最終部 最終章 第三話(3)『豪牛王』
〝生命〟
それが巨大竜脚類・ドレッドノータスの人竜騎神〝ミカイール〟が出した二つ目の竜異能。
一つ目の〝信仰〟は霊子妨害波を出し、ディザイロウ限定で能力を減衰させるというもの。
そして〝生命〟は、子宮を生体製造工場にする能力。
ミカイールが超巨大であるのも、一箇所に座したまま動かないでいるのも、全てはこの異能を発動させるため。
さながら女王蜂のように、その場で動かず留まり続け、任意の生体――灰化人を内包した角獅虎――を、次々に生み出し続ける異能である。
しかも生み出された瞬間からこの角獅虎は、そのまま戦闘行為が可能な個体になっているのだ。その〝出産〟量と〝生産〟速度はまさに未来における工場さながら。
分、いや秒刻みで人竜の陰部から巨大な卵が産み落とされ、それらはすぐさま殻を破って牙を剥くのだ。
中に灰化人がいるのは言った通りだが、武装まで着いているおぞましさである。
ただでさえ連合は押されているのに、敵の数は減るどころか増す一方となれば、いずれ呑み込まれてしまうのは時間の問題。
これと最前線でぶつかっているイーリオ=ディザイロウとハーラル=ティンガルボーグも奮戦していたが、一進一退と言わざるを得なかった。
二騎がやられる可能性は微塵もないものの、ディザイロウの力が使えなければ、いかな神の人狼騎士とてただの超強力な騎士と変わらない。ただの、と言っても桁外れではあるが。
とはいえ、一刻も早くこの大軍を掻き分け、大元であるミカイールを倒さねば敗北は必至。
イーリオもハーラルも己の持てる限りで死体の山を築くも、数はまるで減る気配がなかった。
「〝戦神姿――死霊〟!」
ティンガルボーグの獣能。
エネルギーを物質化させて生み出した巨大鎌。
死神の刃が空を裂き、魔獣を二桁単位で薙ぎ払う。
これによってほんの少しだけ押し寄せる群れに空白が生まれるも、数の猛威を止め切る事など出来はしない。
「ハーラル、あまり無茶はしないで」
イーリオの助言は正しいのだが、だからといってどうすればいいのか。
肝心のディザイロウが獣能を含むあらゆる特殊能力までも封じられている以上、とにかくハーラルの異能で数をどうにかするしかないのだ。
しかもそれ以上に厄介な事が、もう一つあった。いや、そちらの方が遥かに深刻な問題だと言えるだろう。
ディザイロウでは、人竜に近付けないのだ。
ディザイロウの能力は、既に何度も目にしたように桁外れなものである。
それは獣能だけではなく、運動性能をはじめとした基本戦闘力も同様だった。そうでなければ三獣王を超えた存在――〝霊獣王〟の称号を授けられる存在として、認められるはずがなかった。
つまりディザイロウの戦闘力ならば、単騎で角獅虎の大軍を突破する事とて可能だろうし、何なら獣能などなくとも、ミカイールと渡り合えるかもしれない。それどころか持てる技を駆使すれば、倒す事さえ不可能ではないかもしれないと思わされるほどなのだ。
当然ながら、そんな事はとっくに実行していた。
ところが、である――。
ミカイールとの距離が縮まれば縮まるほど、特殊能力どころか筋力や速力、防御耐性、俊敏性などあらゆる運動性能までも低下していったのである。
まさかそんな――とは思ったが、あまりの戦力低下にこれはいけないとすかさず判断し、今の場所まで二騎は後退したのだ。
おそらくあのまま突っ込んでいれば、ディザイロウは通常の鎧獣並みにまで戦力が低下していたかもしれなかった。そうなれば、最早ミカイールと戦うどころではない。
離れた状態だと特殊能力のみの減衰だが、肉薄すればあらゆる機能まで弱体化させられてしまうのだ。
まさにディザイロウ特化の、とんでもない竜異能。
つまるところ、どうあってもディザイロウ抜きであの巨大人竜を倒さなければならないという事である。
だが――人竜に刃を届かせるには、遥か遠い。遠すぎた。
アネッテをはじめとしたゴート帝国の別部隊や、銀月獣士団の面々もイーリオとハーラルのもとに追いついていたが、それだけの数では焼け石に水の状態と言わざるを得ない。何せ彼らとて、ディザイロウの加護が消えてしまっているのだ。
身体向上、超常強化、それらが失われている以上、味方の数が少し増えたところで、次から次に無限に湧いてくる敵を倒すなど出来るはずもない。
そんな事は、ディザイロウやアルタートゥムのサーベルタイガー、または獣王十騎士の中でもきわめて強力な騎士が複数揃わぬ限り、叶わぬ芸当であった。
そこへ――
追い討ちをかけるように、光の柱が注がれる。
蛇のように長い首をもたげて放つ、ミカイールの破壊光線・極帝破光。
己で生み出した角獅虎すらも巻き込み、地上の連合軍を薙ぎ払おうと光線が大地を灼いた。
イーリオも仲間達も、躱すだけしか出来ない。気付けば前進した分だけ、後退させられている。
まさに手詰まり。
こうなると、最早攻略の糸口すら見当たらなかった。
このままでは不味い――。
そう考えたハーラルが、思わず術士による通信を使って、軍師のブランドに何か手はないのかと訴える。
――分かっています。ですから、もう〝手〟は打ってあります。
何だと? と思わず聞き返すハーラル。
けれども具体的な説明を問い質すよりも先に、怪光線と魔獣の猛攻を受け、通話が途切れてしまう。
話が途切れた向こう側では、ブランドが祈るような思いで戦場を睨んでいた。
――頼みましたよ。〝百獣王〟に最も近い騎士。それに……!
けれどもイーリオやハーラルのいる前線では、そんな風に祈る余裕すらなかった。助けにきた仲間達が、むしろ敵の津波に呑み込まれ、それを助け出すのに精一杯である。
――くそっ、せめてウルフガンドの〝光の剣〟だけでも使えれば。
ディザイロウ持つ対の刃を持つ双剣ウルフガンドは、重粒子で刃を構成した光の剣――つまりレーザーの剣を片方にしている。けれどもその光の剣すらもミカイールの異能で封じられているのだ。
結果、物質剣のみで敵を倒すしかなく、多対一を得意とするはずのディザイロウが、その真価をまるで発揮出来ないでいた。
頼りになるはずの古獣覇王牙団も、それぞれに破滅の竜を相手にしている。
つまり自分達だけでこの最大の苦境をどうにかせねばならないのだ。
けれども生み出される角獅虎の数は減る気配すら見えない。この場で堰き止められているのも、あと僅か。既に時間の問題かもしれなかった。
全員に、濃い疲弊の色が滲み出しはじめる。
そこへ。
彼らの聴覚に、聞き慣れぬ男の声が、大気を震わせて響いてきた。
「〝怪力乱神〟」
次の瞬間――
足裏に感じる震動が本物だと確かめる間もなく、戦場を巨大な亀裂が走ったかと思えば、一瞬にして大地そのものが断裂を起こしたのである。
「!!」
凄まじい勢い。
威力、そして破壊力。
まるで世界そのものが邪悪な竜を許さぬとばかりに、大地が丸ごと――
ひっくり返されていた。
しかも、この天変地異紛いによる味方の被害は皆無。
一方で大量の角獅虎たちが吹き飛ばされ、その大半が大地に吸い込まれるように亀裂に落ちて絶命していた。
地震でもなければ噴火でもない。
自然で引き起こすあらゆる地殻変動とは異なる、人為的な大災害。
すわ、破滅の竜の仕業か? と誰もが思ったのも無理からぬ事。
理解出来ぬ突然の状況に、しばしイーリオ達全員が声をなくす。
いつの間にいたのか――。
ディザイロウの感知能力が減衰していたのもあるだろうが、そこにいるのが当然という佇まいで、気付けばその巨体は立っていた。
鮮やかな深い翠の色。
この世に有り得べからざる体色を持つ、巨大な人牛。
全身から途切れ途切れに放電をしているのは、先ほどの〝大地返し〟の余波であろうか。
巌の如く固く隆々と怒張した筋肉は、まさに地上に降りた力の神そのもの。
「ヤン……王子……!」
トクサンドリア王国王太子ヤン・ヴァン・リンヴルフと、彼の駆る古代絶滅種ペロロヴィス・アンティカスの〝エアレ〟が、そこにいた。
〝百獣王〟ヴィングトールと同じ強化を施された、地上最強の〝膂力〟を持つ鎧獣騎士。
それが単騎で、際限なく生み出される敵軍を一瞬で葬り去ったのである。
いくら何でも桁違いすぎだ――。
イーリオですら――神の力を得たディザイロウを纏う彼ですら――目を丸くするほど。
それとは別にハーラルも気付いた。
先ほどの通信で軍師のブランドが言った〝手は打った〟とは、ヤンの事であったか、と。同時に、状況が切迫している事にも。
これほどの巨大な力を持つヤン=エアレなのだ。ここに至るまでもヘクサニア軍のかなりの数を引き受けていたのは言うまでもなく、その彼が金剛竜王・ミカイールの前に投入されたという事は、ヤンの持ち場がごっそりと戦力低下するのは容易に想像が出来る。
おそらくブランドの事だから何らかの手は講じてあるだろうが、それでも戦場全体で見れば、決して状況が芳しくないのは間違いないはずだった。
「ん」
「え?」
「む」
「そうなんですか?」
おもむろに、ヤンがイーリオに向かって何かを告げる。しかしいつもの口下手さで周りにはただ唸っているようにしか聞こえない。
「何だ? ヤンは何を言っている?」
思わずハーラルが尋ねる。
「いや、その――ヤン殿下は、元からディザイロウの加護を受けていないって……」
イーリオは振り返って、ヤンのずっと後ろの方を指差した。
そこに、ぽつねんと立っている半透明の擬似生体狼。
ヤンが「待て」をしておあずけを食い続けた挙句、ディザイロウの力が封じられた事で、体格も小さくなった擬似霊狼。
今や霊狼どころか子狼になっていた。
「きゅうん」と鼻を鳴らす姿に、思わずほっこりしてしまう一同。
しかしすぐさま全員が真顔になる。
「ま、待て。ディザイロウの加護を受けずに、今のをやったと? ――いや、そうなんだろうが、それでもほんの僅かな力も持たず、あの角獅虎どもを全滅させたというのか?」
「そう……みたいだね」
唖然とするハーラル。
ヤン=エアレが非常に強力なのはハーラルも知っていたし、あのカイゼルン・ベルが「力だけならオレ様のヴィングでもかなわねえ」と言った事も聞き及んでいる。しかしこれほどまでとは。
味方の空気が、一瞬で変わった。
絶望が足元から徐々に侵食しつつあった状況から一変、ヤンの加勢で文字通り希望の火が灯ったのである。
が――それもほんの束の間。
ヤンが人牛の首を動かし、彼らの視線を前線に向き直させると、既に先ほどのような黒々とした大群がこちらへ押し寄せようとしているではないか。
「巫山戯るな! もうこんなにだと――?!」
ハーラルが驚愕で毒づくのも仕方がない。
ヤンが地上最強の〝膂力〟で大半を薙ぎ倒したというのに、あっという間に敵は数を戻しつつあったのだから。
いくらヤン=エアレが強力でも、神の騎士団がいようとも、為す術などあるのか――。
だが誰一人、それを口にはしない。
纏わりついてくる絶望を必死で払い除け、彼らは歯を食いしばりながら敵軍に構えを取る。いや、取るしかなかった。
分かっている――。
心が折れた時、体も一緒に砕ける事を。
そんな〝甘え〟を――死という楽な〝選択〟を――自分達が許されていいはずがないのだ。
迫り来る敵の大軍。
無傷なままの、動かぬ、いや動く必要などないかのように睥睨する巨大人竜。
「せめて……」
誰かが呟いた。
「ヤン殿下があと一人だけでもいれば……」
そんな事は有り得ないし、それを口走る事自体が折れそうな心を代弁しているようだった。
けれども、誰もそれを咎めはしない。
「ハーラル――僕が突っ込める所まで突っ込んでみる」
こうなったらと、決意の言葉をイーリオが口にする。
「止せ。もしお前を失いでもしたら、この戦いはどうなる」
「でも、戦い全体を考えすぎてここで敗れたら一緒じゃないか。こうなったらもう、やるしかないだろう。僕の後に、君とヤン殿下で続いて。可能な限りあのデカブツに近付いて、何とか攻撃を仕掛けよう」
仮に一撃をハーラルなりが当てれたとして、それで倒れる人竜なのか。
ヤン=エアレの全力であれば或いはとなるかもしれないが、それでも確証もないし、無謀にすぎる提案にしか聞こえなかった。
だがそれ以外に、方途はない――。
「む」
ヤンが唸る。
分かったと言ったのだろう。
イーリオが、人狼の顔で大きく頷く。
ハーラルは、人虎の顔で大きな溜め息をついた。
覚悟など、とうに出来ている。そんな三騎の決意に、仲間たちも腹を括るように互いを見て頷き交わした。
「何をしておる!」
不意に轟く、大音声。
あまりの声に、思わず全員がびくりとなった。あのヤンでさえも。
「お前が居ながら不甲斐ないぞ、ヤン・ヴァン・リンブルフ!」
大陸随一の豪傑たるヤンを、唯一人揺さぶる声。
そんな声の持ち主とは。
背後を振り向く。
わずかながら勾配がゆるやかにカーブを描き、ほんの少しだけ高台になったそこに、一体いつ立っていたのか。居並ぶ姿に、全員が息を呑んだ。
幾人、幾十人どころではない。
数百人にも及ぶ騎士達。
そして彼らに従う鎧獣。
牛、狼、鹿、キリンまで――。
「あ、貴方は――」
薄暗く天幕の覆う空でありながら、そこだけが輝きに満ちている。
そんな風に見えた。
―――――――――――――――――――
☆〝金剛竜王〟ミカイール
破滅の竜の一体。
史上最大級の恐竜、竜脚類ドレッドノータスの装竜騎神。
ただし本来のドレッドノータスより遥かに巨大。
竜の内、最も重要で最も異形の竜とも呼ばれている。
しかしその行動も何もかもが千年前と異なりかなり不可解であるという。
一体どういう目的があるのか……。




