第一章 第三話(1)『氷皇子』
夏の日射しが嘘のように、秋に入った途端、肌寒いほどの冷気が、帝都の路地という路地を満たしていった。今年の収穫は良いものになるであろうと思われた矢先の、寒波とも呼べる冷え込みである。
皇帝が病床に伏してはや二年。これも凶兆の現れであろうかと、帝都臣民は口々に噂しあった。無論、表立って言う者はいない。もし警護兵にでも聞かれでもしたら、あの氷の皇太子の事である。どのように苛烈な処罰をされるか、分かったものではない。
ゴート帝国 帝都ノルディックハーゲン。
ここは、ニフィルヘム大陸北方の多くを版図とする、大陸随一の大帝国、その首都である。
雪と氷の多い北方、または北陸地帯と呼ばれるこの辺りは、土壌も豊かでなく、生活を営むのに適しているとはいえないはずであったが、古くより、国力豊かな大帝国が雄を唱えていた。その最たる理由が、主要産物のひとつ、鉱物にあった。鉄や銅といったものばかりでなく、鎧獣に最も重要な、授器の元となる、アロンダイトが大量に産出されるのである。
授器はただの変形する武器防具というだけでなく、野生を色濃く残す鎧獣に対し、騎士の意思を通わせ、文字通り主従の関係にする事が出来る。
共に過ごす時間が長くなれば、その限りでもないのだが、最初はそうはいかない。ただの武具としてのみならず、鎧獣そのものを優れた矛にする為にも、授器は必要であり、主原料であるアロンダイトと呼ばれる鉱物は、どの国も喉から手が出るほど欲していた。
そのアロンダイトを多量に産出する事で、ゴート帝国は北の大帝国としての富と繁栄を、今日まで維持し続けてきたのである。
だが、その大帝国も、昨今では政情の変転により、内外共に不穏な状況が続いていた。
きっかけは、現皇帝ゴスフレズⅢ世の長男である、皇太子ヴァーサが変死した事からはじまった。
聡明で武将としても誉れ高く、一個の騎士としても指折りの実力者であり、また、何より民草に慕われる人格者であったヴァーサだが、数年前、突然の心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのである。民衆のみならず、臣下の多くが大きな悲嘆にくれ、特に父帝ゴスフレズⅢ世の悲しみは、余人には計り知れぬものがあった。この時、宮廷内の一部では、この突然死は、不慮のものではなく、何者かによる暗殺ではないかとささやかれる声もあったが、そういう噂話は、王朝内ではよくある事。いつの間にやらその声も沈静化していった。何より、次兄のエーリクまでもが、立太子の儀を前に不調を訴え、三日三晩高熱を出した後、そのまま死去するという悲劇が重なった事も相まって、事はいよいよ国を揺るがす変事へと変わっていったのである。
元々体の弱かったエーリクなだけに、兄の死と、次期皇帝という突然の重責を背負う事になった現実に、か細い精神が摩耗し、ついには倒れてしまったのだろうといわれていた。だが、ゴスフレズⅢ世の精神的忍耐は、ここにきてついに凧糸がきれたように限界を来たし、次兄の死の数カ月後には、病で床に臥せってしまったのであった。
だが、悲しみに浸っていて、国家の内情が好転するわけでもない。
三男のオーラヴは幼い頃に病死したため、残った四男のハーラルが、今年十五歳と年若いが、後継者として決してあり得ぬ年齢でないため、次期皇帝として目されるようになったのであったが、この末弟が、あまり良い噂の人物ではなかった。
決して暗愚という訳ではない。国政にも興味があり、十三歳の初陣で戦果をあげるなど、武略も人並み以上。国学院で優秀な成績を修め、秀才としても知れ渡っていた。
ただひとつ、彼には、人の上に立つ者として、最も大事な何かが決定的に欠けていた。
例えばこうだ。宿将として誉れ高いある将軍が、辺境の小競り合いに出陣し勝利するも、自軍の四割を損耗してしまった。
これに対し、ハーラルが下した戦功報賞は、死罪であった。
勝ち戦の基準として、自軍の損失は、全体の一割というのが兵家の常道であり、ゴート帝国という武門の帝国なれば、責任は確かにあったといえるかもしれない。だが、過去の功労も顧みず、一事のみで処罰する。勿論、多くの臣下が諌め、結果、その将軍の命ばかりは助かったものの、処罰後、愛想が尽きたのか、話の分からぬ主君に恐れを抱いたか、将軍は自ら引責を申し出ることになったのである。
またはこうだ。ハーラルには三つ下の従姉妹がいた。ハーラルは従姉妹を大層可愛がっており、お願い事があると、何でも聞いていた。
ある時従姉妹は、この国で一番美しい女性になりたい、などと、他愛もない冗談を口にしたところ、翌日よりハーラルは自らの名で触れ書きを出し、国中の美女と言う美女を集めだした。そして今度は集めた女性を、国外追放にしようとしたのだ。これも、尋常の沙汰ではないと家臣に諌められ、女性達は解放されるに至ったが、これを切っ掛けに、従姉妹は心労を患い、未だ自らの城中に籠っているという。
そう、ハーラルには、およそ人の心を理解するという思考が、おそろしいまでに欠落していたのであった。諸々の事情を鑑み、事実のみならず、人心を理解してこその君主足り得るのだが、ハーラルにはそれが皆無であった。それは冷徹を通り越し、酷薄とさえいえた。時として主君には、冷徹なまでの厳格さを求める場合もある。だが、彼のそれは度を超していた。
そのハーラルが、現在、唯一人の帝位継承者であり、父帝が臥せった今、国政を取り仕切るのも、彼が行っている。
そして、彼が行った数多の苛烈な施策や決断は、いつの間にか臣民をして、〝氷の皇太子〟なるあだ名を囁かせるに至ったのであった。
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