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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
最終部 最終章「銀月の狼と人獣の王たち」
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最終部 最終章 第三話(1)『暗幕』

 声がした――そんな気がした。


 はっきり耳にしたわけではなく、幻聴か空耳だったと言われればそうかもしれないと思える、そんなあやふやさではあったが、やはり聞こえた様に思う。


 シャルロッタに似た女性の声で、



 ――〝信仰(ファナティック)



 と。

 それが何か、誰の声かを確かめる前に、空に一瞬いかづちに似た光が走る。

 その直後、空の晴れ間が巨大な薄い紗幕の如き暗さで覆われ、遥か頭上を天蓋のような姿に変えていった。


 何をした?


 確かめたくとも、まずは暴走するハーラルを止める事が最優先だと、イーリオはあえてそれを無視する。結果、人竜へ辿り着くより前に、かろうじてイーリオ=ディザイロウが灰色虎マルタタイガーのハーラルに追いついた。

 強引に、その足を止めさせる。


「待つんだ、ハーラル」

「どけっ!!」


 けれども遮られた行く手を無理にでも突っ切ろうと、ハーラル=ティンガルボーグは激しい声を発した。


「分かっているだろう。あの〝竜〟に考えもなしで突っ込むなんて、無茶すぎる! 自殺するようなものじゃないか。落ち着くんだ、ハーラル!」

「うるさい! そこをどけっ!」


 耳を貸さぬどころではない。強硬に押し除けようと、人虎騎士ティンガルボーグは人狼に向けて刃を向けようとする。


「君は――!」


 反論するより先に、手が出ていた。

 イーリオ=ザイロウの拳が、人虎の頬にめり込む。


 その瞬間、イーリオだけは自身の違和感に気付いていた。


 ――何だ?


 だがそれが何なのかを確かめるよりも、ハーラルの方が問題だった。

 よろめきつつも予想だにせぬ打擲で激情に更なる火がくべられ、ティンガルボーグの全身が怒りで膨れ上がって見えるほど。


「きさ……ま……っ!」

「ご、御免……。でも、聞くんだ。君に何があったかは大体想像がつく。怒りも分かる。けれど、それで君が無謀に突っ込んで無駄死になんかしたら、それこそ亡くなった人は悲しむんじゃないのか」

「知ったふうな事を――!」

「君は激情家だ……! ――いや、激情家だった。でもこの四年間で、君は変わった。以前の君は、己自身の事だけで一杯で、それが君の怒りの全てだった。でも今は違う。今は自分の事よりも誰かの事で怒りを見せる人に、君は変わった。何より、自分のせいで誰かが傷付く事を、君は何よりも怒る。そんな君に――。その君がここまで我を忘れるとしたら、それは自分のせいで誰かが――きっと大切な誰かが――傷付いた。いや、場合によったら取り返しのつかない……例えば、自分のせいでその大切な誰かが犠牲にになったから」

「――ッ……!」

「でも、だとするとその人はどうして犠牲になった? それはきっと、君を助けるためじゃないのか? そうじゃないと、君がそこまで我を忘れるなんて考えられない。だったら、その犠牲になった人は、どうして身を挺して君を助けたんだ? 君に生きて欲しいからじゃないのか? その君が、助けてくれた人の想いを無駄にするのか?」


 イーリオの指摘に、ハーラルは返す言葉を失う。

 そうだ。イーリオの言う通りだ。

 分かってる。そんな事は自分が一番分かってる。

 だけど――


「だったら――!」

「君は皇帝だろう!」

「――!」

「皇帝は、一人で戦うものなのか? 違うだろう。沢山の臣下と、多くの人と共に戦うのが皇帝だろう。君の怒りは、きっとこの戦場にいる誰しもが抱えている怒りだ。君だけじゃない。みんな多かれ少なかれ、自分の大切な人が傷付いている。だからここで戦ってるんだ。だったら君は一人じゃなく、君の国、君の部下――いや、僕をはじめとした君の仲間と共に、一緒に戦うべきなんじゃないのか。それこそが皇帝だろう?! それが犠牲になった人の願いじゃないのか」


 怒りと共に我を忘れていた。

 いや、この怒りは己の根源のもの。己の根っこと繋がる怒りだった。


 養母ははの死――。


 これは己で決着をつけるもの。誰でもない、自身の刃でなければならないとそれだけを思い込み、何も見えなくなっていた。


 部下を――


 仲間を――


 アネッテを振り解いて――


 人狼の黄金の瞳が、厳しくも優しい強さで、凝っと見つめていた。


 先の皇帝の目で――。


 兄の目で――。


 途端に、力が緩んでいくのが分かった。戦意を失ったのでも、怒りを忘れたわけでもない。


「いや……だとしてもだ……!」

「ハーラル。怒りに振り回されるな。怒りを力に変えるんだ」

「力に……」


 かつては自分の方が、騎士としてイーリオよりも上だった。

 だが今ははっきりと分かる。皮肉でも冗談でもなく、ましてや形式的なものでは断じてなく、イーリオは、〝兄〟だと。


「……済まぬ」


 ティンガルボーグの全身から、怒気が抑えられていくのを感じた。

 項垂れるハーラルに、イーリオは安堵の息を吐く。


 これだけで分かる。もう大丈夫だという事が。


 同時に、すぐさま現状の把握と、先ほどから感じる違和感の方に意識を向けた。



 ハーラル=ティンガルボーグの頬を殴った際に感じた手応え――。



 勿論、手加減はしていたし、ディザイロウの全力で殴ってなどいない。けれども感触が、妙だった。

 何かが抜け落ちたような――まるでそう――かつての、ザイロウを鎧化ガルアンしていた頃に戻ったような違和感。

 そもそも、いつからその感覚を覚えたのか?

 ハーラルが単騎で突っ走った時? いや、その後か。

 目の前の巨大人竜が、咆哮を上げた時か。

 おそらくその直後に、彼らの頭上を紗幕のような天蓋が覆い、空一面が遮られたのだ。

 今も晴れ間に幕がかかり、薄暗いままである。ただし空が薄暗くなっただけで、別段それ以上の変化はない様に感じる。

 どこかで何かが発生した、そんな兆しもない。そんな風に思っていたのだが――。

 力の喪失はおそらくその後からだ。


 つまりそれは――


 イーリオ=ディザイロウの様子に、ハーラルも気付いたのだろう。いや、彼もむしろ同じようにそれが分かると口にした。


「さっきからのこの感じ……力が消えてしまったというか、この妙な感覚、お前も感じているか、イーリオ」


「うん。あの空の影のようなものが原因だと思うけど……」

「何だ?」


 イーリオがディザイロウの片手を凝っと見つめている。


「力が失われている――というより、力が遮られているような……」


 呟いた後、何かに気付いた勢いで人狼の顔を上げるイーリオ。


「そんな、まさか――」

「何だ?」

「いきなりじゃなく、徐々に聞こえなくなったから気付けなかった。でも、そんな……。不味い、すぐにここを離れるんだ、ハーラル」

「一体どういう事だ。何が聞こえないんだ」

「狼の声だよ」


 言うや否や、イーリオ=ディザロウは既に駆け出している。

 ハーラルも急いで後を追い、駆けながら問い詰めた。


「狼の声?」

「ディザイロウは現在進行形で、全ての連合騎士に千疋狼(タウゼントヴォルフ)を出している。君もそれを受けているだろう。それで鎧獣(ガルー)が強力になったはずだ」


 破滅の竜との開戦と同時に、ディザイロウは獣能(フィーツァー)千疋狼(タウゼントヴォルフ)で数千体の擬似狼を放ち、それを各騎士に憑依させる事で連合全体の強化をはかっていた。

 獣能(フィーツァー)を超長時間維持したままというのも驚異的だし、膨大な数量の強化術を出せる事自体があまりに桁違いかもしれなかったが。


 それはともあれ、この能力は一度発動すると、自動で出続けるのに近い感覚になるのだが、それでも各擬似狼の声は、通信のようにイーリオとディザイロウにうっすらと届いていた。通信というより、遥か未来世界におけるセンサーのような、いわば感知している――という感覚に近いものだが、それが今は途切れていると、イーリオは焦りを滲ませる。

 具体的に言えば力の放出、即ち強化術そのものがかなり衰弱しているというのだ。


「余のティオンガルボーグから力が失せたのも、お前の千疋狼(タウゼントヴォルフ)が弱められたからか。――つまりそれは」

「ああ。連合全体が非常に危険だ。おそらくこの暗い幕のせいだろうから、まずはここから脱け出ないと」


 しかしここで、イーリオは違和感に気付く。

 空を覆う天幕。

 それの終わりが、いくら進んでも見えてこないという事に。


「これって――」


 思わず停止する、ディザイロウとティンガルボーグ。


 王都西部域の一部のみを覆っていた天幕は、既に戦場のみならず王都全域を含むこの周辺一帯全てを覆う、闇のオーロラのようにどこまでも広がっているではないか。



 ――〝信仰(ファナティック)〟。



 先ほど聞こえた声。

 これが、あの巨大人竜〝金剛竜王(アゲマント)〟・ミカイールの異能だというのか――。


 少なからぬ動揺を隠しきれぬまま、巨大竜脚類ドレッドノータスへと向き直ったイーリオの目に、今度は数えきれぬほどの角獅虎(サルクス)の大軍が押し寄せて来るのが見えた。

 先ほどまでは影も形もなかったのに、一体何処から、どうやって?


 だが今はそれを考えている時ではない。

 まずは敵を迎え撃ちながら、早く千疋狼(タウゼントヴォルフ)を元に戻さないと。


 焦りを押し殺しながら、黄金と白銀の人狼王は、光を失った剣を構えた。



※※※



 今すぐにでもイーリオらの元に向かいたい古獣覇王牙団アルタートゥム・ジーク・ファング団長のオリヴィアだったが、巨大な戦斧の猛攻によって行手を阻まれてしまう。


 戦斧を振るうのは巨大ティラノサウルスの人竜騎神。


 〝黄金竜王(アウラール)〟ジブリールである。


 駆るのは灰導天使衆(ヘクサ・アンゲロス)・第三総長アンフェール・エポス。

 それより前の名は、青白い肌をした禿頭の巨漢、ロード・イゴーであり、更にそれよりもっと以前、ロードの姿となる前は旧・灰堂騎士団(ヘクサニア)総長のゴーダン・オラルと呼ばれていた。


 このアンフェールの司るものが、〝破壊と闘争〟。


 黄金人竜ジブリールも、駆り手であるアンフェールの二つ名の通り戦闘に特化した能力を有しており、通常戦闘でも巨体と思えぬ凄まじい動きを見せている。しかも力の全てはまだ出し切っていない。


 だがオリヴィアにとっては、相手が手強いというより、この状況そのものが厄介だと言えた。


 如何な破滅の竜の一体でも、全力を出せば倒す事は可能だろう。それは慢心や自信ではなく、確信。

 しかしそれをすれば己の限界が早まるだろうし、それこそが敵の思惑である可能性が高かった。

 何より、まだ六体目の〝竜〟が出ていない。

 言うまでもなく、出現していないという事実こそが相手の計略である証左であり、となれば無闇に全力を出せば敵の術中にほいほいと嵌まるようなもの。


 ――せめて敵の狙いがもう少し分かればな。


 しかし彼女が焦っているのは、もう一つの理由からであった。


 広大な戦場に視線を巡らせる。

 其処かしこで聞こえる戦いの怒号。けれども先ほどまでとは、雰囲気が異なりはじめていた。

 空を翳らせた薄暗い天幕状の覆い。

 これが広がり始めたのと、戦場の様子が変わったのが同時だった。


 位相差空間跳躍(テレポート)で出現した、金剛竜王(アゲマント)最大巨躯の人竜(ミカイール)

 それの異能が、戦いそのものを一変させたのだ。


「千年前もそうだったが、今回はより強力に――いや、そうではく、月の狼(マーナガルム)に特化した能力に変えたという事か」


 独りごちるオリヴィア。

 だがその声は、剣を交えるアンフェール=ジブリールの耳にも届いていた。


「さすがはアルタートゥムの首領。ああ、お前の見抜いた通りだ」

「霊子妨害波か……」


 天を覆う薄暗い幕。



 これは巨大人竜ミカイールの異能〝信仰(ファナティック)〟によるもの。



 遥かな昔――千年前では、この黒い幕の中に囲い込まれると、霊子由来の力が弱体化させられるというのがその能力だった。

 つまりは霊子由来の力が大きい、対アルタートゥム用の異能という事だ。

 けれども千年後の今、この異能は別のものに改造されていた。



 平たく言えば、ディザイロウ専用の弱体化能力。



 この暗い幕の中にいる限り、ディザイロウは己の力を著しく制限させられるのである。

 獣能(フィーツァー)を出す事など当然出来ない。イーリオが千疋狼(タウゼントヴォルフ)を感じなくなったと言ったのは、それのせいであった。


 その効能は、千年前にアルタートゥムや月の狼(マーナガルム)に行ったものより強力になっている。おそらくディザイロウだけに特化したからだろう。


 しかし獣能(フィーツァー)が使用不能になったとはいえ、それでもディザイロウの力は強大である。その程度でやられるなどまず有り得ないのだが、それは敵も分かっているはずだった。

 それが意味するところは、ディザイロウの力を封じるだけ、という事。


 つまり、連合軍から加護を奪うのが、灰導天使衆(ヘクサ・アンゲロス)どもの狙いなのだろう。


 見えている、または聞こえてくる声の限りでも、既に連合軍がヘクサニア軍に押し込まれつつあるのは瞭然。


 元より兵数だけならば、お話しにならないくらい敵軍が圧倒的なのだ。

 それをここまで持ち堪えてこれたのは、敵の侮りも大きかったが軍師ブランドの指揮と、シャルロッタとディザイロウの加護による騎士の力の底上げがあったからである。


 その一つが欠けたのだ。

 これを問題と言わずして何と言おう。


 ――どうにもやり辛いな。


 苦笑するオリヴィア。

 竜の存在に任せた力押しではなく搦め手を使う辺り、明らかにエポスどもは千年前と違う。

 それが、千年後の現在における彼らの答えなのか。もしくは――



 別の何か――



 オリヴィア達アルタートゥムやエール神でさえ感知出来ていない、何らかの意図によるものなのか。

 その判別すら、まだ分からないでいる。


 ――けれども、だ。


 やはり敵は、侮っている、見下していると感じる。

 彼ら自身は、油断も増長もしてはいないと思っているだろうが、やはりそうではない。


 無自覚に薄ら笑いが漏れたオリヴィア=イオルムガンドに、アンフェールが怪訝な声を出した。


「何が怪訝(おか)しい?」

「やはりお前達は、どこまでいってもお前達のままなんだな」

「どういう意味だ?」

「多層世界を超える存在でも、お前達は神ではない。知識や知恵がどれだけあっても、科学技術が神域にまで達していようと、人はどこまでも人。ましてや人に造られしオレやお前らは、尚更だ」

「何が言いたい」

「可能性とは、どんな未来演算でも予測出来ないという事だ。無限数は、無限だから演算出来ないなどという話ではない。お前達エポスは、千年経った今でもそれをまるで理解出来ないままなんだよ」


 サーベルタイガーの騎士となったオリヴィアが、手に持つ大剣を構え直す。


 時間稼ぎがどちらに功を奏する事になるか。


 これを理解出来ないその差こそ、もしかしたら戦局を決定的に塗り替える決め手になるかもしれない。


 オリヴィアは、密かにそう思っていた。

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