なくはない。

 だとしたら。



「おい、てめえ……」



 ニーナの口調もだが、声まで変わっている。同じ彼女の声である事に違いはないが、圧倒的に低く、迫力が桁違いだった。



「このオレをシワッシワにしようとするなんざ、いい度胸してんな。たかがデケえだけのトカゲの分際で、調子こきすぎじゃねえか? おお?」



 よろめいていたセルヴィヌスが、完全に立ち上がる。その顔が、上を向く。

 サーベルタイガーの、凶猛な牙をのぞかせて。


「馬鹿な。俺の竜異能(ドラクル)を無効にするだと」

「ドラクルだかドラキュラだか知らねえが、このオレの美貌に手をかけようなんて、神でも悪魔でも許されねえ愚行なんだよ。いいか、てめえは虎の尾を踏んだんだ。ただの虎じゃねえ。この世で最も高貴で美しい、サーベルタイガー様の尻尾だ」


 ファラクが放った〝欲望(デザイア)〟の影響など、既に微塵もうかがえない。

 口調の変化を契機に、何もかもが変わっていた。


 まるで人格が入れ替わったかのようにも見える。


 これが同じ古獣覇王牙団アルタートゥム・ジーク・ファングのロッテが言った、ニーナの本当の顔。


 初めて〝これ〟を見せた時、ロッテは呆れて言葉を失ったが、団長のオリヴィアはその姿に賛辞とも皮肉ともつかぬ言葉を贈った。



 まるで狂戦士バーサーカーだな、と――。



 堪らず、ヘルヴィティス=ファラクが重力操作の〝虚無(ヴォイド)〟を放つ。しかしそれを視認出来てでもいるかのように、力の有効範囲から姿を消すセルヴィヌス。

 海竜の感知精度は最大。視界も巡らせ、消えた人虎を追いかけようとするファラク。


 しかし影を補足したのと、己の胸部上部分にあった箇所が破壊されたのが同時だった。

 自身の受けた衝撃に、巨体をよろめかす水の魔神。


 ――重力制御の中枢を破壊した?! 馬鹿な、どうやってそれを。


「てめえらクソトカゲの異能は、鎧獣騎士(ガルーリッター)のそれとはまるで違う。オーバーテクノロジーの産物だ。そいつをこの世界、この時代に無理に動かしてるんだから、タネもあれば仕掛けもある。だったらそのタネも仕掛けも、ブッ壊しゃあいいだけだっつーの」

「何だと」

「重力操作ってんならそいつを発生させている器官が存在してるはず。てめえの動きを見てりゃあ、んなのバレバレだ。だが水分がどうたらって力の方は体内器官っぽいからな。そいつまではまだ分からねえ。が、それもそれでてめえごと、まとめて三枚に卸してやるぜ」


 予備動作なしで、モササウルスが光線を放った。

 しかし光の糸が空間に蓋をするように、光線全てを拡散させて消滅させる。まるで光線という実体なき現象そのものを縫い付けるような、尋常ならざる手捌きだった。


 モササウルスが銛を振るう。


 余剰で街が砕ける。


 けれども牙虎豹(ゼノスミルス)の騎士には擦りもしない。それどころか巨大な――まるで建造物が振り回されているかのような――その武装を、手にする糸巻き棒(ノステピン)で弾き返してしまう。


 ファラクの攻撃は、巨大怪獣が暴れているのに等しかった。

 一方でそれに対峙するセルヴィヌスは、あまりに矮小に見える。

 しかし圧倒しているのはゾウの前のアリに等しきその矮小な方だった。

 追い詰められたネズミがネコを噛むのではない。サーベルタイガーの逆鱗に触れた事で、魔神が追い込まれているのだ。



「〝虚無(ヴォイド)〟――〝欲望(デザイア)〟!」



 かろうじてまだ動かせる重力操作で、水を飛び散らす海竜。その水飛沫が、既に倒された連合騎士や角獅虎(サルクス)に触れた瞬間、ぶくぶくと黒く爛れ、火傷のように腫れ上がって溶けていった。


「アルカリ濃度を限りなく百パーセントに近付けた、強アルカリの水だ。川の水を全部これにし、あらゆる炭素生命を腐食させてやろう……!」


 巨大な腕と尻尾を振り回し、水場で暴れ回るモササウルスの魔人獣。

 怪獣の災害とも言えるが、最早無節操に暴れ回っているだけにも見える。けれどもその暴威は、死神よりも残酷な死を撒き散らしていた。


「ウゼエな……! いい加減、ワニステーキにしてやるぜ」


 水飛沫を微塵も被らず、その場から姿を消すニーナ=セルヴィヌス。


 目標を見失った事で、人海竜の動きがほんの少し緩められる。


 ――その瞬間。



「〝不敗の牙ウンベジークト・ファング〟」



 光が走った。



 幾千、幾万、それとも幾億とも言えそうな、数えきれぬ閃光の雨。



 あまりに長く、あまりに無数。怪獣の如き水晶竜王(サルコテア)・ファラクでさえも、光に包まれるほど。

 光の線を視認したと思った時には、モササウルスの全身は、己の噴き出す血で真紅に染まっていた。


「がっ……」


 何が起きたか理解出来ない。


 どうやったのか。


 手当たり次第とばかりに、腐食の水を撒き散らそうとしたのに対し、セルヴィヌスも当たるを幸いに攻撃を放ったとでもいうのか。中にいるヘルヴィティスの身体すら、いくつかが切断されたほどの縦横無尽。


 このままでは不味い――。


 咄嗟に補肉用ほじくようの遺体を手にしようとする人竜だが、その手は既に、斬り落とされた後。

 そこに、自身の背丈の数倍はありそうな巨大な刃を頭上に掲げる、サーベルタイガーがいた。


「無駄だというのが――」

「うっせえ」


 ヘルヴィティスの声が、怒れるニーナの声に掻き消される。

 そして、モササウルスそのものも。



「〝明日は明日の風が吹くワズ・カン・シューナー・ザイン〟」



 単分子カッターが、閃光の花火となって裂き乱れた。

 刃には、単分子ワイヤーも絡ませている。


 最早それは、光を伴った攪拌機ミキサー

 さながら火花飛び交う、激しい舞い。


 儚くも優雅で残酷な死の舞踏(ダンス・マカブル)



 どしゃどしゃと巨大な飛沫と波紋を起こして沈んでいく、竜だった肉片――。


 水に浮かんだその巨大なひと塊りの上に、ニーナ=セルヴィヌスが降り立った。


「やだぁ~。血の匂いでキモチ悪すぎぃ~」


 サーベルタイガーの鼻をつまみ、辟易した声を出すニーナ。

 その口調は、いつもの彼女のもの。荒くれた男言葉ではなかった。

 動きも軽やかに、岸辺の方へと跳躍する。


 だが垣間見せた鬼神の如き戦い振りは、まさに狂戦士バーサーカーそのものだった――。


 いや、それ以上の凶悪さであっただろうか。


 河岸に降り立ったニーナ=セルヴィヌスに、鎧化(ガルアン)が解除されたペドロが近寄る。


「お見事です……! さすがは神の騎士様!」


 あまりの人智を超えた戦い振りに、興奮冷めやらぬといった口調のペドロ。後ろに、彼の駆るカバの鎧獣(ガルー)、タウレトがのっそりと続いてくる。


 しかし労いの言葉をかけられた本人は、それに反応するどころか何も答えはしなかった。いや、答えられなかったのだ。


「騎士様……?!」


 突如、ガックリと膝を折ったセルヴィヌスに、思わずペドロが声を大きくする。

 息も荒い。背中が大きく上下しているのが分かる。

 ニーナには、とっくの昔にこうなってしまう事が、分かっていた。

 分かっていたのに――


 ――やっちゃったなぁ……。


 力を使いすぎた。

 それは正しい。

 使いすぎたから疲弊した。それだけなら普通の事だ。が、それだけではない。


 ――こんなだから、ロッテちゃんや団長のお荷物になっちゃうんだよね……。


 そう思っているのは、他ならぬ当人だけだろう。


 息も絶え絶えになった理由。

 それは、神の騎士〝古獣覇王牙団アルタートゥム・ジーク・ファング〟に科せられた制約。

 それは絶対で、彼女らにもどうしようもないもの。

 分かっていながら、己の全てを出し切る以外、あのモササウルスを倒せなかったのだ。


 ――そっちはどうなのかなぁ。


 そんな風に思いを馳せ、ニーナは遠くの空にぼんやりと視線を向けた。


 瞳の見つめる先に映っていたのは、誰であったか。


 本人以外、分かるはずもなかった。




―――――――――――――――――――




挿絵(By みてみん)

☆〝水晶竜王(サルコテア)〟ファラク

 破滅の竜の一体。

 水中の恐竜 (正確には恐竜ではないが)とも言うべき滄竜類の海竜ドラゴン、モササウルスの装竜騎神(ドラケニュート)

 重力と水分を操るという最早魔法のような異能を持つ。






挿絵(By みてみん)

★ニーナ・ディンガー

古獣覇王牙団アルタートゥム・ジーク・ファングの一人。

アクの強すぎる二面性を持った神の騎士の一人。



挿絵(By みてみん)

☆セルヴィヌス

ニーナの鎧獣(ガルー)

サーベルタイガー、斬砕豹スラッシュバイトパンサーことゼノスミルス。

またの名を〝不敗の牙ウンベジークト・ファング〟。

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