最終部 最終章 第五話(1)『水晶竜王』
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白と黒の体表を持つ巨体が、半ば川岸に打ち上げられた恰好で浮かんでいた。
全身は傷だらけ。鎧の損壊も激しい。
あちこちがへしゃげ、まるで巨大な万力で押しつぶされたように見える。
もう一騎もボロきれのように満身創痍だが、こちらはかろうじて立っていた。
足がつくのは水底が浅いからではなく、その一騎の居る場が浅瀬だったから。だがそれでも、立っているのがやっとのよう。
既に戦闘不能になっているのが、シャチの鎧獣騎士。
アクティウム王国最強の水中騎士〝ラーン〟。
ボロボロで限界間近なのが、カディス王国の守護神である、カバの鎧獣騎士。
タウレトだった。
おそらくこの大陸において、水中戦における頂点の騎士がこの二騎だろう。
それが戦闘開始から僅か一〇分かそこらで、力尽きようとしていた。
彼らの戦場は、メルヴィグ王都レーヴェンラントの中央を流れる大河川、ケーニヒス川。
川が蛇行しているため、王都で言えば東部方面に当たる場所。
つまり水中戦最強であるはずの騎士が、他ならぬ水中戦で敗北したという事。
屈服させたのは、一六〇フィート(約五〇メートル)はある巨大すぎる異形の魔神。
破滅の竜が一体。
滄竜類、モササウルスの装竜騎神。
水晶竜王・ファラクであった。
ラーンとタウレトの二騎は、時間稼ぎをするため、命を賭してモササウルスの海竜騎士を相手取っていたのだ。
時間稼ぎとは、ここにいない古獣覇王牙団のニーナが戻って来るまでの間、ファラクを足止めしておくという事。
水晶竜王・ファラクが引き連れた、水陸両戦闘用の角獅虎。その大軍がケーニヒス川の南北あらゆる場所から上陸を行おうとした為、ニーナはそちらの殲滅を優先したのだ。
タウレトやラーンでも角獅虎は倒せるが、さすがに川の全域から侵入しようとする大軍を全て倒し切るのは、彼らでさえも無理だろう。実力がではなく、単純な数の問題だった。
そのため、圧倒的多数を相手に出来るニーナと彼女の〝セルヴィヌス〟が先にそちらの対処へ向かい、その間の足止め役を二騎と、彼らの後から駆けつけた仲間の海洋騎士たちが買って出たのだったが――。
人竜が、抑揚の欠けた声で告げる。
「〝虚無〟」
脇の下にヒレを付けた巨大な腕を振るい、海竜が力任せに波を起こした。
ファラクの脇腹や鎖骨辺りにある金属的な箇所から、機械的な音と青い光が発生していた。
――また、あの〝波〟だ。
タウレトが身構える。
体力は尽きかけていたが、出し惜しみなどしている状態ではない。全力を出さねばこちらの命など、波間に消えるあぶくより儚く散るだろう。
「〝赤い河〟」
タウレトの全身から、ピンクに近い赤い液体が大量に流れ出る。それが川へ流れこむと、まるで水を生き物のように操り、タウレトの二倍近い大きさはありそうな波を形作った。
それでもファラクの起こした津波に比べると規模は段違いで、大波の前のさざ波でしかなかった。より大きな波濤に呑み込まれる形で、タウレトは波飛沫に巻き込まれてしまう。
しかし、それだけ。
ラーンも他の応援に来た水中騎士も、この一撃で一瞬にして倒されてしまったが、やはりタウレトだけは、かろうじて命を繋げていた。
「貴様のその赤い汗はナノマシンの集合体か……。それでこちらの水圧制御を防いでいるのだな。実にいい能力を持っている。応援に寄越されたのも頷けるというもの。しかし――」
相手が悪すぎた。
そんな事は、言われずとも分かっている。
けれども戦いを買って出たのは自分達だ。ここで引き退がるわけにはいかないし、引き退がるつもりもなかった。
「お前達がどれだけ無駄な事をしているか、この際だから教えてやろう」
モササウルスの巨人を駆るヘルヴィティス・エポス――ツギハギだらけの全身をしたエヌ・ネスキオーと名乗る十三使徒――が、おもむろに告げる。
「破滅の竜――装竜騎神とは、世界を変える力を持った、神に等しき存在だ。ある竜は無限に魔獣を産み落とす事でこの世を神の尖兵で埋め尽くし、また別の竜は生きとし生けるもの全てを眠らせる事が出来、他にも大地そのものの形を変える竜も存在する。そしてこの水晶竜王は――」
海竜の魔神が、手に持つ銛を水の中から掬い上げるように掲げた。
その鋭い穂先に、まるで飴のような粘度と化した水が、大量にまとわりつき持ち上げられている。
どういう手品なのか。
カバの鎧獣騎士・タウレトの〝赤い河〟も似た力ではあるが、さすがにここまでではない。いや、根本的に何かが違うと感じた。
タウレトを駆るカディス王国近衛騎士団長のペドロも、己の鎧獣の獣能がナノマシンという未来の科学を原理にしたものだとは知らないが、何となく察するものはある。その異能、〝赤い河〟は水中に散布したナノマシンから特殊な液体を出し、それで水を操るというもの。
「万物を縛りつける絶対の力――重力を操るのが、その力だ」
重力――という聞き慣れぬ言葉。
それが何か、分かるはずもない。しかし海竜の魔神ファラクの力が、己のそれとは全く別ものだという事は、ペドロとて分かる。
「知っているかと問うても知らぬだろうから、噛み砕いて言ってやろう。ようは重さを自在に操ると思えばいい。それによって水もこの通り手足のように操れるし、加えて水を操るだけでどんなものでも潰す事が出来る。お前の獣能がどれだけ無敗でも、我が竜異能を防ぐ事は不可能」
重さを操ると聞かされて、未来の科学知識のない人間がピンと来るはずがなかった。
けれども目の前で広がる現実に目を戻せば、ペドロにも浸水する恐怖のように恐ろしさが染み入ってくる。
「重さとは、万物がそこに存在するための要だ。重さがあるからこそ、この世の生き物は大地を歩けるし立っていられる。泳ぐ事、浮く事も重さと無関係ではない。しかし重さを自在に操られてしまう――例えば重さを奪われでもしたら、一歩さえ踏み出せなくなるのだ。分かるか? 重さ――重力を支配するこのファラクを相手に、戦闘をしようなどと考えるだけおこがましいという事が。俺を足止めだと? 神の歩みを止めるなど、実に傲慢な考えだよ、人間」
突如ペドロ=タウレトの下半身に、まさにその重さが加わる。
「!」
見れば、自身の周囲に広がっていたはずの紅い水の結界が、消えてしまっている。
「貴様の獣能――ナノマシンが広がった水そのものを重力操作し水圧を高め、ここ一帯の川の水を深海並みに重くしたのよ。そうすれば容易くナノマシンなど圧壊させられる」
既に身動きが取れない。いや、取れないどころか両足に大蛇が巻きついたかのように、強烈な締め付けを感じる。
厚い表皮と皮下脂肪で固く防御されたカバの鎧獣騎士ですら、悲鳴をあげそうになるほどの圧力。
「カバは川の生物だ。鎧獣騎士であっても主戦場は浅い水場であろうし、水圧の高い深海での戦闘など想定されているはずもない。とはいえ、表皮にコーティングしたナノマシンのせいか、それでもなかなかに潰れにくいものではあるな。ならばだ――」
滄竜類・ファラクが、銛の持たない片手を掲げた。
手の平を広げ、宙で何かを招くような手つきをする。
「〝欲望〟」
ペドロ=タウレトの全身に、別の重い何かがのしかかった。
重力操作の一種か?
いや、そうではない。
この重さ――重さというより、むしろ体から何かが奪われたような感覚に近い。
己と己の纏うタウレトにあった命を形づくる何かが、急速に失われていく。消えていく。
命が奪われる感覚――。
立ってなど、いられない。
膝から崩れ落ちるも、全身の重苦しさは増すばかり。視界が狭まり、眩暈がする。
一体何が起こっているのか。
このままでは確実にやられる――。
けれども足にかかった圧力で、まるで鎖に縛られた囚人よろしく、逃げ出す事さえ出来なかった。
最早ここまでか――。
ペドロが己の最期を意識した時だった。
一筋の光が、カバの視界を掠めた。
それは死の間際に見た、空を翔ぶ天使の軌跡だったろうか。既に意識が混濁しかけているだけに、臨死の幻影のようにさえ、彼には思えた。
しかしそうではなかった。
光は素早く、そしてはっきりとした意図を持ってタウレトの全身周囲を繰り返し走り抜けたかと思うと――。
まるで光で出来た繭のようになって人河馬騎士の全身を包み込み、一瞬で巨体を川から引き上げたのだった。
投げ捨てられる恰好で、乱暴に岸辺に放り出されるペドロ=タウレト。
陸に上がった時点で、光の繭もそれを構成していた糸も消えている。
水辺の戦いで無敵無敗を誇る水の都の守護神が、意識を失いかけ、力なく倒れていた。
だが騎士も鎧獣も、共に無事であるのは確かだった。
瞬きもせぬほどの合間に起きた突然のこの出来事に、ヘルヴィティス=ファラクは人竜の目を細める。光の筋を目で追い、その先に視軸を動かした。
ケーニヒス川に懸かる橋の一本。その中央に立つ、人獣の影を睨む。
「お待た~。遅くなっちゃってゴメンねぇ~」
戦闘中とは思えぬ間の抜けた声。
柔らかいというより、甘ったるすぎてあまりにこの場と不釣り合いな女性のもの。
それは、光の糸――単分子ワイヤーを操る神の騎士団の一騎。
巨大糸巻き棒を剣のように振るう、牙虎豹の〝セルヴィヌス〟。
古獣覇王牙団の一人、ニーナの駆る鎧獣騎士だ。
サーベルタイガーの一種である牙虎豹。
別名〝斬砕豹〟とも呼ばれる古代大型猫科猛獣の人獣を目にし、ヘルヴィティスが懐疑の眼差しを向けた。
「貴様……川馬角獅虎はどうした? 我が大軍は」
「ニーナがここに来たって事はぁ、言わなくても分かるでしょお? 綺麗さっぱり♡ ぜぇ~んぶ片付けちゃったに決まってるじゃ~ん」
馬鹿な、と口に出しそうになるヘルヴィティス。
いくらこのアルタートゥムのサーベルタイガーが強力でも、王都を貫く大河川全域から上陸しようとする水陸両用の角獅虎全騎を、こんな短時間で殲滅するなど信じられなかった。
装竜騎神の装備する破壊光線・極帝破光でもなければおよそ不可能。もしくは、例えば遥か未来にはなるが、広範囲を殲滅する空爆でも仕掛けたなら短時間でも可能だろうが、どちらも有り得るはずがない。
だからといって――。
このニーナというアルタートゥムが、ヘクサニア軍の侵攻阻止を放棄したというのも考え難い。
「こんなに短い時間で、殲滅させただと――?」
「そうだよぉ~。ニーナとセルヴィヌスはね~こういうの得意なんだ。なぁにぃ? 信じられないのぉ~? だったら特別に教えてあげる」
「何?」
「セルヴィヌスの〝糸〟はねぇ、最大で一マイル(約一・六キロメートル)は届くの。この川のぉ、街中での全長は大体五マイル(約八キロメートル)くらいでしょ? まぁさすがに川の全部にまでは全然届かないんだけどぉ、セルヴィヌスのワイヤーは結んで延長する事も出来るんだよね~。威力は落ちるけど。それをね、南の国の皇帝陛下くんに手伝ってもらってぇ、一気に蹴散らしたってわけなのぉ。ようは、皇帝くんがワイヤーに触れても斬れないように〝設定〟して、皇帝くんの剣に片側を巻きつけて二マイル毎に一気に斬ったってわけ」
自分の獣能を他の騎士にも操れる(干渉出来る?)ようにして、それで大軍を倒したと?
その皇帝ことアンカラ帝国セリム皇帝の駆る古代キリン原種シヴァテリウムの〝ウルヴァン〟は、他の残党や倒し漏れた敵を狩るため、ケーニヒス川全域を索敵し、奔走していた。
「それにしてもぉ、みんな、ほんとに頑張ってくれたよね~。ニーナとっても感激だよぉ。後でいっぱい、みんなにご褒美してあげなきゃだけど……まずはトカゲ怪獣さんを倒さなきゃだね~」
「無駄口の多い女だ」
ニーナの軽い挑発を、感情の篭っていない声で一蹴するヘルヴィティス。
その口調を反映したように、人竜が無造作な動きで片腕を動かした。
「〝虚無〟」
橋から跳躍したニーナ=セルヴィヌスに、不可視の力がのしかかる。
まるで川が息を吸い込んだように、強引な加重で下方に叩きつけられるセルヴィヌス。
下にあるのは川。水飛沫を上げ、ぶくぶくと沈み込んでいった。
「ファラクの操るのは絶対の力、重力。どれだけ貴様に戦闘力があろうと、重力の前では全てが無駄だ。そのまま川底で己の不明を後悔しながら、溺れ死ぬといいだろう」
ヘルヴィティス=ファラクの勝利宣言。
朧げに意識を回復しつつあったペドロが、強制解除された生身の状態でこれを見て、嫌な予感に総身を震わせる。
そうだ。
タウレトも水を操る異能だったから多少は持ち堪える事が出来たが、他の者はそうもいかない。それはあの神の騎士たるアルタートゥムとて同じだろう。本当の意味で神の騎士と呼ぶべきなのは、万物を絶対的に支配する、竜なのだろうか――。
そんな絶望にも似た焦りに突き動かされ、ペドロはなけなしの力で己の命を救ってくれた女性騎士の名を叫んだ。
「ニーナ様!」
「呼んでも無駄だ。奴は水の底。声など届きはせん」
人竜が無慈悲に告げる。片手は重力操作で翳したまま。
水底のセルヴィヌスを圧し潰そうとしていた。
川面は震え、激しい水紋と波が起こる。サーベルタイガーの沈んだと思われた箇所を中心に、水面が凹状になっていく。
波紋はやがて波飛沫となり、竜の手にかかるほどの勢いと化していった。
いや――。
水飛沫ではない。
飛び散った水に見えたそれは――光の残滓。
閃光が、幾何学模様の線を描いていた。
飛び散ったのは、モササウルスの左腕。
巨大な左腕が細切れにされ、鮮血を噴き出しながら肉片を川に撒き散らす。たちまち川の水が真紅に染まっていった。
「!」
次の瞬間。
今度は人竜が右腕に持っていた巨大な銛が細切れにされていた。
音もなく、気配もなく――。
光だけが断ち斬る軌跡を見せるのみ。気付いた時には、もう遅い。
波紋の消えた川を突き破って、サーベルタイガーが宙高く飛び出てくる。
全身はずぶ濡れだが、傷一つない。あれだけの圧力を受け、全くの無傷というのが信じられなかった。
しかしヘルヴィティス=ファラクも、それで動揺などしない。
己の腕が斬り刻まれても。手にする武器が破壊されても。
飛び上がったセルヴィヌスに狙いを定め、ファラクが巨大な口部から破壊光線・極帝破光を放つ。
けれども。
「〝不敗の牙〟」
ニーナ=セルヴィヌスの号令。
小槍のような糸巻き棒中心に、刹那の間もなく光が収束。単分子ワイヤーが、傘のような形に編まれていたのだ。
光線に晒される光の傘。それは破壊の粒子を四方八方に飛び散らせて被害を齎すも、セルヴィヌスには擦りもしない。
全ての光を防ぎ切った牙虎豹の騎士が、岸辺に着地する。
竜の攻撃を悉く封じたのみならず、あの怪物の片腕を落としたのだ。
まさに神の騎士。神話の存在。
目にしたペドロが、我知らず神への祈りを口にしたのも無理からぬ事。
それは救いを求める祈りではなく、神への感謝の祈り。
ところが川へと視線を向けた時、セルヴィヌスの活躍など消し飛んでしまう光景が、彼の目に飛び込んできた。
「なっ……」
絶句したのもむべなるかな。
モササウルスが味方である川馬角獅虎を咬み千切り、エサのように食べていたからだ。
しかも――。
捕食恐竜そのままに呑み込むと、そのすぐ後に今度は泡立つような音を響かせ、失ったはずの片腕が肉の膨らみと共に生えてくるではないか。
まるで甲殻類が自切部位を復元するような、再生能力。しかも甲殻類のそれとは、復元精度も速度も何もかもが桁違いだった。
「補肉用の回復道具など、いくらでもそこらに浮いている。アルタートゥム、貴様らとの戦いで俺達がそれくらいの想定をしていないとでも思ったか」
ワニのように長い口吻部から滴る血を拭い、海竜の魔神が語りかける。声を向けられた光の糸を使う人獣騎士はと言えば――濡れた己の肢体をぶるりと震わせ、水気を飛ばしている最中だった。
余裕――とでも言うのだろうか。
「ん~、どうでもいいしぃ~別に何でもいっかなぁ~。だってぇ~、ニーナが勝っちゃうんだもん♡」
「自信のつもりか? 虚勢でなくばいいがな」
「自信じゃないよ。んっとぉ、ほら、あれ。ジジツってヤツだしぃ~」
人を馬鹿にしたような態度と口調。
それが作りものでないならただの愚かすぎる女なだけだし、その調子が虚勢なら、そんなものはほどなく剥がれ落ちるだろう――。
その事を確信しているヘルヴィティスが、モササウルスの中で無意識に笑みを浮かべていた。
それは何もかもが無益で無為だと嘯く彼が浮かべた、底なし沼よりおぞましい、暗い愉悦の感情だったかもしれない。
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☆〝水晶竜王〟ファラク
破滅の竜の一体。
水中の恐竜 (正確には恐竜ではないが)とも言うべき滄竜類の海竜、モササウルスの装竜騎神。
全長は一六〇フィート(約五〇メートル)にもなり、つまりは怪獣サイズ。
★ペドロ・バルディ
カディス王国近衛騎士長。クリスティオの付き人であった亡くなったミケーラ・バルディの弟。
☆タウレト
ペドロの駆るカバの鎧獣。
カディス王国の王家鎧獣。
★ニーナ・ディンガー
古獣覇王牙団の一人。
☆セルヴィヌス
ニーナの鎧獣。
サーベルタイガー、斬砕豹ことゼノスミルス。
またの名を〝不敗の牙〟。
本日から来週16日(金)まで、毎日投稿を行います!
ぜひこの機会に評価や感想などいただけると嬉しいです……!!




