最終部 最終章 第一話(3)『極帝破光』
ラストイヤーのゴールデンウイークSP 毎日投稿9日目!
何が起きたのか――。
理解出来た〝人間〟は、誰一人いなかった。
人ならざる人――アルタートゥムやエポスを除いた誰もが、混乱と絶鳴の大渦に攪拌され、己が生きているのか死んでいるかすら、不明瞭な者達ばかりであった。しかしそれを感じ取れたのは、生ある者ばかり。何も分からぬまま、突如起きた災禍の如き超常異変で命を落とした者達からすれば、これほどの理不尽はなかったであろう。
鎧獣騎士でありながら激しい咽せこみを覚えたサイモンは、己が生きている事を感じ取る。けれども思考も何も追いついていない。
どうして無事だったのか、そもそも何が起きたかすら、分かっていなかった。
突然地面から巨大な竜が出現し、それを十三使徒だったロードが纏って竜の巨人になったかと思えば、こちらの感情など置いてけぼりにして再び戦いがはじまった――その事までは覚えている。
何をどうすればいいのか――あの竜と共に戦えばいいのか。それすらも分からない。
そもそも駆り手が同じ十三使徒のロードだからといって、あれは味方なのか。
あの竜が、味方?
破滅の竜と名乗るあれは、最早その名の通りただの災厄にしか思えなかった。
何も分からないまま判断をしあぐねていると、突如謎の爆風のようなものが起き、彼は吹き飛ばされてしまったのである。
神聖黒灰騎士団・十三使徒の一人なのに、まるで無力な民草と変わらないじゃないか――。
そんな自嘲とも悔悟ともつかない言葉が頭をかすめるが、それよりも今の状況把握である。
己の全身を見つめ、鎧化が解除されていない事や、五体も無事である事を確認し、とりあえず安堵を覚えた。次いで己の相棒の名前を叫ぶ。
「エドガー! エドガー! 何処だ?! 無事か?!」
辺りは凄まじい砂埃で何も見えない。さながら噴火した火山の直下にいるような有様である。一寸先も見えない視界の中、彼はエドガーの名を呼び続けた。
すると、か細い返事が耳を打つ。
「サイモン……? サイモンか……?」
「エドガー? 無事か?! 無事なのか?」
声のする方を手探りでかき分けるように進み、やがてサイモンは目にする。
夥しい数のヘクサニア軍の騎士が、死体となっているのを。それもまるで、ゴミ山のように堆く積み重なっていたのだ。
あまりの現実味のなさに、おぞましさすら通り越えていた。
その半ばほどに、エドガーが人獣のまま半身を埋めた恰好で生きていた。
急いで救い出し、二人は互いの無事に安堵の息をつく。
「とりあえず、生きてて良かったよ。お前に先に死なれちゃあ、貸してた金と俺に女を紹介してくれるって約束が反故になるもんなぁ」
「はぁ? お前、友人に対する第一声がそれか? お前が生きていて良かったよー、とか、俺の親友がー、とか普通そーゆーアレだろう、こう言う時のは!」
「はぁ?」
「お前ほんっっっと、ロクデナシっつうか人間のクズだな。最初の一言が、カネ、そんでオンナ。クズですわ、クズ」
「お前、何言ってんだ?! 人に金を借りておいて、そいつが友情だ何だなんてよく言うな。お前、金は人間関係壊すんだぞ。んな事言うんだったら、そもそも俺に借金すんじゃねーよ、このタコ!」
「借りたっつって、銅貨二枚じゃねーか! お前、みみっちいにもほどがあるぞ!」
「銅貨だろうが金貨だろうがカネはカネだ! んな事言って、どうかしてるぜ!」
「クッッッッソ寒い事言うんじゃねーよ! お前の頭が激安だわ!」
信じられない死地にいるにも関わらず、彼らの悪態は相変わらずであった。が、不意にとてつもない寒気が、彼らの全身を死神の指のように撫でていく。
たまらず、凍りつきそうになる背筋。
悪寒の正体である気配の先へ、二人は何も言わずに視線を向けた。
己の斜め上――。
薄れていく砂埃。
その紗幕を縫うように、壁が目に映る。
だがそれは、壁のようで、壁ではなかった。
蠢いている。
動いている。
生き物の表皮。金属も見える。しかし何がどういうものなのか、全く分からない。
徐々に晴れていく視界の中、その全貌が明らかになった時、二人は声を潰して絶句した。
しばらく呆然となった後で絞り出されたのは、泣きたくなるような恐怖の呻き。
「ウソだろ……」
同時に二人は思った。
今自分たちが生きているのは、奇跡でしかないと。
いや、奇跡というよりただの気紛れ、ほんのささいな偶然で、たまたま生き延びたにすぎない――。
逆に言えば生き延びれなかった味方達は、ただの不運、気紛れで命を失ったという事でもある。
これが本物の地震や落雷、竜巻といった自然災害ならまだやるせない思いを呑み込む事も出来たかもしれない。だが彼らの身に降りかかった生死の選別は、圧倒的存在の意思によるものである。
恐怖で全身が固まっているにも関わらず、サイモンとエドガーの胸中には、例えようのない感情が渦巻いていた。
こんな――
こんな理不尽な死があっていいのか――
何も出来ない。指一本動かす事すら出来ないほどの恐怖。だけど――
まさに神の如き存在を前に、二人はその想いを抑えきれなかった。
怒りを――。
※※※
サイモンとエドガーが恐怖していたその後で、離れた場所にいるイーリオらにも元凶の姿が見えはじめていた。
最初に目を焼いたのは、七色の眩しさ。やがてそれは、鎧のようなものが陽光を反射した色彩だと気付く。
巨きい――。
あまりに大きかった。
蛇のように長い首と、先端に申し訳程度に付いた頭部。
既に人型であり、イーリオからすれば元の形はどういうものか、想像がつかなかった。けれどもあれが何であるかは言われなくても分かる。
「五騎目の、装竜……」
イーリオの呟きに、オリヴィアが答える。
「まさか位相差空間跳躍を仕掛けてくるとは、予想外だった」
「え? テレ……? 何ですか?」
「瞬間移動みたいなものさ。だが、莫大なエネルギーを消費するし、何よりあれだけの大質量を転送するなど、危険性も大きい。しかしそれを行うとは……。正直、読みが甘かった」
瞬間移動の概念はなかったが、オリヴィアの言わんとしている意味はイーリオにも伝わる。
「そんな事まで可能なんですか?」
「安心しろ。いくらエポスの科学や装竜でも、何度も使えるものではない。それより問題なのは、見計らったように〝アレ〟が出現した事だ」
イーリオ達の視線の先。
その巨大な姿を、どのように形容したらいいのだろうか。
同じ装竜――横に見えるティラノサウルスの人竜を遥かに超える大きさだった。
イーリオがかつて目にしたアンカラ帝国のバルムート――松花江マンモスの鎧獣騎士すら、これの前では矮小になるだろう。
一体、何百フィートになるのか。
巨大化したティラノサウルスの数倍、おそらく三三〇フィート(約一〇〇メートル)をゆうに超える巨体。
「あれがヘレ・エポスの装竜。いや、既に鎧化しているから、装竜騎神が正しい呼び名だ」
「装竜の鎧獣騎士……装竜騎神」
確かに胴体は人の体型をしている。だがティラノサウルスのそれとは違い、形容し難いものをイーリオは感じた。
乳房状の膨らみとくびれた腰という女性体型。
しかし人竜らしくキリンのように長い首とそれと同じほど長い尻尾という異形。けれどもそれを不気味に見せているのは異形ゆえではなく、しどけなく横組みで座っている事だった。
戦いに臨む姿勢ではない。
まるで圧倒的高次の存在が、下等なものを見下すかのような佇まい。
「恐竜の中でも最大の種を持つ竜脚類。その中でも最大級、いや全恐竜種の中でも最大に近い恐竜、それがドレッドノータス。あれはその竜天使」
イーリオ=ディザイロウが、見つめる。
視線の先の異形の巨神を。
「金剛竜王のミカイール。それがあれの名だ」
竜脚類。カミナリ竜とも呼ばれる長い首と長い尻尾が特徴の巨大草食恐竜。
それが人竜となった姿。
手にしているのは巨大な杖。それに体を預ける恰好で、足を横組にして座っている。けれども座っているだけだというのに、まるで難攻不落の城のような威容。近寄り難い威圧感を、見る者全てに与えていた。
――だが、どういう事だ?
オリヴィアは不審な目を向ける。
あのドレッドノータスの人竜は、破滅の竜の中でも特異な存在だ。
見た目の通りと言うべきか、あれは直接戦闘を主としていない異質な個体。破壊行為や戦闘行為ではなく別の位置付けの存在である。
それが後から出現し、しかもこんな前衛でティラノサウルス一体だけしかない場にいるなど、考え難い出方だった。
勿論、あれも破滅の竜の一体なだけに、戦闘能力が低いわけではなかった。戦闘というか存在そのものが世界を破滅させるもの――だから〝破滅の竜〟なのだ。
だが率先して戦うのではなく周囲に他の攻撃的な竜を置き、どちらかと言えば後衛のような位置にいるのがミカイールという人竜の在り方だったはず。少なくとも千年前はそうだった。
だからこそレレケやブランドに説明したように、むしろ他のどの竜よりも厄介な存在であったのだ。
だがそれだけではない。
もう一つ奇妙なのは、装竜騎神の姿であらわれた事だ。
――だから位相差空間跳躍を使った……? いや、それも腑に落ちん。
むしろ順序が逆に思えた。人竜の姿であらわれざるを得なかったから、位相差空間跳躍などという無茶な手を使ったのではないか。だがそうだとしても、装竜騎神にならざるをえなかった理由とは何だ?
理由が分からない。目的は尚更だ。
分からないだけに、警戒すべきだと考えた。
「いいかイーリオ、あれの半径五〇〇ヤード(約四五〇メートル)以内には近付くな。それより近くに入ってしまうと、厄介になる」
首長の女性型人竜。それに近付くなというオリヴィアの助言。
「僕達を封じる力――ですね。分かりました」
この時のオリヴィアの判断は、誰がどう考えても最良のものであったろう。
予想外の敵の動き。読みきれぬ状況。警戒すべきは当然で、それは何も間違ってなどいなかった。
だが〝正しい判断〟こそが、この直後の更なる事態を招く事となる。
一瞬――
首長の巨大人竜の目が明滅したかと思った後、星々の瞬きのように、光が巨体の全身で点滅する。
直後。
いくつもの光の矢が、扇状に広がって放たれた。
「――!!」
巨大な一本ではない。
無数の散弾となって放たれる、広範囲に渡る極帝破光。
王都の一部方面はシャルロッタが〝咄嗟に出した天界〟の力で防ぎ、戦場ではイーリオ=ディザイロウが光の剣で直接これを弾いた。オリヴィア=イオルムガンドも、己の武器と異能力でいくつかの破壊光線から身を守っていた。
しかしそれらでも、数十本に及ぶ破壊光線全てを防ぐ事は不可能。
直撃を受けたある者は一瞬で消し炭となり、ある者は肉体の一部を失っていく。
あちらこちらで悲鳴と爆破の多重奏が重なり合い、戦場どころか王都の周辺そのものが形を変えていった。
「クソッ!」
イーリオが毒突くのも無理からぬ事。
どれだけ彼やアルタートゥムが強力であろうとも、攻撃範囲そのものが広すぎては自身はともかく全てを守りきるのは不可能だったからだ。
貴賤も実力も関係なく、無慈悲なまでに平等に、連合軍が灼かれていく。
その内の一本が、ゴート帝国の部隊に刺さった。
焦がし尽くされる騎士達。死の悲鳴。
イーリオの幼馴染でもあるゴゥト騎士団副団長のアネッテ・ヴァトネは、何とか部隊を崩さないようにするも、天から注ぐ破壊の矢の前では霊狼と聖女の加護でも無意味だった。
そして光はアネッテへと向かい――
直撃
したかに思えた。
が、目の前に、光をはじく氷の鎧。
巨大な氷塊状の腕が、破滅の一筋を受け止めていた。
「陛下!」
獣能でアネッテを守ったのは、彼女の主君〝氷虎帝〟ハーラル=ティンガルボーグだった。
「無事か」
「陛下! そんな!」
「これしきの事、余なら問題ない。それよりお前も怪我はないな」
慌てて上体を起こし、己が大丈夫であるとハーラルに見せるアネッテ。
それを見たハーラルは安堵する。そのまま破壊の光を受け流しつつ、ハーラルとアネッテは光線から距離をとった。
「陛下に庇っていただくなど……申し訳ございません……!」
「何を言う。お前は余の大切な――」
一瞬、何かに詰まったように言葉を途切れさせるハーラル。
だが人虎の顔なので、彼がどんな表情をしていたのかは分からない。
「陛下?」
「大切な臣下だ。その、ギオルやソーラもそうだ。もうこれ以上、余は余の大事な皆を失いたくない。だから当たり前の事をしただけだ」
どうしてハーラルが言葉に詰まったのか、その理由についてアネッテは気付かなかったが、それでも己の主のはからいに、胸が熱くなる。
しかし、そんなアネッテの若さゆえの未熟さが。
ハーラルのほんの僅かな心の揺らぎが。
氷虎帝と呼ばれる彼らしからぬ、心のたわみを生む。
破壊の光。
それの脅威が消えたわけではない。一度逃れただけで、まだ光線は注がれていたのだ。
まさかそれが彼らの後を追尾するように動いていたとは、思ってもいなかったのだろう。
気付いた時、光はすぐ後ろ。
灰色の人虎帝が己の迂闊さに後悔する間もなく、彼は光に包まれる。
眩い破壊に包まれた瞬間、彼の全身は強い衝撃に打たれていた。




