最終部 最終章 第四話(1)『角竜戦』
地響きをたて、超巨大人竜、金剛竜王のミカイールが崩れた。
倒れる、ではない。
あまりの巨体ゆえ、しかもそれほどの巨体が両断されたがゆえに、まさに崩れるという表現が相応しい最期だった。
とどめをさしたイーリオ=ディザイロウは、巨狼化を解除し、元の姿と大きさに戻っている。
連合から沸き立つ、大歓声。
あの破滅の竜の一体を――世界を滅ぼす魔神を――
遂に倒したのだから。
歓喜で満ちるのも当然だろう。
ハーラルも同じくであった。
しばし超巨大恐竜の魔神の亡骸に視線を落とし、理不尽な暴虐によって奪われた命に、思いを馳せる。
――母様……。
仇はとった。
とどめをさしたのはイーリオだが、そこに己の剣もあった。
彼の復讐もまた、果たされたのだ。
「陛下……」
己の主君の立ち竦む姿に、部下のアネッテが労わる眼差しで見つめている。
誰しも感慨ひとしおであった。
が、しかし。
戦いが途切れたわけではない。
魔獣が無限に生み出される事はなくなった。ディザイロウの封じられていた力も戻った。
けれども戦いは依然続いているし、角獅虎とて数はあまり変わっていない。量産されなくなったのは何よりも僥倖だが、元より敵の数は圧倒的なのだ。
しかも通常の戦であれば、大将の一騎が倒されれば少なからず敵軍に動揺が走り、士気も低下するものだが、心なき軍団にはまるでそんな色がなかった。怯みもなければ臆する事もない。
破滅の竜の一体が失われた――
で、それがどうした?
そんな風にしか、見えなかった。
魔獣は、ただ命じられるままに押し寄せるのみ。
非常に厄介であるのは言うまでもない。
局所的とはいえ大きな戦果をあげたにも関わらず、むしろ連合軍の方こそ強い疲労を感じているほど。
が、この状況にいち早く気付いたイーリオが、既に千疋狼によるディザイロウの力の加護を再発動させている。
これにより戦線は劣勢から一転、再び一進一退の膠着状態に戻っていった。
それどころか連合軍全体の士気も否応なしに増す事となり、むしろ数の圧倒的すぎる不利を覆すような勢いさえ、あちこちで見受けられていく。
まさに今こそ正念場であろうか。
この勢いを活かすのは、軍を指揮する者にとって当然の事。
総指揮を振るうブランドは、金剛竜王・ミカイールとの戦いへ投入した全員に細かな命令を出す。
新たに援軍として合流したレオノール王をはじめとした部隊には、その場で角獅虎の軍勢を食い止めるように指示を飛ばし、その他の者には当初の持ち場や別の役割に着くよう矢継ぎ早に命じていく。
イーリオはと言えば、加護の狼の力が完全に元に戻り、全軍に行き渡るのを感知した後で、アルタートゥムのオリヴィアの元へ向かおうとした。
目的は二体目の竜――黄金竜王・ジブリールだった。
今はオリヴィア単騎で相手取っているが、そこにイーリオが加われば相当有利になるはず。上手くいけばオリヴィア=イオルムガンドの余力を大幅に温存したまま、最後にあらわれるに違いない〝竜の神〟との対峙、即ち最終的な局面を迎えられるかもしれなかった。
が、その直前――。
人狼の聴覚に届く、声。
「礼を言おう。愚かな神の、愚かな遣いよ」
その声量は、大きくもなく、かといって小さくもなかった。
しかし誰の耳にもはっきりと聞こえる確かさで、何処からともなく響いてきた。
駆けようとしていた足を止め、思わず周囲を索敵するディザイロウ。
けれども――何も分からない。
感知には、何も引っ掛かっていなかった。
「偶然とはいえ、私の欲していた〝器官〟を丁寧に摘出してくれるとはな。手間が省けて助かる」
味方の通信でない事は明らか。
いくら竜の一体を倒した直後とはいえ、不意の接敵を許したり感知を怠るようになるほどイーリオは浮き足だってもいなかったし、ましてや油断などするはずもなかった。それでも先ほどまでの高揚など全て無意味に掻き消してしまうような、そんな得体の知れない畏ろしい〝何か〟が、その響きには含まれていた。
――何だ? この声は一体……?
けれども誰が何処からどうやって――位置は元より、何の、誰の声であるかも不明だった。
神から授けられた五感を持つ霊狼であっても、補足も判別も不能。
「ミカイール……あの中身のない装竜は、空であるからこそ竜異能発動状態で〝器官〟を摘出する必要があった。正確には、器官の残骸でいいのだがな。それを丁寧に、しかもその部分を狙って取り出してくれるとは。さすがはどのエポスも不確定性さを読めなかった、最高の不適合者なだけはある。ヘルが期待していた通り、私の役立ってくれて嬉しいぞ」
何を言っているのか、意味が分からなかった。
唯一気付いたのは、この声と同時に、不気味な音が重なっているように聞こえた事だけ。
音源は、とても遠い。
肉を裂くような、またはすり潰すような、不快で気味の悪い音。
けれどもそれはどこか、生命の本質が出す音のようにも聞こえた。
やがて気付く。
その音が、イーリオ=ディザイロウによってミカイールの肉体の一部を吹き飛ばした先――遥か数マイルも離れた遠くから届いている事に。
「分かっていない――と見える。お前達の気分に水を差すつもりはないが、教えてやろう。お前達が倒したミカイールの中に、エポスは入っていない」
ミカイール――あの巨大人竜、竜脚類の装竜騎神。
その中に、エポスがいなかった――だと?
「あれの中にあったのはヘレ・エポスの因子を混ぜた、急拵えの灰化人だ。それをヘレの代用品として纏わせたに過ぎん。機械的にしか反応せぬ、駆り手としての意思もないただの人形だよ。だからエネルギー消費も無視して、装竜騎神になった姿で位相差空間跳躍をさせる必要があった」
人竜になった状態で突如出現した事を、アルタートゥム団長のオリヴィアは不審がっていた。その狙いが何なのかも分からず。
しかし今聞かされている事がその意図なのだとしたら。
「目的は二つだ。一つは 先ほども言った、竜異能発動状態での器官の摘出のため。もう一つは、時間稼ぎだ」
得体の知れぬ感覚が、イーリオの全身を固く強張らせた。
この声の主が誰か。言うまでもなく、イーリオにも想像がつきはじめていた。
この機を狙ったかのような――実際狙ったのだろう――声の発信。
挑発的な物言い。
どう考えても、まだあらわれていない六体目の竜、その主でしかない。
即ち、黒騎士ヘル・エポス。
六人いるエポスの中心人物。そして第一のエポス。
けれどもだ。
今響いているこの声色は、どれだけ記憶を思い起こしてもイーリオの知る黒騎士のものではなかった。
老若男女不明な、しかしどことなく男性的な響きを持つのが黒騎士ヘルの声だが、これはそれよりももっと女性的――いや、中性的と言うべきか――そんな声だった。どこか蠱惑的で瑞々しさすら感じせる、にも関わらず氷よりも冷たく、石くれよりも無機的な声。
不気味な声に、気圧されたというのか。
すぐにオリヴィアの元へ駆け出したいのに、イーリオ=ディザイロウの両足は、磔にあったようにその場から動けないでいる。
いや、第三者が見れば驚愕したかもしれない。
人狼騎士の足が、細かく震えていた事に。
「ミカイールはその役目を充分に果たした。さて、待たせたな。本当の――〝破滅の竜〟の降臨だ」
動き出したいのに動き出せない。
震える膝の意味が、我知らず流れる背中の汗の意味が何であるかを、当の本人も分かっていなかった。
恐怖という感情によるものだとは――。
※※※
王都の上空が黒い天幕のようなもので覆われた後、しばらくは連合軍の勢いが大幅に削がれていたのを感じた。だがそれほど長い時間を要さずに天幕は消え、それと共に連合側の勢いも盛り返していったのをはっきりと実感する。
続けて竜の一体を倒したという報せも全軍に齎され、ドグも前後に起きた出来事を知る事になった。
天幕の正体や、それによるディザイロウの加護の喪失などについて理解出来たというのは勿論だが、それ以上に竜を倒したという事実、それによって全体の士気が倍増した事の方が驚きだし納得でもあった。
ドグは一人、それを思ってほくそ笑む。
――さすがだよ、イーリオ。
その彼が、己の愛獣〝ジルニードル〟を駆って相手取っているのは、トリケラトプスの人竜騎神。
紅玉竜王・アズラエルである。
九〇フィート(約二七メートル半)はある、城のように巨大な人竜の怪物。
それに対するドグ=ジルニードルは、たった一五フィート(約四・五メートル)しかない大きさの大剣牙虎。
彼我の大きさを見ても、まさしくそれは対巨人戦争そのもの。
あまりの常識外れの攻防に、見る者はただ唖然となるばかり。
巨大角竜も牙虎騎士も、両者の戦闘振りが共に神々のそれにしか見えなかった。
今もトリケラトプスの口から破壊光線・極帝破光が出されていたが、それをサーベルタイガーの獣能が易々と防いでいる。
「〝最強の牙〟」
大剣牙虎の爪を触媒に、膨大なエネルギーを放出。
爪は形を大きく変え、自身よりも遥かに巨大なサーベルタイガーの頭骨を現出させるというもの。
これが超巨大な顎を開くと、竜の破壊光線を呑み込み、一瞬で消滅させたのだ。
それどころかサーベルタイガーのドクロは光線を防いだだけで消える事なく、目に見えぬ力が働いているかのような動きで宙を滑って前進したかと思えば、アズラエルに牙を突き立てようとする。
トリケラトプスは小脇にたばさんだ巨大な槍を突き出し、これを受け止めた。が、力は拮抗しているようだった。両者共にその場で硬直状態になってしまう。
それを見計らったように――
巨大ドクロを――己の獣能そのもの――を隠れ蓑にし、人牙虎騎士が躍り出た。
ドグ=ジルニードルが、手にした大剣で斬りつけんとする。
ならば――とばかりに、トリケラトプスが最大の特長でもある三本のツノと頭部の傘を突き出し、後の先を取る形でジルニードルへ反攻撃を仕掛けた。
コンマ一秒にも満たない、瞬間的すぎる攻撃変化。
だがドグ=ジルニードルは体を捻り、かろうじてこれを躱す。
しかし槍からツノへの突進の切り替えを活かしたアズラエルは、異能で作られた巨大なサーベルタイガーのドクロを粉々に砕いてしまう。
着地し、溜め息を吐く牙虎のドグ。
むしろそれを挑発と受け取ったのか、紅き角竜アズラエルが「その程度で息切れか?」と安い態度で嘲笑った。
「思った以上に手こずりそうだな、と思っただけだよ。そんで思った以上に大した事もねえなって」
「成る程な。アーカイブに残った記録で手に取るように覚えているぞ。かつての大剣牙虎のアルタートゥムとは、かなり様子が異なるようだ。千年間で変化した事は報告を受けていたが――。まあ、大言壮語を口にしたくなるのも分かるぞ。その身に過ぎる力を手にしたのなら、尚の事己が大きくなったと錯覚もするだろう」
「あのさ、てめえじゃねえ別のエポスにも前に言ったけど、俺は千年前だの何だのってのは知らねえっつうの。ンなクソジジイやクソババアの化石みてえな思い出話語られたって、はいそうですか、なんだよ。――そういうのをな、老害って言うんだぜ」
「歴史と老人の繰り言を同列に扱うとは、実に無知な男だ。L.E.C.T.として外側の性能は上がったが、中の人間の品性は随分と劣化したものよな。ならばそんな愚かな貴様にも、学ぶべき歴史があるという事を分からせてやろう。破滅の竜の、真の力をもってして」
アルナール=アズラエルの首が大きく仰け反り、破滅の言葉を告げる。
「〝創造〟」
前に振りかぶる、トリケラトプスの頭部。
同時にツノから、無数の礫が飛散した。
トリケラトプスのツノも、ウシなどと同様に角質成分で覆われている。その角質、つまりケラチン質を粒として撒き散らしたのである。
それらは大地を穿つ弾丸となり、辺りを穴だらけにしていった。
何だ、この程度か――。
そう思いそうになったわけではないが、実際、ドグ=ジルニードルにとっては散弾のような攻撃をされるだけならそれほどの脅威ではない。いや、それでも巨大な人竜の規模なら、都市の一区画を蹴散らすほどの威力はあるのだが。
勿論、それだけで終わるはずがなかった。
瞬時に起きた変化に、ドグも思わず目を見張る。
目の前に――あちこちに――土気色の巨壁――
攻撃を躱したと思った直後、礫が撒かれた各所から、一瞬で何かが迫り上がってきたのだ。
それは幾何学模様を皹入らせた、巨大な柱や壁。それどころか建物のような形状さえ見える。それも記憶を早回しにしたかのような刹那の速度で。
敵味方問わずその場の全員の足場が奪われ、一帯は混乱の坩堝と化していく。
しかし突然起きた天変地異の如き地形変化にも対応し、サーベルタイガーは跳躍して悉くを躱していった。
と――
幾何学模様の入った壁を突き破り、巨大トリケラトプスが眼前に迫っていた。
「〝最強の牙〟!」
咄嗟に放った、巨大なサーベルタイガーの頭骨と牙。
しかしエネルギーの集合体が出現しきるよりも、人竜のツノの方が一手早かった。ドクロが出きった直後、竜の槍がそれを払い除け、勢い待たずにそのまま突撃を被せる。
それでもドグに焦りはない。
次々に生えてくる壁や柱から足場を見出し、横っ飛びに回避を試みた。
しかし。
飛ぼうとした瞬間、ジルニードルの足に、いくつものワイヤー状のものが絡みついているではないか。
しかもそれは、壁から生えている。
――!
ツノは目の前。被撃は避けられない。
大剣を身構える大剣牙虎。
「旭閃刃――禁断の閃光」
そこへ――光。
人竜の下方から、顎を狙って純白の閃光が飛来する。
光は矢となりトリケラトプスを下から突き上げ、凄まじい爆破を引き起こした。
あまりの威力に、巨大人竜ですら上体を崩すほど。
爆風によろめき、突進はあらぬ方向に向かう。
その隙に、ドグは足に絡みついた太い蔦状のものを切断し、跳躍した。
地に降り立った後、閃光を放った本人に微笑み混じりの声をかける。
「まさかアンタに助けられるとはね」
「何をほざいてる。助けた? 俺は俺の手であの竜を倒すだけだ。あれの中にいるエポスには借りがあるからな。それに言っておくぞ、俺はお前が神の騎士団かどうかなどどうでもいい。俺は俺のために、あの神気取りの怪物どもを刈り取るだけだ」
「あんたも相変わらずだなぁ。そうやって見下してるとこ、何にも変わってねえぜ、クリスティオ様」
皮肉というより嫌味混じりの尊称に、苦笑で返すアクティウム国王クリスティオ・フェルディナンド。
琥珀色の体毛をなびかせ、同じく飴色のような琥珀色の鎧に身を包んだ小柄な人狐――いや、人狼の騎士は、〝ヴァナルガンド・アンブラ〟。
この世で最も美しく最も速い小型鎧獣騎士とも呼ばれる一騎。
掲げる大型の弩弓を構え直した。
「しかし非常識な力だ。美しい平原がこんなに醜く変えられるとは……」
「あの竜の竜異能ってヤツだ。確か、体組織を媒介にしてこんな風に無機物を創り出すって聞いてたけど――。てか、聞いていた以上の規模だな」
事前に他のアルタートゥムより聞いていたよりも、遥かに強大な規模だとドグは感じた。しかも厄介なのは、さっき足を取られたように、異能で創り出した建造物はアルナール=アザゼルの意思でかなり自在に操れるようだという事。
どういう仕組み、どういう原理かは分からない。
だが、理解するよりもどうにかしてしまう方が先だと、ドグは考える。そう、彼はそういう人間だった。
壁を崩し、魔獣を引き連れたトリケラトプスの人竜が、再度姿をはっきりと見せた。
それは、地獄よりも恐ろしげな光景だと思えた。
この人竜は、戦場を意のままに創り変えるのだ。まさに神の力に等しいとさえ感じてしまう。
しかしそれでも、最古の虎と最速の狐に、気圧される気配はない。
ドグは不敵、クリスティオは見下した佇まいを、まるで変えはしなかった。
クリスティオ=ヴァナルガンドが、手に掲げていた大型の弩弓をひねり、一瞬にして双剣へと変形させて構えを取る。
「俺は俺の手でと言ったが、今ので味方がかなり吹っ飛ばされた。譲ってやるというわけではないが、あの不細工な角獅虎どもは俺が刈り取ってやる。お前は竜に集中しろ」
意外な連携の申し出に、ドグはほんの少しばかり驚きの目で見つめる。
「へえ、そういうとこも変わってないんだな」
「これだから平民は……いちいち無駄口を叩くな」
〝最強の牙〟と〝琥珀狐王〟。
九年前は連携を取る事も出来なかった二騎が、時を経て巨凶の前に立ち並ぶ。
亡くなったクリスティオの片腕にして姉のような存在――ミケーラがもしこれを見ていたら何と言ったであろうか。
そんな事をチラリと思い、クリスティオは甘く鈍い痛みを伴う、苦く悲しげな笑みを浮かべた。




