第四部 第六章 第五話(2)『月狼』
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既にファウストの辞書からは、後先を考えるなどという項目は消え失せている。
許せない。許し難い。どうあっても消し炭にしてやる――!
見境いなどなかった。今のファウストに、あるわけがなかった。
しかしヘクサニア側の十三使徒、臣下達からすれば、この戦いと王を止めるべきだろうという事は分かっていた。
ここまでにすべきだと。
それほどまで、彼我の差は誰が見ても歴然。
あの無敵無敗の〝赤熱の鬣〟ベリィが、弄ばれるが如く蹂躙されているのだから。少なくとも、そのようにしか見えない。
呂羽ですら、信じられないものを見ている気分であった。
ファウストの向かいつつある、敗北という終着点にではない。
イーリオ=ディザイロウの実力は、昨日見たあれだけで充分予測は着いたから、己の王に勝ち目がない事はとうに分かっていたのだ。信じられなかったのは、差がここまであるのかという事実の方だった。
「〝砕かれる太陽〟!」
だが、その見立てごと灰燼にしてやろうとでも言わんばかりに、ファウストが第二獣能を発動する。
額に一つしかなかった神秘の結石・神之眼が、全身の複数箇所から浮かび上がる。
この異形こそ、ベリィの力の、真なる解放。
火炎に包まれる神魔王狼。
それは指から出していた炎球を、全身から放出するというもの。
プラズマのいかづちが走り、生ける炎そのものとなった姿は、さながら神話に出てくる炎を纏った魔神そのもの。
もしくは太陽の化身とでもいうべきか。
熱波で周りの空間が歪み、立っているだけで足場の大地、四方周囲が黒ずんでいた。
ただそこにいるだけで、何もかもを容赦なく燃え滓にする灰の獣王。
処刑人の剣も、業炎の塊と化している。
連合側、ヘクサニア側、距離を置いた両陣営にすら、灼熱の熱波は輻射熱となって届いていた。
両陣営の騎士たちが、我知らず一歩、二歩と後退してしまう。生き物としての本能が告げているのだろう。あれはまさに生ける災害で、巻き込まれないように今すぐこの場から逃げ出すべきだと。
しかし――。
これを前に、涼しげな佇まいを崩さない者が一騎。
他ならぬ戦いの相手、イーリオ=ディザイロウである。
炎の余波を最も近くで受けているというのに、動じないどころか自然体のまま。
連合側の騎士、特にハーラルやレオポルト、クリスティオ、セリム、ヤンといった面々は、そこにこそ驚きを隠せない。
また、先ほどイーリオが見せた剣技に刮目したユキヒメも、驚きに身を震わせていた。
彼女はイーリオよりも先んじてアルタートゥムの元で修行をした身である。そこで環の国の姫剣士としての本来の自分を取り戻し更なる力も得たのだが、そのユキヒメですらファウストに勝つのは難しいというのが、正直なところだった。
けれどもそんな怪物じみた相手を前に、まだ自然体なままでいられるイーリオ=ディザイロウの姿は、彼女の求める理想の剣士像にすら見えたのだ。
――隙だらけのようで、一切の隙がない。
自然体のままこそ、どんな状況でも千変万化の対応が出来る最適の構え。イーリオはそれを体現しているかのように、ユキヒメの目には映ったのである。
「〝砕かれる太陽〟を発動した以上、もう今までのようにはいかんぞ。貴様の攻撃は全てベリィの火炎で妨げられ、防御に回ってもこの炎の前にはないものも同じ。それでもまだ貴様は、獣能を使わぬというのか」
文字通り口部から火を噴きながら、ファウスト=ベリィが言い放った。
火炎で声が揺らぐせいか、恐ろしい響きに聞こえる。
「ああ」
どのような鎧獣騎士でも、ディザイロウが今いる位置に立ち続ければ、数分も経たず重度の火傷を負ったであろう。けれどもディザイロウにその様子はない。
平然としているのはともかく、毛先一つ炎の影響を受けていないのは、それ自体が常識外れにしか見えなかった。
「誤解してるみたいだけど、僕は貴方を侮ってるわけじゃない。その反対に、最大限の敬意を払っているから、使わないんだ」
イーリオの発言に、火炎魔人の炎が揺らめく。
「どういう意味だ」
「〝月の狼〟のディザイロウを駆る者としてではなく、一人の騎士として、正々堂々と剣を交え、貴方を倒す。敵であれ、それが貴方への礼儀だと思っているからです」
「そうか……言うに事欠いてそれか……」
ベリィの火炎が激しさを増した。
正々堂々?
では獣能を使えば、卑怯なほど圧倒的に勝ってしまうというのか?
しかも倒す? 倒すだと?
もう勝つのは当たり前で、勝ち方だけが問題だ――ファウストには、そう言っているようにしか聞こえなかった。
「教えてやろう、出来損ないのカイゼルンよ! 貴様のそれは驕りですらない。ただの妄言、世迷い言の類いだとな。新調したばかりの鎧獣で、何が出来るというのか? 獣能を使わない? いいや、違うな。使わないのではない。使えないのだ。この俺とて、ベリィでここに至るまでには四年の歳月がいった。それを貴様如き名前ばかりのカイゼルンもどきが、僅かばかりの時間で獣能を使えるようになれるわけがない。実にくだらないハッタリよ」
「そう思うなら、それでいいよ」
「実に滑稽! 何とも憐れな! 今度こそ間違いなく、貴様を灰にしてくれよう。俺の〝武〟とベリィの全てで!」
炎の魔人――ファウスト=ベリィが跳躍。速度は飛燕を超え、まるで空を飛ぶような勢い。
いや、実際に飛んでいるのと変わりがなかった。
おそらく炎を操り、熱噴射の要領で飛翔したのだろう。
しかしその直後――ベリィが宙を跳んだ瞬間に――別の空気を突き破る音も同時発生。
火炎が、空中で撃墜される。
凄まじいまでの大爆発だった。
炎は残滓となって勢いをなくし、花火のようにひゅるると弧を描いた後、地に堕ちた。火炎を撃ち落としたもう片方も、地面に着地をした。
あまりにも早すぎる展開に、理解が追いつかない。
残火となった炎の魔人――片膝をついたベリィの火勢が、弱まっていた。
上半身には、斜めに走った大きな傷跡。その部分からの火が、なくなっていたのだ。
ではイーリオ=ディザイロウと言えば――
宙をひと振り――。
剣についた血を払っていた。
まるで平然としたもの。
相対する神魔王狼の人獣王が、ディザイロウの最前と変わらぬ佇まいを激しく睨みつけながら立ち上がろうとする。が、膝が震えてよろめいてしまう。
ぎりりっ
耳朶を打つ摩擦音。
ファウスト=ベリィの歯軋りだった。
恨み言も憎しみも、言葉にすらならない。
今起きた現実――。
それは簡単に言えば、ベリィが跳躍した瞬間、ディザイロウも同時に跳躍をして撃ち落としたのである。だが、それだけではなかった。
いや、先述のそれも信じられない技なのだが、イーリオはただ迎撃しただけではなく、そこに父・ムスタから受け継いだ獣騎術〝破裂の流星〟を放ったのである。
己の武器を全力で投擲し、同時にそれを上回る速度と動きで同じ方向に跳躍。空中で投げた己の武器を掴み、〝突き〟と〝投げ〟の威力を上乗せしながら相手を斬るという超高等絶技。
それが破裂の流星。
しかし中距離攻撃のみに限定される上、挙動も大きく隙も出来易いのがこの技だ。実際、イーリオがかつてファウストと戦った際には、通用しないと判断し使ってもいなかった。
だがそれをこの場で、しかも全力を出した直後のファウスト=ベリィに対して放ち、打ち勝ったのである。
いや、全身が業炎となったベリィには、これほどの大技でなくば通用しなかっただろうし、事実膝をついているのは向こうだ。しかしそれを踏まえても、今のイーリオの全てが、凄まじいなどの言葉すら最早陳腐になるほどであった。
技の〝起こり〟、精度、威力――。
どれもがあまりに圧倒的。
霊狼の騎士、イーリオ=ディザイロウが歩みを進める。
ファウスト=ベリィが、怒気もあらわに篝火のように炎熱を噴き上げた。
まるでこちらに来るなと言っているようにも見える。
しかし霊狼騎士はたじろぎもしない。猛火の熱にも平然としている。
「もう一度言うよ。幕引きだ、ファウスト」
ベリィの牙が、砕けそうなほどに噛み締められる。その口部から、火竜の如く火を吹き出すも、ディザイロウは剣を横に払うだけで火炎を霧消させた。
呆気に取られるファウスト。
認めたくないし認める気もないが、騎士としてファウストよりイーリオの方が実力は上かもしれない。少なくとも、異能の炎を無造作な動きだけで打ち消す技倆は、ファウストにはなかった。
――ふざけるな……!
絶望や諦めに足元を掬われるような殊勝さがあれば、ファウストも違ったのかもしれない。けれどもそんな心の柔らかさがないからこそ、ファウストはファウストなのだ。
――灰堂術士団!
ファウストが声に出さず呼びかける。
いくら手出し無用の一騎打ちの最中でも、さすがに王との通信は繋げられていた。
――俺に強化系の獣理術をかけろ。獣能でも何でもだ。あらゆる強化を俺にしろ! 今すぐに!
唐突な命令に、ヘクサニアに従軍している術士は戸惑う。
他ならぬ教王の命令である。
出来ないわけはないし当然ながら可能だ。けれどいくら命令でも、それを聞いていいものなのか。
何より、あらゆる強化を施せというのはどだい無茶である。
速度を上げる、筋力を上げる、獣能の精度や効果範囲、威力などといったものを上げる。それらは当然、術の内になろう。
しかし対象者に施せる術は、よくて四種ほど。混合した術式で複数を一つにするという方法もあるが、それでも対象が重ねがけに耐えられず、例えば四つが二つに減る場合がほとんどで、ようは何をどう強化するかを決めなければいけないのだ。
そもそも強化というのは無条件で力を得られるものではなく、対象となる鎧獣にも負荷をかけるものである。それを許容量を超えて無理に重ねれば、鎧獣だけでなく中の駆り手にも様々な副作用を起こす可能性が高かった。
最悪、鎧獣も騎士も、両方共に命を落とす危険性すらあった。
それをご理解くださいと、灰堂術士団の隊長がファウストに進言するも、王は黙れと意見を封じてしまう。
――術で死ねば俺はそれまでの者だったという事。それに、こいつに勝たねば、俺はどのみち死ぬしかないのだ。ならば俺を生かすためにも、早く術をかけろ。今すぐに!
尤もなようで、やはり無茶である。
しかし剣幕もさりながら、王の命令は絶対であった。
躊躇いながらもこうなれば仕方ないと、灰堂術士団の術士らは決断する。
筋力、五感、異能――ありとあらゆる強化を、一気にベリィに施した。
ドクン――
胸を突き破りそうな心音。
かつてない感覚が、ファウストの全身を襲った。
神魔王狼が、跳ね起きるように立ち上がる。
溢れんばかりというより、はち切れて暴発しそうな力の奔流。同時に、頭痛も眩暈も吐き気も痛みも、全身に被さっていた。
――だがそれがどうした。
その全てを呑み込み、あらゆる負荷を殺意に変える。
ベリィの体が、ひと回りほど大きくなったように見える。
炎は既に、活火山のような勢い。
全身の筋肉が膨張と収縮を繰り返し、浮き上がった血管が敗れるも、そこから吹き出すのは血液ではなく炎。異能によって増殖した神之眼が、己の肉体の圧力によってか、圧迫されて砕け飛ぶ。しかし弾けたそばから新たな神之眼が生まれ、何度も自己破壊と自己再生を繰り返していた。
「その姿……それにその力の流れは、獣能じゃなく獣理術……」
足を止めて呟くイーリオ。
大型であるディザイロウなのに、僅かに見上げる恰好になったベリィの体躯。
炎がある分、それは更に巨大さを増して見えた。
「もうどうであろうと関係ない。貴様を倒す! 何があってもだ!」
吠えるように叫びながら、炎の剣で斬りつけるベリィ。
瞬間、処刑人の剣の刃が炎のものとは別の色で赤く発光した。
「――!」
咄嗟に避けるディザイロウ。
刃は大地を両断し、先ほどまでとは異なる切れ味を覗かせる。
「重粒子の光学式剣……ウルフバードと同じ……!」
イーリオの目が、見開かれる。
そこへ畳み掛けるように、ファウスト=ベリィが人狼に向けて突進していく。怪狼の全身からは、炎が撒き散らされていた。
周囲への配慮など最初からなかったが、今や見境いすらなかった。
両者の位置がヘクサニア側に近いため、放散される火の玉は必然的に己の味方へ降り注いでいく。その度に悲鳴と混乱が起こり、敵軍は静観すら出来なくなる始末。
自分達の王の手で、騎士兵卒が倒されていくのだ。惨たらしさもあるが最早滑稽ですらあった。
イーリオ=ディザイロウは、対に結合された剣で火の粉の全てを叩き落とすも、さすがにキリがないと判断する。
しかしそこへ、火炎の勢いを倍加させたベリィが、一気呵成に攻撃を仕掛けた。
上下左右。
あらゆる死角を封じる全方位の高速剣。
獣王合技・〝百閃剣〟。
強化された火炎の異能と獣王合技の合わせ技。
それは炎の災厄が形を得て迫ってくるのに等しかった。
回避以外に対処法があるはずもない。いや、回避も到底不可能であろう。
だが――
人狼の気配が変わる。
この日初めて、ディザイロウの体に力感が備わるのを見た気がした。
迫り来る、炎と破壊の竜巻。
しかしたじろぎもせず、霊狼の騎士は剣を構えた。
無形の位――構えなき構えではなく、攻撃の意思をしめしたかたち。
その瞬間――
白銀の姿が、一瞬でいなくなった。
凄まじい金属音――と共に、それが無限に折り重なる。
「あれは――!」
見開かれる、ハーラルの目。
ファウスト=ベリィの放った百閃剣を、イーリオは同じ百閃剣で打ち返しているのだ。
銀月獣士団の面々は、これに既視感を覚える。
そう、かつてメルヴィグ王国の北部領にあるマクデブルク城にてイーリオとファウストが対決した際、これと同じ状況があったのだ。
あの時はイーリオが百閃剣を先に出し、それをファウストが迎撃し打ち負かされて敗北したのだが、同じでありながら今はその逆。
炎と光学の刃で超々高速剣を出すベリィに対し、全て撃ち落とすのはイーリオの側。
いや、むしろディザイロウの方が威力も精度も上回っている。
――馬鹿な。
剣を出すファウストに、動揺が走る。
かつての対決では、イーリオの剣技を自身のそれが上回ったのだ。
無論、鎧獣騎士とて、短期間の修行や訓練で実力を底上げする、などという事も出来ないわけではない。けれども支配者としての多忙さはあれど、ファウストとて鍛錬を欠かした事はなかったし、技量は更に上がったという自覚もあった。仮にそれを上回る人智を超えた何かの助力をイーリオが受けたにせよ、こんな短期間で己が凌駕されるなど、有り得るはずがなかった。
このファウストの見立ては、半分が間違っているが、もう半分は正しい。
イーリオが受けた天の山での最終試練は、時間の概念を無視したものである。
実測される日数は短くとも、イーリオの体感ではかなりの長期間、試練を行っていたに等しくなっていたのだ。更に地上への降下中もオリヴィアとの訓練時間を設けており、相応の修行を経て、イーリオは今に至るのである。
つまり上達する時間的余地が、なかったわけではない。
ただしそこには、才能というもう一つの壁もあった。
天才というなら、イーリオよりもファウストの方が才能には恵まれているであろう。こればかりは埋まらない隔たりのように、追いつこうとして追いつけるものではない。
では何故イーリオの獣騎術がファウストのそれを上回っているのか。
それはディザイロウである。
鎧獣騎士の能力を評価する項目に、七性能というものがある。その一つに〝身体強化〟というものがあった。
これは超常の獣の力を持った鎧獣に対し、纏い手である中の騎士へ、どれだけ身体能力の向上と適合化をはかるのか、というものである。つまり駆り手自身にも強化を施さねば、人間離れしたあらゆる行為は不可能になるから、というもの。
この身体強化が、ディザイロウは他のそれとはあまりにかけ離れていたのだ。
筋力や反射神経、五感はもとよりあらゆる機能を超人そのものに変化させる――それがディザイロウの強化である。
つまりディザイロウという最強の補助機能を得て、今のイーリオは〝天才騎士〟ファウストの才能すら圧倒的に凌駕する力を発揮しているのであった。
空気を突き破る音を高らかに響かせ、ベリィの持つ炎の剣がはじかれ、体勢すらも崩される。
破られたファウストの最高技。
灰堂術士団による過剰強化を得て尚、それでもイーリオとディザイロウに傷一つ付ける事すら叶わないのか。
「まだだァァァ!」
ファウストが咆哮する。
思念で叫ぶ。
――灰堂術士団よ! もっとだ! もっと俺に術を乗せろ!
――へ、陛下、さすがにもうこれ以上は……!
――王の命令だ! 疾く行え!
既に許容量を遥かに超えて術をかけているのに、もうこれ以上など無茶を超えて自殺そのものだった。
そこへ、術士の間にもう一つの声が入る。
第五使徒・呂羽のもの。
――術士どもよ、陛下の命に従え。
――し、しかし……!
――従わねば俺が貴様らを斬る。それでもか。
呂羽が何を考えてこれを命じたのかは分からない。少なくとも術士達には忠義が何であるか、それすらももう分からなくなっていた。
明らかなのは、従わねば王が死に自分らも殺されるという事。
従えば王は死ぬかもしれないし生きるかもしれない。そして自分らは助かるかもしれなかった。
ならばと思考に蓋をし、他の鎧獣術士も加えてベリィに強化を施す。
重ねてかけられる最大数などもうとうに超えている。
かけた瞬間、ベリィが即死してしまう可能性の方が大きかった。
術が届いた直後、ベリィの鼻と口から血が噴射される。
体のあちこちが爆散するように肉が飛び、片目が破裂を起こし、同時に新たな目玉が生まれている。
明らかな自滅――。
しかしここで、奇跡が起きる。
人は窮地になるほど、制御を外れた信じられない力や閃きを発する事があるという。火事場の馬鹿力などとも呼ばれるが、この時ファウストは、天才の天才たるその真価を発揮したのだ。
ベリィの全身から噴き出していた火炎。
それが巨大な火柱となって、空中高く放出される。
「何?」
攻撃を撃ち落とした恰好のまま、イーリオ=ディザイロウは動きを止めた。
まるで炎の全てを頭上に集め、そこに全てを注ぎ込んでいるような――。
「何……だ……。あれ……は……?」
敵味方、両軍共に戦場でこれを見ていた全員が、驚愕に声を失った。
神魔王狼の人獣騎士の頭上に生まれたそれは、空一面を覆うほど巨大な、炎の球体。
まるで空の彼方から太陽が降りてきたかのような、視界を埋め尽くす炎の塊。
既にベリィの体から、炎は失われていた。代わりに、背中からまだ噴き出している炎が鎖となって、ベリィと太陽を繋いでいるようにも見える。
イーリオですら、唖然とする。
ドグやアルタートゥムも眉を顰めた。
天才が極限で見せたこれは、発現するはずのない異能の極地。修練と才能とその果てに生み出される異能。
第三獣能であった。
まだ名前もない、本人もこれが何かすら分かっていない異能。
本来のファウストとベリィの習熟度を考えれば、今ここで発動など有り得るはずがなかった。けれども敗北と死への恐怖。そして極限を超えた術の重ねがけと過剰強化により、ファウストの天才性が才能の前借りとでもいうべき奇跡を生み出したのだ。
炎の異能、その最終形態。
それはあらゆるものを全て灰にする、破滅の災厄そのものの力。
「これは……不味いな」
人狼の中、イーリオが呟く。その手に、少しばかり力を込めて。
――使うのか? もう、ここで?
イーリオの意識に、ディザイロウの思念が語りかけた。
鎧獣騎士の状態で、鎧獣が意識を持つなど有り得ない。
しかしザイロウの頃から、この銀狼は度々イーリオの意識に語りかける事があった。如何にもそれがザイロウらしく、ディザイロウでも同じなのは、むしろイーリオにとって安心というか嬉しい事だと思えた。
――あれはもう、〝竜〟と同じだよ。落ちれば、王都が全滅する。
――そうだな。
――予想より早くなったけど、〝封印〟を解く。
分かったというディザイロウの了解を受け、人狼は右手に持った剣を半回転させた。
長い方の刃を後ろにし、直剣だった短い刃を前に向ける。
「〝爪刃〟解放」
号令と共に、直剣から機械仕掛けの音がし、刃の一部が剥がれ落ちた。
後に残ったのは、バイオリンの弓のように見すぼらしくなった剣の姿。
「〝牙刃〟起動」
弓でいう弦のようになった細い部分から、強い光が起きる。
それは一瞬の内に光を圧縮し――青白い刃を現出させた。
ディザイロウの手に握られる、光の刃を持つ剣。
柄頭には、上下反転する形の曲剣を接合させて。
「ほう、もうウルフガンドを解放したのか」
霊狼騎士の様子に、これを見ていたアルタートゥムのオリヴィアが呟く。
〝完全な〟ウルフバードであり、それを超える武器として生み出されたのが、ディザイロウの武器授器――いや、霊授器・〝ウルフガンド〟。
その真の姿は、光の剣と物質剣がつがいになったもの。
果たしてどれほどの威力を持っているのか。
膨張が極限に至り、熱波が地上の全てを覆い尽くさんとしているベリィの太陽。
対するディザイロウが、構えを取る。
「師匠……」
イーリオの閉じた瞼に、六代目百獣王カイゼルン・ベルの姿が浮かんだ。
「僕はまだ、貴方の足元にも追いついてません。まだずっと未熟なままです」
独り言。
その呟きに、記憶の中のカイゼルンが答えた。
――んな事ぁ分かってる、と。
「でも未熟なりに、僕にも出来るようになった事があります……!」
ディザイロウの両足に、筋肉が盛り上がるほどの力が籠る。
跳躍。幻惑。
同時に太陽が落とされる。
「イィィィーーーーーリィオォォォォ!」
叫ぶファウスト。
最も三獣王に近く、史上最高の天才騎士とまで呼ばれた彼が見せる、その極地。
迫る太陽に、ディザイロウの光の剣が唸る。
レーヴェン流の〝雷動閃〟
同じくレーヴェン流の〝蜃気楼斬〟
そしてヴァン流の〝回天闘〟
この三つの技を同時に行い、その動きを別次元にまで昇華させる。
イーリオの師、六代目カイゼルン・ベルが生み出した、神をも殺す超絶剣技。
全身を回転させながら跳躍。軌道も攻撃も何もかもを分からなくし、予測不能でありながら威力は最大級にまで高めた獣王合技。
百獣剣
全方位に高速剣を放つのが百閃剣なら、あらゆる鎧獣騎士の攻撃を同時多発的に行うのが、この超級破壊技。
それがベリィの太陽に直撃する。
その瞬間――。
天が光に包まれた。




