最終部 最終章 第二話(4)『五十猛』
ユキヒメ=軍荼利が、長刀を鞘から抜いた。
呂羽=夜叉も青龍偃月刀を構えた。
呼吸が重なる。
音が消える。
静と動が反転する、刹那の一拍。
火花が散った。
轟く金属音。
一合斬り結んだかと思えば、既に一〇合は剣をはじいている。
激しい刃の応酬。両者一歩も譲らない。
達人同士の剣戟は、一瞬で決着がつくという。しかし武器も違えば流儀も流派もあまりに異なるからか、容易に雌雄を決する事が出来なかった。加えて両者は、達人と言うにはあまりに達人すぎた。
他者からすればこの二人は、剣の極致にいる存在――〝剣聖〟と呼ぶに相応しい二騎であっただろう。
静と動の切り替えがまるで神域にいるかのようなユキヒメ=軍荼利に対し、呂羽=夜叉はしなやかで剛健、それでいながら変幻さも持ち合わせた武技で応酬する。
全く異なりながら、同じ位置にまで上り詰めた両者。
そんな二騎だからこそ、実力は拮抗しているのかもしれない。
この場合、むしろ呂羽の方が驚いていた。
幾度かの激しい斬り合いの後、距離を取る両騎。
街中での攻防。いくら人がいなくなった場所だといえど、鎧獣騎士が戦えば剣の振るう余波だけで景色は変わるもの。
しかし驚くべき事に、この二騎の決闘に関しては、今の所ほとんど周囲への被害がなかった。
あるとしても、例えば踏み込みの際に蹴たてた石畳。攻撃を躱した際に障害となった建物。
せいぜいそんなところである。それだけ両者の武技が高みにあり、精緻を極めているという証左にも見えた。
「驚いた。剣にかけては俺に伍すると思うていたが、それはあくまで剣に於いての話。よもや獣騎術まで俺と渡り合うとはな」
「驚くのはこちらぞ。もしかして今のが貴様の全力だと? ならばこちらが全力を出す前に決着がついてしまうのう」
「言うてくれる」
呂羽が笑った。
互いにまだ余力を充分に残しているのだろう。けれども優位にいるのが自分でない事は、呂羽も自覚している。
「一つ、言い添えておこう」
「?」
「呂籍羽――いや、こう呼ぶべきか? 〝鴻鈞道人廿八号〟と」
名を呼ばれた瞬間、呂羽の顔が人虎ごしでもありありと分かるくらいに強張った。
次いで形相が、凶悪なものへと変わっていく。
「私はアルタートゥムの元で修練を積んだ。四年間だ。そして四年もあれば、話を聞く時間もある。貴様の事だ、鴻鈞道人」
「その名を知るとはな……では、エポスやオプスの事も知っているというわけか」
「全てを全て理解しているわけではないし、そのつもりもない。だが、貴様の正体が何で、何故数多の国に乱を起こしてきたか。そして最後に、エポスらの召集に応じたのは何故かという事は私なりに分かっているつもりだ」
「成る程。俺の動き、俺の狙いを読めたのはそういうわけか」
「異世界が創り出した人造魂魄の魔人エポス。だがそれを生み出した集団とは別の組織――確か中華系と言ったか――その組織、女媧公司によって生み出された人造の魂を持つもう一人、それが貴様だな、呂籍羽こと正式名称・鴻鈞道人廿八号」
六人の魔導士エポスとは、このニフィルヘム大陸のある世界とは別の、異世界から遣わされた人造の魂を持つ存在である。
彼らの大元は異世界企業オプス・コーポレーション・グループによるものだが、その傘下に、女媧公司なる企業があった。
女媧公司は親会社のオプス・コーポから人造魂魄の技術を借り受け、エポスの助けになるようこの世界で活動していた存在だ。
呂羽はその一体である。
だがエポスらの命を無視して王都に単独で入ったのは、エポスのためでも親会社の命令でもなかった。
「エポスらが交戦している隙に、王都へ侵入し神の住まう星の城への道〝欺瞞の橋〟を奪ってこの世界の主権を奪おうとした――貴様の目論見はそういうところであろう」
「アルタートゥムの入れ知恵か。いや、それを与えられただけで、お前自身の意思で俺の動きを牽制したというわけか。全くもって度し難いな」
「度し難い? それは貴様の事だろう、呂羽。エポスにも成りきれぬ木っ端でありながら、己の真の主筋すら裏切ろうと言う貴様の心底。これを度し難いと言わず何を言う。どこまでも裏切りの汚濁に塗れた貴様こそ、真の悪党だろう」
「悪党? この俺が? とんだ道徳を語ってくれる! いやまさかアルタートゥムの教えを受けたお前が、そんな偏狭な言を口にするとはな。どこまでも俺を驚かせてくれる。――いいか、そもそも善だの悪だのというのは人の生み出した概念のお化けだ。そんなものは絵に描いた形なき風と同じ。善悪そのものなど、常に陰陽反転を繰り返す不確か極まりないもの。反対にこの世で最も重要かつ正しき事、それが何かわかるか? それは生き延びる事だ。いいか、全ての生あるものの最大の善は、生き延び、それを受け継ぐ事だ。歴史に名を残す? 人の心に刻まれる? 英雄譚の英雄になる? 実に馬鹿馬鹿しい。そんなものはいずれ風化する砂上の楼閣に同じよ。歴史も英雄も全て生々流転し消えていくのがこの世の運命。だが継承は違う。命が残され、紡がれる。それは営みの中で確かに刻まれるもの。消えぬ刻印だ。だからこそ全ての生あるものの最大の善は、生を受け継ぐ事に他ならない。してみればユキヒメよ。誰が勝利を得るにしろ、選択肢は多い方がその目的に叶うと思わないか?」
「だから見逃せと? 貴様の行いに加担させ、己の生を残す可能性を増やせというのか?」
「さすがユキヒメだ。俺の見込んだ〝女〟よ」
呂羽の言葉に、ユキヒメは侮蔑の表情を人鹿の中で浮かべた。それが気配となって、ありありと浮かび上がる。
「語るに落ちたな、〝渾沌〟よ」
ユキヒメ=軍荼利が長刀を鞘に納めた。
だが、戦いを放棄した動きではない。
納刀し、それで尚、抜刀の構えを取る人鹿の武者。
瞬間、呂羽が反応したのは、彼が尋常ならざる戦士であったからだろう。そうでなければ己の屍を晒していたのは間違いなかった。
神速一閃。
まさに音すら置き去りにして、凄まじい抜刀が行われた。
斬られたのは呂羽=夜叉の青龍偃月刀。
長柄の中央部分で両断されている。
「我が居合いを躱せるだけの誇りは、まだあったらしいな」
納刀から、再び居合い斬りの構えをとったヤベオオツノジカの女武士。
しかし恐れを抱くどころか、むしろ人虎の殺意は今まで以上に膨れ上がっていた。
「この俺に……この俺にここまで泥をかけるとはな……。最早かつての女とも同郷の士とも思わん。我が渾沌の力で、嬲り殺しにしてくれる……!」
「渾沌か……。渾沌に耳口を開けるとはよく言ったもの。貴様の愚劣さから蒙を啓き、然る後に泰山府君の元へ送ってやろう」
初手と同じく、二騎が同時に吠えた。
「〝久久能智〟!」
「〝动物派对〟!」
霊樹を操る異能と、混沌を生み出す異能。二つの超常が、同時にぶつかり合う。
〝久久能智〟。
ヤベオオツノジカの鎧獣武士・軍荼利の獣能。
全身に宿した植物の種に擬似生命を吹き込み、それをばら撒き操作するというもの。
周囲が平原ならばいざ知らず、建造物もあれば草木も存在する都市の中では、極めて強力な獣能である。まさに攻防一体の陣形を生み出す、森羅万象の異能。
一方の――
〝动物派对〟。
全身の一部――主に片腕――を自ら解体し、今まで喰らった人獣達の〝一部〟を、異能ごと繰り出すというもの。
ある意味、相手の能力を奪うというより性質の悪い力かもしれない。
呂羽がたった一騎で大国を相手取ってこれたのも、この能力があればこそ。勿論、アルタートゥムのような規格外でもなければ無敵の能力でもないが、かつてこの異能で、遅れをとった事などほぼなかった。
その二つがぶつかり合う。
片や擬似植物の力。
異能の樹花から生成された花粉を吸い込めば、たちまちの内に死に至らしめられる必殺の陣。およそ攻略法など見当たらぬとも思えるが――。
しかし万県虎の異能で生み出された肉体の一部の場合、それは全く効果を為さなかった。何故ならそれは、生命ではないから。
动物派对は、ツノ、牙、爪、足、体毛、尻尾などといったそれら肉体の一部分だけを次々に生み出す特異な異能。
呂羽=夜叉の分解された片腕から洪水のように次々に生み出された異形の群れは、光の花粉など意に介さず、神秘の樹々や草花を薙ぎ倒していく。
ユキヒメにとっての相性は不利。
だが呂羽にとってはこの上なく与し易い獲物。
嘲笑う顔を人虎の中で貼り付け、呂羽は擬似霊樹を伐採しつつ人鹿へと肉迫をかける。
「誰が誰の蒙を啓くだと? 滑稽だな、ユキヒメ。お前の蒙昧さを悔いながら死ね!」
半分に短くなった青龍偃月刀を振るい、そして片腕から出され続ける異形の渾沌たちで破壊の波を起こしながら、人虎戦士は獲物を狩る捕食獣そのものと化してヤベオオツノジカのすぐ前まで迫った。
けれどもユキヒメに動揺の素振りはない。
それは擬態か? それとも挑発? 為す術なく固まってしまい、観念しかけているのか?
そのどれもが、目の前の女武者には似つかわしくないと直感した。
「〝五十猛〟」
静かに、だが厳かな力強さを秘めて、ユキヒメ=軍荼利が号令を発する。
そうして人鹿から、光が放たれた。
光は彼女の周囲に茂る樹々に注がれると、突如として樹々が繁茂の速度を早める。いや、むしろそれは蠢いていると言って良かった。
植物なのに生き物のように、樹々が形を大きく変える。
次の瞬間――。
人鹿の目の前まで来ていた人虎の鼻先に、巨大な空洞があらわれた。咄嗟の反応でそれを薙ぐが、刃が通らず弾かれる。
むしろ斬りつけられた事で、空洞を形作る牙がより猛々しさを増して逆襲しようとした。
かろうじて回避する人虎の騎士・呂羽=夜叉。
急な反撃を前に対応し。反撃すらしてみせたのは三獣王級かそれ以上と評される呂羽と彼の纏う万県虎だからこそ。そうでなければ間違いなく絶命していただろう。
背中に流れる冷たい汗を不快に思いながら、目の前で蠢く樹々を目にし、言葉を失う呂羽。
即座に鼻口を片手で覆った後、異能で生み出したマスクのようなもので虎の口吻部分を包みこむ。
しかし動揺は隠せない。
「何だ……これは?」
擬似樹木が巨木化し、幹の中央部分に巨大で異形の口が生まれていた。人のようでも動物のようでもあり、そのどれでもない口と牙。口だけの樹の怪物。
縁取る形で、内側にはびっしりとした牙が並び、さながら巨大化した食虫植物、樹木になったハエトリグサのようにも見えた。
「第二獣能〝五十猛〟」
怪物化した樹木を操りながら、ユキヒメ=軍荼利が告げる。
「勘違いしている者が多いがな、軍荼利の獣能は植物を生み出すものではない。その本質は〝生命を生み出す力〟」
「何……」
「久久能智で生命を与え芽吹かせた樹々に、更なる命を注ぎ食虫植物ならぬ食獣植物に進化させたのがこの第二の力。花粉による結界だけでなく、直接的に喰らい潰すというものだ。これの〝牙〟は角獅虎であろうとも表皮どころか授器ごと噛み砕く。如何な貴様でも、五十猛を防ぐ事は不可能」
蠢く樹々が、涎のように樹液をしたたらせる。
いや、樹液というより消化液だろう。
「まさか第二獣能まで覚醒させていたとはな……」
軍荼利との戦闘経験はあれど、呂羽が知っているのは久久能智までだった。かつてのユキヒメは、第二までも習得していない。つまり五十猛なる異能は、彼も完全な初見なのである。
ぎしぎしと樹皮のこすれる音をたてながら、樹の怪物は蛇に似た動きで人虎騎士への攻撃体勢を取る。
「行け」
手刀を切る手振りで、怪樹へ放つ攻撃命令。
気付けば四方を樹々に囲まれている呂羽=夜叉。逃げ場はない。どころか、足首には蔓が絡まり、身動きも取れなくなっていた。
「疾ッ!」
異形の群れ、动物派对でこれを防ごうとするも、文字通り歯が立たなかった。樹木の硬さは獣の爪牙を上回っている。いや、先ほどよりも更に硬質さを増したように思える。
気付けば片足に食い込む樹枝の牙。
それは更に数を増そうとしてくる。
見誤っていた。いや、見立て通りの強さだったと判断する。
躊躇わず、手に持った青龍偃月刀を投げ捨て、呂羽も第二の異能を号令した。
「〝再见最后武器〟!」
空いたもう片腕も上下左右に分解されて綱状になり、今度はそこから夥しい数の剣や槍や斧が放たれていった。
口にした鎧獣騎士の部位を生み出すのが第一の力なら、第二の力は口に入れたあらゆる武器を生み出すというもの。
噛み砕き、体内に呑み込んだものなら如何なるものでもどんな大きさでも厭わず構わず再創造され、しかも無限に近く次々放出される。
一見するととんでもない異能だが、欠点もある。まず直近で〝摂取〟した武器しか生み出せない事。時間にすれば一日が限度。それより前のものは消えてしまうらしい。
そしてもう一つが、一度異能の再創造をした後で再度異能を発動した際、同じ武器は出せなくなるのだ。但し継続して出している間は何度でも同じ武器を射出出来るようである。
それだけに呂羽も使い所を選んでいたのだ。
弓矢で例えると、無闇に出せば矢が尽きてしまうという事。弓だけでは役立たずというわけである。
だが今は、そんな事を言っている場合ではなかった。
さすがの怪樹でも、アロンダイトやデュランダニウムといった希少金属で作られた刃には勝てぬらしい。放たれる武装が意思を持った樹々を刈り、或いは动物派对との連携で腕などの部位だけを出してこれを振るい、薙ぎ倒していく。
――いける。
初見殺しというべきか、目にした瞬間は驚きと動きの読めなさ、それに退路を断たれた事で戸惑いもしたが、異能を両腕から出したこの状態なら凌ぎ切れると確信する。
まるで両腕に鞭を持って踊るように、全方位から迫る怪樹を舞うように伐採していく人虎の戦士。
彼の周囲を光の枝葉や折れた樹々、己の出した爪や牙、ツノや腕が竜巻となって舞い飛んでいた。
もはや破壊の旋風。局所的な暴風の柱と化す、異能の応酬。
その渦の中心に向かい、一対のツノが迷い飛んできた。樹に弾かれたものだろうか。敵も群れならこちらも夥しい数を出しているのだ。己の武器で自身に傷が付く事もあるだろう。
けれども達人を超えた達人たる呂羽は、それすらも躱し、または弾き返してかすり傷一つ負わない。
今もこのツノに剣を当て――
と思った矢先、その剣が逆に弾き返されていた。
それどころか吹き飛ばされたものの動きとは思えない軌道を描き、ツノはまるで意思を持ったようにこちらへ一瞬で迫ってくるではないか。
――!
気付いた時には遅かった。
ツノだけ――かと思えたそれは、ヤベオオツノジカのもの。
即ちユキヒメ=軍荼利。
こちらが出した獣の部位や刀槍、光る擬似樹木を巧みに利用し、己の体だけを見えなくして懐へ入ったのである。
巨大すぎるツノを持つ、ヤベオオツノジカならではの擬態。
「この時を待っていたぞ」
咄嗟に両腕を人鹿に向けようとするも、巨大に解放された腕は、軍荼利の怪樹に阻まれていた。
「貴様が己の力を全て使い、手詰まりになる時を。貴様は手札を隠しながら相手を翻弄する変幻自在の武人。ならば私は己の一剣を磨き上げ、変幻を断つ破邪の剣と化すまでの事」
人鹿武者が長剣を腰だめに構えている。
居合いの構え。ユキヒメ必殺の剣。
――馬鹿な。獣能の制御と己の剣技を同時に行うなど、そう易々と出来るものか!
だからこそ呂羽も、ユキヒメ本体の動きには然程警戒していなかったのだ。
獣能と同時並行の獣騎術。
能力次第で難易度は大きく違うだろう。むしろ併用を前提とした能力も珍しくはない。が、少なくとも広範囲に意思を帯びさせた〝分身〟を操作する軍荼利の場合、それの制御で手一杯になるのは必然。むしろこれほどの威力ともなれば、本体が無防備になる危険すらあった。
そうでなくば樹々が自動意思で攻撃と防御を行うか、もしくは単調な動きだけに絞るかのどちらかしかなく、目の前の怪樹はそのどれでもないのだ。
目を見張り、気付く呂羽。
人鹿の背中から、光の蔓がいくつも伸びている事に。
――あの蔓を介して制御を行っているのか?
俊敏な動きと異能の制御のカラクリは理解した。それでもやはり己の思考を複数に分けるようなもので、生半な修練で可能な動きではない。想定しうるに、天賦の才を持つ者が数十年の研鑽を積んでやっとといった境地だろう。
その呂羽の思考を読んだのか。
ユキヒメが言い放つ。
「四年間だ」
ユキヒメ=軍荼利の闘気が膨れ上がった。
――不味い。完全に奴の間合いか。
しかし両手は塞がっている。偃月刀も手放している。
「アルタートゥムでの四年間とは、つまりそういう事だ」
しかし腕が不可でも足がある、尻尾がある。
呂羽の会得した武術は状況に合わせて水のように変化するもの。いついかなる場合でも、形に囚われず動きは変幻。
両足を跳ね上げる。抜刀直前の機を狙い、先の先を読んで攻撃を抑え込もうとした。
が――
軌跡も何も視認する事さえ出来ず、既に夜叉の両足、つま先から先端が失われていた。
――!
同時に尻尾も、地に転がる。
いつ抜いた? 居合いなのか? 何がどうなった?
「かつてこの世には、私より優れた剣士が二人いた。一人は亡き我が父・植杉時昌。もう一人が羽多頼亮――貴様だ、呂羽。だが今は違う。今や我が剣は、父も貴様も超えた」
逃げ出す。
今はそれしかない。
けれども怪樹が四方から阻む。
「混蛋!」
「我が剣の前に、散華せよ」
音は遥か後ろ。
鞘走りさえ見えず、光は納刀した後に残像となって閃いた。
目の前にいたはずのヤベオオツノジカは既に消え、何処に行ったのか、それを確認したくとも出来ない。何故なら、身動きが取れないし景色が固まっていたから。
永遠とも思える数瞬の後。
己の視界が歪んだ後で、上半身が頭部ごと、逆袈裟に斬られている事に気付く。
声が出ない。声すらも斬られたというのか。
呪いの言葉すら吐けず、己を滅した相手の姿を目に焼き付ける事も叶わず、呂羽=夜叉は地に倒れた。
屍体を見下ろし、しばらくそれを眺めていたユキヒメだったが、強制解除の白煙が出始めると、飽きたように踵を返した。
長年の宿敵。
恩讐こもごもの仇敵なのに、何も言わない。恨み言も積年の想いも。
彼女の胸に去来していたものは何だったのか。
やがて擬似植物が花を散らして消えていくと共に、人鹿の剣士もこの場から立ち去っていった。
残されたのは、白煙をあげる屍体のみ。
――。
白煙を――。
そう、白煙が途切れる事なく、上がっていたのだ。
そんな事は、有り得るはずがないのに――。




