第四部 第六章 第五話(1)『業炎太陽』
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イーリオ・ヴェクセルバルグ。
最強の鎧獣騎士に贈られる称号〝三獣王〟の一つ、〝百獣王〟の七代目継承者。それどころか三獣王を超える獣王の王、〝霊獣王〟の位まで授かった若き英雄騎士。
――ただしそれを本人が望んだかどうかは別にして――。
彼の鎧獣の名を、ディザイロウ。
イーリオの駆る、この世ならざる霊狼の鎧獣。
神話で語られる、邪竜を打ち払いし〝月の狼〟と同じ存在。だがそれすらも超えた霊獣。
最高神エール自らが手掛けた事により、比喩ではなく正真正銘の意味で神獣となった、鎧獣を超えた鎧獣。
それに相対するは――
ファウスト・キルデリク・フォン・ホーエンシュタウフェン。
黒母教を崇めるヘクサニア教国の初代教王にして、今や黒騎士と並び大陸最強とも噂される騎士。
百獣王の系譜でありながら、その百獣王を降した三獣王・黒騎士にも師事した実力は本物。史上最高の天才騎士とまで呼ばれる人物。
彼が駆る鎧獣の名を、ベリィ。
別名〝赤熱の鬣〟ベリィ。または〝怪狼王〟ベリィ。
渾名に狼とあるが実際は狼ではなく、種別は古代における最強の猛獣ヒアエノドン科の一種・神魔王狼(偉大なるライオンの意)。
炎を我が物とし、大地すら灼き尽くす豪炎を操る無敗の獣王。
白銀に対する黒灰。
黄金に対する真紅。
互いに相譲れぬ二騎が、遂に最後の決着をつけようとしていた。
同時の鎧化。
白煙が晴れて人獣の姿になった二騎は、体格的にもほぼ同等。
鎧獣の時点でホッキョクグマのサイズはあり、鎧獣騎士となった今は一三フィート前後 (約四メートル)の背丈を誇る、人獣の巨人。
武装も同じく剣。
同じ捕食獣。同じ狩猟騎。
けれどもその何もかもが、違っていた。体毛の色のように、正反対の存在。
「貴様如きが百獣王の七代目とはな。大陸最強〝皇帝に等しき騎士〟の名も地に堕ちたものだ。いや、そもそもカイゼルンの名など大したものではないという事か。今の俺なら歴代のどのカイゼルンでも敵うまい。当然、貴様の師であるカイゼルン・ベルでも、俺の足元にも及ばんだろう」
「百獣王の名もカイゼルンの名も、貴方が考えるよりずっと重いものだよ。――僕がそれに相応しいと言えないのは、同意するけどね」
「自覚があるなら、俺がその名を継いでやろう」
ファウスト=ベリィが、処刑人の剣を構える。
同時に、刀身から炎が燃え立った。異能の発動は口にしていないのに、まるでそれが自然であるかのようにすら見えた。
「技のみで戦うと言ったな。ならば貴様の全てを、この俺の真のウルフバード――〝ヴルフナク〟で消し灰すら残らぬよう、焦がし尽くしてくれるわ」
処刑人の剣とは、いわゆる斬首などに用いられる武器で、切っ先が平たくなった直剣である。ベリィの持つそれは通常の処刑用剣を巨大にしたものになり、背丈近くの刀身があった。
だが大きさよりも驚くべきなのは、ベリィの炎を纏っても、剣がまるで無傷なところだろう。
神魔王狼のベリィが放つ炎は、岩や大地すらも溶かしてしまうほどの高熱である。あらゆる異能の中で最大の攻撃力と破壊力を持っていると言っても過言ではなく、それは一日前にこの灰の王と戦ったハーラル、レオポルトが一番よく分かっていた。
――奴の獣能は防御不能。
その原理は自身から発する生体ガスでプラズマを発生させ、そのプラズマによって指向性を持った超高熱の火炎を生み出すというもの。
ザイロウでさえ、一度は完全に敗北をしている。
おそらくゾウやサイだろうと、あの炎を受ければいとも容易く燃やし溶かされてしまうだろう。
が、しかし――。
そのハーラルとレオポルトは、目にしている。
昨日の戦いの際、助けに入ったイーリオ=ディザイロウが、あの火炎を何の苦もなく防いでいるのを。
一体どうやったのかは分からない。防ぐ方法など見当もつかないし、ましてやあの炎を消すような能力など考えもつかない。
なのに、イーリオ=ディザイロウはそれをやってのけたのである。
「ハーラル殿……」
「ああ……」
自軍の側から対峙する両騎を見ていたハーラルの隣に、レオポルトが並ぶ。
昨日、二人はファウストに対し手も足も出なかったのだ。むしろ生き延びられただけでも、好運というか不思議とさえ言えた。
あとほんの少しイーリオの助けが遅ければ、二人は焼死体となっていただろう。
悔しいが、それほどまでにベリィは強かった。
駆り手であるファウストの騎士としての実力も、桁違いだったのだ。
正直、三獣王級でなければ、あれに太刀打ちなど出来ないだろうと思う。
それはファウスト=ベリィが三獣王に等しいと暗に認めた事にもなってしまうが、悔しくとも事実だろう。
つまりこの一騎打ちは因縁の決着であり、また両軍の勝敗を決める戦いでもあるが、同時にイーリオとディザイロウが七代目百獣王に、そして三獣王を凌ぐ霊獣王の称号を戴くに相応しいかどうかを決定する一戦でもあるのだ。
「どう思う?」
「分からぬ。確かにイーリオは強くなった。正直、まるで底が知れぬ。だが騎士の力だけで戦うなど……そんな大言を口にしていいのか。いや、あいつは挑発で法螺を吹くような奴でない事は知っている。が、それにしてもだ……。それにファウストは、余と貴方、二人がかりで組んだ昨日の一戦でも、実力の全てをまるで見せてなかったように思う」
「同感だよ。確かにそうだ。ただ、今のボクらに出来るのは、彼を――イーリオ君を見守る事だけだ。だから今は信じよう。ボクらの〝王〟を」
二人の言葉は、そのまま連合軍の思いそのものであったろう。
構えをとる相手に対し、イーリオ=ディザイロウはだらりと剣を下げたまま。
一見すると侮っているようにさえ見えるが、今や大陸随一の剣士と言っていいユキヒメからすれば、あれは全身を脱力しながら神経は隅々にまで行き渡らせた千変万化の型。極西の国で言うところの構えを取らぬ構え――
無形の位のようなものだと分かる。
だがそれは、この広い戦場でも一、二の剣士であるユキヒメだから気付いただけで、他の者には分かるはずもない。
当然、ファウストも侮りの態度だと捉えた。
「どこまでも俺を愚弄するか……!」
ベリィの両足の爪が、固く大地に食い込む。
太腿の筋肉が怒張する。
いつ弾け跳んでも怪訝しくない臨戦体勢。
しかしディザイロウに変化はない。脱力状態だからかもしれないが、あまりに穏やかにすぎるように見えた。
轟音。
大地が爆ぜる。
気付けば、彼我の距離はゼロ。
ファウスト=ベリィがひと息で肉迫したのだ。
鎧獣騎士の動体視力でも、この速度を目で追えた者はごく僅か。
しかも――
――あの動き!
ハーラルら、超が付く一流の騎士だけが気付いた。
ベリィの攻撃。
それは飛弾駆と雷体の動きを混合させたもの。
即ち獣合技。
三獣王級でなければ、使用どころか発動さえ出来ない、異なった流派の獣騎術を掛け合わせた高等技。
初手からいきなりの大技である。
跳躍の際に蹴った大地の音がまだ残響となって谺している中、それを凌ぐ轟音が重なる。ベリィによる斬撃だった。
土塊がかたまりごと宙に吹き飛ばされ、土煙が音と共に膨れ上がり視界を遮る。
こうなっては何も見えない。
けれどもすぐさま、土煙を割って白銀の姿があらわれる。
どうやらディザイロウは無傷であった。
同時に、同じ方向に出てくるベリィ。その剣は灼熱に巻かれ、空気を歪ませ大気も溶かす。
しかもその炎――色が徐々に青味を帯びていく。
オレンジや赤ではない。紫であり、青紫、纏う先端は青い炎になって剣を包んでいた。それはまさに妖火であり怪火。
炎は温度が高くなるほど青い色になるという。
いわゆる酸化炎という状態である。
ベリィのそれはプラズマによる炎なので、このような高温になっているのか。
蒼炎を纏った処刑剣が、幾重もの斬撃となって人狼を襲った。
大剣とは思えぬ剣捌き。
触れれば――いや、触れずとも鼻先ほどの近くを掠めれば、輻射熱だけで火が付き燃やされてしまうほどの熱量も纏っている。
しかし燃えない。
燃やされない。
剣を紙一重で避けても、ディザイロウは無傷なまま。
いや。
剣閃の熱で大気が歪むほどだが、熱が、というより炎そのものが打ち消されているように感じられた。
ディザイロウの体に近付くだけで、火勢が急速に弱まり、刃が剥き出しになっているように見えるのだ。ただしそれは、瞬速の攻防の中のひとまたたきもない刹那。
当然だが、剣を振るうファウストも気付く。
――俺の火を無効にするだと?
異能の力によるものなのか。いや、さっきこいつは獣能や特殊な力は使わないと宣言した。それ自体が欺瞞という可能性もあるが、この男に限ってそれはないだろうとファウストは確信していた。
狡猾さや策略とは無縁。愚直や馬鹿正直でもないが、奸智を見破る目もある練度の高さ。それらによって裏打ちされているのが、イーリオの獣騎術。
ある意味において王道の〝武〟とも言えるが、正確には少し違うように思う。言うなれば誰でもそうなれそうな、けれども誰もなる事が出来ない、熟練と無垢を併せ持った武術。
それがイーリオの戦い方だと、ファウストは捉えていた。
だからこそ獣能を使わないと言っておきながら使うような、分かり易い姑息な手段をとる人間ではないと、断言出来た。
そういった部分では、ある意味ファウストはイーリオを〝信じている〟とも言えただろう。
だとするとこれは――?
「炎を消しているのは、ディザイロウが本能的にしてる防御反応みたいだ。ちょっとズルしてるみたいになっちゃうね。ご免」
目まぐるしい剣戟の中、それを全て受け切り、或いは躱しながら、息を切らせる様子もなく放たれるイーリオの声。
ディザイロウの本能的なもの――。
これは月の狼と同等のディザイロウだから発生する〝機能〟の事である。
以前、天の山の最終試練でレレケが説明を受けたが、そもそも鎧獣はL.E.C.T.というのが正式名称で、人の生存不可能な環境下での行動を可能にする外装こそが本来の目的であった。それ故、あらゆる外部ストレスを打ち消す機能が備わっており、鎧獣というよりL.E.C.T.に近いディザイロウも、自動でそれを行うように出来ているのだ。
例えば神経系の外的侵食があればそれを快癒させたり、耐毒などもその一つだったりする。
これらは異能ではなく、L.E.C.T.に元から備わっている生存機能そのものになり、いわば牛科動物が反芻したり、魚がエラ呼吸をするのと同じようなものであった。
つまりL.E.C.T.に近いディザイロウは、根本的に鎧獣とは異なった存在だと言えるのだ。
ファウストの炎もプラズマからの生体ガスから生み出したものであるため、本能的にディザイロウが危険と感知し、消火機能を自然発生させたのである。
具体的には二酸化炭素など、ガス由来の消火剤的な放射物を体表に放散させ、近付いてきた炎を瞬間的に鎮火しているのだ。ようはガスにはガスで、とでも言おうか。
しかし――
己の炎が無効化された事よりも、ファウストは今のイーリオの言葉の方にこそ反応した。
――〝ご免〟だと?
戦いをはじめとした競い合いの中で、誰かが誰かに謝る時。
それは強者や強者的立ち位置の存在から、弱者への気遣いではないだろうか?
少なくとも今のイーリオの発言はそれでしかないと、ファウストには聞こえていた。
そのような発言、彼からすれば許し難いなどというものではない。
度し難い事この上ない。
攻撃の手を一切緩める事なく、ファウストは怒りのままに実力を解放した。
かつてザイロウを、この大陸のあらゆる障害を燃やし尽くしてきた己の力の本来の姿を。
「いいだろう。ならば貴様でも消せぬ炎で燃やしてやる」
神魔王狼の中、ファウストの火傷跡がじくりと疼く。記憶の痛みか、それとも後遺症か。けれどそんな事はどうでもよかった。
痛みも苦しみも、己すら喰い尽くさんとする内なる魔物からすれば、全ては贄でしかないのだから。
「〝掴んだ太陽〟」
指先から、極小の太陽が生まれる。
人獣の頭部ほどの、灼熱の火球。
先ほどから出していた簡易版の獣能ではない。真に解放した、〝赤熱の鬣〟ベリィの炎。
それが同時に、五つも。
片手の指の数だけ、太陽が生まれていた。
五つが同時に、イーリオ=ディザイロウに向けて放たれる。
直線のものもあれば変則で向かう炎球もいる。しかも飛来速度も桁外れ。なのに、どの炎球も大地すらバターのように溶かす威力。
以前は速度はそれほどでしかなかったのだが、今はそれも向上したのか。
「これはさすがに、危ないかな」
イーリオが呟いた。
ディザイロウの持つ防御反応でも、防ぎきれないと判断したのだろう。
高速で迫り来るそれを、霊狼騎士はいとも容易く避け切る。
五つは外れ、大地を燃やして沈んでいった――かに思えた次の瞬間。
「〝爆炎〟!」
ファウスト=ベリィの命令で五つが爆散し、それらが無数の炎の礫となって四方に撒き散らされる。
いくつかは連合の陣地にまで飛び込んでくるが、驚愕なのは小石ほどの炎なのに、運悪く当たった者を一瞬で絶命させてしまった事だった。
回避してやり過ごそうというのなら、回避出来ない爆撃にすればいい――。
そんなファウストの声が聞こえてきそうな攻撃。
けれど――。
白銀の人狼は――いなかった。
姿が消えている。
衆目全員の視線が注がれているというのに、誰も知らない内にいなくなっていたのだ。
――何?!
神魔王狼が視線を走らせようとする。
「ここだよ」
間近で聞こえた声。
体ごと背後を振り返ると、すぐ目の前にイーリオ=ディザイロウが立っているではないか。
咄嗟にというかほぼ条件反射で処刑人の剣を振り抜くも、またも姿が消えた。
今度は左手側。
「どんな回避不能の技でも、大体こういうのって技を出した本人には当たらないように出来ているよね。君の後ろに回り込みさえすれば安全だと思ったけど、やっぱり思った通りだったな」
これは脚力なのか?
もし速さなら、それは大陸最速と言われた覇獣騎士団・参号獣隊の〝疾風ゼフュロス〟にも匹敵する――いや、それすら上回っているかに思えた。
「おのれっ!」
激しい怒りもあらわに、再度炎球を出そうとするベリィ。
が、その前に走る、光――。
気付いた時には、血の玉が神魔王狼の目の前で飛散している。
同時に、何かの物体も。
――何が? これは何だ?
理解が追い付かない。
己の獣能が、蓋をされてしまったように堰き止められた感覚。
炎の球体。出そうとしたベリィの左手指が三本――消えていた。
視界に映るのは、全ての時間が緩慢になったような動きの中。その中で、血の玉と共に舞う物体が何であるかという事にも気付いた。
ベリィの指。
血の玉は、ベリィの血。
それらを斬り飛ばしたのは、イーリオ=ディザイロウの神速の剣。
いつどうやったのか。
動きの〝起こり〟も見えないどころか、感じ取る事さえ出来なかった。
全ての動きが緩やかだったのは、ほんの一瞬。
通常の速度に戻った後で、人狼騎士が告げる。
「今度は僕の番だ」
攻防逆転。
獣能を封じられた、躱された、ならまだ分かる。
だが、出す前に、消された――。
出す事さえ遮られてしまったのだ。
目の前の現実に、ファウストは信じ難いほどの怒りと憎しみで、思考が赤黒く塗り潰されていく。己の激情を抑える事など、出来るはずもない。
「イーーーーーリオォォォォ!」
失った指もそうだが、それ以上に奪われたもの、奪ったイーリオへの憤怒が、灰の王を駆り立てる。
しかし憎悪を向けられた当人は、依然、肩に力が入ってないまま。自然体の構えのまま――再び消えた。
――!
気付いた時には全身から血を噴き出す、神魔王狼の王騎士。
よろめく体を己の足でかろうじて踏ん張り、何が起きたのか反芻した。
目に見えない、神速の幻影剣。
人獣という超常の肉体を更に超えた先、その頂点の者が使う、獣騎術の極地。
獣王合技。
おそらく今のはその一つ、〝嵐陣剣〟であった。
が――ファウストも獣王合技は使える。
それどころか、かつてザイロウと戦った時、向こうが放った技と全く同じものを出して、撃ち落とした事すらあったのだ。
ところが今のディザイロウの動きには、反応すら出来なかったのである。
「瞬間的――ほんの一瞬だけ出した嵐陣剣だから、仕留めは出来なかったね」
再び背後に眼を向けるファウスト=ベリィ。
ぎょろりと動かす瞳孔のない目は、炎さえ噴き出しそうな血走り方だった。
「幕引きだよ。ファウスト」
認められない現実が、ファウストの中で救いようのない感情に染められていく。
目に見えるのは冷静な事実ではない。彼の中に巣食う魔物は、それすらも呑み込んでいこうとしていた。
最早、怒りという魔物を内に秘めているのか、それとも己が負の感情の魔物そのものなのかも、ファウストには分からなくなっていた。




